連載版を投稿しました。孤高の魔女は友達が欲しい 零
魔術の発展と共に栄えたセルベリア大陸。その中央にある魔の森には世界最高のレベルを誇る、魔術の研究を専門とした女子校が存在する。
貴族のご令嬢や、優れた素質を持つ平民の娘だけが通う学校。
生徒達は日々研究に取り組み、魔術を行使するために必要な魔法陣の開発や、魔術を誰にでも扱える魔導具とするためのデバイスの研究、開発をしている。
そんな世界最高の魔術学校に通うフィーアリーゼは、優れた素質を見いだされて入学を許された平民の娘だった。
普通であれば、どうと言うこともない。貴族の娘達はこぞって、優秀な魔術師の卵を取り込み、将来の自分の部下にしようとしただろう。
だが、フィーアリーゼは優秀すぎた。
入学時は素質しかなかった彼女は、わずか半年で生まれたときから優秀な家庭教師を付けられていた貴族の娘達に追いつき、一年後には他の追随を許さないほどに成長していた。
このままでは貴族のメンツを保つことが出来ない。
そう考えた貴族の娘達が、フィーアリーゼに嫌がらせをするようになった。それから更に半年。つまりは二年目の半ばにして、フィーアリーゼは完全に孤立していた。
だが、見かねた先生の計らいにより、フィーアリーゼはアリアという娘と組んで、魔導具の研究、開発をおこなうことになった。
アリアも貴族令嬢であるから、きっとまともに共同研究なんて出来るはずがないと、そんな風に思っていたのだが、意外とすぐに打ち解けることが出来た。
彼女自身、少し不器用なところがあって周囲と浮いていたのも原因の一つだろう。だが、なによりの理由は、アリアが他の貴族とは違う、優しい心の持ち主だったからだ。
魔導具とは、魔法陣を展開できない者でも、魔力を注ぐだけで魔術を行使できる道具。つまりは魔術師が開発する物でありながら、魔術師が使用することはあまりない道具である。
ゆえに、これまではあまり研究が進んでいなかった。
だが、水を汲み上げるための魔導具や、旅の安全を守るための魔導具などがあれば、平民の生活は格段に良くなる。
「ねぇ、フィーアリーゼ。私と一緒に、人々の暮らしを豊かにする魔導具を作ろうよ」
アリアはそう言って手を差し出した。貴族のアリアが、平民の暮らしを豊かにするような研究をしたいと言ったのだ。
だから、フィーアリーゼはアリアと組んで、魔導具の開発を進めることにした。
「フィーアリーゼ、新しいデバイス、出来たんだけど……どうかな?」
「どれどれ、ちょっと見せてくださいね」
受け取ったデバイス――腕輪型のそれを手に取って魔力を流し込む。そうして読み取るのは、デバイスの反応速度や魔力の許容量など。
フィーアリーゼは魔法陣の開発が専門で、デバイスの研究は授業で習った程度の知識しかないのだが……アリアの作ったデバイスはお世辞にも出来が良いとは言えない。
アリアの成績は下の方だから、こんなものかとデバイスの走査を終えようとしたそのとき、フィーアリーゼは大きな衝撃を受けた。
「……なによ、これ。魔術領域が、二つ?」
一つのデバイスには通常、一つの魔術領域しか構成できない。
つまりは、魔法陣が一つの簡単な魔術しか再現できないと言うことに他ならないのだが、このデバイスにはその領域が二つある。
「えへへ、凄いでしょ?」
「凄いなんてものじゃないですよ、アリア様。このデバイスは歴史を変えます」
「褒めすぎだよぉ。これ、フィーアリーゼのマルチタスクを応用しただけだよ」
「だけ、ですか……」
マルチタスクは複数の魔術を同時に行使する方法で、それぞれの魔術が干渉しないように特殊なプロセスを経ている。
