二人目
ピロロロロ、ピロロロロ、ピロロ、ガシっと掴んで耳元へ。ん~…。
「ん…、はい、黒崎ですけど…」
「あ~、黒崎君?、山下ですけど」
ん…、山下?
「まだ寝てた?」
「あ、はい。どうしたんすか?店長。今日俺、休みすっよ」
「ああ、いや。ちょっとお願いがあってね。今日、純子ちゃんの変わりに出てほしいんだけど」
「あら、純子ちゃん来てないんすか?」
「ん~、連絡も取れなくてね。悪いけど出てもらえる?」
テーブルの時計を確認すると、午前八時二十分。…純子ちゃん、無断欠勤?、ほんと珍しいな。
「あ~、はい。ちょっと今起きたとこなんで、九時前位になるかもですけど、いいっすか?」
「ああ、それでいいよ。それまで店にいるから。それじゃよろしくね」
ピっと会話を切り、スマホをテーブルにポイっと軽く滑らせるように投げて、ベッドの掛け布団を足で下にグイグイと蹴る。あ~、くそ。せっかくの休みなのに…。あ…、風呂入ってないな。タオルで体拭くか。立ち上がって台所でタオルを濡らし、着ていた服を脱いでパンツだけになると、タオルをギュっと絞って体をなぞる様に拭いてゆく。あ~、冷て…。一通り拭くと、もう一度濡らし、ギュっと絞って同じように拭いた。ん~、頭、せっけんでいいか。今度は頭を蛇口と排水溝の間に突っ込み、キュっと水を出して、ジャバジャバと頭を洗う。ある程度頭皮まで濡れたら、せっけんを手に取り、髪で擦って泡立てると、ゴシゴシと両手で掻き毟る様に洗って水で流した。もう一枚用意していたタオルに手を伸ばし、頭に被せてゴシゴシと水気を取る。ん~、まあ、こんなもんでいっか。
「あっ!、そういや…」
昨日持って帰って来たバイト先の服。洗うの忘れてた…。あ~、汗臭いからな…。臭い消しとかあったか? いろいろな物が適当に散らばっている部屋の中を目で探しながら、テーブルの下に手を伸ばすと。
「あ、あった」
取り出して、テーブルの上に置き、コンビニの制服をベッドの上に広げると、見つけ出したスプレータイプのボトルを手に取り、シュッシュと霧をふりかけ、服を取って反対に向けると、もう一度、シュッシュとふりかける。上出来上出来。ん…? なんとなく目に入った時計を見ると、八時四十分。やべ…、九時前って言っちゃったな。ズボンとTシャツを着て靴下を履き、財布と携帯をポケットに入れ、ベッドの上に広げていた制服を無造作に掴み、小さなカバンにトランクスと一緒に押し込んで持つと、仕事用に買った靴に足を押し込んで、玄関の扉を開けた。カンカンカンと階段を下り、自転車にまたがって猛ダッシュ。
――――――キッキー、とバイト先のコンビニの前で止まって、自転車を前に停めて。
「おはようございまーす」
「ああ、黒崎君。ごめんね、急に」
「いいっすよ。仕方ないっす。一応、俺班長ですし」
「じゃあ、後はよろしくね。奥に翔子ちゃんもいるから。引継ぎは聞いておいて」
「分かりました。じゃあ、おつかれっす、店長」
カウンターの下をくぐりながら、一定のトーンでヤル気のある様な声を出し、奥の休憩室兼、ロッカー室へと歩いた。
「おはよ、翔子ちゃん。休憩中悪いけどさ、着替えてる間、カウンター出ててくれない?」
「あっ、おはようございます、先輩。いいっすよ、ちょっとまってくださいね。タバコ消すんで」
手に持ってる火の付いたタバコを口にはこんで、すう~と一口吸うと、小さな灰皿にギュっと押し当てて消し、立ち上がって煙を吐きながらカウンターへと歩く。今時の女子大学生って、なんかガラ悪いよな…。髪、金髪だし。出て行ったのを見計らって、タイムカードを機械に通し、持ってきた制服をカバンから取り出してグイっと上から着こんだ。黒崎とシールを貼られたロッカーを開き、カバンを押し込むと、何食わぬ顔でカウンターに出た。
「…先輩。着替えてからタイムカード押さないと。あたしがチクったらまた店長に言われますよ」
「え…、チクっちゃう?、ごめん、黙ってて。お願い」
「まあ、いいっすけど」
…この子ちょっと苦手なんだよな~。なんか元ヤンぽくって。
「じゃ、じゃあ、休憩してていいよ。ごめんね、途中でいきなり」
「ああ、もういいっすよ。十分休憩したし」
「ああ、そう…」
ピンポーン。
「いらっしゃいませ~」
一声お客に言ったかと思うと、今度は。
「そういえば先輩」
「うん?なに」
「純子、どうしたんすかね。珍しいっすよね、無断欠勤なんて」
「うん、そうだね。あっ、そういやあの子って同じ大学?」
