井の中の蛇、外界を知らず
関東の某県の山奥にある菊山ダム。
都市伝説でこの菊山ダムには、ダムの主が居るという噂がある。
そこでは家畜が消えてしまう事件や、肝試しに行った人間が行方不明になる事件が起きたという話である。
その都市伝説に感化され、闇が覆う夜空の中で二人の男性が菊山ダムに肝試しに訪れた。
ダム湖の淵をなぞるに建設された道路の途中にある広場に赤いスポーツカーを停車させる。そして、降車した二人は雑談をしつつ、周囲を眺めていた。
二人の男をスポーツカーのヘッドライトが照らす。
「なあ、篠崎。もう帰ろうよ」
身長が高い量販店で販売されている衣服を着用している男が、ちょっとお高い服を身に着けている身長が低い男に話しかけた。
「松橋。お前、ビビってんのか?」
「そんな訳じゃないよ。そうじゃないけど。それでも薄気味悪いじゃんか。ここ」
そんな反応をする松橋を見つつにやりと表情を浮かべる篠崎。
「それをビビってるっていうの。それより、俺にも缶コーヒーを取ってくれよ」
渋い表情を浮かべる松橋だったが、仕方なしにスポーツカーから缶コーヒーを手にし投げようとした。しかし、同時に鼻が刺激されてくしゃみをしてしまう。
すると、缶コーヒーを投げるモーションがおかしな格好になり、篠崎の居る位置よりも大分手前、むしろ松橋に近い位置に落下した。
「何やってんだよ! 松橋! ドン臭いなぁ!」
若干声を張り上げながら、篠崎は地面に落ちた缶コーヒーを取りにその場から歩き近づいた。
「ごめん。ごめん。ごめ、あっ!」
松橋は何かを目にし、言葉を失った。
その直後、篠崎の背後で激しい音が炸裂する。
「なんだ?」
ちょっとビクッとしつつ、篠崎は背後を振り返った。
そこには巨大な蛇が、大口を開け岩肌に噛み付いた。
「うわっ! 蛇! 大きな蛇!」
「篠崎! そんなこといいから早く車に戻れ!」
松橋は大声で、ビビッている篠崎に言葉をかけた。篠崎は慌ててスポーツカーの助手席に戻った。松橋も急いで運転席の乗り込む。
ヘッドライトに照らされた大蛇は、岩肌を噛むのを止めのっそりとこちらを向いた。
「なんだあれ!」
「知らん! ここでじっとしていたらやられるぞ!」
そう叫びながらもギアをバックに入れ、スポーツカーを動かし始める。その際にタイヤが激しく動き、埃を巻き上げた。
急いでダム湖沿いの道路を猛スピードで走り、大蛇との距離を作ろうとする。スポーツカーのエンジンが激しく動く。
「あれがダムの主か!」
「多分。多分、あれが都市伝説の正体なんだと思う」
篠崎が背後を振り替えり、大蛇の動きを確認する。大蛇はこちらを追い動き始めた。こちらを追う大蛇。大蛇が前方へ進むと近くにあったバス停と待合所の小屋を引き倒した。今までそれぞれの形を持っていたものが、ただの鉄くずや木片と化した。それでも大蛇が進む速度はスポーツカーに追いつくほどのものではなかった。
「あいつのあのスピードだとこっちには追いつかなそうだな」
「幾ら水陸で活動できるとは言え、水中がメインで陸上の活動はできるだけでそこまで得意ではないんだろうな」
二人は距離がそれなりにある為に、気持ちのどこかで安堵した部分があった。スポーツカーは山の裾を沿うように走る。そして、カーブを曲がり始めた。
篠崎が再度後方を確認すると大蛇の姿が無かった。
「あれ? 蛇の姿が見えない」
「えっ?」
「逃げたんじゃない?」
大蛇の姿がないことに二人は完全に安堵した。松橋が運転するスポーツカーは完全にカーブを曲がりきった。その直後だった。
激しい振動がスポーツカーを襲う。その振動は運転をしていても、二人に届くほどのものだった。
「なんだこの揺れ!」
篠崎はまたも背後をみると、さっきまで曲がりきったカーブに大蛇が地面に打ち付けていた。大蛇が飛び掛ってきたのだ。
「あいつはああやって、陸上の獲物を襲っているんだ! さっきもそうやって、篠崎を襲おうとしたんだよ!」
「マジかよ」
スポーツカーはスピードを落とさずにU字のカーブを曲がっていく。大蛇は飛びついた衝撃が強すぎて、道路に収まりきれずにそのままダム湖に落ちていく。着水と同時激しい水飛沫が高く上がる。
そもそも蛇という生物の生態が身体をバネのようにし、ジャンプして飛びつくというのはそうそう存在するものではない。ましてや、大蛇と呼べるほどの全長三十メートル近くある蛇が飛ぶというのはなかなか信じ難いものである。もはや怪獣と言っても過言ではない。
