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沈黙はかくも雄弁に語る

作者: 龍岡

「86歳男性。奥様は3年前に死去し、現在は一人暮らし。発見場所は自宅の階段の下、家の日当たりはよくなく、今の時期、温度は18℃程度で一定。発見時の直腸温は20℃。死体硬直は全身で高度に発現。角膜は霞上に混濁。腹部腐敗変色はありません。胸部に、何かにぶつけたような外傷があります。」


私は淡々と報告した。


「そうか。では鏑木、この方は死後どのくらい経過していると思うかね?」


先生は私に問うた。


「直腸温から推察するに、少なくとも死後12時間の経過が考えられます。また、死体硬直が強く発現し、弛緩は起きていないため、死後12~24時間といったところでしょうか。角膜混濁も進んではいますが透見不可でない点や、腹部腐敗変色がない点からも死後経過時間としては12~24時間が妥当と考えます。」


「ふむ、まあ良いだろう。で、死因は?」


「はい、ご遺体は行貝吾郎さんで、調査によると動脈硬化が指摘されており、過去に心筋梗塞を発症されています。今回は階段を下りている最中に心筋梗塞が再発し、そのまま倒れ、胸部が階段の角とぶつかり外傷を負ったものと考えられます。なので死因は心筋梗塞かと。」


先生は何も言わずに黙っていたが、暫くすると現場の鑑識の方を向いて、


「ご遺体を後でCTに回せ。」


とだけ言った。

私は疑問だった。そんなことをしなくても、状況や所見からもう死亡状況はわかっているじゃないか。そう思った。警察の捜査も事故の方向で、概ね私が先ほど先生に述べたシナリオを念頭に捜査していた。

死後CTを撮影するために、私と先生は車で某大学病院に向かった。その車の中で先生は、私にこう言った。


「行貝さんにはお子さんがいるのかね?」


「はい、確か息子さんが一人。」


「きっと息子さんがかわいかったに違いない。」


私はその意味が分からなかった。


病院でCTを撮ると、驚くべきことに胸部に12,3cmはあろうかという杙のような形のものが心臓を貫いていた。緊急で裁判所から処分許可状を取り寄せ、司法解剖が行われた。すると、胸部外傷の奥に、先端の尖った、長さ12cm、太さは1cm四方ほどの金属製の棒が摘出され、心臓を心尖部の1cm内側から心室中隔を貫き、右心室の内部にまで達していた。

棒そのものは末端部が皮下組織の奥まで入り込みんでいたため、外表所見からは胸部を打ったことによる傷もあったことも重なり確認できず、心臓を貫いたまま抜けなかったため、出血量も少なくなっていた。そのため見落としてしまっていたのだ。

これが決め手となり、死因は胸部から発見された凶器を自らの胸にあてがい、階段に勢いよく倒れこむことによる自殺であると特定された。


その後の警察の調査で、行貝さんの息子さんに吾郎さんからの手紙が来ていたことが分かった。そこには、自分はもう長くはないこと。もうこれ以上長く生きなくても十分に人生を楽しんだこと。そして、いま、息子さんが、孫の教育費の工面に奔走していることと、その助けに少しでもなりたいと保険金を自分にかけて死のうと考えていることが書かれていた。そして最後には、息子さんへの思いと、今まで生きてこれたことに対するいろんな人への感謝がつづられていた。

つまり、内因死を装い自殺をしたのだ。それだけ行貝さんは息子さんや家族のことを考えていたのだ。


私は少し複雑な気分だった。もう何も意思表示ができないご遺体の声なき声を聴き、どのように死んだのか、その最後の瞬間を明らかにすること。これが私の志す、法医学者としての仕事であった。しかし、それを明らかにすることが常に人のためとは限らない。今回も、吾郎さんが死んでまでも息子さんの助けになりたいという思いを私は踏みにじってしまったのだ。自殺ということになれば、保険金は少なくとも満額は振り込まれなくなってしまう。たとえそれが法律上正しいことでも、命をとした人の思いに背くことは正しいと言えるのか。私は葛藤を抱えた。

この事件は私のなかに、まるで喉に引っかかった小魚の骨のように私に痛みを与え続ける。


今はもう先生はいない。もう亡くなってしまわれた。先生はこの葛藤に答えを提示してはくれなかった。それでも私は、善悪を超越した真実を求めることで何かが見えてくると信じ、今日もご遺体と向き合っていく。

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