「いや、違うっすけど」
話しがぷつりぷつりと途切れる。はぁ~、今日って休みだったのにな~…。よりによって翔子ちゃんか。
「そういえば先輩」
「うん?なに」
なんだよ、さっきと同じじゃね~か。
「今日、朝。石川県でしたっけ、殺人事件。先輩って石川県っすよね」
「うん?今日?、殺人事件って昨日だよ」
「いや、先輩ニュース見てないんすか?…今日、二人目らしいっすよ」
「二人目…?」
「ちょっと待ってくださいよ」
そう言うと、ポケットからスマホを取り出し、指で弾いている。…ちょっとゆるいな。注意すべきだろうけど、俺もたまに見るしな…。
「ほら、これっすよ」
手渡されたスマホを見て、少し背中に悪寒が走る。
『石川県能登町でまたも殺人が。殺されたのは木下明美、31歳。先日殺された古屋幸一氏とは同級生と見られており、事件の関連性が無いかを警察は調べているもよう。また怨恨の可能性も在ると見て…』
木下…、木下明美…、そうだ、思い出した。小学校六年の時、同じクラスだった木下明美だ。顔から血の気がひいてゆく。
「…先輩、どうしたんですか?、顔色悪いっすよ」
「あ、ああ、ごめん。教えてくれてありがと…」
見せてもらったスマホをすうっと手渡し、ふう~っと一呼吸。パンと牛乳を手に持ってレジまで来たお客の対応をする。はぁ~、偶然か?、同級生が続けて二人殺されるなんて。コンビニのビニール袋をカウンターの下の棚から一枚取り出し、パンと牛乳を入れて置き、客が出した千円札をもらってレジを開き、おつりとビニール袋を手渡してお辞儀をする。
「ありがとうございました~、またお越しください」
――――――夕方になって、交代の時間。
ピンポーン。
「おつかれっす、先輩」
「ああ、交代ね。今日も海斗君?、夕方から店長と新人君じゃなかった?」
「ああ、ちょっとシフト変えてって店長に言われちゃって。新人君、まだみたいっすね」
「まあ、そのうち来るでしょ。じゃあ俺、着替えるね」
「あっ、そういや先輩。またですね」
…なんだよ。気分悪いな。
「あ~、その話は無し。早く着替えて。じゃあ翔子ちゃんもおつかれ。気を付けて帰ってね」
「あ~、はい。おつかれさまっす」
時間を見計らって先に着替えていた翔子と軽く話して帰っていくのを見送ると、奥で着替え終わる海斗を待ちながらレジの周りを布巾で拭いて綺麗にする。
「おまたせっす先輩。着替えていいっすよ。交代っす」
「ああ、うん。あとよろしくね」
海斗と入れ替わりに奥へと入り、制服を脱いでタイムカードを機械に通す。ジジっと音がして引き抜いて見ると、今日の出勤時間の所が遅刻欄に八時五十九分と印刷されている。遅刻じゃね~よ。休日出勤だっつーの。…一応書いとくか。机の上のペン立てから赤いボールペンを取り、休、と書いて周りを丸で囲った。これでよし。…うつわ小っちゃいな俺も…。所定の位置にタイムカードを戻し、カウンターへ出て。
「それじゃ帰るわ。新人君、こないね」
「まあまだあと時間まで十分ほどあるし、来なかったら店長に連絡入れるんで大丈夫っすよ」
んあ、そっか、すまん。別に心配なんてしてなかった。
「そっか。じゃあおつかれ」
「おつかれさまっす」
ピンポーンとガラスの自動ドアから堂々と出ると、停めてあった自転車にまたがり、家から一番近くの銭湯へと走った。
――――――銭湯に着くと、自転車を脇道に停め、のれんをくぐって男湯の擦りガラス戸をカラリと開ける。
「いらっしゃい。あら黒崎君、今日は早いわね」
チャリンと小銭を、おばあさんが座っている台の前に置き。
「おばちゃんごめん。シャンプーとリンスとせっけん借りていい?ああ、あとタオルも」
「いいわよ。タオルはほれ、これ持っていって」
そう言って、座っている前の棚からタオルを取り出し、その手で鏡の前のドライヤーが置いてある机の上の桶に入ったシャンプーとリンスを指差しながら。
「あとせっけんとシャンプーとリンスは、あの上のやつ使って」
「ありがとおばちゃん」
