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普通の幸せ

作者: 原田まるるん

「ここは、どこ?」

 すごくこの部屋が広くて、部屋の壁際までは100メートルはありそうです。

とりあえず出口を探して壁際まで移動してみたのは良いんだけど、どこまでも上へと続いていそうな本棚がぎっしりと四方八方にあって、出口らしきものは見当たりませんでした。

「おや? こんな所にお客さんとは珍しい。……ようこそ、坊ちゃん」

「え?」 

 いきなり後ろから声が聞こえてきてびっくりした。後ろを振り返ってみると、ぼくの身長2つ分くらいはありそうな、髭の生えたおじさんが優しそうににっこりとほほ笑んでいました。

「坊ちゃん、折角こんな所まで来てくれたのだし、何か本を読んでいってはどうかな?……例えば、この本なんかお勧めだよ?」

 おじさんは本棚に向き合うと、かがんで下から2番目の棚から本を1冊取り出しました。

「ほら、あったあった。どうだい坊ちゃん、読めるかな?」

 おじさんは「はいどうぞ」と僕の手に本を渡しました。ぼくは本を開いてペラペラとめくってみたんだけど、漢字ばかりで読めませんでした。

「おじさん、これ読めないよ! 漢字ばっかりで難しいよ……」

 ぼくはつまらなくなって本をおじさんに返しました。どうせ読むなら、漢字ばかりの本より絵やひらがなばかりの本の方が読みたいなあ。漢字は読めないからつまらないもん。

 ぼくがはあ。とため息をついたら、おじさんが困ったような微笑んでいるような顔をしてこんな事を言いました。

「すまないね坊ちゃん。代わりに私が読んであげるよ。それじゃ、少し長くなりそうだし床に座ろうか?」

 なんと、おじさんはぼくの為に漢字ばかりの難しい本を読んでくれると言うのです!今まで漢字ばかりの難しい本を読めた事が無かったから、どんなお話が書かれているのかワクワクしてきて、楽しみになりました。

「読んで読んで! 早く早く!」

 ぼくは楽しみで楽しみで、おじさんを掴んでお願いしてみました。そうしたらおじさんはよしよし。と僕の頭に手を乗せて、頭をくしゃくしゃと撫でて更にこう言いました。

「分かった分かった。まずは落ち着いて床に座ろうね? 立っていると足が疲れて聞きたい気持ちが無くなっちゃうよ?」

 このワクワクする感じが無くなるのは嫌だ!そう思ったのですぐに体育座りをしました。おじさんはまたもやにこにこと微笑み、本をぺらりとめくってこう言いました。

「これはね。不幸のどん底にいた、ある青年が幸せになるお話だよ」




たまに、「自分はどうして生まれたのだろう」と考える時がある。

例えば、「僕がこの世に存在しなかったら、両親や友達にどう影響を及ぼすのだろう」とか。

でも、どれだけ考えても。結論はいつも同じだった。


「どうせ『何も変わらない』んだ。僕がいなくなってどうなる? せいぜい、両親が僕に使うはずだったお金が浮く位だろ」

 僕――『葉山ゆう』は、恐らくネガティブな人間なのだろう。

 友達は数えるほどしかいないし、勉強ばかりで人付き合いなんてしなかった、寂しい高校2年生だ。


「なあなあ、今度ゲーセン行かない?」

「良いね! 俺、シューティングゲームだけは絶対負けないからな! 覚悟しとけよ!」

「望むところだ、それじゃいつゲーセンに行こうか?」


 学校から帰宅中の僕の目に飛び込んできたのは、カラフルな向こう側の世界だった。ゲーセンに行って遊ぶ事を計画している2人組の男が眩しく輝いていて、自分が嫌になった。

 僕には眩しすぎて、『友達』とやらを見せつけられているみたいで。これ以上あの2人組と同じ道から帰る事が出来なかった。


「今日は、寄り道でもして行こうかな……」

 2人組から逃げるように脇道へ駆け込んだ。何となく家に帰りたくなかった。家の方が心地良いはずなのに。

「……」

 こんな時に兄弟なんかがいたら、何か変わっていたのだろうか。いや、この考えはもうやめよう……疲れた。


 ふと、自分の頬に違和感を覚えて触ってみた。……僕の頬は、何故か濡れていた。どうしてだろう、何で濡れているのだろう。と考えて、目の辺りからボロボロと涙が出ているのに気が付いた。

