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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十五章『ニルヴァーナ』 その1

 流れ出る血が視界を遮る。

 重みを伴う痺れが、少しずつ体を蝕んでいく。

 心臓は無遠慮なまでに酸素を要求し続ける。


 奥平の片耳を斬り飛ばした所までは良かったが、その後は秋緒の防戦一方であった。

 風斬りさえも、奥平はすぐに見切ってしまったのである。


 当然の摂理ではあるが、刀を折られた時点で、秋緒の戦闘能力は大幅に低下していた。

 あくまでも剣気の刃を飛ばすことができるというだけで、刀身が新たに生成されている訳ではない。

 接近戦に持ち込まれれば不利なのは明白だ。


 それでも、欠けた愛刀だけは決して手放さない。

 捨てられるわけがない。


 奥平の猛攻は一向に止まない。

 ここまで劣勢に追い込まれたのは久しぶりだったが、この時の秋緒にはそのような状況分析をしている余裕さえなかった。

 何せ、一瞬でも気を抜けば、身体を両断されてしまう。

 防御さえあたわず、回避し続けるしかないのだから。

 鞘では心許ない。

 せめてもう一本剣があれば、この状況を――


「そろそろ休んではどうだね」


 ここに来て、奥平が更に力と速度を増した。

 EFではなく義肢の、何より本人の意志と精神力に由来するものである。


 もはや、達人という言葉さえ超越した攻撃が、秋緒を襲う。

 剣風が直撃しただけで骨が折れてしまいそうだ。

 間合いを広めに取らなければ。

 秋緒は後退する。

 が、傷付いた身体が、脳からでた指令に百パーセント応えてくれない。

 生じる動きの遅れ。


 奥平の巨体が、赤錆びた曲刀が迫る。

 回避不能。


「むっ!?」


 予期せぬ助太刀が入ったのは、その時であった。

 追撃の体勢を取っていた奥平が直前で停止する。

 音もなく背後に忍び寄っていた男の気配を察知したのだ。


 ――折り曲げてやる!


 剛崎健は、奥平に組み付こうと手を伸ばす。

 とにかく触れられさえすればこちらのもの。

 固体であれば、性質や強度に関係なく折り曲げられ、無力化できる。

 しかし、奥平が放った肘打ちの方が早かった。

 脇腹を負傷し、あえなく吹っ飛んでいく。


 そのやり取りで生じた隙を見逃さず、秋緒が折れた刀から"疾風突き"を放つが、剣で弾き飛ばされてしまう。


「増援か。懐かしい顔ぶれだな。人の縁というものも案外蔑ろにできぬものだ」


 周囲を見渡し、奥平が言う。

 秋緒も気配に気付き、はっとなる。

 この場に現れたのは剛崎だけではなかった。


 少し離れた所、東京駅の方角で、異形の竜や虎が血守会の兵隊を襲っていた。

 それだけではない。

 峻烈な殺意を以ってその獣たちを支配し、更には自らも前線で敵を駆逐している、上半身裸の筋骨隆々の男がいた。


「鬼頭さん……」


 鬼頭高正。

 かつて瑞樹の父親・中島雄二と共にトライ・イージェス社を創立した男が、増援としてこの八重洲へと来ていたのであった。


 奥平に吹っ飛ばされたもう一人の助っ人・剛崎健は、既に立ち上がっていた。

 戦闘に大きな支障はダメージではないようだ。

 苦笑いを浮かべているのは、痛みが原因ではない。


「先輩、すいません」

「いや……助かった」


 剛崎が割って入ったおかげで、絶体絶命の窮地を脱せたのは事実だった。


「何をしている」


 秋緒と奥平の激突が止まったのを疑問に感じたのか、鬼頭が敵兵の掃討を刺青獣たちに任せ、三者の方へとやってきた。

 秋緒、剛崎、鬼頭がそれぞれ三角形の頂点となって、奥平を包囲する形になる。


 一騎当千の手練れ三人に取り囲まれたにも関わらず、奥平は全く心動いた様子を見せなかった。

 動揺も、焦燥も、喜びも、覚悟も、何もない。

 あくまで淡々と言葉を並べ立てていく。


「鬼頭高正に剛崎健、そして瀬戸秋緒。二十二年前、刃を交えた者達がこうして再び揃い踏みするとはな。中島雄二がいないのは残念だが、我が同志・衆寺壊円の亡霊も傍で歓喜の声を上げている」

