閑話 初めての料理
私は今、重大な局面を迎えています。
この十六年の人生の中、立派な淑女となるための修行は積んできました。しかし立場上、経験したことがないことは存在します。
「エルーシャ、準備はよろしいですか」
「はい」
傍らには、幼いころよりの付き合いである、エルーシャが控えています。
彼女と一緒ならば、どんな困難でも乗り越えられるでしょう!
意を決して、前に腕を伸ばします。伸ばした腕は、一振りの刃物を掴み、ゆっくりと持ち上げ……もう片方の腕で狙いの物を握り、ゆっくりと近づけ――
「姫さま、落ち着いてください! ゆっくりと、そうゆっくりとです!」
「エ、エルーシャ! 大きな声を出さないでくださいっ」
プルプルと、包丁を握っている腕が震えます。
エルーシャの大きな声に驚きながらも、ゆっくりと包丁を下していき、片方の手で握りしめている葉野菜を切ります。
「ふぅ……、料理がここまで大変なものだとは。これは王宮の料理人を尊敬しなくてはいけませんね」
いつの間にか額に滲んでいた汗を拭います。
「申し訳ありません、姫さま。私は、今まで剣の道一筋で生きてきたものですから、料理のりの字もわからなくて……」
「何を言うのですか、その磨き上げた剣で、今まで私を助けてくれたではありませんか」
「姫さま……」
とはいえ、野菜一つ切るだけでもこれでは、いつ完成するのでしょうか。
「いくら助けた恩とはいえ、姫さま自らが作る必要はないと思うのですが」
「いえ! 殿方は、女性の手作りの物が嬉しいと聞きました! 生活に必要な物は、既に叔父様が準備をしているため、必要ありませんし、かといって金品では何か違うような気がしまして」
ユウキマサヤ様、伝説と呼ばれる転移者。あの方に、私とエルーシャは命を救ってもらいました。
しかし、お礼を言おうにも、私はそう自由には動けません。かといって、何もしないのは礼儀に反します。
そこで私は閃きました。
昔、お兄様からあるお話を聞いたことがあることです。男は手作り料理に弱い、と。
昔からお兄様は、変なことに興味をお持ちになりますから、その時は聞き逃していましたが、今こそそれを活かす時です。
「だからといって、王女が料理をしたなど、聞いたことがありません」
当然ながら、エルーシャからは反対されました。
ですが、彼女も何かお礼をしたいとのことでしたので、何とか説得をすることができました。
「王女が料理をしてはいけないという決まりはありません」
立場上、問題はありますが、知っている人が秘密にしていれば済む話です。
既に叔父様には話は通してありますしね。
気を取り直して、再び包丁を握りしめ、野菜を切ろうとすると。
「ところで、何を作ろうとしているのですか」
「……」
エルーシャからの視線が痛いです。
「ちゃ、ちゃんと考えていますよ」
一応、こんなものを作れたらいいな、と思っていた料理の名を告げます。
さらにエルーシャからの視線が痛くなりました。
「姫さま、失礼を承知で申しますが……不可能です。料理に疎い私でも、いえ、剣の道を究めようとする私だからわかります。姫さまが仰っている料理は、長年の修行を積んだ料理人だからこそできるものです」
何と、不可能とまで言われてしまいました。確かに、料理を甘く見ていたかもしれません。
あの味を出せて、それを作ってくださる王宮の料理人の方には頭が下がる思いです。
そうなると何を作ればよいのでしょうか。王宮料理以外食べたことが無い、というわけではありません。
時々、お忍び時にいくらか城下町の料理を食べたことがあります。王宮料理とはまた違った美味しさがありました。
「姫さま、申し訳ありません……」
「いいのです、エルーシャ。私が浅はかだったのです」
項垂れるエルーシャを、そっと抱きしめます。
二人で途方に暮れていると、そこにある方が参られました。
「失礼いたします。主より、伝言を預かって参りました」
メイドです。名前はわかりません。
私が小さい時から叔父様の護衛をしている方ですが、何故か叔父様からの用があるときにしか現れないのです。そして、現れたと思ったら、いなくなっているというとても不思議な方です。
「伝言……ですか?」
「はい。『二人とも、料理などやったことないのだから、無理をするな。こいつに教えてもらえ』。そうお伝えするように、と」
「こいつ? とは?」
「私です」
思わず目を丸くしてしまいました。
「料理、できるのですか?」
「はい」
救世主です。救世主が現れました。
彼女は食品が置かれているテーブルに近寄りました。足音どころか、衣擦れの音すら全く聞こえなかったです。
「……この材料とお二人の料理の腕ですと、サンドウィッチが宜しいかと思います」
サンドウィッチですか。聞いたことはありますけれど、食べたことはありません。
確か、パンで野菜などを挟むだけの料理だったと思いますが。
「そんな簡単な料理――」
「サンドウィッチです」
「でも――」
「サンドウィッチです」
どうしてもサンドウィッチなようです。
「サンドウィッチは手軽にでき、手軽だというのに様々なバリエーションを作れます。それに、シンプルだからこそ、作り手の気持ちが込められると思いませんか?」
驚きです。まさかそんな考え方があるとは。
そして、彼女がここまで喋るのは初めて見ました。
私は頷き、始めは作るつもりではなかったエルーシャも参加してくれました。
「できました……」
「やりましたね、姫さま」
包丁一つ握ったことのなかった私が、初めて料理を作ることが出来ました!
メイドの方が、無駄がなく教えてくれたおかげです。
早速お礼を言おうと、彼女を探しますが……いません。
先ほどまではいたはずですが……残念ですが、また後日お会いした時に言うことにしましょう。
「それでは姫さま、閣下にお渡し頂けるよう頼みに行きましょう」
すぐにでもこれを味わっていただきたいです。ですが、その前に……
「姫さま?」
「エルーシャ、少しあちらを向いていてください」
エルーシャは、首を傾げながらも向いてくれました。
少し隠し味を加えてしまいましょう。
私は、自分が作った分である三つにハーブを入れます。
当初の予定であった料理は作れませんでしたが、その料理に添えられているこのハーブは、リラックス効果があるといいます。
仕事をしているというマサヤ様には、ピッタリでしょう。
あまり香りがありませんね?どうせなら多く入れてしまいましょう。
「もう大丈夫です。それでは行きましょうか」
マサヤ様とお忍びの約束をしてしまいました。
我ながら、咄嗟の行動でした。
明日は、孤児院にいく予定ですし、子供たちにも作ってあげることにしましょう。
叔父様の部下である、パトリック卿からの報告ではマサヤ様は美味しかった、と言ってくださったようですし、マサヤ様が来れるのなら、一緒に食べていただきましょう。
とても楽しみで、目を閉じても寝れませんね。
その日は少し夜更かしをしてしまいました。
活動報告でも書きましたが、二章目は日曜日に投稿します




