3件目 私、初めてジェットコースターに乗るの
リビングに十五歳になる青年と、小学校に上がる前の小さな女の子が座っていた。
青年は青い厚手の服を着ていて、穏やかな眼差しをしていた。
女の子は『妖精少女 グレムリン』のイラストが描かれた服を着ていて、ショートヘアが活発な印象を与える。
二人の間、カーペットの上にはいくつかの人形があった。
手のひらサイズのウサギ、緑色の怪獣、そして買ったばかりのバンシー。
寄せ集めのため、それぞれの人形に統一感がなかった。
「ガオー!」
青年が怪獣を左右に揺らし、前進させる。
その進行方向にはウサギ、そこから少し離れた場所にバンシーがあった。
「うわー、かいじゅうだー」
女の子がウサギを手にし、怪獣から離れた位置に置いた。
「たいへん、たすけなきゃ」
女の子はバンシーを手にし、怪獣と対峙させる。
いよいよバンシーと怪獣の戦いが始まろうとしていた。
「麻衣ー、テレビ始まるわよー」
子供達二人が盛り上がってきた所で、母親の声が割り込んできた。
「はーい!」
女の子 葛城麻衣は元気よく答えると、慌てて窓際にあるソファに座った。
その前にはテレビがあり、電源を入れると『妖精少女 グレムリン』のあらすじが流れ始める。
「麻衣、お前片付けろよ」
麻衣とテレビの間で、兄である青年が咎める。
「テレビ終わったら片付ける!」
テレビから視線を反らさないまま、麻衣は答えた。
バンシーはカーペットに転がされたまま、そんな兄妹のやり取りを聞いていた。
彼女の視線の先にはテレビがあり、自分と同じ姿をした少女が戦っている。
それは、バンシーに自我が生まれる前の最も古い記憶。
ただの人形だったバンシーは、葛城麻衣のクリスマスプレゼントとして、この家にやってきた。
麻衣は、バンシーをアニメの『バンシー』として扱った。
バンシーは毎日のように怪獣と戦い、ウサギを守り続けていた。
だから澪から裏野ドリームランドの話を聞いた時、バンシーは当然のように彼らを助けなければと思った。
バンシーは、未だに誰かの『バンシー』でありたいのだ。
異界のミラーハウスは、営業当時と同じくほんのりと明かりが付いていた。
掃除されているのか床に埃はなく、鏡も綺麗に磨かれていて、現界のものより綺麗だった。
バンシーは必要なくなった懐中電灯のスイッチを切り、ウェストバッグへとしまう。
そんな彼女の足元に黒い影が倒れていた。
人の形をしたそれは、肌も目も何もかもが真っ黒で顔さえ分からない。
それでも輪郭からおさげ髪をした女性で、宮内綾香と同じ特徴を持っているのは見てとれた。
その影はどうも気絶しているだけらしく、怪我は見られない。
綾香の無事にほっとしたバンシーは、その場に彼女を残しミラーハウスの出口を目指す。
大して広くも複雑でもなかったが、鏡がバンシーの方向感覚を狂わせた。
どこにでもある普通のミラーハウスの姿は、そこが異界である事を忘れさせる。
何事もなく、バンシーは無事出口へと辿り着いた。
出口にはパイプのテーブルと椅子があり、そこにスタッフが座っていた。
スタッフはオレンジ色の制服を着ていて、その顔には長方形の鏡が張り付けられている。
テーブルの上にスタンプ台を見つけると、バンシーはウェストバックからスタンプカードを取り出し、スタッフに差し出した。
スタッフは無言で、ミラーハウスの文字と建物のイラストが描かれたスタンプを押す。
「ありがとう」
バンシーは端的に礼を言って、スタンプカードをしまうと周囲を見渡した。
空は奇妙な七色をしていて、深夜だと言うのに昼間のように明るい。
雑草も落書きもなく、建物も道も在りし日の姿を取り戻していた。
その景色に混ざって、所々に現界の景色が見える。
現界からの入口のようだった。
