夢と
すぅ~と小学校の景色が消え、カチッカチッと暗い部屋の中で響く時計の秒針の音。
ちょうだい… ねえ もっとちょうだい…
太ももに冷たい感触。ん~…
ねえおねがい… もっとちょうだい…
う~ん…と項垂れながら上半身を起こして、眠る直前の様に、ベッドに腰かけた形になって目を開けると、目の前に知らない小学生ほどの女の子が太ももに手を付き、こちらの顔を下から見上げる様にして見ていた。突然の事に驚き動こうとすると、両腕を誰かにガシっと掴まれ、恐る恐る掴まれた右腕を見てみると、眼球が無く、目の中が真っ黒な、遺体で発見された男が腕に抱き着いていた。ひぃ…、と頭の中で叫ぶも声が出ない。左腕は、もう一人の行方不明になっている男が、無い筈の目でこちらを見ながら抱きついている。ガタガタと震える体。すると、首元にひんやりとした冷たい感触。するするとその感触は胸まできて、死んだはずの一階に住む、眼球の無いおばさんの無表情の顔が、後ろからゆっくりと抱きつく様に右頬の横に現れた。ひぃぃ…。やはり声にならず、頭の中だけに恐怖した自分の声が響く。あまりの恐怖に目を瞑ると、ヒタ ヒタ と濡れた足で歩く音が聞こえ、先輩…と聞き覚えがある声。先輩、目を開けてください。先輩ってば。さっきまでの恐怖とは打って変わって、明るい声。腕を掴まれていた感触も無く、抱き着かれていた感触も消えていた。先輩、目を開けてください。助けに来たんです。…純子ちゃん…。この街で初めに俺のよく分からない力で犠牲になった女子大生。たとえ今でも、生きていれば殺そうとは思えないくらい、本当に優しくて純粋な可愛い女の子。ごめん純子ちゃん…、殺そうなんて思ってなかったんだ。ゆっくりと目を開けると、目の無い顔が目の前で、センぱイナンデわタシヲこロシタンでスカ
「うぁあああああああああああ!」
叫んで飛び起きると、窓からは、薄暗くもありながら、一日の初めを告げる様に弱弱しい光が差し、外は少し明るくなってきていた。体中汗だくで顔は蒼白。照明もテレビもつけっぱなし。はぁはぁと荒れる息を整え、目の前のテレビを見る。…今のも夢?、なんか妙にリアルだった…。はぁ、と溜息をついた後、台所の蛇口から下のコップに落ちる、水滴のぴちゃんという音に、体がビクっと反応する。マジで勘弁してくれ…。すると突然、ドンドンと玄関を叩く音が!
ひっ、っと声にならない声が出る。
「黒崎さん!大丈夫ですか⁉、何かあったんですか⁉」
男の声。外で見張っている警察官か…、さっきの俺の叫び声を聞いて、何かあったのか確認しにきたのか。びっくりさせんなよ…、しかし悪夢を見て、叫んでしまったのは俺。出ないと逆に不信がられるか…。
座っていたベッドからゆっくりと立ち上がって、玄関へと向かう。チェーンロックを外し、鍵を解除してドアを開けると、初めて見る若い警察官が立っていた。
「大丈夫ですか?、なんか叫ぶ声がきこえたんですけど」
心配そうな顔をして言う警察官に、右手で頭の髪を掻きながら笑顔で。
「すいません。なんか怖い夢見ちゃって…」
さっき見た夢を思い出し、隠さず答えた。
「なんかすいません。こんな事で勤務の邪魔しちゃって」
「ああ、いえいえ。同じハイツで奇妙な事件が起こったんですから仕方ないですよ。まだ朝早いですし、ゆっくり休んでください」
「ああ…、そういえば。昨日買ってきた缶コーヒーがあるんですよ。冷えてないけど、ちょっと待っててくださいね」
親切な警察官に背を向け、昨日買った袋の中に入っている缶コーヒーを取りに行こうとした瞬間。…苦しい。え…?
