溢れ出す記憶
「シア! シンシア……!」
「リリィ……! お母様が、お母様が……っ!」
カルブンクルス公爵の屋敷にラウールと共に着いた途端、胸に飛び込んできたシンシアの身体を抱き止める。
いつもは気丈な彼女の水色の瞳が涙に濡れ、髪も乱れていた。きっと自分達が来るまでずっと泣いていたのだろう。赤くなった目と鼻に、リリアーヌの胸も痛くなる。
「シア、大丈夫だから、このエンデの鏡がきっと穢れを祓ってくれるから……!」
シンシアの母親が倒れた。しかもその原因は、穢れによる呪い。
カルブンクルス邸で何度も会ったことのある彼女は、シンシアと同じホワイトブロンドで優しげな女性だった。
リリアーヌとシンシアが互いを親友と呼ぶようになった時に、とても嬉しそうに微笑んでくれたのを覚えている。
彼女は、リリアーヌにとっても家族のような人だ。
「おば様……っ」
シンシアに案内された部屋では、黒い霧に覆われたカルブンクルス夫人が、苦し気に息を吐きながらベッドに横たわっていた。
意識が朦朧としているようで、シンシアと同じ水色の瞳はきつく閉じられている。
(そう、気の強いシンシアとは印象が違うけれど、おば様はシンシアと同じ水色の瞳とホワイトブロンドで――)
その時。カチリとパズルのピースがハマるようにリリアーヌの頭の中に記憶が溢れ出す。
爆発的なヒットを飛ばし、様々なファンブックや設定資料集が発売された『ラビントス魔法学園物語』。
攻略対象たちのプロフィールや衣装の詳細はもちろん、ライバルキャラであるシンシアの設定も収録されていると話題になったパーフェクトファンブック。
前世の最後の方の記憶が曖昧なせいで忘れてしまっていたが、設定完全網羅と謳われたその本には、シンシアがヒロインをいじめる悪役令嬢になってしまった背景も載っていたのだ。
(そう、確かゲームのシンシアは12歳の時に実の母親を病気で亡くして……)
そして愛妻家だったシンシアの父親――カルブンクルス公爵は妻の死に絶望し、母親にそっくりなシンシアの顔を見られなくなってしまう。母親を亡くしたばかりか、父親にまで拒絶されてしまった12歳のシンシアの心は酷く傷ついた。
更には翌年に父親が再婚し、継母を迎えたことで、彼女の瞳は完全に光を失くしてしまうのだ。
(シンシア……!)
気が強いけれど、真っ直ぐに感情をぶつけてきてくれる大切で大好きな親友。
彼女と初めて出会った日のお茶会や一緒に庭を駆けた思い出と、ゲームのシンシアの昏い瞳が交互にフラッシュバックする。
――穢れに触れてしまったものを穢れの呪いから解放するためには、対象を浄化するか息の根を止めるしかない。
――完全に呪いに侵されたものは理性を失い、周りを傷つけるように暴走してしまう。
(させない……! そんなこと、させない……!)
ギュッとエンデの鏡を握りしめ、カルブンクルス夫人の側へと踏み出す。
「おば様……っ」
ベッドの上を漂っていた黒い霧が、何かに反応したように揺らめき――大きく膨れ上がった。
「――っ!」
咄嗟に頭を庇ったことで、エンデの鏡がリリアーヌの手から落ちてしまう。その様子がまるでスローモーションに見えた。
「リリィ!」
床に落ちる寸前でラウールが鏡を拾い、リリアーヌへ襲いかかる黒い霧へと向ける。
「消えろ……!」
怒気のこもったラウールの声に共鳴した鏡面が光を放ち、部屋に広がる霧を吸い込んでいく。
だが、それに抵抗するように霧が大きなうねりとなり、ラウールの手に絡み付く。
「くっ!」
「ラウール!」
だめ。やめて。
ラウールも、シンシアも、おば様も。
みんな大切な人なの。
(傷つけないで――!)
鏡を持つラウールの手に自分の手を重ね、強く願う。
光が、輝きを増していく。鏡が、震える。
「―――!」
部屋全体を真っ白な光が照らし、そして、瞼を開けると黒い霧は完全に消えていた。