アリバイ
201号室の扉が開き、カバンを持った男が出て来た。それに気づいた現場を見張っていた警察官が、素早く隣の家の壁に隠れ、警察無線トランシーバーを使って小声で喋る。
「黒崎が部屋から出てきました。手にカバン。服装は、夕方帰ってきた物と同じ物を着ています」
『じゃあ予定通り、現場は残ってるやつに任せて、お前は黒崎を尾行しろ』
「了解です」
ハイツの2階にいる男は、素早く隠れた警官に気付いていた。いつもの様に階段を下り、ハイツの前に停めてある自転車にまたがると、何も無かった様に走り出す。警官は、あらかじめ用意していた自転車に乗り、気付かれない様に注意を払いながら、走り出した自転車を追う。10分ほど走って着いた先は、片付けを始めた報道カメラや記者が何人かいる所だった。警官は、そそくさと自転車を停めて、のれんをくぐる男を確認すると、胸に付けたトランシーバーを手に取り。
「黒崎が銭湯に入りました。遺体で発見された若い男が消えた銭湯です。どうしますか?」
『お前はそこで黒崎が移動しないか見張ってろ。俺もそっちへ行く』
「了解です」
――――――男と青い大きな文字で書かれている擦りガラス戸を開けて中に入る。
「おばちゃん、何か大変だね。あっ、まってね。靴置き場じゃなんか、外から見られてる様な気がしてさ」
財布を取り出し、小銭を探る男に対して、銭湯の女将は。
「あら、黒崎君。そうなのよ…、商売の邪魔なのよねぇ」
いつもとは違い、手で、男が財布から取り出した小銭を受け取った。
「あとおばちゃん。俺昨日ここにシャンプーとか忘れちゃったんだけど、あるかな?」
すると銭湯の女将は、ちょっと目を逸らし、頬を人差し指で掻きながら、ワザとらしく答えた。
「あ~、あれね。え~と、ごめんなさいね。とっといたんだけど今、どこに置いたか分からないの。ほら、あそこにあるの、また使っていいから」
鏡とドライヤーがある方を指差し、片言の様に言う。…分かりやすい、何か言われてるな。
「じゃあごめん。また借りるね」
はぁ…、と安心したように息を吐くおばちゃんに背を向け、桶に入った銭湯の風呂セットを片手に持つと、脱衣所の方へ歩く。区切られたロッカーを開け、服を脱いで放り込むと、風呂セットを持って風呂場に入った。いつもみたく、積み上げられた桶から一つ取り、湯船に向かって歩く。桶で湯をすくって体に何度か浴びせ、湯に浸かると、注意深く風呂場の中を観察する。この銭湯の外周りは以前見ている。じゃあ、男湯のあの辺りか…。目当ての物を見つけると、男の口角がクッと上がった。
――――――外では警官が、男がいつ出てきても対処出来る様に見張っていた。そこにサイレンを鳴らす事無く近づくパトカーが一台。銭湯の少し手前で止まると、下りて来た男が警官に声をかけた。
「黒崎は?、まだ出てきていないのか?」
「あっ、はいっ警部。もう中に入って30分ほど経ちますが、まだ出てきていません」
「30分か。じゃあもうすぐ出てくるな」
報道カメラが撤収して、何人かの記者らしき人が歩いている人に聞き込みをしているだけの銭湯周辺。しばらく待っていると、スッキリとした顔で男がのれんをくぐって出てくるのが見えた。
「おい、出て来た。行くぞ」
「はい」
警官についてくる様に言うと、脇道に入って、自転車を出して乗ろうとする男に声をかける。
「あ~、風呂出たばかりで悪いんだけど、ちょっと話聞かせてもらえないかねぇ」
男は声をかけて来た飯島警部に気付くと、ペダルにかけていた足を下して、少し動揺した様な顔で言う。
「なんですか?、風呂あがったばかりなんで、湯冷めしないうちに帰りたいんですけど」
「いや、ちょっとね、質問されてもらえないかな~と思ってね。いやいや、任意同行とかそんなんじゃないから」
「任意同行?、なんすかそれ。なんか疑われてるんですか?俺」
「まあ…、任意同行はまだ証拠がそろってないからねぇ、無理なんだけど。でもね、遺体で発見された若い男と君が一緒に風呂に入ってた所を見たって人がいるんだよねぇ。しかも君だけしか出てこなかったらしいじゃない?、不思議だよねぇ。それにね、若い男の手から、別の人の皮膚の細胞が付着してたんだけど、まあそれはまだ出てないんだけどねぇ結果は」
