第五十四話 出征
大分遅くなってしまいました
すみません
足と尻から結構な振動が伝わり、体全体を揺らす。
「うっぷ」
「おいおい、大丈夫か?」
現在俺がいる場所は、無駄に豪奢な装飾が施されてある馬車の内部。
前の座席には、ロレーヌ王国第二王子であるカルロが座っている。
「すみません……だ、大丈夫、です」
俺は顔を青ざめさせ、口に手を当てながら返事をする。
まさか馬車がここまで酷いとは。連れ去られた時とパトリックさんが助けに来た時は、混乱と必死さで気にしていなかったが、こうして改めて乗るとなると揺れが酷い。
サスペンションという発明が、いかに偉大だったかを実感できる。
「ククッ、まさか伝説の転移者の弱点が乗り物酔いとは、誰も思わないだろうな」
青ざめている俺を見て、実に楽しそうにカルロは笑う。
言いたいことはあるが、カルロの言うこともその通りでそれに反論する気力もない。
「まあ、我慢しろ。あと少しで小休止に入る」
それを聞いた俺は、少しでも酔いを誤魔化そうと、カーテンを開けて窓越しに外を見つめる。
外に見える光景は、遠くに地平線が見えるほど広い草原。そして、重厚な鎧を身にまとい馬のまたがる騎士達の姿。
今は北の山賊討伐のための行軍中だ。
人数は二百名。軽装歩兵が百五十人、騎兵が五十騎。行程は十日ほどだ。
「やっぱり俺、馬車降りていいですか?」
「駄目だ。さっきも言っただろ。今回の作戦は、他国にお前と共に軍事作戦をとることを見せるのが目的なんだ。俺と同じ馬車に乗るというだけでも、与える印象は違うものだぞ」
「目的も何も、こんな馬車の中に閉じこもっていたら、あんまり意味がなさそうですけど」
「何も直接見せる必要はない。遠くから見張る者から兵士に紛れている者、他国の者は色んな所にいる。作戦時に顔を見せればいいんだ。それに、まだ公式に発表はしていない。民間人にはまだ秘密というわけだ。お前は兵士らしくなく、容姿も我が国の人間ではなく見えて目立つからな」
そこでカルロは言葉を区切り、意地悪そうに笑う。
「馬にも乗れないお前が、十日間の行程を全て歩きたいというのなら別だがな」
「すいません、歩きたくないです」
「潔い奴だ」
そしてまたカルロは楽しそうに笑う。
くそ、馬の練習ぐらいはしとくべきだったか。
何度か練習すれば、「予測」で乗れるようにはなると思うんだが。流石に行軍中に練習させてくれとは言えない。
なるべく知識や経験を貯めようとは思っているが、どうしても足りないものが出てくる。
運動神経が良くて肉体をもっと上手く動かせたら、経験も積みやすくなるし能力を活用しやすくもなる。
この魔道具の名前、遥か高みへ至る者、か……本当に大層な名前だ。少なくとも、この魔道具だけだと俺には無理だということはわかる。
考え事をしていると、体が大きく揺れる。
「良かったなマサヤ。一旦小休止のようだ」
窓に近づき外を見渡す。
護衛の騎士らしき男たちは、いまだに馬車の近くで馬の跨っていたが、他の兵士達は地面に腰を下ろしていた。
一先ず、俺もようやく一息つくことができる。
ノックが聞こえる。
「誰だ」
「カノーヴァです。殿下」
「うむ、入れ」
「失礼いたします」
馬車の扉を開けたのは、三十代後半に見える中年の男性だった。
「殿下。お飲物はどういたしましょう」
「そうだな……マサヤはいるか?」
「え、は、はい」
「だ、そうだ。アレを二つ頼む」
カルロがそう言うと、綺麗に頭を下げてから出て行く。
「奴はミーノ・カノーヴァ。位は男爵。表向きの指揮官は俺だが、実質的な指揮官があいつさ」
それってけっこうな大物じゃないか。
「格式ばった奴でな、俺としてはあまり面白くない男だ。ま、見どころがあるとすれば……」
再びノックの音が聞こえる。
「お飲物をお持ちしました」
「ご苦労」
ミーノからそれぞれグラスを受け取る。
「さて、飲むとしようか」
「ちょ、見どころって何なんですか」
正直あまり興味はないが、途中で切られるとなると無性に気になる。
それに気づいたのかカルロは、底意地が悪そうに笑う。
「秘密だ」
「……」
「これは俺の勘みたいなものなんだが、多分あいつとお前はいざこざを起こしそうだ。十分気をつけるといいい」
本当いい性格してるよ。この王子。
意地でも思い通りになってやるもんか。貴族とのトラブルは、前回の件で体験済みだ。
しかし、一目見ただけだけど、クラウディオみたいな暴走する人間には見えなかったが。
心の中で問題をこれ以上増やして堪るか、と決意し、グラスに口をつける。
「ゴフッ!」
あまりの苦さに吹き出す、ことは我慢し、口の中だけで咳き込む。
そんな俺の様子を眺めながら、カルロはグラスの中身を飲み干す。
一瞬、苦虫を踏みつぶしたような表情を浮かべたと思ったら、癖っ毛を弄りながら飲み干したグラスを楽しそうに眺める。
「おお、予想以上だ」
「ゴホッ、な、何を」
「最近の俺の琴線に触れた飲み物でな。東の風雅とは膠着状態とは言え、他の小国との取引は存在する。その商人から買い取ったもので……オチャと言ったか?」
オチャ、お茶?
