揺れる
一通りの奇怪な事件を報道するニュースを見終わった後、男はまだ不安な気持ちでいた。テーブルの上の時計は、午後10時を示している。テレビと照明を消してベッドに寝転がる。上半身を起こすと、足元に掛け布団を丁寧に両手で体に被せ、目を瞑った。…もし俺と同じ力を持ってるやつがいたとして、そいつは俺の事を知っているのか? もし俺の事を知っていたとして、俺が力を持っている事は、そいつは知ってるのか?
自分と同じ力を持っている者に、今まで感じた事のない恐怖を抱いていた。何故なら、簡単に人を殺せる力。その力が自分に向けられる事を恐れていたから。その得体のしれない力の恐怖は、ベッドに寝転がる男自身が一番よく分かっていた。…今そいつはどこにいるのか。金田が言ってた先生が行方不明になった日は、石川県にいたはず。いや、先生が石川県で消された事実がどこにある! 行方不明になったのが石川県なだけで、別の場所で消した事も考えられる…。頭の中で考えがぐるぐると廻るが、同じように消された純子や一階に住んでたおばさん。銭湯で消えた二人の男や、今見つめている玄関のドアの前で消えた警官。その消息を自分だけしか知らないのと同じ様に、消えて自宅前で水死体で見つかった先生の消息も分からない。…そいつは今どこにいるんだ。いや待て。先生を憎んでたやつは他にもいるはず。なら、東京で起こっている事件を真似た猟奇殺人か? いや、それもただの可能性でしかない。分からない…。
色々と考えながらも、何も分からない頭をリセットする様に無心になり、少し落ち着いて吐息の様に、静かに息を吐く。
――――――スース―と寝息。ふわふわとした布団に包まれた少年は、額に当たる手に気付き目を覚ました。
「え…?」
「あっ、ほら!、起きちゃったじゃない小春!、だから触らないようが良いって言ったのに!」
「うっさいわね…。あんたのでかい声の方が、よっぽど体に悪いわよ」
うっすらと見える視界からは、何か言い争ってる小春と金田の姿が見える。正座して座っている小春の横には、白い綿毛のキーホルダーが付いた赤いランドセルが置かれていた。小春の隣に座っている金田の横にも、猫の可愛いキーホルダーが付いた赤いランドセル。部屋の壁に沿って上に目を向けると、壁に掛けられた四角い時計は、午後4時過ぎを示していた。少年はまた二人に目を向け、痛む喉を鳴らしながら語りかける。
「お前ら…、ゴホっ、…風邪うつるぞ…、ゴホッ、ゴホッ」
「…バカは風邪ひかないって言うけど…、あんたバカなのに風邪ひくのね」
いつもと違う優しい笑みで、額においていた手を静かに畳の上に置きながら喋る。すると隣の金田は自分のランドセルを開き、中から一枚の紙を出して両手で見せながら笑顔で言った。
「ほら、今度の遠足のしおり。今日学校で貰ったから、黒崎君のも持って来たよ」
「…あ~、その…、こんな時って…、どうすればいいんだ」
少年は少し照れくさそうに、プリント用紙と二人を見て言った。顎の下に掛かる掛け布団を、両手でちょっと上にあげ口元を隠す。…ちょっと可愛い。なんかいつもの暗い感じと違うし…。熱を出して顔を赤らめる少年に、金田は口調を変えて話し出す。
「そんな時は、ありがとう今日子ちゃん♪って言えばいいのよ♪」
「…あんた本気で言ってる?、気持ち悪いわよ」
「んなっ!、気持ち悪いって何よ!、小春だってここに来る前、すごく黒崎君の事心配してたじゃない!」
「えっ、ちが…、あたしは別に拓也の事、心配とかしてないから!」
珍しく大きな声をあげる小春。そんな小春をあまり見た事がなかった少年は、枯れた声を出しながら言った。
「あの…、二人とも」
少年の声に気付いた二人は、息が合った様に少年の顔を見た。
「あの…、来てくれてありがと。…これでいいのか…?」
「ふふん、それでいいんだよ。黒崎君もやれば出来るじゃん」
「あんたのその、じゃん、って変だからやめて。まだテレビに出た事を自慢したいの?、東京出て芸能人になるって、まだ考えてるわけ?」
