密談
豪華ではないが、しっかりとした作りの机が一つ。壁には天井まである書棚があり、赤布に黒と金のラインで装飾された本を収めこちらを見下ろしている。そして反対側の壁には剣と鎧が置かれていて、磨き込まれたそれは燭台の光を鋭く反射していた。
「気絶していて何も覚えていないか……?」
机の後ろに初老の男が座っている。立派な髭を蓄え、彫りの深い目元は穏やかだが、隠し持った何かが見え隠れしていた。
ロビンは今団長室にいるのだが、何やら団長は納得できていないようで、沈黙したり顎をさすったりしている。この尋問まがいの報告は二時間を迎えようとしていた。
「じッ、自分も抵抗しましたが、サキュバスの魅了に勝つことができませんでした」
団長は座っている椅子に肘を掛けて頭を支えると、唇の端を持ち上げて溜息を吐いた。
「そうかそうか……うちの団員はブ男ばかりか。ヤレヤレ」
団長が疑っているところは、サキュバスの討伐に失敗したが全員無事に帰還したことだった。しかも目の前の小さな見習い騎士が、いち早く気絶から立ち直り団員を連れ帰っている。
こいつはサキュバスに操られたままかと思い、いろいろ試したが異常はない。
「もう戻ってもいいぞ。ご苦労だったなしっかり休め」
「報告終わります。失礼しました」
鎧を装備しているわけでもないのに、その歩き方は針金でも入ったかのような歩き方だった。
団長は口元を押さえると、腹に力を入れて沸き上がるものを抑えた。
「ふう……怪しいな」
証言を聞けば不可解なところはない。サキュバスも性質から考えて、気まぐれに獲物を置いて去るというのも十分ありえる。
ロビンの瞳を見ながら時間をかけて揺さぶったりもしたが、動揺は見て取れなかった。つまりチャームではなく骨抜きにされたのでもない。 なぜか納得できないのは勘によるものか。徐にペンを取ると報告書に短い文を付け加え、自らのサインと判を押す。
報告書を睨みながら、あの見習い騎士をどうすべきか考えることにする。
扉を閉めてからうなだれると、重苦しい息を全部吐き出した。緊張して汗は止まらず喉は渇き、おまけに秘密がバレやしないかと生きた心地もしなかった。
目覚めた騎士の顎先をルーメリアが蹴り上げて再び気絶させたあと、全員に記憶が無くなる魔術を施した。
残ったロビンが近くで馬車を借りて騎士団本部に帰還したのだった。
顔を上げて本部の出口に繋がる廊下に目線を向ける。突き当たりの窓から満月の光が射し込んでいるのが見える。
青白い光線と対照的な廊下の闇の中から、こちらを伺う視線を感じた。
自分の小隊の者かと思って見たが、目を凝らしたりして見ているのに何も反応がない。
声でも掛けてみようと思ってすぐだった。「どうだった? うまくいったのかしら?」
暗がりからラシェリーが姿を現した。相変わらずの露出と、男を引きつける腰をくねらせた歩き方。
ロビンは月明かりの差し込む窓へと視線を逸らす。
ラシェリーはそれを見て上目遣いに首を傾げるが、嬉しそうに笑っていた。
「とりあえず宿舎に移動しよう、ここじゃ話しづらいよ」
ロビンは窓を見たまま熱い頬をさすり話した。甘い香りが気になって仕方がなかった。
「大丈夫よ。団長さんは起きてるみたいだけど、他の騎士さん達は寝てるわ」
目を見開いて顔を上げると、ラシェリーが瞳を覗き込んでくる。
「匂いよ、に・お・い」
笑みを浮かべてロビンの鼻頭を指先でなぞると、耳元に鼻を当てて静かに息を吸い込んだ。
緩やかな曲線を描いた金髪が目頭を撫でてくる。じわりと高熱が全身にまわり始める。
ラシェリーは高くなった体温を感じとると、ロビンの後ろにまわりこんだ。
「さぁ、行きましょう。あなたのお部屋」
両肩を押されながら宿舎へと向かっていく。
宿舎に向かう途中も、ラシェリーが何度もロビンの体に触れてきた。
いくらサキュバスだったとは言え幼なじみの変貌ぶりにロビンは戸惑っていた。
昔は元気で活発だったイメージかあり、確かに抱きついてきたり頬へのキスなどあったが、それは子供のすること。自分はまだ子供だが今の相手は大人の女性だ。
女性と言うのがサキュバスにとって正しいかはわからないが、ロビンはラシェリーの奔放な指先に期待されたとおりの反応をしてしまう。つまりは同じ人間としてラシェリーを認識している。
「随分長かったけど、バレたりしなかったの?」