「いえいえ、気にしないで…、ひっ!」
警察官の声が途中で止まり、後ろを振り向くと誰もいない。さっきまで笑顔で対応していた警察官の姿はどこにもなく、急いで玄関に駆け寄って外を眺めるがその姿は、まるで初めからいなかった様に消えていた。マジか…、警察官はマズいだろ。靴のかかとを踏んで履き、誰にも見つからない様に注意しながら音を立てない様に階段を下りて周りを見る。テープの外には誰もいない。夜中は警官一人で見張ってたのか…、不幸中の幸いだな…。またゆっくりと音を立てずに階段を上がって部屋に戻った。部屋には何とも言えない重い空気が流れ、つけっぱなしのテレビだけがその重い空気を払っている気がした。警官が消えた…、ってことは、銭湯にいた今、行方不明になっている男が家の前に遺体で出るはず。その男の家は知らないけど、先に遺体になって表れた若い男の家が少し離れてたから、もしかしたらこの近くか?、だとしたらどうする。あの警部は俺を疑っている。おまけにハイツを見張っていた警官も消えて、俺は今後どうしたらいいんだ。考えろ…。時計の針は、午前5時半すぎ。俺のさっきの叫び声を、ハイツに住んでるほかの住人が聞いていたら?、いや…、もしかしたらこれは逆に使えるのか、運にもよるが…。
――――――午前7時半。ゆっくりと部屋のドアを開け、何も知らない顔をしながら階段を下りる。すると二人の警察官に加え、もう一人の警察官が二人に近づき何やら話をしている。たぶん夜勤で勤務していた警察官が行方不明になったって騒ぎだすのは昼すぎになってから。消えた警察官を、どこを探しても見つからない事を確認してからだ。大騒ぎになるのは夕方くらいからか…。
「あの、すいません。バイト行くんで、外に出ますね」
テープの外に立っていた、話をしていない方の一人の警察官に声をかける。振り返って、男の顔を見た警察官は、黄色いテープを持ち上げ。
「どうぞ。この下を通ってください」
言われた通り、下をくぐって何気に警察官の顔を見て言った。
「このテープって、いつ取れるんですか?、もう二日目ですけど」
すると少し申し訳なさそうな顔をしながら、警察官が答える。
「あ~、すいません。鑑識の調査が終わるまで外せないんですよ。あと数日の我慢だと思うんで、なんとかご協力お願いします」
「そうですか。それじゃ仕方ないですね。警察官の方が悪い訳じゃないし、逆にずっと見張っててくれてるみたいだから逆に安心かな?」
「そう言っていただけると嬉しいですね。ああ、お仕事頑張ってきてください」
少し機嫌を良くしたように喋る警官に、はいと軽く返事して自転車置き場に歩き、持っていたカバンをカゴに入れて自転車を出してまたがると、バイト先のコンビニへ向けてペダルを強く踏んだ。
――――――コンビニの前に自転車を停め、カゴからカバンを取り出すと、いつもの様に元気な声で店内に入る。ピンポーン。
「おはよう翔子ちゃん。いつもごめんね、後から来て」
「…おはようございます、先輩」
カウンター越しに軽く挨拶を交わした後、その下をくぐり、店の控室へと入る。昨日をは違い、先にタイムカードを機械に通してロッカーを開け、掛けてある制服を取って首の上から通して着こむ。カバンを投げ入れ、ロッカーを閉めてカウンターへと出た。客は一人もいない。翔子は相変わらず、昨日と同じ様に少し俯いたままの視線でカウンターの一点を見つめる様に立っていた。…翔子が俺に対して敵意を見せないのはいいが、なんかやりづらいな…。そんな事を考えていると、ぽつりぽつりと翔子が喋り出した。
「先輩…、今日の朝…、また水死体が出たみたいっす」
「えっ、そっか、そうなんだ」
なんだ?突然。誰もいないから気を紛らわしたいのか?
「先輩って…、人、殺せるんですか?」
は?、何言い出すんだいきなり。思いも寄らぬド直球の質問に、顔が僅かに引きつって黙ってしまった。
「やっぱそうなんすね…」
何かを確信したような顔。
「なに言ってんの。いきなり何言い出すと思ったら…、びっくりしちゃたよ~」
まずい…、だけど消したくても消し方が分からない。今までの経験から俺がムカついたり、危険を感じたり、うざいなと思ったりして後ろを向いて振り返ったら消えていた。ゆっくりと翔子に背を向けようとすると。
「あの、先輩。殺してほしい人がいるんですけど…、もし殺してくれるならあたし、何をすればいいですか?」
…こいつ、誘導か? 目だけを動かして周りを確認してみる。店内にはさきほどから客は入って来ていない。誘導なら、私服警官がいるはず。いや、盗聴器? けど殺人犯にいきなりド直球で殺したかとか聞くか?こんな近くで。 逆上して襲い掛かる事も視野に入れて、そんな事、一般人の大学生にさせるか?
