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8話



二時限目、造形魔法。

カビ臭い教室。そう表現したいが、カビの臭いを知らない。教室の至る所に固まった泥が付いている。茶色だけではない。赤や黒、ぎょっとしたのは青や緑の泥だ。腐った肉片を思い出して吐きそうになった。

そんな教室は怪奇じみているが、友人がいないと話のネタにすらならない。机にこびり付いた泥が臭くて柔らかいという感想を誰とも共有出来ないことがもどかしい。

この授業はクラス毎に行われる授業ではなく、表で言うところの少人数授業というものだ。

授業の練度を上げるために、生徒数を制限して教師が生徒一人一人に目を配り易い環境を作る。だがそんな目的も生徒目線から言えば、三十人も二十人も変わらないというのが本音。

大人の都合でアキト、ルイーザの二人と離されたのは痛い。一度でも友人がいることの喜びを知ると、一人になった時に寂しくなる。

生徒の割り振りは巧みに混ぜられているようで、流し見ても同じクラスの生徒の数は少ない。

時間になっても担当教師が来ないことを良いことに、コミュニケーションの鬼たちはその根を広く広く張り巡らせる。

その根は見ているだけの俺からも養分を奪おうとしてくるので、せめてもの抵抗として死んだふりでもしようかと、うたた寝を決め込み顔を伏せた。


「あのあの」


意識があるのに、体が一瞬だけ痙攣した。

中学の時。公民の授業で盛大に机を鳴らし、クラスの笑われ者になったことを思い出す。

あの時と同じように悲鳴をあげたい俺に代わって悲鳴をあげる木製の椅子。背もたれのない簡素な椅子は背中の守りが甘い。

俺の脇腹を突いたそいつは、横に座る女子だった。

座っていても見下す形になってしまうほど、高校生には見えない幼い体躯。邪気でもまとっているかのような真っ黒い頭髪はうなじ辺りまで伸びていて、前髪が均一で切り揃えられている。

