第五十二話 見ている先には
別館の自室前に着く。エルーシャが扉に寄りかかって立っていた。
「もう終わったのか? アルドとリーゼはまだ戻ってきていないぞ」
「あ、ああ」
思わず目を逸らしてしまった。
途端にエルーシャの目が細められる。
「マサヤ、何かあったな」
「ごめんなさい!」
最初に謝っておいた。
エルーシャの視線が怖い。
「べ、別に変なことはしてないから! その……言い争いみたいなことになってしまって……」
しどろもどろになりながらも弁明していると、エルーシャがため息を吐く。
「はあ……今更そんな心配はしていない。それにしても言い争い、か。内容は、まあ、想像はつくが聞かせてくれるか?」
少し躊躇しながらも頷く。
「というわけなんだけど……」
恐る恐るエルーシャの顔を見る。
彼女の主で、仮にも俺の主でもあるお姫様に逆らったのだ。怒られると身構えていた。だが意外なことに、彼女は怒ってはおらず、難しそうな顔をしている。
「お前、気づいているのか?」
「何が?」
「同じ話は二度目だ」
二度目? 二度目も何も、さっきお姫様と話をしてエルーシャに話したのはこれが初めてだ。
「アルドとリーゼロッテのことだ」
「二人の? ……あ」
「はあ……そうだ。姫様とマサヤ、お前がした口論は、二人とお前がした口論とほぼ同じだ」
そうだ。
二人は俺の身の危険のためについて来ようとした。けれど俺は、二人を危険な場所に連れて行きたくはないから、残るように言った。
俺は、お姫様に迷惑を掛けたくないから討伐に同行する。お姫様は、俺を危険な場所に行って欲しくないから、押し止めようとした。
見事に構図がそっくりだった。
「私の立場では、どちらの感情もわかる。そして私の立場では、どうすることもできない。本来ならば姫様の意見を尊重すべきだが、姫様に不利益が生じることは看過できない。故にどうすることもできない。すまない、偉そうなことを言って話させておいて、何もできないなんて……」
「いや、正直助かった。こうやって打ち明けられただけでも十分だ」
エルーシャに話したことで悩みは増えたが、心のモヤモヤが少しばかりすっきりしたことは確かだ。
「明日の訓練はどうする。こんな調子では、姫様と顔を合わせづらいのではないか?」
「……いや、いつも通りで大丈夫だ。安心させるためにもサボる暇なんてないからな。ありがとな、エルーシャ」
「礼には及ばない。それでは明日も普段と同じ時間でな」
優しく微笑みながら、エルーシャは本館へと続く廊下を歩いて行った。
自室の扉を開けて入る。
隣の部屋と繋がっている扉に視線を向ける。
俺はどうすればいいんだよ。
俺が、東の転移者や伝説に描かれている転移者みたいに強ければ、全部解決するんだ。
二人を連れて行かなくても大丈夫だし、連れて行っても守れるかもしれない。インスティントを捕まえられたかもしれない。お姫様に心配を掛けずに済んだかもしれない。
元の世界に帰る手がかりだって、探し出せるかもしれない。
全部、『かもしれない』だ。
俺は弱い。それは紛れもない事実だ。
本来なら、誰かを気遣う余裕なんてない。自分の身すら守れないのに、誰かを守ろうなんてふざけている。
それでも俺は……
∽
遥か西の方角を、男は眺めていた。
「……」
「あれ、どうしたの?」
傍らに立っている黒髪の少年が、好奇心丸出しで頭についている耳をピクピクと動かしながら、男の顔を除く。
「あ? 何でもねえよ。ちっ、この程度で挑んできやがって……」
くすんだ金色の髪と黒髪をした頭を片手で搔くと、面倒くさそうに男は言葉を溢す。
「僕に対してその言いぐさは酷いんじゃない? せっかく色んな国を探し回ってきたのに」
「はっ、お前が勝手に行ってきたんだろ? それに結局見つけられなかったじゃねえか」
男の言葉に少年は頬を膨らます。
「……絶対こいつ友達いないよね……」
「何か言ったか」
「別にー?」
少年の態度に頬を引きつらせながらも、つまらなさそうに男は答える。
「……そんな存在なんてあいつだけで十分だ」
「聞こえてんじゃん」
「うるせぇ、さっさと戻るぞ」
「はーい。でも意外だなー、てっきり元の世界でも一匹狼なんだと思ってたけど」
少年の言葉に男は答えない。
西に何かあるかのように、顔を向けている。
「さっきもそうだけど、西に何かあんの?」
「……いや、気のせいだ。お前はさっさと歩け」
少年は文句を言いながらも、言われた通り歩き出す。
男も、最後に西の方角を一瞥してから少年の後を歩き出す。
後に残っているのは、大きな赤い水たまり。
水たまりに浸かっているのは、数十人の男たち。
男たちは、背中を向けて去っていく二人を恨みがましそうに睨みながら死んでいた。
すみません、諸事情により、次回更新は十八日(木)になります
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