いやいや、俺の知っているお茶じゃない。
「一応入れ方は聞いたのだが、なかなか上手くいかないものだ。まあ、俺としてはその段々と美味くなる過程を楽しめて、この苦さもまた癖になるから大歓迎だがな」
駄目だこの王子。
夜も更ける頃には行軍も止まり、野外泊のための天幕などを張り終わる。
俺は、その内の天幕一つを借りて寝ることになる。
一部を除いた他の兵士達には、主の兄の助力に来た騎士、と説明しているという。
一介の騎士ではなく、仮とはいえ王女の騎士だ。一般の兵士達と共に外で雑魚寝、とはいかないのだろう。
とはいっても、これも建前なんだけどな。
「マサヤ殿。入ってもよろしいですか?」
天幕の出入り口である、布越しに声が掛かる。
「いいぞ」
「失礼します!」
「失礼……します」
布を捲って入ってきたのは、アルドとリーゼだ。
結局、この二人はついてきていた。
俺が出した条件は受け入れたとのことだったので、今更なしというわけにもできなかった。騎士の護衛、というのも変なため、従者という扱いになっている。
移動中はカルロが一緒だったため、護衛は騎士達がやっていた。そのため、馬車から一つ下がった位置にいた。
移動方法は、アルドだけでなく何とリーゼまで馬に乗れるというので、二人は騎士達と同じように馬で移動していた。
「どうしたんだ?」
「自分たちの天幕を張り終えたので報告に来ました。すぐ隣にいるので用があったらお呼びください」
「ああ、わかった」
二人はすぐ隣に位置している天幕、というか下に布を敷いて、棒を立て布をかぶせた簡素なものだ。それでも野宿同然の兵士よりはマシだが。
そこそこ広い天幕に一人というのも落ち着かないが、流石にリーゼもいるのだ。同じ天幕に泊まるわけにもいかないだろう。
「それでは……」
出て行こうとする二人。
「あ、二人とも。そろそろ飯の時間だろ? ここで食わないか?」
心臓の鼓動が早まる。
兄弟うんぬんの話をしても、二人は翌日も普段通りの態度だった。拒絶されるよりはいいが、モヤモヤしていた俺は、今日まで自分からあれ以上歩み寄ることはしなかった。
だけど、ここで俺だけが気まずいままでそれが原因で、山賊との戦闘中に何か起きたら不味い。
そこで、なけなしの勇気を振り絞り、二人を夕飯に誘ってみることにした。
「えっと、いいのですか?」
「今は従者だけど、二人とも俺の護衛だろ? 一緒にいてもおかしくないだろ」
「わ、わかりま――」
「ミーノ・カノーヴァです。ユウキ殿、お時間宜しいですか?」
アルドの言葉を遮る様に、天幕の外から声が掛かった。
「あ、はい」
折角了承をしてくれそうだったのを邪魔されたのに少し煩わしさを覚えるが、無視するわけにもいかない。
「失礼いたします。これからの予定について会議を行いますので、ご同席ください。食事もあちらにご用意してあります」
「今からですか?」
「はい」
タイミングの悪いミーノに、心の中で不満が湧く。もちろん彼が悪くないのはわかっているが、せめてもうちょっと早く来るかでもしれくれたら良かったのに、と思う。
俺が参加する理由は、王女の騎士としての形式だけの会議と思うとなおさらだ。
「マサヤ殿。自分たちは失礼します」
「あ、ああ。また明日にでも……」
状況を察したのか、アルドは天幕を出ようとするが、
「む、ドワーフですか。なるほど、こんな所に何故、と思いましたがユウキ殿の召使いでしたか」
ミーノの言葉に二人は立ち止まり、俺も眉を顰める。
「召使いなんてものじゃないです」
「失礼。とはいっても、他種族の従者など、酔狂なことをなさる」
「何をっ……」
「ええ! 我が主は、実に寛大な方で! 我々のようなものも取り立ててくださる方なんですよ!」
思わず詰め寄ろうとした俺を制するかのように、アルドがミーノに喋り掛ける。
「それはそうでしょうな。では、ユウキ殿、行きましょうか」
「主! どうぞ行ってらっしゃいませ!」
正直、ミーノに食いかかろうとしないのが不思議なくらい苛立ちを覚えている。
ふざけるな。二人に何を言ってやがる。
「マサ……ユウキ様。行ってらっしゃいませ」
リーゼも、アルドに倣う。
「ユウキ殿?」
「ええ、わかりました。それでは行きましょうか」
ミーノについていき天幕を出る。
駄目だ。ここでこいつと険悪にでもなったりしたら、二人にもお姫様にも迷惑がかかる。
やっぱり弱いな。俺。
心の中に湧き上がる怒りと情けなさを抑えて、ミーノの案内に従うことにした。




