夢を見た日
人は死ぬ時、どんな事を考えるんだろうか……。
ゆっくりと教室中を見渡してみる。
お前らもいつか死ぬんだ。一生懸命勉強してるけど、意味なんてあるのか。
黒板の前では担任の先生がチョークを手にみなに背を向けてカリカリと書いている。
あんただって死ぬんだ、俺達よりも先に。
「ちょっと拓也、何にも書いてないじゃない。勉強する気あんの?」
「うるせぇよ。俺今瞑想中なんだよ。ほっとけ」
「瞑想って、いつもみたいに、ただ捻くれてるだけでしょ」
「……だからほっとけって……」
するとむうっとした顔になった彼女は立ち上がって大きな声を上げた。
「先生!黒崎君がまた変な事考えてます!」
クラスメイトが一斉にこちらを見たと同時に、ちっと舌打ちをして隣に立っている女の子の顔を睨んだ。
「黒崎、なんだまた勉強もしないで何か考えてたのか。ちゃんと勉強してないと良い中学、高校に行けないぞ」
注意するように言った五十代の担任の顔を見て。あんた良い高校出たのか?そんな風には見えないよ。
「とりあえず、この時間は廊下に立ってなさい。休み時間は職員室に来るように」
クスクスと笑い声の中、ゆっくりと立ち上がって教室の扉を開けた。
窓際に凭れ掛ってチャイムがなるのを待つ。
あ~、なんで学校なんてあんのかな……、みんな無くなっちゃえばいいのに。
キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴り、クラスメイトがガラッと扉を開いて廊下に出てきて俺を見ては、またクスクスと笑っている。
ああ、お前らと俺とは違うんだよ。
「黒崎、忘れず職員室まで来なさい。先生待ってるから」
俺に言ったにもかかわらず、何の係わりも無い赤の他人に言う様なトーンで話す担任に嫌気がさす。
嫌なら言い方と内容も変えて言えよ。
今日は帰って、もう来なくていいぞとか言いたいんだろ? 本当は。
義務教育って大変だよな。
俺みたいなやつも教えなくちゃダメなんてな。
「先生、一緒に行きますよ。どうせ寄り道しないで職員室に行くんでしょ?」
「…なら付いてきなさい」
大きな背中を前に、とことこと付いて歩く。
窓の外を見ると、雨がやんで一筋の虹が雲の間を通っていた。
「ああ、雨がやんだな。綺麗な虹だ。見えるか?」
「……」
何も話す事はない。
大人の慣れ合いの様な言葉のキャッチボールなんて興味も無いし、意味も無い。
職員室前まで来ると、先生はゆっくりとした動きでこちらを向いた。
「良く付いて来た。ちゃんと来た事を先生は見たから教室に戻りなさい。もうクラスメイトと仲直りして、変な事で揉めたりしちゃいけないぞ」
「…職員室入らなくていいんですか?何も無いなら呼ばないでもらえますか」
「黒崎……。お前は頭のいい子だと思ってる。だけど目上の者に対しての態度を覚えないと、お前が社会に出た時苦労するのはお前だぞ」
にこりと笑って頭を撫でる先生の顔を見て思った。
そんな社会を作ってるのはあんた達大人だろ。
反省するのは俺じゃなくて、こんな社会を作ったあんた達だよ。
「じゃあ…教室に戻ります。ほかに話があるなら職員室に呼んでください」
一応、先生に一礼をして教室へと歩き出した。
――――――教室の扉を開けると、一目見て分かる異質の者を見る目。
なんだよ……。
「おい拓也、先生にどんな風に怒られたんだ?廊下に立てって言われるのは何度か見たけど、職員室に来いって言われたのってお前が初めてだよ」
クラスのムードメーカーの浜中明宏。
俺はこいつが大の苦手だ。
「別に……。なんにも無かったよ」
「あっそう。お前らしい返事だな」
なんだよ、お前らしい返事って。
「そうだ。小春に声掛けとけよ。お前が職員室に呼ばれてちょっとびっくりしてたみたいだから」
「あ?なんで俺が呼ばれてあいつがびっくりするんだよ」
「……はぁ、お前ってほんと人の事わかんねぇのな」
「なんだよ」
「小春が先生にちくったからお前が職員室に呼ばれたんだろ?」
ああ、そうだよ。だから何?