今もロビンで遊びながら、疑問に思ったことを口にした。
「僕自身も信じてもらえる話だと思わないんだ。実際、団長は僕のこと疑ってるよ。だから今みたいに本部に姉さん達が出入りすることは避けないと、多少魔力の素質とかある人が居たら違和感に気づくかもしれない」
団長の顔を思い出すと、真一文字になった口と意地悪そうな上目遣いが思い出され、思わず両肩に手を回して身震いする。
「……でも、その場はとりあえず切り抜けたのね。意外とやるわね」
しばらく視線を斜め上にして一考した後、ロビンの頭を撫でた。
父が政治の会談をする時、普段は威圧に近い厳しい顔つきだったのが、その時は常に笑顔で会話し、聞き手に回るとより一層顔を緩ませていたのを覚えている。
穏やかに見えたが、その顔になった父をロビンは避けた。特に感情を持ったりしなかったが、自然と離れるようになっていた。
父に一度だけ会談の時はなぜ笑顔なのか聞くと、何も知らない顔をしている方が相手は話し易いからだと言われた。
今回はそれを思い出し、新人らしく声を張り上げて答えた。
これは相手にとるに足らない者だと思わせてボロを出させる術なのだが、ロビンはそうだと気づいていない。
潜在的だがこれが一番とわかっているのだ。
そうこうしている間に二人はロビンの部屋の前についた。
ラシェリーとルーメリアに部屋の位置を教えて待つようには言ったのだが、ラシェリーは部屋で待たずに団長室まで来てしまった。
部屋に入ってルーメリアの名前を呼ぶが返事がない。姉にして妹も待つことができないのかもしれないと思ったが、蝋燭に灯を点けた時点で誤解だとわかった。
ルーメリアはロビンのベッドで横になり、胸元で枕を抱えて眠っていた。
あの教会で着ていた修道服に身を包み、髪の色は金髪に戻しているようだ。心なしか瞼に厚みがある気がする。
「ルー? 戻ったわよ、起きて」
ラシェリーが肩を揺り動かすと、すぐに目を覚まし起き上がる。
「来たのが私達じゃなかったら危なかったわよぉ?」
枕を抱えたまま二人を交互に見るルーメリア。寝起きの髪が口の中に入っているが、気づかずに瞬きを繰り返している。次には慌てて髪を手櫛で整えると、抱えていた枕を見て一瞬硬直した。腕で何かを拭うと元の位置に放り投げた。
「ごめんなさい……私ったら……その、本当に」
両足をそろえてかしこまると、赤く照らされた顔を下に向けた。
ロビンは後ろ頭を掻きながら、教会での出来事が同一人物によって起こされたのが不思議に思った。同時に自分が何をされたか思い出して掻いている手が止る。
「さぁ、とりあえずこれからのことについて考えましょうか」
「わわッ!?」
流れが止まりそうになるのをラシェリーは感じ取り、ロビンを捕まえて一回転。ルーメリアと対面するように椅子に座った。猫のように後ろから抱きしめられたロビンは今日何度めかの赤面をしている。
「姉さん! ロビンが困ってるじゃない!!」
立ち上がったルーメリアが抗議した。しかし思わず声が大きくなって口を押さえる。
「そうでもないわよねぇ?」
ラシェリーの方が身長が高く、覆い被さられているのでロビンは殆ど抵抗できない。それを良いことに頬に何度も口づける。
厚く赤い唇が頬にふれる度にロビンは体を震わせている。
ルーメリアは眉をつり上げると黙ってロビンを引っ張りだし、隣に座らせて抱きしめてからこう言った。
「色魔!」
「そうじゃない?アナタも」
姉妹は共にロビンより背が高い、顔を柔らかいものが挟み込んでいた。
ルーメリアが何か言おうとするが、ラシェリーはそれを遮った。
「ロビンが鼻血出してるわよ」
慌ててルーメリアがロビンを放す。そしていいと言うのにしっかりと鼻血を拭き取り、丁寧に鼻栓までしてくれた。
終止ラシェリーは笑っていたがルーメリアは赤面して涙目だ。ロビンを昔の印象そのままに弟くらいの認識でいるようだ。
「……これからのことだけどさ」
今度はロビンが切り返す。
「折角だけど、今は離れた方が良いと思うんだ。この任務成果じゃ納得しない人は絶対居る。その人達は僕を疑うし、僕の周りの人も疑われる。」
先ほどのやり取りはどこへ行ったのか、姉妹はロビンの話を黙って聞いている。
「僕は二人がサキュバスだったなんて、翼や尻尾を見ても疑ってるけどね。でも昔みたいには出来ないと思うんだ」
「そうね私もそう思うわ」