 でも、悲しくはなかった。

 だって、ただ涙が頬を伝っているだけだから。




 やっぱり僕は家に帰る事にした。

 誰かに涙を見られるのが嫌だから、横目で可哀想なもの扱いされたくなかったから。

家の中だけが、僕を他人から遠ざけ、僕を味気ないモノクロからカラフルな色へと変えてくれる世界だったから。

家の中だけが、僕が自由になれる唯一の場所だった。


「おかえり、ゆう君」

「……誰?」

僕の部屋に見知らぬ女がいた。

 僕と同い年位の背格好で、女性用の学生服を着用していた。

「あんた、誰?」

 僕は開口1番に疑問を口にした。

「えー、分からないの?」

 女はくるくると茶色いセミロングの髪を弄りながら、見るからに不機嫌、と言った風に唇を尖らせ、肩を竦めてから口を開いた。

「私はね、あなた自身なんだよ?」

「僕自身……? 何を言っているんだ? どういう事だ?」

 女が僕自身とはどういう事なのか。目の前に立っている女が僕だというのなら、僕は一体何だというんだ?

 女をちらりと見ると、僕の困惑した様子がおかしいのか、くすくすと悪戯めいた笑みを浮かべていた。まるで、僕の考えを一から十まで見透かされているみたいで気味が悪い。

(……待てよ?)

……そうだった。今まで女のペースに呑まれていて気付けなかったが、ここは僕の家なのだ。ならば女を追い出すのも容易い事――と思いついた時、女は言葉を口にした。

「あなたは自分と親しい人が欲しかった。そうだよね? だから私が生まれたの。私の名前は『葉山ゆうな』。ゆう君の1つ上のお姉さんよ?」

 ゆう君大好きー!等と声を上げながら僕に抱き付こうとしてくる自称姉。僕はひらりと身をかわし、自称姉の抱き付き攻撃を華麗に避けた。

「いたたっ!?」

 びたーん。と間抜けな擬音語が聞こえてきそうなほど、綺麗に壁とキスする自称姉。

 どうやら僕に抱き付こうとする勢いが有り余っていたらしく、壁とぶつかったその場にうずくま蹲り、割と本気で痛がっていた。

「……ははっ」

 何だあれ、あれが僕の姉だと言うのか。急に「好き」とか言って僕に抱き付こうとしたり、僕が抱き付き攻撃を避ける事を想定していなかったのか壁と思い切りぶつかったり。良い意味で、バカな姉(自称)だ。

「な、何よ! 抱き付こうとして何か悪い!?」

「いや、良いと思うけど。あんた面白いね」

 姉(自称)は顔を耳の先まで真っ赤にして、頬を膨らませながら怒っていた。恐らく本人はものすごい剣幕で怒っているのだろうが、先ほどの痛みからか涙目になっているのを見ると可愛らしく感じてしまい、全く怖くない。

「こら! 『あんた』じゃないでしょ! ちゃんと『お姉ちゃん』と呼びなさい!」

「ぎゃーぎゃーうるさいな、じゃあ僕は部屋に戻るから」

 僕は必死で笑いを堪えながら、自室への扉をくぐり内側から鍵をかけた。

「ちょっと! 無視!? 無視するの!? 何でなのよー!!」

 扉を挟んだ廊下の向こうから、姉(自称)の悲鳴にも似た声が響き渡った。

 



……まあ、少しは騙されたつもりでいてもいいだろう。その方が、僕にとってのカラフルな世界が広がりそうな気がする。


僕は床に寝っ転がり、夢の世界に旅立った。

 