おそらくはそのプロセスを応用して、複数の領域を作り出したのだろう。それはフィーアリーゼにも分かったが、決してだけと言えるような簡単な話ではない。
もっとも、マルチタスクはフィーアリーゼが生みだした技術で、いまのところ彼女以外に使えるものはいない。
そんな彼女が、それぞれの魔術が干渉しないように特殊なプロセスを経ただけと言っていたことを考えれば、この二人はおそらく似たもの同士だろう。
つまり、フィーアリーゼは魔術の天才で、アリアはデバイス開発の天才。アリアはまだまだ発展途上だが、フィーアリーゼとの出会いで急速に頭角を現し始めた。
この二人が出会ったことで、魔導具の利便性は飛躍的に良くなり、平民達の暮らしもまた画期的に良くなる――はずだった。
少なくともこのときの二人は、そう信じて疑っていなかった。
――半年ほど過ぎたある日、ついに新型デバイスの試作品が完成した。
「やっぱりアリア様は凄いです。デバイス反応速度も飛躍的に上がったし、魔力の許容量も従来以上に大きくなりました。これなら、きっとみんなを幸せに出来ますよ!」
「そう、だね」
幸せの絶頂期にあるはずなのに、なぜだかアリアの表情は暗い。そんなアリアを不思議に思ったフィーアリーゼがどうしたのかと問い掛ける。
だけどアリアは答えず、別の質問を投げかけてきた。
「ねえ、フィーアリーゼが嬉しそうなのは、平民の暮らしが良くなる魔導具の完成が嬉しいから? それとも、これで私との縁が切れるから?」
「……え?」
なにを言われているか分からなかった。
フィーアリーゼにとってアリアは友人――ではない。
本当は友達になりたいと願っていたが、アリアは貴族のご令嬢だから、対等に接することは出来なかった。だから、いまだに敬語だって崩せない。
だけど、それでも、この開発が終わったら、勇気を出して友達になって欲しいと打ち明けるつもりだった。それなのに、縁を切るなんて意味が分からない。
「私、聞いちゃったの。あなたが影で、本当は魔法陣の研究をしていたいのに、どんくさい私と組まされて良い迷惑だって吹聴してる、って」
「……え?」
「言ってくれれば良かったのに。フィーアリーゼと一緒に開発するのは楽しい、なんて一人ではしゃいで、私、馬鹿みたいじゃない!」
「ま、待ってください。誰から聞いたんですか!? 私、そんなこと言ってません!」
「みんな口を揃えて言ってたわ! もう嘘はたくさん、言い訳なんて聞きたくない! フィーアリーゼなんて大っ嫌いっ!」
完成した試作品を投げ捨てて、アリアは二人っきりの研究室から飛び出していった。
残されたフィーアリーゼはアリアを追うことが出来なかった。去り際のアリアの瞳から、涙がこぼれ落ちるのを見てしまったからだ。
きっと、いまの自分が追い掛けてなにを言っても信じてもらえない。そう思ったフィーアリーゼは、どうしてこんなことになってしまったのかを考える。
原因は、誰かがアリアに嘘を吹き込んだから。
それが誰か? そんなのは決まっている。ことあるごとにフィーアリーゼに嫌がらせを続けてきた侯爵令嬢、パメラ達以外にありえない。
「……ふっ、ふふふ。やって、くれたわね。許さない、絶対に許さないわ」
いままでのフィーアリーゼはずっと我慢を続けていた。
パメラがレスタット侯爵家のご令嬢で、自分が平民の娘だからという理由だけじゃない。自分の人付き合いの悪さが、貴族の不興を買う一因になっていると理解していたからだ。
だが――彼女はアリアを泣かした。
フィーアリーゼが魔術学校に通うようになって、初めて友達になれたかもしれない相手との関係をぶち壊しにした。