少し威圧的に、脅す様に言う警部に対し、男は。
「遺体で発見された男って、あの男だったんですか…。その若い男なら知ってますよ。昨日、銭湯の中でからまれて、足を握られましたから。俺、怖くて、足振りほどいて風呂道具おいて逃げましたから。風呂場から出た後、慌てて服着たんで。そのあたり、銭湯のおばちゃんに聞けば分かると思いますよ」
若干怯えた様な顔をしながらも、冷静に話す男。…何企んでやがる…。すると男は、自転車のハンドルを持ちながら道路側に出て、今度は、顔色を変えて。
「ニュースで見たんですけど、あの男って、銭湯の風呂場の中で消えちゃったんですか?」
「あん?、ニュースで風呂場の中で消えたなんて報道してないはずだぞ。ボロだしたな!」
「えっ、だって今、警部さんが言ってたじゃないですか。僕だけしか出て来てないって。僕が出て来たの見たのって、銭湯のおばさんでしょ?、あと、この銭湯って、男湯に外に繋がる出入り口があるって知ってます?」
男の言った言葉に、警部は、はぁ?っと頭を傾げた。
「外に繋がる出入り口って、そんなのあるわけないだろ!」
「あれ?、そこはちゃんと捜査してないんですね。ここの銭湯って結構古いらしくて、男湯の壁に小さな扉があるんですよ。たぶんトタンで出来た外のボイラー室に繋がってると思うんですけど。鍵は中から開くし、まあ、裸で外に出ようなんてやつ、いないと思うんですけどね」
軽く笑って喋る男に、警部は顔を赤くし、隣の警官に話し出す。
「こいつの言ってる事はほんとか?、中に扉があるって」
「あ…、すいません。そこはまだ調べてなかったです…」
「ばかやろう!、お前何年警官やってんだ!」
「ひっ、4年です!」
怒鳴る警部としり込みする警官を尻目に、男は自転車にまたがり。
「あの、じゃあ、これで失礼します。湯冷めして、風邪とかひきたくないんで」
ゆうゆうと自転車をこぎ出す男を後ろから見て、警部は何とも言えない苦渋な顔をしながら見送る。すると、隣の警官が警部に。
「あの…、ボイラー室に遺体を隠して、後で家の前に捨てたんじゃ」
検討違いな話しをする警官に、警部はタバコをポケットから出し、口に加えながら、ライターで火を付けて。
「バ~カ。遺体は銭湯に入って、すぐ家の前で発見されてんだぞ。そのトリックもわからねぇが、風呂から出たあいつがハイツの現場にいた時点で無理だ。可能性としては、行方不明になっている、もう一人の男の単独か、それか黒崎とグルでやったか。まあ行方不明になっている男が見つからない限り、進展は無いな…、振り出しだ、帰るぞ。一応、世話になった銭湯の女将に一言言っとけ」
ふぅ~っと煙を吐き、のれんをくぐる警官を一目見て、夜空を仰いだ。
――――――キキーっとハイツの前で止まる自転車。並んで停めてある自転車の間に差し込むと、スタンドを立てて、カゴからカバンと、帰りにコンビニで買ったビニール袋を取り、ふぅっと溜息。
「中入っていいですか?、201号室の黒崎です」
「どうぞ」
現場に立っている警官に帰ってきた事を伝え、張り巡らされたテープの中に入って階段を上がる。財布から鍵を取り出し、鍵を開けて中に入っると、笑いがこみ上げてくる。
「んふっ、くく…。簡単だな、アリバイ作りって」
部屋の照明をつけて、カバンから使ったタオルを取り出し、ベランダの窓を開けて洗濯機に放り込む。窓を閉めた後、テーブルの上に置いたビニール袋から冷えたビールを取り出し、カシュっと開けた。飲みながらリモコンへ手を伸ばし、テレビをつけて考える。次にやらなきゃいけない事は…、今のところ無しか。
持っているビールを一気に飲み干すと、ぐふっとゲップにも似た息を吐いて、もう一缶、ビニール袋から取り出した。テーブルの上の、空になったビール缶を指で弾くと、新缶を開けてチャンネルを変える。ニュース番組では、自分が係わっていそうな情報は流れていない。時計を見ると午後11時前。最近寝るのが早かった為か、ビールを飲みながらも、猛烈な眠気が襲ってくる。
「これ飲んだら寝るか…」
