第十三話 月の下
月の光が周りを薄く照らす。
頭上には、日本では見られないような数の星が空を覆っている。
月の光に反射して、ゆらゆらと水面を揺らしている小さな池のそばに俺は立っている。
メイドさんから渡された軽食はパンだった。
黒パンや、サンドウィッチではなくバケットのようなパンだ。
それを素手で掴んで食べながら待ち人を待っていた。
渡された見取り図を見て赤い点の場所に行ったが、パトリックさんはいなかった。
指定の場所は、俺がいる宿舎内からしばらく離れた場所の小さな池のそばのようだ。
中庭のようなものらしく、暗いことと道が入り組んでいることもあり少し迷ってしまった。
明かりの魔道具は建物の中と、外にちらほらとあるだけなので周りは真っ暗だ。
正直言って結構こわい。
別に幽霊が怖いというわけではなく、現代日本で育った俺からすれば、明かりがない外の薄暗さは不気味だ。
それにしても来ないな。
今は元の世界でいう春の季節で、その内の下旬に位置するため夜でも寒くはないが、それでもいつ来るかもわからずにただ待ち続けるというのは疲れる。
暗いことの不気味さもあるが、何より見回りの兵士が来ないか緊張する。
悪いことをしているわけではなくとも、遅くにこんなところにいたら怪しまれる。
パトリックさんの名前を出したらいけるかもしれないが、証拠もないしな。
来るまで兵士に問い詰められるのは嫌だ。
ふと、手が軽くなったかと思うと既にパンを食べきってしまったことに気づく。
美味しかった。サンドウィッチのように手を加えられてはいなかったが、それでもこの一週間の黒パンや干し肉の食事とは比べるまでもない。
俺がパンの美味しさを感じていると、横から声がかかる。
「マサヤ様ではないですか」
聞き覚えのある声がした。
声の主を確かめようと月の光の下に少女がいる。
「えっと……王女、様?」
「もうお忘れになられたのですか?」
忘れるはずがない。初代面に目覚めた後のことといい、印象が強烈すぎる。
少女は月の光を反射する腰まである金色の髪を揺らしゆっくりと近づいてくる。
前のように茫然とすることはなかったが真っ白なドレスと輝く金色の髪を、不気味だった夜の暗さが逆に引き立てているのが美しかった。
「そういうわけじゃないですけど……どうしてお一人でこんなところに」
「私もいる」
傍の樹木の影からエルーシャさんがぬっと現れた。
相変わらず不機嫌そうな顔だ。
彼女の炎のような赤い髪も、夜の薄暗さの中でも本当に明るい炎があるかのように目立つ。
「それでもなんでここに」
「私としてはマサヤ様のほうがこちらにいることが驚きなのですが。ここは一般の兵士の方々は立ち入り禁止とされている場所です」
「え!? パトリックさんからここに来るよう言われたんでけど……」
「パトリック……ああ、叔父様の部下のパトリック卿ですか」
お姫さまは納得がいったらしく、胸の前で拍手する形で手を合わせる。
それにしてもここが立ち入り禁止とは、何故こんなところを指定したのだろう。
もし、見回りの人なんかがいたら危なかった。
「はい、少し話があるようで。王女殿下はここで何を」
「城でも偶に、こうして外を散歩するのが好きなもので」
「散歩、ですか」
いくら敷地内で護衛がいるとしても、大分危ない気がする。
「王都の城よりは良いでしょけれど、ずっと堅苦しいところにいるのも息がつまりますから」
お姫さまはそう言って微笑む。
つい見惚れてしまう。
「マサヤ様、明日お時間はありますか?」
見惚れていることに気づいているのかいないのか、わからないがお姫さまは唐突に質問を投げかけてきた。
「明日ですか? 今日は休みでしたけど、明日は仕事があると思いますけど」
明日の予定を聞かれたので、正直に答えるとお姫さまが少し落ち込んだ表情になる。
エルーシャさんが睨んでくるがどうしようもないのでしょうがない。
ただ、これからパトリックさんとの話次第ではどうなるかはわからないが。
「何かあったんですか?」
「いえ……なんでもありません。職務があるのでしたら仕方がありませんね」
非常に心苦しい。
女の子に落ち込ませた表情をさせるのが男がさせてはいけないことは、彼女いない歴=年齢の俺でもわかる。
心苦しい理由は他にエルーシャさんからのプレッシャーからでもあるのだが。
「王女殿下の用だったら、パトリックさんに言えばどうにかなると思いますけど」
パトリックさんも職務よりお姫さまの用件の方が重要だろう。
「それは……無理なのです。もしですが、明日お暇になったとしたらここに朝来ていただけますか?」
ここ立ち入り禁止なんじゃなかったっけ……。
暇になる可能性は低いだろうが暇になったら、と言っているのだし断る理由もない。
何より、女の子の頼みと後ろの殺気をスルーする度胸も俺にはない。
へタレでけっこうだ。
「わかりました。もし、ですが」
「ええ、それで結構です」
了承するとお姫さまは嬉しそうに笑う。
微妙に照れくさい。
「それでは私はこれで、……そういえば、サン「姫さま、そろそろ戻らないといけません」
何故かお姫さまの言葉を遮って、エルーシャさんが出てきた。
「そうですか。それではマサヤ様、また」
お姫さまは気にした様子もなく、軽く会釈をしてエルーシャさんも後ろに控えて去って行った。
なんだったんだろう。
「やあ、マサヤ君」
「パトリックさん」
ちょうどお姫さまたちが去っていくと、反対側からパトリックさんがやってくる。
「遅かったじゃないですか」
俺が不満げに言うと、パトリックさんはすまなそうに謝る。
お姫さまに会ったことを話そうかと思ったが、もしかしたらこっそり散歩をしているのかもしれないし、報告する義務もないので秘密にしておくことにする。
「ごめん、閣下と相談をしていてね」
「まあいいですけど。それで、話って何ですか」
パトリックさんは今、ここじゃないと話せないと言っていた。
どんな要件か、不安はあるが聞いておかなくてはいけない。
「まずは君には宿舎を出てもらう」
は?
「あ、出ていかせるという意味ではなく、街で宿をとってもらうということだ」
「いやいや、いくらなんでも話が突飛過ぎますよ。まだこの世界の生活にも慣れてきたばっかなのに」
無茶すぎる。宿や食料の買い物とかどうすればいいんだよ。
貴族と平民とはいえ、多少生活圏が被っているからいざこざが起きる。
離れるのはいい案だと思うけど。
「大丈夫だ。そこらへんはきっちりと教えよう」
教えてくれるならありがたい。
けれどわからない。
パトリックさんたちからすれば俺は無知でいた方がいい。そりゃいずれは少しずつ知ってはいくだろうけど、俺が異世界の生活知識を知ったら出て行きやすくなる。
「ありがとうございます」
まあいい。教えてもらえるのなら教えてもらうことにしよう。
「それと、今日は色々あって疲れただろうから明日は自由でいいよ」
む、これは無理だと思っていたお姫さまとの約束を守れそうだ。
パトリックさんは言い終えると、来た道を振り返り去ろうとする。
「え、ここの理由とわざわざ夜の理由は」
「それなら……ここは人気も少なくて話しやすい。時間がかかったのは閣下との相談があったからね」
少し悩んだようにした後、質問に答えてから去って行った。
納得いきそうな理由だが納得がいかない。
この異世界に来てから流されてばっかな気がする。
俺は一つ溜息つき、ポケットから折りたたんだ紙を開く。
紙とにらめっこをしながら自分の部屋への帰り道を進む。




