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8件目 私、今でも貴方の隣にいたいの

 バンシーに自我が芽生えたのは、ゴミ袋の中でのことだった。

 なんとなしに辺りを見回してみれば、同じ玩具箱に入っていた玩具達、麻衣が昔着ていた服等があった。

「え? 何故?」

 突然の事態にバンシーは酷く混乱し、返事がないのを理解しつつも何故という言葉を繰り返した。

 バンシーは今まで自我がなくても意識はあり、自分が人形である事も記憶はしていた。

 だがバンシーはこの時に至るまで、自分をアニメのキャラクター『バンシー』だと思い込んでいた。

「そうだった。私、本当は人形で。麻衣の両親にクリスマスの時に買われて。それで、一緒に遊んで……」

 一つ一つ、古い記憶から思い出し、段階を踏んで状況を整理していく。

「でも、遊ばれなくなった」

 彼女の持ち主であった葛城麻衣かつらぎまいは一年前に小学校に上がり、少なくとも魔法少女の様な子供向けアニメは卒業してしまった。

 必然的にバンシーは玩具箱から出ることが無くなった。

「それでしばらくは、ずっと玩具箱から出なくなって。……それから、引っ越しをすることになって」

 父親の仕事の都合で一家が引っ越しをすることになって、バンシーは久しぶりに玩具箱から出された。

 遊ぶためではなく、いらないものを捨てる為に。

「これから、どうなるのかしら」

 燃やされるのか、土に埋められるのか、どちらにしろバンシーは壊れるのだろう。 

 痛くはない。

 だから、怖くもない。

 何も不安になる事も、心配する必要もないだろう。

 バンシーは静かに目を閉じ、朝が来てゴミ処理場に運ばれるのを待つことにした。

 辺りは静かで、車の音一つ、虫の声一つだってしない。

 静寂の闇と言うのは不思議なもので、色々な事をバンシーに思い出させていた。

 そのほとんどが麻衣に関するもので、そして記憶の中の麻衣はいつだって笑顔だった。

 バンシーが麻衣と一緒に居るのは遊ぶ時だけ、だから笑顔しか知らないのも当然の話だった。

 それなら、自分は麻衣を笑顔にするためにあの家にやってきたのかもしれない、とバンシーは思う。

 魔法少女が人々を笑顔を守るように、麻衣の笑顔を守るのがバンシーの仕事だったのだ。

 バンシーは、自分の体に目をやる。

 多少古びていたし、汚れや傷も皆無ではなかったが、壊れてもいないし大きな傷はない。

 遊ぶには十分だった。

「帰り、たいな」

 魔法少女ではない、ただの人形だと言うのなら、せめて人形としての役目を果たしたかった。

「もしかしたら、今ならいけるかもしれない」

 麻衣がバンシーを迷いなく捨てられたのは、バンシーがただの人形だったからだ。

 自分が自我を持ったことを知れば、麻衣は再び傍に置いてくれるかもしれない。

 そんな期待を抱くと、バンシーはひとまずここから出なければと思った。

 その次の瞬間、バンシーは夜の闇の中で巨大なゴミ箱を見下ろしていた。

 カラス対策の為に蓋が取り付けられた鉄製の大きな箱、それを見下ろせるだけの大きさがそのバンシーにはあった。

 外に出られたわけではなく、箱の中にゴミ袋一つ抜け出すことができない小さなバンシーも同時に存在していた。

 大きな人間のバンシーはゴミ箱の蓋を開けると、いくつもあるゴミ袋に一瞬気圧された。

 人形のバンシーと人間のバンシー。

 それぞれが得られる情報を総合しても、どのゴミ袋に人形のバンシーが居るか分からなかったのだ。

 仕方なくバンシーは一つ一つ袋を開け、外れを引いてはゴミ箱から放り出した。

 可燃ゴミと書かれた袋の中には異臭を放つ生ゴミも混ざっており、それらに付着した液体が服や手を汚していく。

 今のバンシーにそれを気にする余裕はなく、ただただ早く戻りたい一心でゴミ捨て場を荒らす。

 そうしてようやく、底にあった袋から人形のバンシーを救い出すことができた。

 バンシーは、自分の入っていた袋を見下ろす。

 怪獣、ウサギ、『妖精少女 グレムリン』のTシャツ。

 他にも多くある馴染みのある物達は、麻衣が成長したことを静かに物語り、同時に『あの子にお前はもう必要ないのだ』と告げる。

 バンシーはその声を無視するように視線を逸らすと、偶々目についた別のゴミ袋からまだ使えそうな黒いウェストバッグを取り出した。

 両手の自由を手に入れる為それに人形を入れようとした時、その横にある派手なピンク色をした玩具のスマートフォンが光っているのが見えた。

 そのディスプレイには、電話をかけろと言わんばかりに葛城麻衣の文字と、どこかの電話番号が映っていた。

 奇妙な電話を訝しるも、恐る恐る手に取り発信のボタンを押す。

 かなり長いコールの後、「はい、葛城です」と懐かしい声が言った。

「麻衣? 私、バンシー。

 私ね、なんでか分からないけれど、自分で動けるようになったのよ。

 今なら人間のお友達みたいにお喋りしたり、遊んだり、買い物したりできる。

