1件目 私、今から裏野ドリームランドに行くの
冷たい床に横たわり、バンシーは自らの死を待っていた。
もう指一本動かすことができず、息苦しい。
その時は、そう遠くはないだろう。
日が昇ってきたのか、閉じた瞼の裏でも光を感じ始めた。
光の中、最期に思うのは愛しい笑顔。
もう帰れない家の事。
裏野ドリームランドのためだけに作られた道を、一台の車が走っていた。
車は道路沿いに不法投棄された粗大ゴミをヘッドライトで照らしながら、荒れ果てたアスファルトの上をのんびりと走る。
裏野ドリームランドの廃園と同時にこの道路も封鎖されたため、他に車の影はない。
デコボコ道のため車は上下に大きく揺さぶられ、運転手は嫌そうな顔をしながらハンドルを握っていた。
運転手は、二十代前半の女性。
薄手のブラウスに黒いズボンを履いていて、肩まで伸ばした髪を乱暴にまとめている。
薄い化粧と黒縁眼鏡が、地味な印象を与えた。
腰にはホルスターがあり、中にはBB弾が詰まった自動式拳銃のエアガン。
地味な印象とは相反する物騒なものが、当たり前のように収まっていた。
助手席には、十代半ばの少女。
長袖の暑苦しい黒いドレスを着て、肩まで伸びた銀髪、赤い眼をしている。
ドレスには、リボンやレースがふんだんにあしらわれていた。
その姿は、二年前放送されたアニメ『妖精少女グレムリン』の登場キャラクター バンシーそのものだった。
強いて言えば音符型の杖が足りず、腰のウェストバッグが余分だった。
アニメのバンシーを知る者からすれば、なんとも惜しいコスプレだ。
ちなみにバッグの中には、玩具のスマートフォン、運転手から貰ったお札を始めとする道具がいくつか。
そして、アニメのバンシーを模した人形が入っている。
そんな奇妙な二人組が乗った車のラジオが、今夜は猛暑であることと、深夜二時であるという事を伝える。
「それで、裏野ドリームランドに行ってどうすればいいの?」
助手席の少女 バンシーは、前を向いたまま運転手に訪ねた。
昨日バンシーは運転手 遠近澪と初めて出会い、裏野ドリームランドの事件を手伝え、と言われてここに居る。
「ん。ああ、そうか。説明してなかったな。
鞄に資料が入ってるから、ちょっと読んでみてくれ。
ダッシュボードに懐中電灯あるから」
バンシーはダッシュボードから懐中電灯を取り出し、その灯りを頼りに足元を照らす。
そこにオレンジ色のハンドバッグから置いてあり、そこから資料を取り出した。
A4のコピー用紙をホチキスで閉じただけの資料には、『裏野ドリームランド 調査記録』というパソコンで書かれた大きな文字があった。
漢字の読めないバンシーのためだけに、ルビがしっかりと振られている。
「裏野ドリームランドには、いくつか噂があってね。
人がいなくなる、ジェットコースターで事故があった、とかさ」
その内の『人がいなくなる』というのだけは、こうした話に疎いバンシーでも聞いたことがあった。
実際に人が行方不明になったことでニュースになっていたし、バンシーが前住んでいた家の住人が話しているのも聞いていたからだ。
だからこそ、バンシーは澪の頼みを二つ返事で了承した。
「その噂のせいであの土地が売れない、なんとかしてくれって元園長さんから依頼があったんだ」
澪はこうしたオカルト事件を専門に調査する探偵で、バンシーと知り合ったのもその仕事の中でだった。
「調べたところ、裏野ドリームランドは異界に通じていた。
人がいなくなったのは、皆その異界に行ってしまったせいだろうな。
多少霊感とかがあれば現界から異界が見えるから、噂の多くは誰かが異界を観測したことで生まれたんだと思う」
「それで?」
「その資料の最後の方にスタンプラリーの噂があるだろ?」
パラパラとめくると、該当のページを見つけた。
車の揺れで懐中電灯の灯りがぶれる中、バンシーはそこに書かれた文字を読み取った。
『都市伝説No.21878 スタンプラリー
裏野ドリームランドの各アトラクションの出口には、スタンプがある。
全てのアトラクションを制覇し、スタンプカードを埋めると願いが一つ叶う。
園長によると、園内でスタンプラリーは実際に行われていたらしい。
ただし、景品はちょっとした玩具やお菓子だった』
「願いが、叶う?」
バンシーは、胡散臭そうな声を出した。
「そう。その噂がまことしやかに信じられていて、時々忍び込む人がいるらしい。
肝試しや廃墟目当て――私の同業者も多いらしいけどね」
「…………その人達は」
「そのまま帰ってこない事も多い。
私の所にも、消えた人の関係者から依頼がきてる」
ほぼ予想通りの答えが、淡々とした声で返ってきた。
「この問題の解決方法というのが、そのスタンプを集める事なんだ。
それが恐らく一番安全で確実。ただし、これは人の私にはできない。
理由は二つ。一つ目は、現界のアトラクションは稼働しないから」
裏野ドリームランドが廃園したのは、昨年の10月。
それ以降碌な点検も整備もされず野ざらしにされ、雪深い裏野市の厳しい冬も超えている。
仮に整備がされていても、アトラクションを動かすための膨大な電力がない。