 僕の両親は共働きで、海外の同じ職場で働いているらしく滅多に家に帰ってこない。だから我が家には僕1人しか絶対にいない。

 ――そのはずだったのだが。


「起きて、ゆう君。時間を見なさい?」

 耳元から聞こえてくる女性の声。僕の首筋にかかる吐息。

 それだけで、僕が覚醒するのには充分だった。

「えっ!?」

 重たい瞼を無理やりこじ開けて、外の世界を見やる。そこには困り顔をした女の姿が目に入った。

 ああ、そうだった。昨日は疲れてたから、布団も敷かずに床で寝たんだっけ……。それで、そこにいるのは自称姉、だったな……。

「……おはよう。まだいたんだ」

「まだいたんだ、って……朝から辛辣ね……」

 何故か凹んでいる自称姉を放置し、反射的に腕時計を見る。

 ――9時17分、と腕時計の針は指していた。

「ゆう君問題です、今日は何曜日でしょうか?」

 自称姉は困り顔から呆れ顔へと顔の表情をころころ変え、誰でも分かるような問題を出してきた。今日が何曜日かだなんて、昨日が月曜日だったんだから今日は勿論――

「火曜日」

 ああ、しまった!今日は学校があるじゃないか!何でそんな事も分からなかったんだ?!目覚まし時計は鳴らなかったのか?くそっ、何てことだ!

 僕は着替えをするため、ワイシャツやら学ランをクローゼットから急いで取り出した、のだが、ある事に気が付いた。


(自称が付くとは言え、姉がいるじゃないか……)

 そう。今ここで着替えるとなると、自分の素肌を自称姉の前に晒す事になるのだ。

 それに気が付いてからというもの、僕の行動は早かった。姉を睨んでこの部屋から出ていくようにアイコンタクトを行い、部屋から出ようにも鍵を開けるのに手こずっていた姉の代わりに部屋の鍵を開けてやり、ささっと追い出したのだ。


「全く……朝からうるさい姉だな」

 どうせ学校には遅刻するのだし、ゆっくりと着替えをしながらブツブツと姉を侮辱する。昨日から僕に絡んで来ようとするし、本当に面倒な姉だ。

「まあ、嫌な気分じゃないけど」

自称姉がこの独り言を聞いていればまた何か吠え出すかもしれないが、既に部屋からは追い出したし問題ない。

まあ、扉に耳を当ててでもしない限り、今の独り言を聞き取る事は不可能だろう。


「……まさか、ね」

 抜き足差し足でゆっくりと扉に近づき、ドンドンと強く扉を叩いてみた。

「ひっ!?」


 ……本当に聞いていたとは、ね。手のかかる姉だこと……。

今回ばかりは何か罰を受けてもらおうかな?ふふふ……




「その人、お姉さんが出来て嬉しそうだね!」

「その通り。このお話に出てくる青年はね、いつも孤独で、周りの人達の『普通の幸せ』にずっと憧れていたんだよ。それが、このお姉さんが現れた事で『普通の幸せ』をつかむことが出来て幸せになるんだ」

 そっか。ひとりぼっちは寂しいもんね。お姉さんが出来た事で、ひとりじゃなくなって嬉しくなるってことなのかな?

 ぼくはすっかりお話の虜になって、お話の続きを楽しみに待ちました。


「さて、これからこの人はどうなるかな?」

休憩は終わり。とばかりにおじさんは少し大げさにそう言って、お話をまた読み始めてくれました。




それからというもの、僕は姉と一緒に登下校を行い、学校で授業を受ける時以外は姉と一緒に行動を共にした。

いつの間にか『自称姉』から自称が取れて『姉』と認識していたが、さほど驚くことではない。多分、面倒くさくてそう認識していただけだろう。

それよりも、姉の事を『姉さん』と呼ぶようになったのが驚くべき点だ。最初は姉さんに「私の事は姉さんと呼びなさいっ!」と言われ、一応姉なのに名前で呼ぶのも変だから嫌々そう呼んでいたけど……