動く日本人形。いや、あんなにも退屈な顔じゃない。花輪くんの五番目の彼女に選ばれたちびまる子ちゃんと言ったところか。

吉○○帆より好感が持てる。

童顔だから幼く見えるのか、幼く見えるから童顔なのか。結論を決めあぐねていると、露骨に女子の眉間がせばまる。


「人の顔を黙って凝視するなんて失礼ですよ」

「……正論だわ」


一限にて晒された俺の醜態を見ていなかったのだろうか。女子に俺をからかっている様子はない。

警戒心を解きたくても解けない自分に呆れる。

喋る準備をしてなかったせいで、喉に違和感があった。目線を逸らすことに紛れて、二、三度咳をさせてもらった。


「反町圭介さん、ですよね?」

「いかにも」


名前を尋ねられる経験などないせいで、返事が気持ち悪くなってしまった。

気持ち悪いと思われ会話終了。

その未来まで予知できたところで、もう一度顔を伏せようとすると、女子は慌てた様子で起こしてきた。


「な、なんでもう1度寝ちゃうんですか…。起きてください」


肩をぐらぐらと揺らされる。

それが起こされ方の常識だと思っていた頃が俺にもありました。


「わ、わわわかったから頭を揺らすのやめて。起きるから。脳が……、シェイクされてる」

「起きて下さ〜い!」

「あゝあゝあゝあゝあゝ」


景色がだぶって実像が掴めなくなる。

教室の悪臭に背中を押された嘔吐感が、また喉元を熱くさせてきた。臭くて酸っぱいそれをどうにか飲み込む。

幸い、この女子は幼さが外見でとどまっていた。腕を三回叩いたら離してくれるほどの知性は見られた。


「反町圭介さんですよね?」

「い、いかにも」

「頑張ってくださいね。私、応援してますから」


「ふぁいとだよ!」と、胸の前でふんばられても困る。

何を頑張れと言うのやら。

距離感の近いやつだ。


「これ、見てください」


女子から差し出されたスマートフォンを警戒しながら受け取る。

"女子のスマートフォンに触れた"ことで金銭の要求をされないか心配。

開かれていたのは俺でも知っているほどの有名なSNSの画面で、キーワード検索の欄に"異世界"と入力されている。

タグが付けられ、並ぶつぶやきをスワイプしていく。


「なにこれ」


つぶやきの内容はタグに相応しく、異世界から来たあの三人の話題ばかり。

付随された写真には本人たちに加えて、造形の整った異性が写されている。仲良さげに歩くツーショット達は、見方を変えればカップルに見えなくもない。

日本人離れした美少女、美男子と並ぶ表から来た三人。

けれど、その特徴に当てはまるのは三枚目までだ。アップロードされた四枚目に写るむさ苦しい男は異性を連れず一人だけの写真。

なんで俺だけトイレから出た時の写真なの。

もっと良い場面あったろ。まだチャック空いとるやんけ。


「異世界から来た4人の中で、最も不憫で可哀想な反町さん……。他の3人は早くも各方面の有名人、美男美女にモテモテだというのに反町さんは……」

「俺もヒロイン募集中なんだけど、立候補する気ある?」

「遠慮しておきます」


笑顔で断られた。脈はない。


「本当に才能ないんですか?隠された能力とか後から出されたら私、アンチに変わりますから」

「それ、元から大してファンじゃないだろ」

「ファンとは言ってません。応援してるだけです。不遇な反町さんを応援しながら楽しんでいるだけです」

「鬼かよ」


けらけらと笑う様子は、人をからかう小鬼のようでスレイヤーしたくなってくる。

会話を強制的に打ち切ってくれるはずの、教師はまだ来ない。

お前との会話はもう終わり、とはっきり言えたらどれだけ楽だろう。


「人の不幸は罪の味って聞いたことありませんか?」

「蜜な、蜜」

「罪ですよ、罪。人間は元より罪を犯すことで快楽を見出す生き物です。規則や規律で自らを縛りりっしているように見せながら、その実、それらは侵犯しんぱんされ人に快楽を与えるための布石なんです。不幸を喜ぶのもまたアンインモラルな行いですから罪の味ですよ。美味しい美味しい」

「なるほど……。一理あるな」


自論を展開する姿は意識高い系よりか、意識右斜め上系のようで、自己陶酔が含まれないぶん聞き心地は良い。

まあしかし、よくこれだけ喋って一度も噛まずにいられたものだ。

音を立てないよう小さく拍手すると、わかりやすく女子はたじろいだ。


「真面目に訊かれると、なんだか恥ずかしいものがありますね」

「恥ずかしがるくらいなら喋るな」

「無理です!!」


俺の言葉に重なるくらい勢いのある否定。

急に前のめりになったせいで、女子の頭と俺の顎がぶつかった。

俺の顎を部位破壊しておきながら、頭は切れ味が落ちるどころか切ったことにすら気づいていないようだった。


「この身に蓄積されていく黒々とした気持ちをこの口から吐き出さなければ、私は修羅と化してしまいます!」

「しゅ、修羅ですか……」


髪が突然長くなったりするのだろうか。

つーか、顎痛っ。絶対けつ顎になってるだろこれ。


「もし私が修羅になったら、反町さん。責任取ってくださいね」

「えー。こんな萌えない責任取ってください初めて聞いたんだけど」

「責任取ってくださいを本気で告白の台詞だと信じている人も初めて見ました……」


授業開始の鐘が鳴ってから三十分以上が過ぎたが、未だこの教室の教壇は空のままだ。

幸いと言うべきなのかはわからないけれど、この教室には教師を呼びに行くという発想を持った生徒がおらず、みな時間を潰す会話に身を投じている。

俺と狛江 香夜__さすがに名前を聞いた__も意外なことに身のない会話をだらだらと続けていた。

ひとつの話に区切りが付いた折、少し間を置いてから狛江がある提案をする。


「話題が転がって行く会話も好きですけど、お題を設けて話の幅を広げませんか?」

「テーマトークは得意分野だ」


お題を決めて意見を交換し合う。

コミュニケーション能力の必須事項であるトーク力を鍛えるとかで、この手の催しは中学生時代に数多くこなして来た。

近しい例を出せば、高校入試の集団面接だろう。初対面の男女数人を集めて、トークバトルロイヤルを強制する忌まわしき儀式。

一般入試組にも集団面接の練習を強制してきた学年主任に呪いをかけたのは、記憶に新しい。

教師がのたまう「司会に立候補しろ」を鵜呑みにしてはいけない。司会に抜擢=合格では断じてないから、高校受験を控えている中学生は肝に銘じておいた方が良い。逆に司会になると求められる能力が増えるため人によっては不利になる。