よって、動かすことはできない。
「アトラクションに乗らないで、スタンプだけ押すのは?」
遊園地にはまだスタンプが残されているため、乗らずに押すことは可能だった。
バンシーは妙案だと思ったが、
「それは絶対やめた方がいい」
澪は軽く首を横に振った。
乱雑にまとめられた髪が揺れる。
先程までとは違い、その声には少しだけ緊迫感があった。
「そういう不正をすると、大抵の場合痛い目をみるんだ。
それに、同じことを考えた人が何人かいるはずだ。
そして、そのうち何割かは実行したはずだ。
なのに、それで成功した話がない所を見ると――」
澪はそこで言葉を切り、話を本題へと戻す。
「スタンプを集められない理由二つ目。
異界ではアトラクションが稼働してるんだけど、それはとても人が乗れるものじゃないから」
「人でない私なら、できると?」
バンシーは人ではない。
高所から落とされようが、体が切断されようが、完全に復元できる。
本体さえ無事ならば、という条件付きだが。
「そういうことだな。
本当は調査報告だけで、この依頼を終えようと思ってたんだ。
丁度タイミングよくお前が現れたから、頼んでみたってわけ」
「それはいいけど、会ったばかりの相手に、こんな仕事頼んでいいの?」
「駄目で元々だからな」
失敗した時を考え尋ねるバンシーに、澪はどうでも良さそうに答えた。
「お前が成功したら成功報酬を貰えるし、失敗したら調査費用だけ貰えばいい。
失敗しても、お前が死ぬか異界に取り残されるかするだけだし。
私にはなんのダメージもない。逆にあっさり受けてくれて、怖いくらいだぞ。
帰れないかもしれないってのに」
異界に簡単かつ安全に行く方法は判明していたが、帰る方法はひとつを除いて判明していない。
その唯一の帰る方法も、様々な条件が課されている上に代償を伴うものだった。
「大丈夫よ。その辺りも承知の上なのだから。
それに、私は遊園地の人達を助けられればそれでいい」
「随分と自己犠牲的だな」
「自分のためでもあるもの。
…………それより、本当に願いなんて叶うの?」
不安になって尋ねると、澪は力強く、それは信用していいよ、と答えた。
「そのスタンプカードを利用して戻ってきた子供に会って確認した。
嘘を吐いてる様子はなかったし、事実だと思っていい」
「人には無理なのに、戻ってこれたの?」
不思議に思って尋ねると、相変わらず淡々とした声が答える。
「魂だけで帰ってきたんだよ。体の方は死んでる」
「…………」
バンシーはその子供の事を思って、資料へ目を落とした。
その子は元は生きていたのだろうか、帰ってから受け入れられたのだろうか、幸せになれたのだろうか。
そんなことを考えていると、視線を感じた。
澪が、横目でバンシーを見ていた。
「もしかして、その子供が可哀そうとか考えてるか?」
再び前を見た澪の問いに、バンシーは静かに頷く。
澪は小さく溜息を吐いた。
「一つ忠告。あまり、異界にいるモノ達に同情するなよ」
「え?」
「つけこまれるから。
あそこに居るのは犠牲者ばかりだ。助けてを求めて寄ってくる。
で、こっちの被害はお構いなしだったりするもんだから――碌な結果にはならない。
普段は良いけど、遊園地内では絶対に同情したりするな。相手は自分を害する敵だと思え」
「わかったわ。気を付ける」
できるだろうか、と不安に思いながらもバンシーは答えた。
それから二人の会話はなく、バンシーは黙々と資料を読みふけり、澪は静かに運転するだけだった。
やがて、車は遊園地の入り口前に停車した。
バンシーは律儀にしていたシートベルトを外し、資料を澪の鞄の中へと戻す。
「ん、いらないのか?」
「覚えたから」
「記憶力がいいな。
ああ、懐中電灯は持っていくといい。流石に暗いだろ。
それから、その中にスタンプカード入ってるからそれも忘れずにな」
澪の鞄には、化粧ポーチの下敷きになり、折れ曲がった紙が入っていた。
はがき程の大きさで、首に掛ける為の長い紐が付いている。
紙にはスタンプを押す場所があり、その周囲をマスコットキャラクターのウサギが楽しそうにポーズをとって彩っていた。
「元園長に頼んで、貰ったんだ。
昔この遊園地で使われていた本物だから、使えるはずだ。
ただしこれ一枚しかないから、無くしたり破いたりしないように。
私は、明日の昼まではここで待ってる。戻ってこなかったら、失敗したと思って勝手に帰るよ」
「分かった」
バンシーはカードの紐を丁寧に巻いて、ウェストバッグの中へとしまい込んだ。
そして車を降り、懐中電灯を手に一歩踏み出した。
『都市伝説No.21871 遊園地における失踪事件
裏野ドリームランドにおいて、過去に人がいなくなったという噂がある。
私もニュースで見聞きしたことがあるが、確かに廃園間近にそうした事件が多発していた。
過去の新聞記事などを確認すると、監視カメラの映像では人が突如消えているのが確認されたとの事。
現地調査した所、どうもここは異界に通じているようである。
恐らく、消えた人々(ひとびと)はそこへ迷い込んだのだろう。
当然、事件は未解決である』