「それはそれで終わったからもういいだろ」
「そうじゃなくって、小春の為に一声かけてやれって言ってるんだよ。あいつちょっと責任感じてるっぽいから」
そりゃ勘違いしすぎだ。
お前のそのおせっかいなところが大嫌いなんだよ。
「ああ、分かったよ。一声かけりゃいいんだな」
軽く右手を上げてかわし、自分の席に歩く。
「よぉ、びっくりしたぜ。いきなり職員室に呼ばれるんだもんな」
ああ、うるさいのが来た。
古屋幸一。
太ってるし声もでかい。
「ほんとびっくりしたよ~。幸一君もたまに廊下に立たされるけど、職員室に呼ばれたのってこのクラスじゃ初めてじゃない?」
こいつは雑賀哲郎。
クラスメイトの中じゃ、まだ話す方だ。
古屋とよく一緒に行動してて、雑賀自身は古屋と違って痩せていてでこぼこコンビ。
「あ~、別になんも無かったから。職員室の前で帰れって言われた」
「はぁ?じゃあなんで先生、職員室に呼んだんだ?なあ、なんで呼んだんだよ」
声でけえよ。知らねえよバカ。
執拗に質問してくる古屋を振り切り、自分の席に手を付いて座った。
「なんだよあいつ。こっちから声かけてやってんのによ」
「まあまあ、拓也君疲れてるんだよ。今はそ~としてあげたほうが…」
「ああ?なんだよ。俺と黒崎とどっち取るんだ?はっきりしろよ!」
「そ、そんな事言ってるんじゃないんだけど…」
…勝手にやってろ。
隣を見ると、前だけを見つめてつーんとした表情で緑川小春が座っている。
……別に浜中が言った様な、気にしてる様には見えないけど。
「なあ小春」
「……何?」
「……別になんにもないけど」
「なんもないなら声掛けないでよね、気持ち悪い」
ああ、そうですか。
こっちだって好きで声掛けたわけじゃない。
気持ち悪くて結構。もう二度と俺にかまうなよ。
「さっき全部聞こえたから」
「……は?」
「なんも無かったんでしょ?職員室で。じゃあ別にいいじゃない」
なんだそりゃ。
自分の気持ちだけスッキリしたからもういいみたいな言い方。
…まあ俺も似たようなもんか。
「ねえ、拓也君。職員室大丈夫だった?あたしびっくりしちゃって……」
あ~、小春が聞こえてたなら、絶対聞こえてる筈なんだけどな。
このちょっとワザとらしい言い方をするのは小春の前の席の金田今日子。
「なによ今日子。あたしが先生にちくったから職員室に呼ばれたって言いたいの?」
「えっ? そうじゃないの? あんたがちくったから拓也君が呼ばれたんでしょ?」
この二人は仲が悪い。
特に金田は俺と同じ位、女子から嫌われているっぽい。
それと金田は何年か前に、たまたま来ていたテレビの何かのイベントで映って、それが自慢らしくって、よくその話をしてくる。
こっちとしては聞きたくも無い情報だ。
「別にあんたに言われなくても分かってるわよ! それで、それがなに?」
「ふ~ん、別に」
よく隣で喧嘩する二人は、俺からしてみればいい迷惑だ。
聞きたくもないし、見たくも無い。
キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴って、職員室に戻っていた先生が帰ってきた。
教台の上に教科書を置くとコホンと一息。
「うぅん、あ~、先週言っていたとおり、二十年後の自分に充てた手紙を書いたかな?」
二十年後の自分に充てた手紙。
そういや言ってたな。そんなの書いてなんの意味があるんだ。
「今日放課後、タイムカプセルを埋めるから、書いてない者は書いておくように。じゃあ五時限目を始める。教科書の二十四ページを開いて……」
先生はチョークを手に、また背を向けて黒板に書きだした。
二十年後の自分に手紙…。俺、生きてんのかな。
――――――放課後。学校のグランドの端に、六年三組全員が集まった。
すでに五十センチほどの深さの穴が掘られている。
先生が家から持ってきたクッキーが入ってたっぽい缶に手紙を入れ、蓋をしめてガムテープでぐるぐる巻きにしてナイロン袋に入れた物が、掘られた穴に入れられ上から土を被せられてゆく。
「二十年後か~、なんかロマンチックだね」
「……ロマンチックね」
金田、お前ロマンチックってどんなのか知ってるのか?
「今日子、あんたにはロマンチックって言葉、全然似合わないんだけど」
……おいおい、お前らまた喧嘩か。
なんとなく見守っていると、示し合わせたかのようにフンっと二人とも首を振る。
仲がいいのか悪いのか…。
―――――――教室に戻ると、古屋が声をかけてきた。
「おい黒崎。お前二十年後の自分になんて書いたんだよ」
「……なんも書いてない。白紙で出した」
「はぁ?お前本気かよ。やっぱりお前って変わってるよな」
お前も変わってるよ。デブでキレやすくって、おまけに成績最下位。バカだな。
「はいはい、席に着いて」
先生の号令によそよそとみんな席に着きだした。
「拓也、ほんとに白紙で出したの…。二十年後、後悔しても知らないわよ」
隣に座っている小春が白々しい表情で前を見つめながら小声で呟く。
後悔ってなんだよ。
「さあ、みんなタイムカプセルを埋めて気持ちを新たにしたかな?」
は~い。と教室中の生徒が手を上げる。
隣を見ると、俺と同様、手を上げないで黙って前を見つめている。
「では今日は終わりです。みんな気を付けて家に帰る様に」・・・・・・
―――――――…ん~。懐かしい…夢?