「なによ、まだ考えてるわけって。わたしはずっとそう思ってるわよ」
また口喧嘩をしだす二人。…喧嘩するなら帰ってくれないかな…、なんか見てるだけで疲れる…。
すると、少年の部屋のドアが、トントンと鳴った。カチャっとドアを開いてきたのは少年の母親。手には水の入ったガラスのコップと、湯気の立つおかゆの入ったお椀にをおぼんに載せていた。部屋に入って来た母親を見るなり、二人はランドセルを手に取り、立ち上がって背中に背負って。
「おばさん、おじゃましてすいませんでした。あたし達もう帰りますね」
小春が少年の母親にお辞儀をして言った。金田は少年の顔を見ながら。
「じゃあね、また来るね黒崎君」
「そうね。風邪うつしちゃったら大変だものね。ありがとうね、小春ちゃん、今日子ちゃんも」
おぼんを畳の上に置くと、二人について行くように母親は少年の部屋から出て行った。
――――――対向車の車のライトが目にささる。僅かに振動する車の助手席で、ゆっくりと目蓋を開く。車の外は少し明るくなり始め、ちょっと離れた海側の景色は幻想的な光で輝いていた。
「あれ…、あたし寝てた?」
「あっ、起きちゃいましたか」
車のハンドルを握るのは、一緒に来ていた部下の景山悟。車の時計を確認すると、午前5時過ぎ。
「もうすぐ着きますよ。金田さんの同級生の家に」
「あ~、ごめんっ。あたし寝てばっかだね。石川県警まで運転してもらった時も寝てたし」
「ああ、気にしないでください。そう言えば、寝言言ってましたよ。また来るね黒崎君って。黒崎って、言ってたあの容疑者の一人ですよね。夢でも犯人追いかけてたんですか?」
すると、カァ~っと顔を赤くして金田は言った。
「そっ、そうよ!、追いかけてたの!、悪い⁉」
「えっ、別に悪くは無いかと…」
明らかに同様して、恥ずかしい気持ちを抑える様に、機嫌を悪くした言い方で喋る。すると景山は、ハンドルを握ってない片手で缶コーヒーを飲みながら言った。
「もしかして、最近よく見る小学生の時の夢ですか?、黒崎って子が同級生にいたとか?」
…うっ…、こいつほんとあたしより優秀かも…、あたしの顔で判断したな…。
「そうよっ、小学生の頃の夢を見てたの。ほんと、あんたの前じゃ嘘はつけないからね。すぐ見破られちゃうし」
「まあそう怒らないでくださいよ。…でも金田さんって、列車に乗らないんですか?、僕まだ金田さんと組んで長くないんで、金田さんの事あまり知らないけど。石川県まで車で移動したいって言った時はちょっとびっくりしましたよ。基本僕らって、遠出は列車か空じゃないですか」
何気に話す部下を見ずに、過ぎ去る対向車のライトを眺めながら答えた。
「列車は嫌いなんだ…」
車は幹線道路から脇道に入り、まばらに立つ住宅街を抜けて一軒の家の前で止まった。二人は車から降りると、家の玄関の上に書いてある表札を確認する。『立石』
「ここだ、間違いない。昔のままね」
「でも、こんなに朝早くていいんですかね。まだ寝てるんじゃ」
「農家の朝は早いのよ。出来るだけ早く話しを聞くには、この時間しかダメ。6時には家を出るみたいだから」
「じゃあ、とりあえず中の方に話しを聞きますか…」
部下の景山が玄関の扉の横に設置されたインターホンを押した。ピーンポーン
――――――う~ん…、ゆっくりと目を開ける。また小学生の時の夢…。たしかあの熱を出した日の次の日から、二人とはよく遊ぶようになったんだったか…。
上半身を起こして、テーブルの時計を確認すると午前7時。ベッドの上で掛かったままの掛け布団を、両手でふわっとなびかせ、そのまま足元にたたむようにしてから足を抜き、ベッドから立ち上がった。トイレに入って用を足すと、台所に立って蛇口をひねり、何日分かの溜まっている食器を洗いだす。洗い終わると、掃除機をクローゼットから出して床を掃除し始め、ブゥゥと排気音が部屋の中に響く。掃除が終わると、プラスチックの網カゴから服を選んで取り出し、今着ている服を脱いで丸めてベッドの上へ。ベランダの窓を開け、ベッドの上の丸めた服を取って外に出ると、洗濯機に放り投げて粉洗剤を入れてスイッチオン。いつもの様に動いている音を確認すると、部屋に戻って窓を閉めた。休日の朝はいつもこんな感じ。溜まっている物を全部一気にやってしまう。