だからフィーアリーゼは、貴族なんて知ったことか。それ相応の報いを受けさせてやるとぶち切れて、パメラの研究室へと乗り込んだ。
「あら、なんですの、急に。来訪の知らせは頂いておりませんわよ?」
研究室にはパメラ以下、彼女の派閥に参加する娘達が揃っていた。
フィーアリーゼの無作法を咎めつつも、彼女達の顔に浮かんでいるのは期待と嘲笑。今日この瞬間、フィーアリーゼとアリアの関係が壊れることを確信していたのだ。
「単刀直入に聞くわ。アリアに根も葉もない噂を吹き込んだのは貴方達ね」
「あら、ずいぶんと失礼なことをおっしゃいますね。あなたが成績の低いアリアさんを影で馬鹿にしていたのは事実ではありませんか」
フィーアリーゼはそんなこと、思ったことすらない。
だから、それを知っている彼女こそが犯人で間違いないのだが、パメラは地位と数の暴力を持って、自分達の主張が正しいと押し通す自信があるのだろう。
自分がやったと明言は避けつつも、隠すつもりはないらしい。
そうして、平民の無力さを教えるつもりだろうが、それに乗ってあげる義理はない。
「そんなだから、あなたは私に勝てないのよ」
「――なんですって?」
フィーアリーゼの挑発に、パメラが顔色を変えた。
「私が主席から落ちたって天才がいる。他の学年を見ればもっと優秀な者はいる。社会に出れば、それこそ私が足下にも及ばないような天才だっている。なのに、あなたは私を蹴落としさえすれば、自分が上になれると思ってる。これほど滑稽なことが、他にあるかしら?」
「くっ。この……っ。言わせておけば、わたくしが滑稽ですって?」
「そうよ、最高に笑えるわ。あなたは決して最高の魔術師になんてなれない。それどころか、世紀の発明をする彼女の足を引っ張った愚か者として、後世に名を残すでしょうね」
フィーアリーゼの暴言に、パメラの顔が真っ赤に染まった。だが、彼女が声を荒げるより先に、彼女の取り巻き達がフィーアリーゼを罵り、掴みかかってくる。
そうして、一歩引いた立場になったからだろう。
パメラは少しずつ、余裕のある表情を取り戻していった。
「ふっ。そこまで言うのでしたら、次の試験の結果で勝負しましょう。どちらが正しいのか、証明して差し上げますわ」
「ふぅん? 良いわ、受けて立ってあげる。次の試験でも実力の違いを見せつけてあげる」
パメラの力を持ってすれば、試験の結果に影響を及ぼせるであろうことは理解している。そのうえで叩きのめしてあげると、フィーアリーゼは受けて立った。
そうして踵を返して、部屋から出て行く寸前、一度足を止めた。
「あぁ……そうだ。その大層な魔法陣をどこから持ってきたのかは知らないけど破綻してるわよ。そのまま動かしたらなにが起きるか分からないから気を付けなさいよ?」
敵に塩まで送って、フィーアリーゼは研究室を後にした。
部屋の中から物を壊すような音が聞こえてくるが、もはや知ったことではない。自分は一人になってしまったけど、アリアとの研究を続けるだけだと研究室へと戻った。
それから数日。
フィーアリーゼは研究室に籠もり、試作第一号デバイスに魔法陣を組み込んでいた。
アリアの願いは、平民達が幸せに暮らせるような魔導具を作ること。
それを念頭に置いていたフィアリーゼは、魔物に子供が殺される事件が多いことを考慮して、子供にも使える防犯グッズを作ることにした。
使用者が敵と認識した対象だけを正確にロックし、複数の光の矢で一斉に打ち抜く。二つの魔法陣を用いて、子供にも安全に使えるようにする。
更には研究内容が盗まれないように、外部からの鑑定を弾く細工も施した。
(これを持っていけば、アリア様も話くらいは聞いてくれるかな?)