 また、貴方と遊びたい。貴方の笑顔を守りたい。だから――今から帰るね」

 言い終わるとほぼ同時に、耳にツーツーという機械音が聞こえて止めた。

 切られた事実に泣きたい気持ちになったが、向こうも戸惑っただけかもしれないと思い直す。

 スマートフォンと人形をウェストバッグにしまい、腰に巻いた。

「こっち、かな」

 麻衣がどこに引っ越したかなど知らないし、知っていても住所だけではバンシーはたどり着けない。

 しかし不思議な事に、バンシーはどう進めばいいか理解していた。

 希望を胸に、バンシーは夜の街を走り出した。

 夜も大分深いのか、通りを行くのはバンシーだけだった。

 いくらか家に灯りを見つけるものの、大半の家は暗く閉ざされている。

 等間隔にある外套の灯だけが、バンシーの行く先を照らしてくれていた。

 しかし走り続けた足は、ゴミ捨て場からほど近い鉄道の駅で止まってしまう。

「どうしよう」

 暗くなった駅前で、バンシーは茫然と立ち尽くす。

 突然、道が分からなくなったのだ。

 歩道に座り込むと、麻衣との唯一の連絡手段であるスマートフォンを取り出した。

 また拒絶されるかと思うと微かに手が震えたが、ここで立ち止まり続けるよりはずっとマシなはずだ。

 バンシーは何度も深呼吸をして気持ちを整えると、電話帳に入っていた麻衣の家にかけた。

「はい、葛城です」

 長いコールの後、麻衣の母親が電話に出た。

「あの、私、バンシーです」

 麻衣ちゃんはいますか、そう続けようとした時母親の冷たい声がバンシーの耳を打った。

「貴方ね、麻衣に変な電話をしてきたのは。

 一体どういうつもりか知らないけれど、もう二度と電話してこないで。

 次は、警察に通報するわよ」

 反論も弁明もするまもなく、電話は一方的に切られてしまった。

「…………」

 バンシーはしばらく電話を耳に当てたまま固まって、目の前の道を見つめた。

 それは、麻衣の家へと続く道。

 電話をかけた途端、不思議と頭に浮かんできた帰路だ。

 外套が少ない暗く長い家路を見つめ、ツー、ツー、という電子音を聞く。

 かなり長い事そうした後、バンシーは唇を強く結んで電話を切った。

「行かなきゃ」

 なんとかそう絞り出して、再び暗闇を駆け抜けていく。

 もう足を止めることはなかった。

 鉄道や地下鉄の駅を幾度も通り過ぎ、最終が終わったバス停が孤独に佇んでいるのを見送る。

 時折道が分からなくなるが、麻衣の家に電話するだけで道が分かった。

 不思議に思いこそしたが、それについて深く考えることはなかった。

 走って、電話して――そうしてどれだけ時間が経っただろう。

 世界はまだ暗く、しかしもうすぐ空が青白くなる染まろうとしている頃。

 ようやくバンシーは、麻衣の新しい家が見える場所までやってきた。

 そこはマンションの五階にある一室で、バンシーが立つ廊下からは路上駐車場が見下ろせた。

 あと数歩進めば家のドアがあったが、バンシーはチャイムを押すことも、ドアの前に立つことすらできずに居た。

 電話を切られた時に抱いた不安が蘇る。

「大丈夫、よね」

 そう言い聞かせてバンシーが一歩踏み出した時、ドアが勢いよく開いた。

 麻衣だった。

 約一年ぶりに見る彼女は、暗い顔で俯き、重い足取りで廊下に一歩踏み出していた。

「あ……」

 声をかけようとするも、言葉が浮かばずうめき声だけが漏れた。

 そんなバンシーを麻衣が見つけ、その顔が急速に引きつり、恐怖で塗り固められた。

 耳をつんざくような麻衣の悲鳴が響き渡り、マンションで眠っていた人々の目覚ましとなる。

 異変に気付いた住人達が姿を見せるまで、そう時間はかからないだろう。

「私が……バンシーを捨てたから――殺しに来たんだ」

 麻衣はその場にうずくまると、呻くように呟いた。

 メリーさんの電話。

 いつか子供向けのホラー番組でやっていた都市伝説。

 バンシーは昨日の電話の内容を思い出し、自分がやっているのはメリーさんと同じだと思い至った。 

「どうしたの!?」

 麻衣のすぐ後ろに居た母親が慌てて麻衣を抱きしめ、すぐにバンシーを見つけた。

 母親は息を飲むと、麻衣と共に慌てて家の中に入り、鍵を閉めてしまった。

 バンシーはその場から一歩も動くことができず、ただメリーさんの電話の都市伝説を思い出していた。

 女の子の背後に現れたメリーさんは、あの後どうしたのだろう。

 思い出せなかったが、当時のバンシーはその都市伝説を恐いと感じていた。

 そう思うと言う事は、その後にある結末は決して幸せなものではなかったのだろう。

「…………ッ」

 バンシーは階段を駆け下り、その場から逃げ出した。

 マンションを出て、当てもなく走りながらバンシーは理解した。

 バンシーは誰かを笑顔にする人形でも、憧れの魔法少女でもなくて――恐怖の対象でしかない。

 その事実を受け止めきる事ができないまま、朝日で青く染まり始めた町の中へと姿を消した。

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