運転に集中する松橋。篠崎は助手席で大蛇の動きをじっと見つめていた。大蛇は月夜に照らされる水面を大蛇は水粒を身体の両側に巻き起こし、大きい水音を響かせながら突き進んでいる。
「あんな。馬鹿デカイ蛇なんて人生で始めてみた。ゆうゆうに泳いでる。あいつ、まだこちらを狙っているぜ!」
篠崎は大蛇の様子を観察しつつ実況していた。
「しつこいな」
松橋は運転に緊張しつつも集中し運転していたが、大蛇のしつこさにイライラしていた。
「あいつのおかげで、行方不明になったりしたんだろうな。多分、俺達がこのまま助かってもまた誰かを襲うんだろうな」
篠崎の呟きに、松橋が反応した。
「じゃあ、やるか篠崎?」
「やるって何を? え、まさか俺達で蛇退治するってのか?」
「まあ、そういうこと」
「馬鹿か? あんな大きな蛇をどうやって倒すっていうんだよ!」
松橋の突拍子も無いアイディアに呆れてしまった。しかし、松橋の表情は本気だった。
「俺に考えがある」
松橋は策があると言い切った。
スポーツカーは山の裾を走り、そのスポーツカーを追い、大蛇はダム湖を泳ぐ。水中の活動が中心だった為、流石に水中での動きが早い。スポーツカーと大蛇との競争しているこの状況を維持した時間が続く。緊張がスポーツカー車内を走る。
スポーツカーが行く先には丁字路に差し掛かる。一方は、直進するとこのまま離れ自分達が住む街へ戻る道、もう一方は曲がるとダム天端へと続く道。
篠崎は、松橋がああ言ってたものの実際は逃げるだろうと思っていた。その予想に反し、松橋はハンドルを左に傾けた。ハンドルの動きに従い、スポーツカーも急カーブで曲がり、天端へと侵入していく。
「お前、正気か? あんな奴、倒せる訳ないだろ!」
「篠崎! 少しは黙ってろ!」
天端を進むスポーツカー。スポーツカーをターゲットにし、直進していく大蛇。このまま行けば、大蛇は飛び上がり、再びスポーツカーを狙ってくるだろう。篠崎の脳裏には大蛇に食われる映像が、はっきりと浮かんでくる。その想像通り、大蛇は大きく飛び跳ねた。
「来た!」
篠崎は大声で叫んでしまう。
飛び掛る大蛇。
スポーツカーと距離が縮まっていく。
松橋はハンドルを捻り、思いっきりブレーキを踏んだ。
激しい”キキキィ!”というブレーキ音と、大蛇の身体がコンクリートの柵の両サイドを破壊し天端の道路表面を身体が刷れる音が混ざり合いぶつかりあう。
スポーツカーはしの字に曲がり止まる。そのスポーツカーの前をあの大蛇が通過していく。その様子はまるで特急列車が猛スピードで目の前を通り過ぎる光景のようだった。
大蛇はそのままの勢いでダムを飛び越し、水の無い地面へと落下していく。そこには水力発電所があり、大蛇の身体は水力発電所へと向かっていく。そして、直撃する。施設は倒壊し、施設の瓦礫で大蛇が覆われた。
二人は、スポーツカーを降りると大蛇の様子を確認する為に下を見た。彼らが下に視線を向けたと同時に激しい火柱が上がり、破裂音が響き渡る。発電中だった為に、電気が可燃物に触れ爆発してしまった。二人に、熱・風・音の三つが襲い掛かる。
「うわっ!」
「あちぃ!」
両手で覆い、顔をなんとか守ろうとする二人。
燃え盛る炎の中に大蛇の姿があり、激しく悶えていた。悶え続けた大蛇だったが、数秒が経過すると共に弱弱しくなり、動きが止まった。大蛇は死んだようだ。
「あいつがなんでこのダム湖で大きくなり、生きてこれたと思う?」
「えっ?」
松橋の唐突な質問に臆する篠崎。
「推測ではあるけど要因は二つあると思う。一つはあいつが今まで獲物を確実に仕留めてきたことと、ダムの向こう側を知らなかったこと。ダムの向こう知った時は同時に死を意味することだったんじゃないかな」
「活動範囲がダムまで来ていなかったのかもしれないな」
「まさに井の中の蛙、大海を知らずだな。これでこの都市伝説も終わりかな」
そう呟く松橋。
「でも、代償は大きくなりそうだなあ」
ダムの頂上から麓を見ると街が真っ暗だった。水力発電所が倒壊したために、大規模な停電が起きていた。
「あれ」
松橋が指差す方向みると、ダムへと続く道路に数多くの消防車がサイレンを唸らせながら向かってきていた。
明日は大騒ぎになるだろうなと松橋は感じていた。
完