完成した魔導具を胸に抱いて、アリアと仲直りする方法を考える。
研究室の扉がノックされたのはそんなときだった。
来客者は――アリアだった。
「アリア、様?」
「少し、話をしても……良いかな?」
「え、ええ、もちろんです」
完成したばかりの魔導具を机の上に置き、奥でお茶請けの用意をする。
そうして研究室に戻ると、アリアが魔導具を手に取って驚いた顔をしていた。
「フィアリーゼ、これは?」
「アリア様が平民の暮らしを良くしたいと言っていたので、子供でも安全に使える自衛用の魔導具を作ったんです。その、子供が魔物に殺されることが多いので」
「そう、なんだ……。ふふ。自衛なのに、魔物を殲滅する仕様なのがフィアリーゼらしいね」
「そ、それは、その……魔物の素材は、平民にとって結構なお金になるので」
平民の懐事情にまで気を使っていることを打ち明けると、アリアはクスクスと笑った。
「やっぱり、フィアリーゼは、フィアリーゼだね」
「えっと……それは、どういう意味ですか?」
「あの後、少し考えたの。フィーアリーゼが、本当にそんなことを言ったのかな、って。もしかしたらクラスのみんなが、口を揃えて嘘を吐いているんじゃないかな、って」
「――っ」
それこそが、フィーアリーゼに取っての真実だ。その事実に、アリアが自力でたどり着いてくれたことに歓喜する。
「そもそも、フィーアリーゼが私以外のクラスメイトと仲良くしてるところ見たことないし。もしなにか不満を抱いていても、クラスメイトには言わないんじゃないかなぁって」
「……それは、ええっと。まぁ、そうですけど」
友達がいないことが影響するとは思っていなかったとフィーアリーゼは困惑する。だけどそんな彼女に対して、アリアは「だからあなたの口から真実を聞きたい」と続けた。
「フィーアリーゼがどう思っているか正直に教えて。それがどんな内容だったとしても、私はその言葉を信じるから」
「アリア様……」
「アリアで良いよ、フィーアリーゼ」
フィーアリーゼは不覚にも泣きそうになった。
ずっと、そう呼びたいと思っていた。だけど、身分の差があるから、決してそんな風には呼べないとも思っていた。
彼女にとっては唯一の、そして最高の友達と巡り会えたのだと思った。
「私は――」
「――全員、そこを動くな!」
いきなり研究室の扉が開かれ、そこに警備兵達が流れ込んできた。彼らは油断なく杖を構えながら、フィーアリーゼ達を取り囲む。
その予想外の出来事にフィーアリーゼ達は動けない。
「俺は国から今回の調査を任された騎士だ。この場で嘘を吐くことは許さぬ」
騎士のような恰好をした男が詰め寄ってきた。そうして「フィーアリーゼはどっちだ」と、フィーアリーゼに向かって尋ねてきた。
どうやら、嘘を吐いても分かるという意思表示のようだ。
だが、フィーアリーゼに嘘を吐く理由はなにもない。
自分がそうだと名乗りを上げた。
「そうか。ならば、おまえを礎の間に立ち入った罪で拘束する!」
「……は?」
礎の間というのは、この魔術大国を支える魔法陣が刻まれている部屋のことだ。大陸の何カ所かに設置されており、その場所への立ち入りは固く禁止されている。
この学校の地下にも存在することは知っているが、立ち入った物は重罪人として扱われる。フィーアリーゼがそんな場所に立ち入るはずがない。
そもそも、何重にも封印が施されており、立ち入れるはずもないのだ。
「なにかの間違いです。私はそのような場所に入っていません!」
「本当にそうだと言い切れるか?」
「もちろんです」
「そうか。ちなみに、これは礎の間に落ちていたのだが……」
騎士が取り出したのは、学生服の袖のボタン。
そして、流れるような動きで、フィーアリーゼの袖を掴み上げた。
「……ふ。やはりボタンがないようだな。一体どこで、落としたと言うのだ?」
「え、それは……」
偶然だと言うしかない。
だが、それを口にする寸前、フィーアリーゼはあることを思いだした。わずか数日前、パメラの研究室に乗り込んだとき、彼女の取り巻き達に掴みかかられている。
「そのボタンはたぶん、パメラ様の研究室で落とした物です」
「――あら、だったら私がそのボタンを礎の間においてきたとでも言うのかしら? この期に及んで、いくらなんでも見苦しいんじゃありませんか?」