桶ごと拾って、脱衣スペースへ。着ていた服を素早く脱ぎ、区切られたロッカーに放り込んで鍵を閉め、桶を持ってカラス戸を開けると、心地よい湯気が立ち昇っていく。中に入って閉めた後、端に積み重ねられている空桶を手に取り、迷うことなく湯船の方へ。桶ですくった湯を体に浴びせ、足からゆっくりと湯船に浸かった。ふぅ~っと気持ちいいため息とともに、ブっと一発。…くせぇ~…。周りを見渡すと、おじさん達はみな、体や頭を洗っている。一緒に入ってたら文句言われてたかもな。体の芯まで温めると、湯船から上がり、風呂の椅子に座って小鏡を見ながらシャワーからお湯を出して頭を洗う。シャンプーを洗い流し、リンスでコーティング。そのまませっけんをタオルで泡立て、体を隅々まで擦り洗ってから頭のリンスと体に付いた泡を同時に洗い流す。気持ちいいなぁ。立ち上がって、もう一度湯船に浸かり、ん~っと背伸びをしてから上がって桶を手に脱衣所へと出た。濡れたタオルを思いっきり絞って頭と体の水滴を拭き取り、若干濡れた体のまま服を着る。借りたシャンプー類は桶とともに、元あった場所へ戻して。
「ありがとおばちゃん。タオル代は払うよ」
「あら、いいわよ、タオル代なんて。その代り、これからもよろしくね」
「おおっ、ありがとおばちゃん」
のれんをくぐって外に出て、脇道に停めてある自転車を見ると、見慣れた自転車がもう一つ。あれ?これって一階に住んでる良く喋るおばさんの自転車だ。…見つかったらなんか色々聞かれそう。すぐ立ち去るか…。自分の自転車のかごにカバンを押し込み、脇道から引き出してまたがると。
「あらっ、黒崎君?」
あ…、この声、見つかった…。だりぃ~な。
「あはは、奇遇ですね、こんなところで…、あら?」
後ろを振り向くと誰もいない。…なんだよ。声だけ掛けといて居なくなるなんて。まあいっか。世間話に付き合わされる事も無いし、帰ろ…。グッとペダルをこいで、家へと向かった。
――――――キッキー…。…ブレーキ壊れてる?いや、油さして無いからか…。
ハイツの前に停めて階段をそおっと上がり、財布から鍵を取り出して扉を開ける。…ん、何この感覚。また昨日の、ビールを買って帰った後と同じ様な、重い空気を感じる。あ~、明日もバイトかぁ…。カバンから濡れたタオルと履き替えた後のトランクスを出し、ベランダの窓を開けてボロボロの洗濯機へと放り込んだ。中には二日分の洗い物が入れっぱなし。粉洗剤を入れてスイッチを押す。中に水が流れ、ゴウンゴウンと音を立てたのを確認してから部屋に戻って窓を閉めた。カバンの底から今日、職場のコンビニで買っておいたスパゲティを取り出し、レンジの中へ。閉めてスイッチを押す。はぁ~、あとビール一缶残ってたよな。冷蔵庫を開け確認。チンっと音がし、温まったスパゲティとビールを手に、テーブルの前に座った。綺麗に張られたラップを剥がして、プラスチックの白いフォークでクルクルと口へと運ぶ。うん、まあまあかな…。一日の楽しみの音、プシュっと開けてゴクゴクと半分ほど一気に飲み込んだ。ん~、最高!、やっぱビールだな。…そういやニュース…、やってるかな。リモコンを手に取り、電源ボタンを押す。チャンネルを変えて、今一番知りたいニュースを探る。
『…被害者の女性の方ですが、』
あっ、これこれ。
『やはり先日亡くなった男性と接点があるようです。現場に繋ぎます』
『はい、現場です。被害者の女性なんですが、先日刺殺された男性と、どうやら知り合いだったもようで』
それさっき聞いたよ。早く次話せよ。
『二人は同じ小学生だったということなんですが…、実は!、この女性もですね、小学校で行方不明になっていた事が取材で分かりました』
…だったか…いや、覚えてない。…気味悪いな…、もういいや。チャンネルを変えてバラエティ番組にする。芸人達が笑いながらひな壇で突っ込んでいた。…あんた達、普段笑ってねぇだろ。むしろ泣いてんじゃねぇのか?…ヤメだ。最近やっぱおかしい。なんだこの感覚。時計を見ると、午後九時すぎ。寝るのには早いな…、そういや洗濯…。窓を開けてベランダに出て、洗濯機が止まっているのを確認して中の衣類を一枚一枚取り出し、針金ハンガーにかけて物干竿に引っ掛けてゆく。全部掛け終わったところで、部屋に戻って、台所の洗い物を洗い、ビールの空き缶などを水ですすって、空き缶用に買った分厚いビニール袋へ、カラカラと投げ込んだ。部屋の中のゴミなどを集め、別の新しいゴミ袋をレンジ台の戸棚から出して、ぽいっと捨ててゆく。あとは適当にならして掃除完了。夜に掃除機かけると音がうるさいからな…。もう一度時計を見ると、午後十時すぎ。…時間ってなかなか過ぎないよな。ぼーっと何かしてたらあっという間に過ぎるのに…。十時ね~…、寝るか、どうせやる事無いし。ベッドに横になって、少し綺麗になった部屋を見て満足する。…ちっさいな~、俺。足元でくちゃくちゃになっている掛け布団を手繰り寄せ、首元まで被って目を瞑った。