会話を転がすというのは思う以上に難しい。内輪でしか喋れない人間なら尚更だ。


「じゃあ、テーマは"怖いシチュエーション"なんてどうでしょう」

「良いね」


テーマトークにおけるテーマは具体的である必要はなく、むしろ抽象的であればあるほど話を膨らませやすい。

ここでは怖いシチュエーションが提供して、互いの感想を引き出していくのが王道だろう。

ありがたいことに、狛江は自らその先陣を切ってくれた。


「私が考える怖いシチュエーションは……は……は、は、ないです。ごめんなさい」

「おい」

「私、こう見えて怖いの駄目なんですよ。心霊とかオカルティックなものに自分が耐性ないことすっかり忘れてました」

「意外じゃ無さ過ぎて話が入ってこない……」


まあしかし、ここで狛江を攻めたところでお互いに利益はない。

トークは楽しくが大前提。喋れない人間に話を強制するのはその理に反する。

誰にでも得手不得手はある。

狛江は目をつぶり、俺のシチュエーションを想像する準備に入っている。

少し頭を巡らして、思いつく限りのホラーを挙げる。


「"回送電車に髪の長い女性が1人乗っている"」

「……怖っ!!」

「"あれ?あんなところにパジャマが脱ぎ捨ててある。こんな森の中に捨てるとか余程の変人……え、ちょっと待って、あのパジャマ……膨らんでない…?"」

「……怖っ」

「"知らないおっさんがこちらを見ながら、ずっと前を歩いてる"」

「ん? 私の前を歩いてるのに……おじさんはこっちを見てる……って、え、怖っ!!」


どれも俺の体験談だ。リアリティには事欠かない自信がある。

椅子と共にガタガタと震える狛江。

ここまで派手に反応を示してくれると、話し手冥利に尽きる。

同じビジョンを共有した仲間意識が俺の口を軽くする。


「やっぱ怖いよな。俺も怖かった」

「え……、もしかして今話してたのって全部」


軽く頷くと横腹を殴られた。

3発。リズミカルに。正拳突きで。


「怖いの苦手って最初に言っておいたじゃないですか!なのになんで怖い話するんですか⁉︎」

「怖いシチュエーションを話せ、って言ったのはおまえだろうが」

「もっとライトなやつだと思ってたんです!例えば……そう、"新世界の神になる"とか!」

「たしかにライトだけど、内容はヘビーだろそれ」


正拳突きを続けていた狛江の手がようやく止まる。

その手は顎へと動いたかと思えば、考える仕草を取る。声は神妙だった。


「この学校、かなり古くからあるから怖い噂とか多そうですよね」


古城。

生徒で溢れる昼間こそ賑わうこの場所も、夜になれば話は変わってくるだろう。

学校という肩書きを背負ったが最後、その建造物は役割を終えても恐怖を残す。

廃校とかね。

もしペンシルドのせいで学校が運営できなくなったら、お化け屋敷にするのも良いかもしれない。

この学校の噂にでも話が変わると思っていたけれど、狛江は俺の想像を超えていく。


「本当に怖いのは人間だなんて言葉は、真の恐怖を経験したことがないからこそ出る言葉だとは思いませんか?」


学校全く関係ない。まあ、いいけど。


「わからないぞ。経験を経た末に、真の恐怖よりも人間が怖いって結論付けたのかもしれない」

「私なんかは、そんなにも様々なことを経験したのなら返って、怖いものなど無くなってしまうのではないかと思いますけどね」


有り得ない推測ではない。

恐怖に耐性がないその人格は、周囲に恐怖を与える者となり易い。恐怖を知らないから、恐怖する人々の気持ちも知らない。

そういう人間もいると狛江は知っているのだろうか。


「まあ、私なんかは本当に怖いのは人間だ、なんておおっぴらに言っちゃうその人こそ怖いですけどね」

「その通りだわ」


冗談混じりならまだしも、本気の顔でそんなことを言われたら、それこそ縮み上がり戦慄する自信がある。

闇が深い。

聞き馴染みのある言葉だ。


「恐怖って未知から来るらしいですよ。反町さん、知ってました?」

「へえ。なるほど。だから俺はクラスメートたちが怖いのか」

「あの二人もですか?」


あの二人。

アキトとルイーザのことだろう。


「そりゃ怖いだろ。いつ嫌われるかわからない。いつ嫌いになるかわからない。笑ってるように見えて、本当は怒ってるのかもしれない。二人は裏で俺の悪口を言ってるのかも。俺は邪魔者なのでは。なんて誰でも考えるこ……どうした?」

