第二十一話 判断
地面が揺れている。
揺れるたびに体に痛みが走る。
「くっ……」
ぼんやりとして、頭がうまく働かない。
俺はまだ生きているのか?
立とうとし、手を支えにしようとするが動かない。
手首に締め付けられている感覚がある。
縄か何かで後ろ手に縛られているようだ。
縛られているという感覚が恐怖を呼ぶ。
どうにか外そうともがくが外れる様子はない。
幸い、足は縛られていなかった。
足を上げ、勢いよく振りおろしその反動でなんとか上半身を起こす。
深呼吸を一回。二回。気持ちを落ち着かせる。
「落ち着いたか」
「っ!?」
心臓が止まるかと思った。
「エルーシャさん……」
揺れている薄暗い部屋、その隅に彼女はいた。
「間抜け面をするな。今の状況はわかるか?」
突然の彼女の問いに首を振る。
「そうか」
エルーシャさんはそれきり黙る。
「ここはどこなんですか。それと、聞いていませんでしたけどあの連中は何なんですか」
口を開かないエルーシャさんに苛立ちを覚える。
追手のことは向こうから説明もなかったし、お姫さまを狙うような連中だ。下手に聞いて余計に面倒事に巻き込まれるのも御免だったので聞いてこなかったが、現在既にその面倒事に巻き込まれている。
「貴様ももう、気づいているだろう。私たちは奴らに捕まって馬車に揺られているところだ」
エルーシャさんは背中を向けて、俺と同じく縛られている両手を見せる。
最悪の答えだ。
「なんで落ち着いていられるんですか」
「私の職務は姫さまの護衛だ。姫さまは敵の手に落ちずに済んだ。ならば私はやるべきことはやった、それだけだ」
エルーシャさんの冷静な物言いにさらに苛立ちが募る。
「あんたはそれでいいかもしれないけど、俺はどうなるんだよ……なんで俺がこんな目に合わなきゃいけない!」
彼女に怒鳴っても解決しないことはわかっている。
けれど、こうして怒りの感情を表に出さなければ奥に追い込んだ恐怖が再び浮かび上がってくる。
さらに叫ぼうとすると、体が猛烈な痛みに襲われる。
「ぐっ……!?」
「あまり騒ぐな。やっと止まり掛けていた血が流れるぞ」
痛みは頬と激しく肩と背中に表れている。
左肩を見ると、包帯のようなもので巻かれていてじんわりと血が滲んでいる。
「現在の状況に陥らせてしまったことは深く詫びる。言い訳のしようもない」
今までの俺に対してのエルーシャからは考えられないほど、神妙に頭を下げる。
「安心してくれ。貴様は殺されるということはないはずだ。わざわざ手当までしてたのだからな。奴らの目的は姫さまと貴様だろう。悪いが奴らの所属は知らん。フェルナンド閣下ならばある程度は特定しているかもしれないが、私には明かされていない」
殺されることはない、という言葉に少しだが安堵する。
しかし、狙いは王女と転移者と思われる人物。相手はチンピラ程度ではないことは確かだろう。
「あんたは本当にそれでいいのか?」
「もちろん、生き残れるのならその道を選ぶさ」
言い終えると、エルーシャの背中から明かりが漏れ出る。
明かりはすぐに消え、すると彼女の両手が前に出される。
手首に引っかかっている縄には焦げ目がついていた。
「これは火の石だ。ほんの蝋燭程度の火しか出ないが、持ち運びやすくて隠しやすいからな便利な代物だ」
自由になった右手を突出し、火の石とやらを突き出す。
ほんの指でつまめるサイズの一部が尖った小石は、ボウッと明るくなったかと思うと尖った部分から小さな火が出現する。
ライターのようなものだろうか。
「貴様はこの後どうするのだ?」
エルーシャは、締めつけられていた両手首をさすりながら問う。
「どうするも何も、どうにかして逃げなきゃ……」
「今度は殺されるかもしれないぞ」
殺される、気を失う前の恐怖が記憶によみがえる。
息が苦しい。
過呼吸気味になり掛けた俺の背中が擦られる感覚がある。エルーシャだ。
彼女は立ち上がり、揺れる馬車内をバランスを崩すことなく歩き俺の後ろにしゃがみ込んでいた。
「私は脱出する。可能ならば、奴らを全滅させてな。
貴様は好きにしたらいい。一応は転移者だ。もしかしたら、今と同じような待遇を受けられるかもしれないぞ」
背中をゆっくりと擦られて、呼吸が落ち着いてくる。
「何考えてるんだ、転移者を他所に渡すなんて。それなら、こ、殺すんじゃないのか……」
俺の疑念の眼差しを受け、エルーシャは溜息をつき、答える。
「はっきり言って私は、政などには興味はない。私は姫さまの剣、それだけだ。
貴様は姫さまと私の恩人だ。できうる限りその意思は尊重するし、命をとることなどしない。姫さまもそれを望まんしな」
「あんたは俺のことが嫌いだと思ってたが」
「言っただろう。私は姫さまの剣だ。恩人でも姫さまに近づくのなら容赦はしない」
エルーシャは俺の縛られている両手を持ち上げる。
手首に熱気を感じる。
微かだが焦げ臭さを感じ取ると、両手が自由になる。
右手を見ると指輪はあった。
火の石の件があると、身体検査が緩いと思うがこれは仕方がない。
便利なことに、この指輪は他人の手では外せないのだ。
自分の手で外すか、それこそ指でも切り落とすかしないと無理らしい。
途端に寒気がする。
痛む手首をさすりながらエルーシャに視線を向ける。
「ありがとう」
「礼などいらん。貴様はそこにいろ。怪我でまともに動けないだろう?私が外に出て奴らを引き付ける。その後は逃げるなり、奴らか私を待っているなり好きにしたらいい」
すると彼女はゆっくりと馬車の出入り口らしき扉に近づき、拳を構える。
「ふんっ!」
素手だった。
木でできた扉は綺麗に吹き飛び、扉が吹き飛んだことで見えた、揺れと共に流れていく街道に派手に音を立てて遠ざかって行った。
派手な音か衝撃に驚いたのか、進行方向から馬のいなき声と男の驚いたような声が聞こえて、馬車が急停車する。
「それではな。できることなら無事にまた会いたいものだな」
そう言い残しエルーシャは粉砕された出入り口から飛び降りる。
俺は何も判断して決定することができずに、ただ座り込んでいた。
【火の石】
外見はただの赤い石
とても安価で、一般家庭でも買えるような値段
もっとも普及している魔道具
様々な大きさがあり、大きい程火力が強い
ランクE~C




