第三十二話 俺よりも
近衛騎士とあいつの話声を聞いた後、体が勝手に動き出して……ただひたすら俺の仲間の敵を取ろうとしていたんだ。
敵とは言っても仲間たちは死んでなかったし、いくらあいつと一緒にいたからといって近衛騎士に斬りかかるほど考えなしではない。
なのに、敵を取る。あいつに思い知らせてやる。そんな気持ちが頭の中で溢れだした。
気づけば斬り合っていた。
何故か体のリミッターが外れたように、手足を自由に動かせた。
力だって負けていなかった。
体中から変な音が聞こえてきたが気にしなかった。
思い返せば何か話しかけられていたような気もしたが、何も聞こえなかった。
しばらく斬り合って、あと少しで殺せそうなところで邪魔が入った。
近衛騎士のわき腹には矢が刺さっていた。
誰が矢を射ったのかはどうでもいい。相手は血を吐き、蹲っている。
チャンスだ、と思った。
けれど、チャンスを生かす前にまた邪魔が入った。
笛の音だ。
その音が鳴ると、突然体が動かなくなり地に倒れ込む。
不思議なことに、二人を殺すことで一杯だった頭は急に後悔や焦りで埋め尽くされる。
何で俺はいきなり斬りかかってしまったんだ。今度はあいつだけではなく、近衛騎士にもだ。
さすがに近衛騎士相手では誤魔化すこともできない。
後悔で押しつぶされていると、再び笛の音が聞こえる。
俺はどれだけ倒れていたんだ。
頭がボーっとしている。そんな中、笛の音だけが耳に、頭に響いてくる。
そうだ、全てあいつのせいだ。あいつが……ユウキマサヤって平民なんかがいるから悪いんだ。
殺してやる。
先ほどまで頭を埋め尽くしていた後悔は、湧き上がった嫉妬と怒りに心の奥深くに押し込まれる。
剣を手に取る。
短剣を片手に、ユウキマサヤが迫ってくる。
殺してやる。他に何も考えることができない。
ユウキマサヤを殺そうと、剣を大きく振りかぶる。
真っ二つにしてやる。
剣に魔力を送り、振り下ろす。空気の抵抗を感じない。
このまま殺してやる。しかし、諦め悪く手に持った短剣で防ぎに来たので弾き飛ばす。それでも諦めないのか、既に肩を斬りかかっているというのに何かしようと手を伸ばしてくる。
まだ何かしようというのか。無駄だ。
頭に腕が迫るが、剣を振り下ろしている最中では避けることも防ぐこともできない。それよりもあと少しで殺せる。
剣が肩に食い込んでいく。このまま真っ二つに――俺は何を?
振り下ろしている腕が止まる。
頭から何かを吸い出されていく感覚がある。
それに伴い、嫉妬や怒りといった感情が急激にしぼんでいく。
俺は何を。怒りが収まってくると、段々と今までのことを思い返す。
殺意で溢れていたため、今まで頭に入っていなかった情報が押し寄せてきた。
俺は操られていたのか。自分を操っていた男に怒りが湧いてくる。
でも、何で急に操りが解けていくのか。恐らく目の前の男だ。
操りを解いてくれた男への感情は感謝――をかき消す劣等感だった。
ふざけるな。俺を殺さないのはお情けか?操られていたとはいえ、命を懸けた勝負だったはずだ。それなのに俺を殺さなかった。
畜生。
急激に殺意が盛り返す。
何かを吸い出されていく感覚が消えると、再び目の前の男への殺意しか考えられなくなった。
止まっていた腕を動かす。
目の前に血が飛び散る。だが、殺すことはできなかった。
血に塗れた傷口を全力で蹴りつける。
殺してやる。剣を手に持ち歩み寄る。
そこに声が掛かる。
「お、お待…ださい!ク…ディオ様!」
エンツォの声だ。普段は気弱な奴だが、時々とんでもない行動に出るような変な奴だ。
「ク、クラウディオ様、そ、そ……めください。自分は操られてい……しですが意識はありました。ならば…ウディオ様も……」
うるさい。何故お前が俺の邪魔をする。
こいつを殺せば……。
股に痛みを感じた。腕が引っ張られる。またも体が動かない。
されるがままに倒され、姿勢が逆転する。
こいつを殺せば、閣下のために……本当になるのか?
