第二十六話 覚悟
拳に強い衝撃が伝わる。
拳を引いてもう一撃を――動かない。
拳はインスティントに当たっていない。仮面ごと殴ろうと放った拳は直前で受け止められていた。
「なんの真似ですか」
インスティントは口調はやはり淡々としていながらも、その声には冷徹な響きを感じる。
「がはっ……」
インスティントは俺の拳を片手で受け止めたまま、もう片方の腕で鳩尾を殴りつける。
肺の中の空気を吐き出し息ができない。
そこへ、もう一度同じ所へ蹴りを放つ。
最早、吐き出す空気さえない。
俺は片腕を掴まれたまま、膝を地につけ咳き込む。
「突然どうしました? 先ほども言いましたが、貴方は利口な人種だと思っていました。決して危ない橋は渡らず、自分が生き残る最善手を探す、そういう方だと認識していたのですがね」
ああ、当たってるよ。実際さっきまでそうだったしな。何やってるんだろうな、俺。
さっきまで我を忘れてたけど、今じゃ痛みですっかり我に返っている。
「仕方がありません。貴方の身体能力は脅威ではありませんけれど、魔道具を使われるとそこそこ厄介です。
かと言って、魔道具を嵌めてある指を切り落とすというのもあのお方の指示にはありませんでしたし……動けない程度に痛めつけて後は王女殿下と同じになってもらいましょう」
やばい、いきなり詰んでいる気がする。
身体能力じゃまず勝てない。こう腕を掴まれてたら「思考加速」や「予測」を使っても、避けたり受け止めるのは難しい。後はインスティントの言うとおり、適当にボコられて操る魔道具とやらでゲームオーバーだ。
「申し訳ありませんが、少し痛みに堪えてもらいます。ですがご安心を、しばらく堪えれば私の魔道具で痛みも感じなくなりま――」
金属音が響く。
同時に掴まれていた腕が離される。
「ふっ、情けない姿だな。だが見直したぞ、よく立ち上がってくれた。……ユウキマサヤ」
「エ、エルーシャ!?」
短くとも燃えるような赤い髪を揺らし、先ほどのような炎を纏いはしないものの真っ赤に赤熱したサーベルを構える軍服で男装の麗人、エルーシャが俺の前に立ち、俺から距離をとったインスティントを睨みつけていた。
「何故貴方がここに?死にはしないものの、しばらくは動くことができないはずですが」
突然の敵襲に淡々とした調子で尋ねる。
「気合だ」
んな馬鹿な。
「と、言いたいところだが甘かったな。姫さまの護衛たる者、如何なる毒物の耐性も得ている。まあ、相当強力だったようで、それでも少しの間は動けなかったし、魔力もこの通りまだ十全には操れない」
言いながら赤熱したサーベルをインスティントに突き付ける。
「貴方には彼らが主犯という証言をしていただきたかったのですが、私の姿を見られた以上は仕方がありません」
「やれるものならやってみるがいい。姫さまがここにいる以上、私は決して負けることは許されない」
インスティントは短剣を構え、エルーシャもサーベルを構え睨み合う。
そして殺し合いが始まる。
二人の動きは全く分からない。
辛うじて短い銀色の線と赤い線がぶつかり合うのが見れて、高い金属音を聞き取れる程度だ。
クラウディオと戦ったときは、力任せのような振りだったが今は違う。あの時はそうでなければ押し負けたからだ。今は斬り合いを極めた者たちのぶつかり合いだ。一歩間違えば死ぬ。そんな領域だ。
ごくりと生唾を飲み込む。
しまった、見ている場合ではない。
インスティントに関してはエルーシャに任せるしかない。
俺はどうにかお姫さまを元に戻して離れないと。
急いでお姫さまに駆け寄る。
そんな俺をインスティントは横目で見るが、エルーシャの相手で手一杯のようだ。何かをしてくる様子はない。
「お姫さま!」
肩を掴んで呼びかける。だが反応はない。
ただ虚ろな目をして立ち続けているだけだ。
やっぱり発動者を殺す、まではいかなくとも気絶ぐらいはさせなければ駄目なのか?
だとしたら、エルーシャがインスティントを倒すまでこのままだ。
結局俺は役立たずなのか?さっきも抵抗を見せても軽くあしらわれただけだ。
お姫さまの肩を掴んだまま顔を伏せる。
やっぱり俺なんかが……っ!?
笛の音が聞こえる。
同時に足音が後ろから聞こえる。
咄嗟にお姫さまに庇うように背を向け、振り返る。
クラウディオ以外の四人だ。
四人はクラウディオと同じ虚ろな目をしながらも、目の奥に殺気を潜ませている。
何故笛が!?エルーシャは……
視界を移すと、そこにはわき腹を抑え蹲るエルーシャと少し離れたところで笛を演奏するインスティントが見える。
エルーシャの口からは少量だが血が垂れ、わき腹は巻いていた包帯が真っ赤に染まり、滲みだした血が流れ出ていた。
インスティントは笛から口を離す。
「あの時、私がただ治しただけだと?ここまで動かれるのは予想外でしたが、念のため邪魔でもしようと動けば血があふれ出る程度に治しておきました」
エルーシャの顔が苦痛に歪む。
腹から出る血は止まらず、流れ出る量は少しずつ増えていく。それでも立ち上がり、武器を構える。
「なるほど、確かにこれはまずいがっ……!」
肉の焼ける匂いと音が広がる。
「……っ!?」
俺は目を見開く。
エルーシャは赤熱した剣を自分の腹に当てて、無理やり傷口を焼いて塞いだようだ。
「これなら……大丈夫だ……」
うめき声一つ上げずにインスティントを睨みつける。
「悪いが……マサヤ。そいつらの相手は任せていいか……」
「ああ」
もう覚悟を決めよう。
「「さあ、来い」」