いつしか、姉さんと呼ぶのが嫌じゃなくなって、普通になっていた。

姉さんと一緒にいると楽しいし、呼び方に文句はないから別にもう良いんだけどね。


――僕は、カラフルな世界を家以外で過ごせてとても嬉しかったんだ。




それからしばらく経ったある日。学校ではある話題で持ち切りだった。

「なあ、聞いたか?」

「ああ、例のアレだろ? ブツブツと独りで喋りながら登下校をするやつ!」


――ガヤガヤといつもとは違った賑わいを見せる、とあるクラス。


「そうそう! そいつ何だけどさ、車に轢かれたらしいんだよ!」

「ウッソまじ!? やべえじゃん、そいつどうなったんだ?」


――オーバーなリアクションを取り、知らない情報を手に入れる事で互いに驚いて見せる男達。


「詳しいことはわかんねーけど、満足そうな顔をしながら死んだらしい、即死だったんだとよ」

「ああ、その話私も聞いたことある! 確か、『姉さん』、『姉さん』って言ってたやつだよね! 見ると不幸になる、っていう噂が立つほど不気味だったから、死んでくれてほっとするわ」


――噂や話が人を集め、まるでお祭り騒ぎのように盛り上がりを見せる。共通の話題を交わすことで、更に話題は熱く、面白おかしなものへと変化していく。


「んで、そいつの名前って何だっけ?」

「確か、隣のクラスの『葉山ゆう』ってやつだ!」


――共通の話題を交わすことで、人はどんどん繋がっていく。

その話題は、不幸な話、面白い話、つまらない話……何だって良いのだ。


 例えそれが、人の命に関わるものだとしても。

自分に危害が及ばなければ、何だって良いのだ。

そうやって、人は人と繋がっていくのだから。




「なにそれ! おじさん、その人死んじゃったの!? 幸せになってないよ!!」

 ぼくは気付かない内に涙をぽろぽろと流し、本を読み終えたおじさんに向かって声をあらげた。

「坊ちゃん。私はね、このお話に出てくる青年は幸せになったと思ってるんだよ」

「え、どうして?」

 ぼくの言葉なんか聞いていないみたいに、おじさんは少し寂しそうな表情をしながらこう言った。

「青年はね、お姉さんと出会っていなかったらどうなっていたと思う? ずっと孤独の世界――カラフルな世界の外側にいたと私は思うんだ」

 おじさんはやっぱり寂しそうな表情をして、でも瞳には力強い意志を秘めて――そう言いました。

「でも、死んじゃったら意味が無いよ! それに、お姉さんと出会っていなかったとしても、友達が出来て幸せになれたのかもしれないんだよ?」

「確かに、坊ちゃんの言う通りだ。死んでしまっては意味が無いし、もしかしたら友達が出来て『普通の幸せ』を掴むことが出来たかもしれないね」

 おじさんは一瞬ハッと驚いた顔をして、坊ちゃんは優しい子なんだね。と言ってまた僕の頭をなでてくれました。


「さ、坊ちゃんに聞かせてあげられるお話はここまでだ。今日はもうお帰り」

 おじさんがそう言うと、僕の目の前が段々霧のように霞んでいきました。どんどん真っ白に、白の絵の具で少しずつ塗りつぶしていったようでした。

「坊ちゃん。私は今日までここで1人だった。君という『お姉さん』に出会えて、私は嬉しかったよ」

 おじさん……?何を言っているの?

 ぼくのその言葉は口から出ることはなく、代わりに口から出たのはただの空気でした。

目の前はほとんど真っ白になっていて、もう自分の足元しか見えませんでした。


何か言わなくちゃ、そう思いました。ぼくでも、おじさんがこの後どうなるのかは簡単に思いついたから。きっとおじさんは、今まで1人ぼっちだったんだ。だから、寂しくて辛かったんだ。

『おじさんは1人じゃないよ』、『また来るね!』

 どんな言葉も、口から出る事はありませんでした。

 自分の身体も、手も、何もかもが真っ白に塗りつぶされた時。おじさんの声が聞こえたような気がしました。




「――さよなら。坊ちゃん」

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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