「なんか今日気分がいいな…、なんでかな…」
独り言を呟く。昨日テレビで見た石川県の事件。憎んでいた、自分で殺したかった先生が死に、さらにもしかすると、自分と似た能力を持っている者がいるかもしれない。敵か味方かも分からない者に恐怖した昨日と違って、何故か晴れやかな気持ちだった。夢のせいか…、あれから俺は気持ちを少しづつ切り替えていったんだ…。昔のことを想い返しながら、洗ったコップにインスタントコーヒーを入れ、ポットのお湯を注いでベッドに座った。リモコンを取ってテレビをつけると、ニュース番組ではなく、別の番組にしてコーヒーを飲む。ゆったりとした気持ち。
飲みかけのコーヒーをテーブルの上に置き、窓からさす優しい光に目を通した。すると何やら空気が重くなってゆく。突然背中にゾクっと悪寒が走り、ぞわぞわとした感触が首元まできて耳元で。
苦しい… ちょうだい… もっとちょうだい…
「うっ、やめてくれ…、もう俺は…」
敵を失い、気持ちを切り替えようとしてた自分に、まるでもっと殺せと言わんばかりに狂気の声が響く。頭を抱えて蹲り、震える足でテーブルを蹴ってコーヒーをこぼす。分かっていた。人を殺した自分だけが、何も無いことなんて無いことを。耳をふさいで必死に耐えるも、頭の中に直接響いてくる。
ねえ もっとちょうだい… おねがい もっとちょうだい…
ピロロロロ、ピロロロロ、ピロロロロ テーブルの上のスマホが鳴った。気付くと響いていた声は消え、背中の悪寒もなくなっていた。…助かった。
こぼれたコーヒーにタオルを被せ、急いで拭くと、まだスマホは鳴りやまずデジタル音を奏でている。なんだ…。恐る恐る手に取り、外面を確認すると、山下店長の文字。ピッと会話ボタンを押し耳元へ。
「はい、黒崎です。どうしたんですか?」
「黒崎君寝てたか…、実は翔子ちゃんが今朝交通事故にあって、救急車で運ばれて重体だそうだ」
「えっ…」
「ほんとどうすればいいんだよ…。新人君も昨日やめちゃうし…、それで今日夕方見舞いに行きたいからさ、僕の代わりに出てほしいんだけど」
淡々とした口調で喋る店長に、わなわなと沸き起こる不満と激情。
「あの…、交通事故ってどういう事ですか…、ほかに何か聞いてないんすか」
「ああ、轢いた車は逃げていったみたいなんだけどね。まだ捕まってないって」
それを聞いた瞬間、大声で。
「あんたそれ轢き逃げって言うんだよ!何でもかんでも誤魔化しやがって!だから俺は大人が嫌いなんだ!」
叫んだ後、会話を切られた店長は呟いた。
「…おとな…?」
201号室の扉が、ドンっと勢いよく開く。階段を駆け下りた黒崎は立っていた警官の肩を掴んで焦る様に言った。
「あの…、昨日轢き逃げがあった事件って知ってます?」
「えっ…」
肩を掴まれた警察官は、驚いた顔をしている。
「お願いします、轢かれた子ってバイト仲間なんです!、病院だけでも教えてもらえませんか⁉」
「ちょ、ちょっとまってください。今確認するので」
警官は胸の無線を使わず、ポケットから携帯電話を出して誰かと話しをしている。すると、後ろを向いて話していた警官は、振り向いて黒崎の顔を見て言った。
「昨日轢き逃げにあった子って、宮原翔子さんで間違いないかな?」
「はい!」
「新宿署は分かるかな、その近くの〇✕医大病院なんだけど」
「お巡りさん、ありがと!」
病院名を聞き、停めてある自転車を強引に引き出してまたがる。先日までの、殺してもかまわないという思いはどこにも無く、バイト先で一瞬仲間と感じた時の様な、不思議な感情が芽生えていた。全速力で走る自転車は、10分ほどで目的の病院へと着いた。