不意にパメラの声が響いたかと思えば、ニヤついた笑みを張り付かせたパメラが研究室に入ってきた。もはや疑う余地はない、彼女がフィーアリーゼをはめた犯人だ。
「聞いてください。私じゃない、彼女が犯人です!」
「あら、酷いわね。ねぇ、彼女は行為っているけど、あなたはどう思うかしら?」
パメラが騎士に問い掛ける。それに対しる騎士は、侯爵令嬢であるあなたが、そのようなことをするとは誰も思いませんと答えた。
「だそうよ?」
「この卑怯者っ! 貴族の地位や、仲間達を使ってこんなことをして恥ずかしくないの?」
「ふん。見苦しいわね。どうせ、次の試験でわたくしに負けないように、礎の間の魔法陣を参考にしようとかしたんでしょ? そう考えると、いままでの成績も怪しいですわね」
「……くっ」
フィーアリーゼもまさか、パメラがここまでやってくると思っていなかった。完全にフィーアリーゼの油断が招いた事態である。
「――待ってください、フィーアリーゼがそんなことをするはずありませんわ!」
絶望するフィーアリーゼを庇うように、アリアが前に出た。
アリアとて子爵家の娘。パメラには及ばずとも発言力はある。そんなアリアがフィーアリーゼを庇ったことで、態勢は揺れるかに思えた。
だが、パメラは相変わらず笑っていて――
「たしかに、フィーアリーゼが一人で礎の間に入るのは難しいでしょうね」
フィーアリーゼはパメラの筋書きを理解した。パメラはこの場にいるアリアを共犯として仕立て上げ、二人纏めて叩き落とす腹づもりなのだ。
そして、パメラがここまでやる以上、万が一つにも逃れる術はないのだと理解する。
「あはっ、あははははっ!」
フィーアリーゼは狂ったように笑い声を上げる。そうしてみなの注目を集めたフィーアリーゼは、驚くアリアへと嘲笑を向けた。
「この期に及んで私を庇うなんて、本当におめでたい性格ね」
「……なに、を? なにを言ってるの?」
「まだ分からない? このあいだの陰口の話は本当よ。私はあなたと組むのが嫌で嫌でしかたなかったのよ。それなのに仲直りに来るなんて、本当に笑っちゃうわ!」
初めて友達になれたかもしれないアリアを罵倒する。ショックで涙するアリアに、泣き虫、そんなことでこの先やっていけると思っているのかと罵っていく。
愚かで哀れなアリアが、非道な魔女に騙されていたのだと周囲に刷り込んでいく。
思惑に気付いたであろうパメラが苦々しそうな顔をしているが、騎士や警備兵達は、庇ってくれた相手を罵るフィーアリーゼに冷めた視線を向けていた。
ささやかな抵抗が成功したことに満足をしながら、フィーアリーゼは最後の仕上げをする。
「礎の間に入ったことがバレたのは失敗だったけど、そのおかげであなたと二度と会わずに済むことだけは幸運ね。さようなら、アリア」
ありもしない罪を認め、アリアは無関係だと切り捨てた。
最初で最後、ずっとそう呼びたいと願っていた初めての呼び捨ては、フィーアリーゼが思っていたのとはまるで違う、罪悪感と悔しさにまみれたものになった。
こうして、歴史に名を残すはずだった少女は重犯罪人として封印されることが決定し、二度と目覚めることのない、永遠の眠りについた。
エピソード 1ー1
セルベリア大陸の中央には、魔の森が広がっている。
様々な魔物が生息するがゆえに、一般人は滅多に近付かない。そんな森の遺跡にある隠し部屋はいまなお、大気中の魔力素子を吸収して光る魔導具に照らされていた。
そんな部屋の真ん中には、巨大なクリスタルが設置されている。周囲の光に照らされて虹色に煌めくその中には、一人の女の子――フィーアリーゼが閉じ込められていた。
そのクリスタルに、ピシリとひびが入った。
最初は小さな一筋のひびに過ぎなかったが、続いてピシッ、ピシシッとひびが幾筋にも入り、それがクリスタル全体へと広がっていく。
そうしてひびで真っ白に染まった直後、凄まじい音を立ててクリスタルは砕け散った。
突然の浮遊感に驚いたフィーアリーゼだったが、とっさに地面らしきところに触れた足に力を入れて着地。ふらつきながらも、両足の膝で衝撃を殺しきった。
(なに? どうなってるの? 封印が失敗した?)