彼女が居るのは円形の小さな広場で、中央に小さな時計台が立っていた。
時計はしっかりと現在の時刻、二時半を指している。
静かで誰も居ない広場、そこに綾香と同じような黒い影が降ってきた。
空から落ちたその影は、まだ小さな男の子だった。
バンシーの目の前で、彼は顔をレンガの地面に打ちつけ、首を九十度に大きく曲げた。
「…………ッ!」
バンシーは息を飲み、慌てて男の子へと駆け寄った。
普通の人間ならどう考えても即死だったが、男の子は折れた首をブラブラと揺らしながら立ち上がる。
その足も腕も折れ曲がっていて、思わず目をそむけたくなる痛ましさがあった。
「だ、大丈夫?」
バンシーが思わず声を掛けると、大丈夫だよ、と男の子は答えた。
「でもお姉ちゃん、そこ危ないよ。飛んでくるから」
「飛んでくる?」
「うん、ほら」
男の子はそう言って、折れた腕である場所を指した。
そこではジェットコースターのレールが、生き物のようにうねりながら形を変化させていた。
「あれ、毎回コース変わるんだけどさ。どのコースも人が振り落とされたり、乗り物ごと飛んできたりするの。
この辺は割と落ちてきやすいから、あまり居ない方がいいよ」
「貴方もアレに乗ったの?」
「うん。ウラビッツが言ってたけど、この体魂だけなんだって。
その状態だとあんまり痛みとか感じないから平気。飛ぶの楽しいし」
楽しそうな男の子に、バンシーは思わず眉をひそめた。
「じゃあ、俺はもう一回行ってくる!」
男の子はそう言うと、折れた足を無理やり動かして歩き出した。
彼の目的地であるジェットコースターは、アトラクションの中ではミラーハウスに次いで近い。
バンシーは次のアトラクションをジェットコースターに決め、男の子の後に続いた。
ジェットコースターの待機列では、影達がお喋りなどをしながら並んでいた。
中には大人と思われる背の高い影も居たが、その多くは背が低い。
外見から判断するに、幼稚園から小学生ぐらいの子が大半を占めていた。
「あ、人だ」
乗り場に続く階段、その中腹に居た子供が、バンシーを見て言った。
それをきっかけに待機列に並ぶ影達は次々とバンシーに気づき、バンシーの周りに集まり始める。
「まだ生身だ。いいなぁ」
「いいもんか。生身だとなんも遊べないぜ」
「バンシーだ! すごい! 本物!」
その勢いに気圧されながら、バンシーは子供達から逃げ出したい衝動を必死に抑えた。
子供が嫌いなわけではない。
ただ子供に遊ばれたことはあっても、子供と遊んだことはないだけ。
どう接したらいいのか、分からないのだ。
「お姉ちゃんもジェットコースターに乗るの?」
先程広場に落ちてきた男の子が、怪訝そうにバンシーを見上げた。
いつの間にか折れた首は治っており、手足も元に戻りつつある。
「ええ」
「ここじゃどの道出られないし、食べ物もないから死ぬけどさ。
これで死ぬのはオススメしないないぁ」
男の子の顔は真っ黒で表情は見えなかったが、心配してくれてるのは十分伝わってきた。
他の影達も男の子と同じ感想を抱いているようで、皆同じようにバンシーを見つめた。
「平気よ。人間じゃないから。この程度じゃ死なないわ。
私も痛覚はないし」
人間じゃない者は珍しくないのか、信じていないのか。
誰一人その事に驚くことはなかった。
「そっか。ならいいや」
男の子が納得した様子で呟いた。
「貴方達は、帰ろうとしないのね」
少し不思議に思って尋ねると、男の子は当然のことのように答えた。
「そんなの、もう皆諦めてるよ。だから、遊ぶしかないわけ。
ミラーハウスに来る人だって、こっちが触れない様に走り抜けたり、襲われても対処できるように大人数で来たりしてるしさ。
もう、あそこから出るのは難しいよ」
男の子が、少しだけ残念そうに呟いた。
「ねぇ、お姉ちゃんもバンシー好きなの?