「亡霊だぁ? 何言ってやがる」

「剛崎、聞く耳を持つな。瀬戸、一気に始末するぞ」


 鬼頭が手早く話を打ち切り、戦闘態勢を取る。

 剛崎は特殊警棒を出して構えたが、秋緒はそうしなかった。


「……鬼頭さん、ここは私に任せて頂けませんか」

「駄目だ」


 鬼頭は、にべもなく言う。


「しかし……」

「勘違いするな。これは試合ではない。任務だ。お前も個人としてではなく、仕事として来ているのだろう。私情を挟むな!」


 厳しい声が飛ぶ。

 紛うことなき正論だった。

 秋緒に言い返せる分など、全くない。


「……分かっています」


 それでも。


「ですが、どうしてもこの場は譲れません。あの子を追い詰め、苦しめたこの男達だけは、私がこの剣で……!」


 引き下がる訳にはいかなかった。

 歯を食いしばった、鬼気迫る表情で、目の前の敵を睥睨する。

 負傷は決して軽いものではなかったが、激しい炎のような闘争心と憎悪は些かも衰えていなかった。


「……いいだろう」


 意外なことに、鬼頭はあっさりと前言を撤回し、折れた。


「一分半だけ時間をやる。その間に片付けろ。一秒たりとも遅れるな。もし時間を過ぎれば、瑞樹の救助にも行かさん」

「了解しました。必ず」


 秋緒が力強く宣言する。


「剛崎。俺達は先に、残りの敵の殲滅に向かうぞ」

「はい」


 あれはダンナなりのエールだ。剛崎は最初に秋緒の嘆願を拒んだ時から気付いていた。

 無論、刻限を過ぎれば言葉通りに約束を強制遵守させるだろうが、同時に秋緒の力を引き出させるため、あえて一度正論を吹っ掛けたのだろう。

 それに、結局は三対一より単独で戦った方が、彼女のEFは強く働く。

 一分半という時間は、現在の彼女が全力を出し切れるタイムリミットを見積もった上での算出と思われる。


 ならば。今の剛崎ができることは一つだった。


「先輩!」


 剛崎は、腰に差していた剣を鞘から抜き、秋緒に投げた。


「使って下さい。業物じゃあないですが、ないよりマシです」

「……感謝する」


 秋緒は左手で受け取りながら、礼を述べる。


「この礼は酒一杯でいいですよ」

「考えておく」


 にこりともせずに答え、刃渡り約九十センチほどのマチェット状の剣を前に出した。

 右手は、折れた愛刀を担ぐように肩の後ろへ回す。

 得物の性能を最大限引き出すため、即興で取った二刀の構えである。


「いいのかね」

「愚問ッ!」


 秋緒は跳躍し、奥平に詰め寄る。

 もはや守りに入る理由も時間もない。


 秋緒の"所持品の性能を強化・付加する"EFは、所持している期間や愛着などが大きく影響する。

 今渡されたばかりの剣、しかも借り物ではほとんど強化が効かないに等しい。


 しかし、秋緒はそれをハンデだとも思わなかった。

 圧倒的技量にて、幾十もの細かく鋭い斬撃を繰り出す。


 奥平はその全てを受け、避け、弾く。


「一本吸う時間が欲しいのだが」

「あの世で吸え」


 秋緒が右の刀から"風斬り"を飛ばす。

 奥平は最小限の足運びで、不可視の刃を見切ってかわした。


「無粋だな。まあいい、だが一度試してみたいものだ。中島瑞樹の、あの黒い炎で火を付けると、葉巻の味がどう変化するのか」

「…………!!」


 どのような意図を込めて軽口を叩いたのか、本人以外定かではない。

 ただ、明確なのは、その一言は秋緒の逆鱗に触れるどころではなく、毟り取ったところに多量の塩を擦り込む行為にも等しかったということだ。


 鬼頭からの叱咤激励、間に合わせとはいえ剣を手にすることができた……

 負傷とそれに伴う失血、体力の低下を差し引いても、再戦時点で秋緒の戦闘能力は更に向上していた。

 そこに、憤死しかねないほどの筆舌に尽くしがたい激情が加われば、足し算ではなく掛け算で力が増すことになる。


 感情の昂りで剣が鈍る。

 もはやそんな次元さえ超越していた。

 瀬戸秋緒を強くあらしめた感情は、孤独感よりも、愛する存在を使い捨てマッチのように嘲弄されたことによる激怒だった。


「オオオオオッッ!!」


 獣とも闘神ともつかぬ咆哮。

 全細胞が灼熱。

 剣戟。


「ふむ、こんなものか……むっ」


 理性を引き千切った所で、腕力が劇的に向上した訳ではない。

 打ち合いになれば、奥平の方がまだ有利であった。


 しかし、速さが桁違いだった。

 奥平が跳ね返そうとするよりも遥かに早く、剣が、秋緒の姿さえもが消える。


 彼女の位置が、瞬間移動を連続するように、出現と消失を繰り返す。

 防御も回避も追いつかない超高速の剣閃を残して。

 瞬く間に、奥平の全身に無数の切創が刻まれていく。

 その過程で、剛崎から借り受けた剣がボロボロに損傷していくが、構わずに叩き付けることを繰り返す。