「……ん、んん?」
ベッドの上。六畳一間の部屋。
布団の中から手だけを出して、置いてあるカラになったビールの空き缶を払いながら目覚まし時計を手でまさぐりながら見つけると、持ち上げて顔の上に持ってきた。
「うん……? 七時…半…。七時半⁉」
ガバっと布団を捲りあげて飛び起きる。
「遅刻する!んぁ~、くそ。目覚まし壊れてんのか?」
着替えもズボンだけ着替えて、財布と携帯をポケットに入れると、家の扉を開いて外に出た。
ハイツの階段をカンカンと音を立てながら降りてゆく。
「あら、おはよ~黒崎君。どうしたの?そんなに急いで」
ハイツ一階に住む、気の良いおばちゃんに声をかけられる。
「あ~、昨日飲み過ぎちゃったみたいで、やばいっす。遅刻っすよ~」
「あらまあ、気を付けて行ってらっしゃいね」
「ありがとうございます。それじゃ行ってきます」
敬礼のポーズをとって、ハイツの前に止めてある自転車にまたがり、アルバイト先のコンビニへと駆け出した。
まずい……、今度遅刻したら、今週の給料テンパー引くって言ってたよな。
あの店長本当にやりそうだから怖いんだよな…。
――――――ダーっとコンビニの前に自転車を止め、何食わぬ顔で中に入った。
「おはようございまーす」
時計を見ると、八時二分前。ギリギリセーフ。
「あっ、おはようございます、先輩」
「ああ、おはよう純子ちゃん。店長まだ来てないの?」
軽く言葉を交わしながらカウンターの下をくぐって、着替える前にタイムカードを機械に通した。
ジジっと時間を記録した音が鳴る。
「あ~、先輩また着替える前にタイムカード入れてる。店長に報告しますよ~」
「あはは……、ごめん。なんでも言う事聞くから、それだけはやめて」
「も~、調子いいですね~、先輩って。昔からそうなんですか?」
「あ~、いや。ガキの頃は、めちゃくちゃ生意気なやつだったよ。世間を舐めきってたって言うか」
喋りながらロッカーを開け、コンビニの制服を上から羽織るように着る。
少し汗くさい。
今日、持って帰って洗わないとな。
「そういえば先輩。先輩って石川県の能登町でしたっけ?出身」
「え?そうだよ。よく知ってるね」
「先輩、酔っぱらって喋ってましたよ?この前の飲み会で」
「あ、そうなの?」
ん~、ちょっと恥ずかしい。
三十一歳にもなって、バイトの後輩の女の子に飲みつぶれて介抱してもらった事を思い出す。
「今日朝、ニュースでやってたんですけど、今日の早朝に男性が殺されたって」
「ん?どこで」
「んもう!だから先輩の故郷の能登町でですよ!人の話聞いてるんですか?」
「へ~…、男性がね~。ヤフーニュースでもやってるかな」
スマホを取り出し、今日あった事件や事故を調べてみる。
「あ、先輩。また仕事中にスマホいじって。店長が見たらクビですよ?あっ、いらっしゃいませ!」
ピンポーンと音に素早く反応する動きは俺より優秀。
それよりも…事件、事件。
スマホを弾く指が止まる。
『石川県能登町にて男性の刺殺体が。被害者の男性の名前は古屋幸一31歳。背中から鋭利な刃物で刺されており、出血多量のショック死だと思われる。解剖はまだ行われてないが、この被害者の……』
古屋幸一? ……歳も同じだ。
じゃあ、同級生の古屋か。
「ありがとうございました~、またどうぞ~…って、どうしたんですか?先輩」
「あ、いや……。死んだのって同級生だった」
「えっ! そうなんですか⁉あの……、すみません、軽く言っちゃって」
「ああ、別に純子ちゃんが謝る必要ないじゃない。人はいつか死ぬもんだよ」
「……先輩。あの……メガネ忘れてません? 見えるんですか?」
「ん……ああ! 昨日からコンタクト付けっぱなしだった! ……今日、目荒れしそ~」
「はぁ……、先輩って抜けてますよね、いろいろ」
「言わないでくれ。一応これでも大学出てるんだから……」
大学出てコンビニでバイトとか……。
まあ、今更だけどな。東京に出てきてもう十年以上か……。
しかし、これから古屋の死が何かの合図だったかのように、恐ろしい事が始まるのである。
俺は何かを忘れていた。大事な何かを。
ピンポーン。
「いらっしゃいませ~」