ぐるぐると頭の中で、いろいろな考えが回転しては元に戻る。
「いやっ、あの、ちょっと頭を整理させてくれ」
「…はい」
なんなんだこの女。ちょっと認めた様な言い方しちまった…。
「あの…、盗聴器とか無いから心配しなくていいっすよ。コンビニの中のカメラは基本音声取れないし…」
「…あのさ翔子ちゃん。君、自分が何言ってるか分かってる?、もし俺がほんとに殺人犯だったらどうすんの?」
「そおっすか、じゃあいいっす。自分で殺るんで。あっ、いらっしゃいませ~」
ピンポーンっと入って来た客にすぐ対応する。俺は入って来た客に一瞬ビクッとしたが、客はすぐに本置き場へ。その後、数十人もの客が入って来きたが、みんな普通に買い物をして出て行った。午前10時を過ぎ、翔子にこちらから話しかける。
「翔子ちゃん、ゲームしない?、何かをしてもらったら、何かを返すゲーム…」
「…いいっすよ。それであたしは何すればいいんすか…」
――――――夕方になり、交代の店長と海斗がコンビニへ入って来た。相変わらず二人とも、ピンポーンっと陽気な音とは対照的な暗い表情。
「おつかれさまです店長。純子ちゃんのお葬式だったんですよね」
何気に二人の表情に合わせ、少し暗い表情を作って話しかけた。
「ああ、おつかれさま、黒崎君、翔子ちゃん。もういいよ、上がって」
店内に設置されている時計を見ながら思った。…店長ちゃんと時計見てる?、今上がると、早退になっちゃうんだけど。
「そういや、海斗君も行ったんだよね、お葬式。純子ちゃんどうだった?」
「すごく安らかな顔してましたよ…、てか先輩。どうだったとか酷くないっすか?」
しまった…。何故か最近、死んだ者に対しての敬う気持ちが無い。つい出てしまった軽率な言葉に反応して、海斗が顔色を変えてカウンター越しの男の顔を睨んで言った。すると店長が間に入り。
「やめなさい海斗君。黒崎君も辛いんだから…」
「そおっすか?、なんかそんな風には見えないっすけど」
目の前の店長越しに、睨む目で男の顔を見る。海斗、純子ちゃんの事好きだったのか? なんかそんな感じの目だ。
「あの…、悪かったよ」
ついつい謝ってしまった。それを隣で見ていた翔子が海斗に対して。
「黒崎先輩、昨日も今日も泣いてましたよ。純子の事想って…」
背筋に少し寒気が通る。何だ突然、俺の味方なんかして…、いや、まだ信じるな。間違ったものを信じれば、その時点ですべてが終わる。小学校の時、先生を信じてしまったように…。
「あっ、すいません先輩。俺、なんか今日おかしくて…」
「えっ、あっいや、俺の方こそごめん。ちょっと言葉悪くて…」
そう言った後、無表情の翔子の顔を見て思った。こいつ、俺や金田と同じなのか? まだ信じた訳では無いが、昨夜見た小学生の頃の夢がよみがえる。仲間…か…。
すると翔子は、レジの売り上げを確認しながら店長と海斗を見て言った。
「まだ交代まで5分ほどあるんで、奥でゆっくりしながら先に着替えてきてくださいよ。あたし達、待ってるんで」
「ああ、そうだな。じゃあ海斗君。中に入ってゆっくりしてよう」
海斗の肩にポンと手を置き、先に入る様に促す店長。海斗がカウンターをくぐって奥に入ると、続けて奥に入っていった。いつも店長は制服を羽織ったままくるが、今日は私服姿。純子ちゃん、ごめん。ロッカーを開けて着替える二人を見ながら、殺してしまった純子に心の中で謝った。
5分過ぎて、交代の時間になると、店長と海斗が奥から出て来て入れ違いに二人で奥に入る。着替えるといっても、私服の上から一枚制服を脱ぐだけ。ロッカーを開けて素早く制服を脱ぐと、ハンガーを取って素早く掛けてカバンを取り出し、ロッカーを閉めて翔子より先にタイムカードを通した。そして小声で。
「外出て右に曲がったところで待ってるから」
一言呟きカウンターへと歩いた。