だから、コスプレ?」
女の子の質問。
「これは……私がバンシー人形だから」
「あ、ホントだ。服がマジックテープで止めてある! 手も固い!」
女の子が楽しそうに言ったのを切っ掛けに、他の子供達もそれに続いてバンシーの背中を確認してはしゃぐ。
バンシーが妙な恥ずかしさを感じていると、ふと背の高い大人の影が見つめている事に気が付いた。
そのシルエットから、ロングコートを着た男性であることが分かる。
表情は見えないながらも、何かしら訝しまれているのは伝わってきた。
「なぁ、あんた。何が目的なんだ?」
彼は飄々とした態度で尋ねたが、その声にはどこかバンシーを警戒する響きがあった。
バンシーはスタンプカードが狙われる可能性を考え、適当に誤魔化そうとするも何も浮かばない。
「別に。ただの興味本位よ」
結局出たのはそんな見え透いた嘘だった。
「確かにあんたなら、すぐに帰れる。
あんたにとっちゃ、普通の遊園地とさして変わらないだろうよ。
けどだからって、それだけでこんな場所にくると思うか?」
男性は真偽を確かめるようにじっとバンシーを見つめた。
数秒見つめた後、そういうこと、と彼は納得したように頷いた。
「無駄な努力するね」
男性は嘲笑うようにそう言い残すと、待機列に並ぶために輪を外れていく。
バンシーは彼の言葉の意味を理解できず、怪訝そうにその背中を見送った。
「あ、そうだ。おねーちゃん、ジェットコースターは一番後ろに乗ると怖くて楽しいんだよ。
一緒に乗ろう!」
女の子が楽しそうに言う。
「できれば、怖くない方がいいんだけれど」
痛くないからといって怖くないわけではないので、バンシーは遠慮がちに女の子の薦めを断った。
バンシーがそんな風にして戸惑いながら影達の相手をすること十分、彼女の番がやってきた。
乗り場で、バンシーはウェストバッグに手をあてた。
その中には彼女の本体である人形が入っており、これが壊れるとバンシーは死んでしまう。
その為なるべく傍に持っていたかったが、ライドから落ちて壊れる危険性を考えるとそれはできない。
有事の際に人形が動けるよう、バッグのチャックを少し開けて、乗り場を囲う欄干に立て掛けた。
バンシーは時折不安そうにバッグの方を見ながらも、一番怖くないという中央の席に乗り込む。
安全バーにロックがかかり、発射のベルがなる。
通常ジェットコースターは、チェーンリフト等でライドを高所に運び、落下時の勢いを利用して走らせる。
しかし、このジェットコースターはライド自体に動力が付いていた。
満員のライドが、高速で坂をかけ上がる。
バンシーの体は押さえつけられ、体が軋む音が鈍く聞こえた。
バンシーはお腹と足に力を込め、耐えるように安全バーを握りしめる。
ライドはあっという間に頂上にたどり着き、降下が始まった。
今度は体が浮き吹き飛ばされそうになりなる。
バンシーは前に引きずられ、安全バーからすり抜けそうになった。
脚が浮き上がり、履いている黒いブーツが目の前に現れる。
バンシーはさらに腕に力を込めて安全バーを握り、前に座る人達がライドから飛び出していくのを見送った。
そうして歯を食いしばりながら、ライドが止まる時を待ち続けた。
『都市伝説No.21872 事故があったジェットコースター
ジェットコースターで事故があったという噂。
しかし、その事故内容には諸説ある。
脱線した、ライドから人が飛び出した、ライドの下敷きになった等。
しかし、元園長曰く廃園前に事故はなかったそうだ。
新聞等も漁ったが、どこにも事故に関する記事はなかった。
ネットの噂も、異界ができたと思われる廃園間近から廃園後に流れたものばかり。
異界のジェットコースターを観測したところ、そこでは確かに事故が起こっていた。
噂は、恐らくこの異界のジェットコースターを観測したことで生まれたのだと思われる。
ちなみにこのコースター、走る度にコースが変わっている。
事故内容が複数あるのは、このせいだろう。
どのコースも人間が乗るようなものではない』