第四十九話 まとまった裏で
窓ひとつなく、日の光が一切差さない部屋。部屋の中央には、豪奢なゆうに人が五人は寝転がれるようなベッドが置かれている。
ベッドの脇には、部屋の唯一の明かりであるが置かれている燭台が備え付けられていた。
「それで? その子はどうだったの?」
頭上から声が掛かる。
「私には判断できかねます」
「つまんないわね。まあ、貴方からお話しも聞いているし貴方の目からも見たけれど、余り期待できそうにないわね」
クスクスと、笑い声が聞こえる。が、すぐに嫌悪感が溢れだした声色に変わる。
「けれど、あの忌々しいジジイの魔力を感じたのが気がかりね。見てた限りじゃ魔力を感じたのとその子が、【誘惑する者】を破ったのはほぼ同じ。どう考えてもジジイの干渉があったわよね……居場所はまだ掴めないの?」
「はい」
「そう……ま、仕方ないわよね。あのジジイの能力相手じゃ、元から期待していなかったし」
そう言いながらも声には苛立ちが混じっている。
「それはそれとして……インスティント、顔を上げなさい」
名前を呼ばれ、頭上から聞こえてくる声に従うように今まで伏せていた顔を上げる。
顔を上げ、視線をさらに上にあげると、一人の女性がベッドの脇に腰かけて私を見下ろしていた。
美女。腰まで流れる漆黒の髪。揺れる燭台の火が髪を照らす。
見つめていたら、何もかも吸い込んでいく闇を感じさせるような髪だ。
肌は、生まれてから一度も日の光を浴びたことが無いと言われても納得できるほど白い。
そしてひときわ目立つのが、黒い髪、白い肌だからこそ際立つ真っ赤な瞳。大量の血を混ぜ、その小さな瞳に凝縮させたような色をしている。
美女。美しい女性全般が併せ持つ全ての美しさを兼ね備えた、そうとしか言い表せないような美しさを目の前の女性は持っていた。
しかし、立つだけで絵となる美女の横には、いるだけでその雰囲気をぶち壊す醜悪な男が寝転がっている。
もちろんそんなことはしたくないが、腹に抱きつき腕を回しても届かない巨体。肉は弛み、顔中にシミが浮き出て髪もハゲ散らかっている。
人どころか豚、むしろ化け物と言った方がしっくりと来る醜さだ。
「こっちも、≪誘惑≫が掛かりきる頃ね。私もそろそろ動くとしましょうか」
美女は醜さを気にする様子もなく、私に視線を向ける。
「東の子は扱いが難しそうだし、まずはその子から。ロレーヌに送った間者はどう?」
「公爵領の者達の大半は、事件の後に捕まっております。当然,、情報を漏らすような間抜けではありません。残った者達はいずれも、深い情報までたどり着けないような階級の低い者達です。王都の者達は健在の様子です、が、気づかれていないとも限りません」
「そう、意外と対応が早いわね」
「彼の動向についてですが、近々国の要請で、第二王子と共に賊の対処に向かうそうです」
美女は顎に手を当て、少し考える様子をとる。
「だったら、ようやく完成したアレを使いましょう。どれほどか試してもみたかったから」
「了解しました」
再び頭を下げて了承の意を示すと、頭上から如何にも楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「フフフ……貧弱でも一応は転移者。ちょうどいい予行演習になるわ」
∽
「それじゃ決まりだ。出発日は、あと二日ほどで兵が到着するから、それから休息と準備期間で十四日間。叔父上、こんな所でどうかな」
「そもそもギリギリで手紙さえ寄越さなければ、もっと早かったはずなんだがな」
「それは兄上に言ってくれよ。それにそうしなきゃ、どうせあの手この手で誤魔化すでしょ」
カルロの言葉に、カインズさんは顔を顰める。
「……わかった。マサヤもこれでいいか」
カインズさんの問いに俺は頷く。
「詳細はアレンを通じて追って連絡する。ご苦労だった」
これは……もう退出していいのか? いや、むしろするべきか。
カルロとカインズさんはまだ話があるみたいだし、一部部外者の俺が聞いてはいけない話もあるはずだ。
カインズさんは前科があるためどうも不安だが、少なくとも今回は、お姫様もエルーシャも巻き込まれる心配が無い。それならばこれ以上長居しても意味がないだろう。