『刃物ではなく棒切れの扱い方になっている』


 先刻、奥平が秋緒に向けた言葉が現実になった訳だが、もたらした結果は秋緒の敗北ではなかった。

 ブレードが粉々に砕け散り、剣が鈍器の役割さえ果たせなくなった時、奥平は半壊したロボットのように、辛うじて立っているだけの状態になっていた。


「見事だ」


 虚ろな顔の奥平が、抑揚のない声を出した。


「君の流派を窺ってもいいだろうか」

「答える義務はない」

「つれないな。折角、刻限前に勝敗が決したのだ。少しは話を弾ませるのも悪くはないと思うのだが」

「生憎、我流だ」

「そうか。ところでどうだね、ここらで戦いを止めるというのは。今夜、食事にでも行こうではないか」

「ふざけるな」

「残念だ。やはり中島雄二のような男の方が好みだと?」


 秋緒の顔がさっと紅潮し、眦が裂かれる。


「怒らせてしまったかね。謝罪しよう、どうにも女性の扱いには慣れていないものでね」

「……貴様だけは、ただでは死なさんッ!」


 渾身の"風斬り"が、無機質と暴力の顕現、強化義肢を切断していく。

 右腕、左腕、そして両脚。

 奥平は一切抵抗せず、再び五体不満足になるのを無表情で受け入れた。


 秋緒は、焦点を合わせたものを凍結させそうなほどの冷たい目で、地面に転がった奥平を見下ろした。

 今度はこの程度で終わらせるものか。

 もっとだ。殺す前にもっと苦しめてやる。

 謝罪も後悔も不要。単純な苦痛だけがあれば良い。

 腰の拳銃に手をやりかけた時。


「そこまでにしておけ」


 鬼頭の濁声が、秋緒を制止した。

 この時点で約束の一分半が経過したこともあるが、それ以上に、


「瑞樹の分も、残しておいてやれ」


 彼もまた、決して冷血非情なだけの人間ではなかった。

 瑞樹の名を出されたことで、流石の秋緒も矛を収め、感情を鎮めずにはいられなくなる。

 物凄い形相で荒い息をつきながら、奥平の横の路面へ何とか視線を外す。

 ただし、気までは緩めない。

 まだやることが、一番大切な仕事が残っているのだ。


「この男はひとまず俺達が預かる。いいな」


 膝をつきそうになるのを堪えて、秋緒が頷くと、鬼頭は左腕に彫られた鯉を実体化させた。

 体内を巡る血がそのまま滲み出たような体色――名は"血々鯉"。

 一般的な鯉の幼魚の半分以下の体長と小型だが、獲物の体内に潜り込み、激痛を与えながら血を啜るという残虐な性質を持つ。


 血々鯉が、斬り飛ばされた耳の所から、奥平の体内へ侵入していく。

 奥平がその際、わずかに顔をしかめたが、声は全く上げなかった。

 続いて鬼頭は"青雲竜"を放ち、転がっていた奥平の剣を顎で噛み砕かせた。

 破壊されたことで、秋緒の傷口にかけられていた不治の呪縛が解除される。


「ありがとうございます」

「何故薬を使わない」

「あの子のために取っておかなければ」

「……使え」


 鬼頭が、自分の分の回復薬を投げ渡した。


「すみません」


 一息に飲み下すと、すぐに効き目が現れ、傷が塞がり始める。


「エネルギーも補給しておけ」


 続いて渡されたゼリー飲料とタブレットも、順次体内に流し込んでいく。

 戦闘の緊張の余韻が残っているからか、空腹感はなかったが、体は欲しがっていたようだ。

 すぐに吸収が始まり、体力が少しずつ戻っていくのが体感できた。


 秋緒は感覚を研ぎ澄ませ、自分と奥平の周囲の気配を慎重に探る。

 何も感じない。

 衆寺壊円の亡霊がどうなっているのかは分からないが、ひとまず無視していいだろう。

 奥平以外への干渉力があるならば、とうに手出ししてきているはずだ。


「瑞樹君の救出へ向かいます」


 秋緒は再び愛刀を握り、鬼頭に告げた。


「いいだろう。どの道俺はこの場を動けん」


 鬼頭はあっさりと了承した。

 情に流された訳ではない。

 単純に、彼女が瑞樹の暴走を止めるのに適任であり、先の約束も守ったため、そう判断しただけだ。

 秋緒は完治を待たずに、ビルに向けて駆け出そうとした。


「先輩! もう行くんですか?」


 そこに、駆け寄ってきた剛崎が声をかける。

 鬼頭が戻ってきた時点で決定的だったが、血守会の残存戦力は殲滅されたようだ。


「俺も行きます。ビルの中には何があるか分かったもんじゃないですしね。いざという時の弾除けぐらいには使えますよ」

「……よろしく頼む、剛崎君」


 秋緒は頭を下げた。

 やけに素直だな、と剛崎は思いながらも、頼られた嬉しさで思わず顔がほころんでしまう。


「何をしている。急ぐぞ」

「はい!」

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