「い、いえ。意外だなあと思いまして」


一方的に喋り過ぎて困らせてしまったのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。


「男の子でもそういうの、考えることあるんですね。ギスギスするっていうか、読み合い?っていうか」

「女子社会ほどじゃないけど……、いや、わかんないわ。男なんてみんな下半身で生きてるから、俺だけかもしれない」


狛江は笑った。


「なんですかそれ、自分だけは下半身ではなく上半身で生きてるとでも?全世界の男子から自分だけ棚にあげるなんて酷いですね」

「じゃないと差がつかない」


俺の意図を察したのか、狛江はさらに笑う。


「反町さん、ナンパとか絶対しない方が良いですよ。絶対向いてないから」

「やっぱ、思考寄せ過ぎても引かれるだけかあ……」

「男女は補完し合う関係ですからね。自分の内面を目敏く読んで来る人って、女の子はあんまり好きじゃないと思いますよ」

「お前は」

「私もあんまり好きじゃありません。部屋に土足で入られる気分、想像すればわかりやすいのでは?」


なるほど。

これはお手上げだ。慣れないことはするもんじゃない。オトコが頭で女性に勝とうなんて、股間切除してから考えるべきことだった。


「反町さんだって私に思考を読まれて少し嫌な気分になったんじゃないですか」

「男は馬鹿だからな。自分を理解してくれた!って喜んじゃうんだよ」

「反町さんは」

「入浴中に泥ぶっかけられた気分だった」


会話の波長が合うと気分が良い。

こいつと友達になりたい。久しぶりに女子に対してそんな感情を抱いた。

打算を読まれるからこそ、打算を抜きにした本心で喋らなければならない。その本心をお互いが認め、否定し、昇華する関係を俺は綺麗だと思う。


「狛江はあるのか、そういうの。あの二人と」


九条ともう一人、そして狛江の三人で朝のホームルームの時にグループを作っていたはずだ。

狛江は考えながら、おでこを摩る。考えるときの癖なのだろうか。会話の途中で何回か同じ仕草を見た。


「あの二人には打算とかそういうの通じないと思うんですよね」


びくりとした。

自分が頭の中で使っていたものと同じ言葉を使われると、脳内を見られたのかと、どきりとする。

顔に出ていたのか、狛江は会話を止め不思議そうに頭を捻る。

ジェスチャーで続けてくれと伝えた。


「あの二人はきっと経験量が違います。それが誠意なのか悪意なのかは、私にはわかりませんけどね。経験者特有の雰囲気……っていうのかな。他の女子にはないものがあるって思いませんか?」


ここで同意を求められたことは、俺にとってとても光栄なことだった。

精一杯の感謝を込めて、「ああ」と返した。


「いつかその経験を舐め合って、塩を振り合って、一緒に前を向ける、みたいな。女子の間でもそういうのあったらなって。……ってうわ、私めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってますね。反町さんも真剣に聞かず少しは笑ってくださいよ」

「あははは」

「馬鹿にしてるみたいでムカつきます。笑うな」


横暴にもほどがある。

せめて、カウンターの一発でも打っておかないと納得できない。


「ほぼ初対面の人間にするには話が重すぎないか?」


狛江は恥ずかしがらなかった。


「"怖いシチュエーション"、それが元々のテーマだったでしょう?ほらほら、気にしないであげますから、トイレでパンツ変えて来ても良いですよ」

「富士急でドドンパ乗った後に妹に言われた台詞を言うな」

「え?」


いや、なんでもない。

危ない危ない。膀胱が緩んで黒歴史を漏らすとこだった。


「残念ながら俺の中で重い女の子=怖いじゃない。むしろ、重いくらいの女の子の方が好きだ。一度でいいから愛で刺されてみたい」

「うわっ、怖っ……!!反町さんの性癖が今日一番怖かったです」

「そ、そうですか」


女子に露骨に引かれると悲しい。

でも、じょ、女子だって、女子同士だとわりとディープな会話してるの僕知ってるんだからね!彼氏に首締められたいとか抜けない戯言をかす女子がいること知ってるんだからね!


「あ、私の怖い話もう一個ありました」


そう言うと、狛江は机裏を覗き込み俺に見るよう促す。狛江が体を起こした後に、体勢を低くしてみると机の裏には、教室に散らばる泥の塊が付いていた。

ただの泥じゃないか、と視線で伝えると狛江は「よく見てください」と俺の頭を掴み強引に下げてくる。

上がらない頭で泥を観察する。

歪な形をした手の平に乗るほどの泥。

その赤黒い塊が脈打っている。血管が通っているようなしこりが僅かに浮き出てては沈んでいる。

血を送り出すポンプのようなその動きは、まさに心臓のそれだった。


「なんだよ、これ」

「わかりません。この教室ではこの泥だけが動いてるみたいです。気になって授業前に調べたんですけど、他の机裏には泥なんて付いてませんでした」

「ここだけってことか。先生が来たら聞いてみようか」

「どうでしょう」


早い返事だった。


「私はこの泥が隠されているように見えなくてなりません。教室中にこびり付いた泥はこの泥を目立たなくさせるカモフラージュ……なのかも。この教室を管理している先生が、はたして答えてくれるでしょうか?」


怖いシチュエーション。

それは狛江なりにこの話題へと導くための伏線だったのではないだろうか。

恐怖を独り抱え込むには、狛江の身体は小さすぎる。誰かと共有することで、現実から目を背けたかったのかもしれない。

ここで俺が気にするな、と励ませるような人間ならば、俺はもう少しマシな人生を送っていたと思う。

その日、教師は教室へ来なかった。





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