「それでは俺はこれで失礼します」
一度頭を下げてから立ち上がる。
立ち上がりながらお姫様の顔を見ると、少し思いつめた顔をしていることに気づく。
何か声を掛けた方がいいかと思うが、上手く言葉が思いつかない。
「うむ、アレン、送ってやってくれ」
「かしこまりました」
隅に控えていたパトリックさんが頭を下げる。
そして隅から歩きだし、静かにドアを開ける。
「ユウキ殿、どうぞこちらへ」
お姫様への言葉を考えている間に、パトリックさんが俺を促す。
お姫様の表情が気になるが、思いつかない以上、ずっと考えているわけにもいかない。
後ろ髪を引かれながらも、そのままパトリックさんに促され、部屋を出る。
安全は確保されているとの話だったが、今すぐ先ほどの言葉を撤廃したい気持ちが襲ってくる。
だがそれを、理性となけなしのプライドが押しとどめる。
「大丈夫かい、マサヤ君」
気づくとパトリックさんが、怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「い、いえ、何でもないです」
パトリックさんもそれ以上は聞く気がないのか、頷くと先ほど行きに通った道を歩き出す。
今だ湧き上がる気持ちを押し殺しながら、先を歩くパトリックさんの背中を追う。
建物から出てしばらく歩き、別館に到着する。
パトリックさんは別館付近に到着した時点で、元の道を折り返していった。
ポケットから鍵を取り出し、もう慣れた手つきで閉まっている扉に差し込む。
差し込んでから鍵を開けようと回そうとするが
「あれ、開いてる」
怪訝に思いながらも鍵を抜き取り、同じポケットに戻す。
ドアノブに手を掛け回そうとする。と、俺が回す前に変な音を鳴らしながら、ドアノブが素早く回る。
一瞬驚き、それが不審に変わる前にドアが開く。
開けようとしていた俺は、扉のすぐ手前に立っている。当然、ドアノブを掴んでいた俺の腕は自分の体に戻され、それに比例して扉が俺に迫る、ところで「思考加速」が発動する。
俺の視界は今、ゆっくりと迫ってくる扉で埋め尽くされている。
……うん、避けられない。
相当痛いだろうけど、少なくとも死ぬことはない。仕方ないので頭の中で溜息をつきながら、迫ってくる扉の木目を、現実逃避ぎみに数えてみることにした。
「……す、すみません」
額に、汲んできた冷たい井戸水で濡らした布を当てている俺の前には、小さい体をさらに小さくしているリーゼの姿があった。
「大丈夫、ってわけじゃないけど、あんまり気にするな」
俺が苦笑気味で言うと、両手で服の前を掴みながら項垂れる。
曰くパトリックさんに連れられてリーゼと別れた後、彼女は玄関で何をするでもなく、ずっと座っていたらしい。そのため、扉に鍵が差しこまれた音を聞くとすぐさま駆け出し、扉を開けてしまったという。
余りにうっかりすぎると思うが、仕方ないとも思える。
別館は広い。仕方なかったとはいえ、まだ幼い少女を一人で残すには少し配慮が足りなかったと思う。
護衛としての実力は申し分なくとも、リーゼは十二という歳だ。
「俺も悪かった。一人でさびしかっただろ」
リーゼは、体を震わせる。
「お詫びに好きな話なんでも聞かせてやる」
俯きながらも頷き、小さな歩幅で俺の元にまで歩いて膝に座る。
「こ、この前の……お姫様が靴を落とすお話を聞きたい……です」
「わかった」
原作がどんなかは知らないが、幼いころに見ていた某夢の国の映画を「記憶の引出」で思い出し、話そうとする、と
「マサヤ殿! 今戻りました!」
扉を勢いよく開け放ったアルドに遮られる。
「む、リーゼ。またマサヤ殿にそのようなことを……っておい、何を怒って、っ――!!」
俺の膝に座っていたリーゼが立ち上がり、アルドの顔面を掴んでいる。アイアンクローだ。
アルドは言葉にならない悲鳴を上げながら、リーゼの腕をタップしている。それでもリーゼは力を緩める様子はない。
ああ、流石はルッカさんの娘だ。と、悶絶しているアルドを見ながら、そんな見当違いのことを考える。
そういえば、カルロの用件のことを二人にどう伝えればいいんだろう。