今日起こった出来事を想い返し、少し酔った勢いで良い気分になりながら、勝ち誇ったかのように呟いた。残っていた少ないビールを一気に口に含んで飲むと、カラのビール缶をテレビの前に放り投げ、座っていたベッドにそのまま横になる。スー、スーと寝息。時計のカチカチという音が、少しづつ静かになっていった。
――――――ッカッカッとチョークで黒板を叩く音。
「はい、この問題を…、黒崎、分かるか?」
「あ~、たぶん、俺より他の人に言ったほうがいいと思います」
「それがお前の答えか?」
「はい」
はぁ…っと溜息をつく先生を見て。あ~、そんなのはいいから。俺に答えさせようとしてるのが間違いなんだよ。見ろよ、この視線。 周りを見ると、先生が黒崎と名前を言った瞬間、みんなの視線が書いていたノートから先生に向けられている。浜中を殴ってその後、殴った事を先生に告げた木下明美まで行方不明になって、数日が過ぎていた。クラスメイトが俺を見る目は、変わり者から完全に、化け物になっている。
キーンコーンカーンコーンと、この授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、近くに座っているクラスメイトは一斉に距離をとる。初めは少し不安だったこの状況も慣れはじめ、何事も無かったかの様に次の授業の用意をする。すると、浜中を殴ったあの日から声をかけてこなかった雑賀が、近くに寄って来て言った。
「あの…、黒崎君。僕やっぱり…、黒崎君を仲間外れにするなんて出来ないよ…」
俺が早退して木下が行方不明になった次の日、浜中と雑賀が話し合ったのか、これから俺に近づかない様にすると言ってきた。俺はどちらでも良かったが…。
「雑賀。俺から離れろ。お前も小春や金田みたいに、みんなからはぶられるぞ」
「あっ…、でも」
見るからに申し訳なさそうにしている雑賀を見て、クラスメイトの輪の中にいる浜中を指差し言った。
「浜中を見ろよ。言ってたとおりに、ちゃんと俺から離れてみんなと打ち解けてる」
すると、暗い話をしている二人の会話を聞いていた金田が、斜め前の席から後ろを振り返り。
「まあいいんじゃない?、雑賀君もさ、こっちの仲間にしてあげようよ」
…金田、俺はお前を仲間にした覚えはないんだけどな。
ニコニコしながら言う金田の顔を見ながら、小春が何の表情も作らず低い声で。
「あんたに仲間って呼ばれると、いくら拓也でも可愛そうね」
「はぁ?小春!もういっぺん言ってみなさいよ!」
「別に…、もう一回言わなくても聞こえてたでしょ?」
…マジでうざいなこの二人…。でも、みんな化け物扱いするのに、この二人は初めからそんな目で見てこなかった。浜中を殴った日は、さすがにちょっとぎくしゃくしたけど。…仲間か。
「…じゃあ雑賀」
口を開くと、さっきまで口喧嘩していた二人が、ふっとこちらを向いた。
「俺は仲間とかそんなものは作らないけど、今までみたいに普通にしてくれてたらいいよ。雑賀がいいならな」
「うんっ、それでいいよ」
ニコっと笑った雑賀を見て思った。…笑うんだ。俺みたいなやつの返事で…。隣では小春が、滅多に見せない笑顔をしていた。金田は、うんうんと首を縦に軽く振っている。
すると窓際に集まっている何人かのクラスメイトが、外を見ながら小声でヒソヒソと何か言っている。耳を傾けると、またパトカーが来たよ。犯人ここにいるのに。といったことが聞こえてくる。一年前の事件の時は、一度しか来なかったくせに…。ほんと大人って勝手だな。目を細め、下を向き、また自分だけの世界に入り込む。大人には子供の気持ちなんて分からないんだ。お前らのせいで、あいつは死んだんだ…、もっとちゃんと調べてくれれば、あいつは死ななかったかもしれないのに…。
「何考えてんの拓也。また変な事考えてたんでしょ、気持ち悪い」
「うるせぇよ。お前には分かんねぇよ」
話してきた小春の顔を見ずに、下を向きながら答えた。授業の合間の休み時間は残り僅かとなり、のそのそとクラスメイト達は自分の席へ座っていく。何も感じない。これからも何も変わらない。小春も金田も雑賀も、俺を無視するクラスメイトも、人間いつか死ぬんだ。ただそれだけ…。