第二十八話 一歩高みへ
汗で滑らないよう強く柄を握り締める。
何も考えるな。
手を上に振り上げる。
今手に握っている剣を振り下ろすだけでいい。それで終わる。
「やめたほうがいいと思いますけどね」
腕が固まる。
「後ろをご覧になった方がよろしいですよ」
振り返るな。何も聞くな。何も考えるな。
早く。
「待てっマサヤ!」
エルーシャの声だ。
途端呼吸が荒くなる。振り上げている腕が震えだす。
エルーシャが止めるのなら何かあるのだろう。理由はわからないが殺しては駄目なのか。
これで殺さなくて済むという安堵は心にあったが気づかないふりをする。
剣は下さない。いつでも反応できるよう、警戒しながら後ろを振り向く。
後ろの光景に息を呑む。
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私が気づいたのはたった今だ。斬り合っていると目の前の男に変化が表れる。
何か予想外の出来事が起きたような、苛立ちが見える。
普通なら気づかない程度の変化だが、殺し合いの真剣勝負をしている最中で相手の些細な隙も見逃さないようにしていたから気づけたようなものだ。
「一旦、手をお止になった方が賢明かと」
何をふざけたことを言っている。この状況で手を止めろだと。
「貴方のお守りになる王女殿下がどうなってもいいのなら」
男の言葉に剣が一瞬止まり掛ける。
「貴様、何を……」
今更言っている、と言いかけたところで男は私から距離をとり両手を上げる
不審に思うが、深追いはしない。
何を考えている。
「やめたほうがいいと思いますがね」
何をだ。今更剣を収めろとでもいう気か?
ふと気づく。視線は私に向かっていない。ということはこの言葉は私ではない。ならばマサヤか。
敵から目を離すわけにはいかない。だが……男から警戒を外さないよう視線を後ろに向ける。
あれは……
「後ろをご覧になった方がよろしいですよ」
マサヤは後ろで起こっていることに気づいていないのか。
無理もない。何故ああなっているんだ。
何故、敵の一人が人質のように姫さまの首に剣を添えている。
「待てっマサヤ!」
一人の敵に剣を振り下ろそうとしているマサヤに静止の声を掛ける。
助かった、止まってくれた。あのまま敵を殺していたら恐らく姫さまがどうなっていたか。
この男にとって姫さまの誘拐は主目的のはず。何故、本来使い捨てるはずの者らを姫さまを人質にしてまで庇う。
マサヤを捕えるため?それならばあの四人に任せるか、私をどうにかした後にでもすればいい。
それか未だ現れていない卿も呼び出せばいい。
「貴様、何の真似だ」
「何でもありません。ただ素早く終わらせたいだけですよ」
「ふざけるな。声に焦りが出ているぞ。これは貴様の予定外のことなのだろう」
男に苛立ちの気配がほんの僅かだが浮かぶ。
声に焦りが出ているのは嘘だ。こう簡単に引っかかるとは思わなかったが、それだけあちらにとっては予定外なのだろう。
とはいっても、こちらも不利なことは変わりないがな。
∽
お姫さまが人質に取られている。
仲間を助けるため人質を取る。展開としては不思議なことではない。
だが何故俺に何の警告もない。
今もインスティントとエルーシャの声がなければ気づかなかった。
インスティントの命令という考えが浮かぶ。だがそんな作戦に頼るわけがないと切り捨てる。
操られているというのに独断行動、しかし知性があるのに肝心の人質作戦に穴がある。謎がどんどん増えていく。
だがこれでこいつらに抵抗するわけにはいかなくなった。
インスティントが操っているのなら殺すことはないと思うが、勝手に動くというのならその限りではない。
「インスティント、何でこうなっているんだ」
「何故でしょうかね。何にせよ貴方がたが抵抗したらどうなるかわからないということです」
余裕そうな態度だ。これだと本当に操っているのか操っていないのかわからない。
「―マサヤっ」
後頭部に鈍い音と衝撃が走る。
よろけながら後ろを見ると、先ほど顔を押えていた男が立ち上がり剣の柄頭で殴られたようだ。
よろけた先には剣を奪った男が。
「ぐっ……」
顔を殴られた。鼻が熱い。
鼻を抑えると液体が流れる感触があった。
不味い。さっきまで勝ってたのはその場しのぎだ。
エルーシャとクラウディオ、インスティントの斬り合いを見て「予測」の性能が上がっただけだ。けれど所詮は見ただけだ。多少ならさっきみたいに反応できるけど体力などは変わっていない。これ以上長期戦になるのはまずい。
くそ……これじゃ勝てるわけが……
笛の音が聞こえる。
は? 何だこれ。体が動かない。
なんでだよ。動けよ。インスティントの魔道具か?だったら何で今更。
目は動く。まだ完壁には操られていないのか。
インスティントがこちらに向かって来るのが見える。どうやらエルーシャも動けないようでその場で固まっている。
お姫さまは……男と同じく変化はない。
「いくつか予定外はありましたがむしろ良い方に転んだようですね。それでは王女殿下と共に馬車にお乗りください」
ふざけんな、そんな言うこと聞くわけがないだろ。
しかし意思に反して足が勝手に歩き出す。
止まれ。戻ってあいつをぶん殴らせろ。
それでも足は止まらず馬車に向かう。
何で……こうなる。
『つまらん男だ』
男の声が響く。
『折角儂が助言をしてやったというのに、その日にこんな出来事に巻き込まれるとは運のない』
夢に出てきた男か。まさか夢だけではなく起きている時にもこんな幻聴を聞くとは。
『誰が幻聴だ。……まあ良い。お主に力を貸してやろうと思ってな』
何言ってんだ。あの時は味方で助けてくれるわけでもないと言っていたのに。
『それがのう。まさかお主の相手があやつの子分とは知らなかったのだ。このまま見てたらあやつの高笑いが聞こえてくる。なので今回だけ気まぐれに少し力を貸してやろうと思ってな』
理由はわからないが力を貸してくれるならありがたい。例え幻聴でも今は藁にもすがる思いだ。
『一々、一言多いのう。とは言っても儂は手助け、ほんの切っ掛けだけ。それを活かすかどうかはお主次第じゃからな』
ああ、何でもいいから頼む。
『ではやろう。ここまでやったんだ。いずれお主が遥か高みへ至らんことを願おう』
……動く。口だけだが動く。
……もしかしてこれだけか。
あの野郎! これだけでどうやれって言うんだよ!
足は変わらず勝手に動いている。
そしてお姫さまを通り過て御者台の方に向かおうとしている。
駄目だ。どうすればいいんだ。
「くそ……リ…リ……」
通り過ぎようとした瞬間、悔しさに溢れる。
名前を呼ぶが反応はない。
くそ……
心が諦めたのとお姫さまの髪飾りが桜色の光を放ったのは同時だった。
『「魔道支配」使用しますか』
「予測」の声だ。何が起きた。
「魔道支配」? 何でもいい……使用してやる。