ラシェリーはロビンの理論に納得し、意外に大人の意見を持つ少年を頼もしく思っていた。
「離れるって……別の場所に住んだりは出来ないの?」
ルーメリアが小首を傾げながら質問する。
姉と違って唇は薄く、顎が鋭利に整った顔立ちは凛々しかったが、今は不釣り合いに口を尖らせている。
「家を飛び出してきたから戻れないし、それで完全に衣食住ここに依存してるんだ。給金も安いし、どこかの部屋を借りるなんてできないよ」
「あなた貴族じゃなかったの?」
「そうだけどさっきも言ったとおり、父さんと喧嘩したんだ。」
ラシェリーはそれを聞いておぼつかない笑顔で相づちを打った。ルーメリアはただ床に視線を落としている。
「姉さん達は気にしなくていいよ、自分でやってることだから」
そうは言うがただの家出という話ではなく、下手をすれば勘当されたかもしれない話だ。
ロビンは大して表情を変えず姉妹を交互に見ながら話しているが、姉妹は逆に心配になっていた。
「私はこの辺りに住むつもりなんだけど」
「……ルー、ロビンの話は聞いてたわよね?」
そう言われてルーメリアの眉がピクリと動くと眉間に皺を寄せる。視線は床の染みを見つめていた。
「この偶然は必然よ。私はロビンともう一度会いたかったし、そのためにその石を渡したの。姉さんもそうでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
お堅い妹が饒舌を奮う様を見て、この子はロマンチストだったのかしらと普段と比較対照してみるが、重なることはなかった。
「だったら決まりよ。とても離れるなんて出来ない、私はここに住むわ」
「でもメリア姉さんバレたらどうするの?」
床を見ていた緑の瞳が、ちらっとロビンを見た。
「そうなったら貴方を連れて逃げるわよ」
これを聞いて二人は呆気にとられた。
いくら何でも一国対三人では逃げ切れない。今回でも魔物が居るかもしれないという不確かな情報で討伐隊が派遣されたのだから。都市内での発見となればそれ専門の部隊が迅速的確に出てくるだろう。
魔術とチャームのないサキュバスなどただの女と変わりない。
そもそもロビンの意向が計算にない。
「ルー……ホントに?」
「ええ」
ルーメリアの性格はサキュバスの中でも異端だった。真面目というか固いというか、生まれてくる種族を間違えて来たのだろう。
ラシェリーはそう認識していたので開いた口が塞がらなかった。
固まった姉妹を置いて、突然ロビンは静かに笑い出した。
「いや……クス……ごめん。ラシェリー姉さんもそんな顔するんだね」
さんざんイジメられたロビンとしては、想像つかない顔を見て単純に笑いだしてしまった。同時にそれほど問題になるような事でもないと思う気もしてきた。
「ふふ……はぁー。僕もこのままお別れは嫌なんだ。バレるまでやろっか。その時になれば逃げればいいよ」
「ん、と……あなた、今に未練は無いの?」
ラシェリーが質問すると、ルーメリアも頷くような視線でロビンを見た。
「今の立場か……いいよ。別の目標があって騎士になったんだ。それが達成出来なきゃ意味がないんだ」
ルーメリアがロビンの首に腕を回すと頬に口づけた。
「ありがとう。絶対見つからないから」
ラシェリーは諦めたように腕組みをして溜息を吐いた。
「じゃあ、明日また来るわ」
「またねぇ」
姉妹は手を振ったり投げキスをしたりして、窓から夜空へと飛び立った。
青白い満月が騎士団本部と街並みを照らしている。この時間、明かりの点いた家はどこにもない。
人影が空を飛んでいても気付かないだろう。
「ねぇ、ルー。ロビンの部屋でひとりになった時、何かした?」
ラシェリーの瞳が細くなり、白い歯を見せて笑っている。
「なっ!?何もしてないわよ」
「そうなのぉ?もったいないわねぇ」
ラシェリーは笑みを崩さず指をくわえた。
その頃ロビンは日課である神への祈りも終わり、ベッドの中に潜り込んだ。すると頬に湿った感触があり飛び起きる。
「なんだコレ?」
枕と頬についたその液体は指で転がしてみると少し粘り気があった。指を開くと若干糸を引く。
「涎……かな?」
ロビンの頭の中には一人の顔が浮かび上がっていた。
同時にラシェリーと違う甘い香りではなく、夏の果実を思わせる清涼な香りが漂う。
教会とここで抱きしめられたときに感じた香り。ルーメリアの匂いだった。