フィーアリーゼにとって封印されたのは一瞬前のことなので混乱するのも無理はない。だが、彼女が目覚めたのは封印された場所とは違っている。
なんらかの理由で封印が解けたのだと理解した。
まず、無実が証明されたのかもしれないと思った。だが、そうであるのなら、封印を解いた先生なり騎士なりがいなければおかしい。
にもかかわらず、この場にはフィアリーゼの他に誰もいない。
だとしたら、フィーアリーゼの封印が解除されたのはイレギュラー。封印が解けたことを知られたら、また封印を施されるかもしれない。
そうしたら、今度こそ二度と目覚めることはないだろう。
一度はありもしない罪を認めたフィーアリーゼだが、アリアを巻き込まないのなら大人しくしている理由はない。すぐに逃げ出す決意をして周囲を見回す。
シンプルな部屋で、入り口は一つ。脱出に役立ちそうなものは見当たらないが、机の上には試作品一号が置かれていた。
本当なら、アリアが試作品として提出しているはずだ。それがされなかったと言うことは、アリアがそれすらも拒絶したということに他ならない。
フィーアリーゼは顔を歪めて、自分の胸を押さえた。
アリアに会って、事情を説明したい。
本当は、あなたを嫌ってなんてない。ずっとずっと、もっと仲良くしたいと思ってたんだよと声を大にして叫びたい。
でも、そうしたらフィーアリーゼは捕まるし、今度こそアリアが共犯になるかもしれない。
だから、いまは逃げよう――と、試作品を握り締めて部屋を出たフィーアリーゼは、そこに広がる光景に息を呑んだ。
最初、そこが学校の地下であることすらも分からなかった。廊下は埃が積もって荒廃し、部屋という部屋が荒らされている。
廃墟さながらの光景がそこに広がっていた。
「なによ、これ……」
校舎自体に魔法陣が組み込まれている学校が、こんな風に荒廃するなんてありえない。なにがどうなったらこんなことになるのかと、フィーアリーゼは混乱する。
ただ、なんらかの異常事態が起きたことだけは間違いない。
フィーアリーゼはアリアを探すべく周囲を探索したらが、アリアは無論のこと、人っ子一人、そして死体一つ見つけることは叶わなかった。
それどころかすべての部屋が等しく荒らされていて、机のような物まで持ち去られている。
フィーアリーゼの目覚めた部屋が無事だったのは、部屋自体が隠し部屋になっていたために、外からは発見されなかったのが原因のようだ。
ひとしきり見て回ったフィーアリーゼは、なんらかの事故が発生したこと。そして、少なくとも事故から百年以上は経っていることを理解した。
つまり、当時の人間がいまも生きているなんてことはありえない。アリアがもう、この世界のどこにもいないのだと、否応もなく理解させられた。
(私があのとき突き放さなければ、アリアは死なずに済んだのかな?)
一瞬、フィーアリーゼの脳裏にそんな考えが浮かんだが、すぐに首を振って否定した。
あのときの最善は、アリアを巻き込まないことだった。
なにより、事故が起きたのがあの直後とは限らない。フィーアリーゼが封印されてから何十年、あるいは何百年経ってから事故が起きた可能性だってある。
せめて、アリアが幸せな一生を過ごしたことを願う。
そうして祈るように目をつぶり、これからどうするかを考えた。
いまのフィーアリーゼが罪に問われる可能性は限りなく低い。だが、見ての通り学校は廃墟になっていて、工房にはなにも残っていない。
それどころか、食料だって残っていない。
このままここにいても、なにも為し遂げられずに飢え死にするのが関の山だ。
――ねぇ、フィーアリーゼ。私と一緒に、人々の暮らしを豊かにする魔導具を作ろうよ。
脳裏をよぎったのは、アリアの言葉だった。
あのときのフィーアリーゼは、頷くことが出来なかった。その後も、一緒に開発を進めながらも、自分から一緒に作りたいと口にすることは出来なかった。
だけど、心ではずっとそうしたいと願っていた。
自分にはない才能を持つアリア。貴族の地位にありながら、平民であるフィーアリーゼにも普通に接してくれる女の子。彼女と、友達になりたいと願っていた。
だから――
「……アリア。私、やってみる。アリアの分まで、みんなの暮らしを豊かにするような魔導具の開発をする。だから、見守っていてね」
試作第一号がここに置かれていたからには、アリアはその約束を投げ捨てたのだろう。
だが、だからこそ、自分がアリアとの約束を果たす。アリアのようなデバイスは作れないが、魔法陣を扱う技術なら誰にも負けない。
試作品一号の腕輪を腕に付け、フィーアリーゼは人里を探すべく学校を後にした。