目の前の男を殺せと感情が暴れる。しかし心の奥で理性がそれを押しとどめる。
今までより殺意が弱くなっていることに気づく。
エンツォたちは俺の扱いに困っているようだった。
早く俺を動けないようにしてくれ。でないと押えきれない。
目の前で王女と話しているのが見える。
何でお前がそこにいる。力を隠し持ってヘラヘラと笑っているような奴が。
俺にも力があれば。
笛の音が響く。外からではなく、中から全身に響き渡る。
「ユウキ…マサヤ……」
もう何も考えられない。
「オマエ…なんかがエイユウだなんて……」
笛の音が大きく鳴る。
「なんで……ナンデオマエが!」
さらに笛の音が大きく鳴り響き、他に何も聞こえなくなる。
「力をカクシテやがって……そんなチカラをモッテオイテ、ヘラヘラと!」
何でお前みたいな奴がそんな力を持っている。
「オレガ!そんなチカラがあれば!チチウエにもアニキにもばかにサレナイデ!」
「閣下のオヤクにもたって……アイツラをみかえしてヤルノニ!」
「ナンデ!オマエナンカガッそんなウラヤマシイチカラをッ!」
何も考えられない。何も見えない。何も聞こえ――
「ふざけんな」
顔が熱い。
痛い。何が起きた。
何も見え――
「お前こそ、こんだけ力があるじゃねぇか」
また顔が熱くなる。そして視界が開く。
最初に目に入ったのは拳と赤い糸だった。
わかっている。こんなのがただの嫉妬だってことは。
それでも……
何で……何でお前はそんなに……
「俺はてめぇが羨むほど強くねえよ」
次に視界に入ったのはまた拳だった。
今度ははっきりと殴られたことがわかった。踏ん張れず、後ろに倒れる。
どこがだよ。俺なんかじゃ敵いもしない力を持っているくせに。
殺意が消えていく。
すると突然頭に何かが入り込む。代わりに俺からも何かが吸い出されていく。
――ああ、畜生。やっぱりお前は強いよ。
お前は逃げなかった。どんな道を選んでいても結局元の道に戻って、踏み外さない。
少なくとも俺なんかよりもよっぽど――
背中に何かが触れている。倒れ込んだ衝撃ではない。
∽
何やってるんだ俺は。
自分で自分をぶん殴りたくなった。
何が消耗は避けたいだ。魔力も体力もスカスカだよ。
馬鹿をやったと思っている。わざわざ武器を持っているというのにそれを捨てて素手だ。
けれど、何となくそれをやらなきゃいけない気がした。直感とはまた違う。
「魔道支配」発動した時、クラウディオの感情が流れ込んだような気がした。気のせいかもしれないが、それでも自分の殻に閉じこもっている奴を見捨てたら、一番の親友の顔をまっすぐ見れないと思っただけだ。
さっきまでうじうじとしていた人間が言えたことではないが。
流されて流されて、結局損な役どころを引き受けているだけな気もするな。
「おい……操り状態からは解けたんだろ?」
クラウディオはそこそこイケていた顔を潰された状態で、エンツォたちに支えられていた。何時の間に復活したのか弓の男までいた。
エンツォが俺を睨む。
「き、貴様……」
今にも殴りかかってきそうなエンツォを、ちゃんと意識はあったらしいクラウディオが手で制す。
「やべろ、エンヅォ」
「ですが―」
「いばざら、あやばっでも、ゆるじでぐれるとはおぼっていない……だがら――ありがどう」
鼻は潰され、歯は折れかけた状態でクラウディオは喋る。
「ああ、考えの通り操られていたからって許すつもりはない」
さっきは救ったが、今はもうそんな義理はない。礼も元々はそんなつもりではなかったため、受け取らない。
「だから、俺のためじゃなくてもいいから、自分のためか王女殿下のために立て」
お姫さまはエンツォたちがしているように俺の背後で背中を支えていた。
ありがたいけどまだ立てるぐらいの力は残っているし、一応クラウディオたちの前だから王族の威厳というか、何というか。これ以上支えたりしてもらうと、後である赤い人に恨まれるからやめてほしいんだがな。
まあ、それも後があれば、だが。
お姫さまはクラウディオたちに向けて言う。
「ブランディ卿、従士の方もそのままで構いません。どうかお力をお貸しください」




