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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十三章『劣等爆散』 その3

 脳は、残酷なまでに素早く、出来事を認識した。


「あ……う、うあああぁぁぁぁーーっ!!」


 その場にうずくまり、知歌が絶叫した。

 そうしたところで、痛みが和らぐどころか、何の気休めにもならない。

 だが、叫ばずにはいられない。

 生まれて初めて味わう、身体の一部を喪失する辛苦は、想像を絶するものであった。


 痛みから大幅に遅れて、理解がやってくる。


(あ、あの時だ……)


 知歌の頭に浮かんだのは、昨日の出来事。

 奥平から言われた"任務"を、ホテルで行った時。

 阿元は執拗なまでに全身を触っていた。

 あの時は性欲に任せた気持ち悪いだけの行為だと思っていたが、まさか……


「み、みず……わ、わわたた……」


 助けて、と言おうとした。

 だが、舌が上手く動いてくれない。

 呻け。叫べ。脳が、明確な発声を許してくれない。


「知歌! 知歌! しっかりするんだ!」


 瑞樹は既に我に返り、おおよその事情を飲み込みつつあった。

 以前、初めて血守会のアジトに入った時、似たような現象を見たことがあるのを覚えていたからだ。

 その時、強烈に心を揺さぶられたため、記憶に深く刻み込まれていた。


「くそっ、どこにいる……!?」


 犯人を捜すべく、周囲を見渡してみるが、阿元の姿は見当たらない。

 遠く、屋上の出入口の辺りに、カイゼル男が立っているだけだ。


「おーーーーい!! 阿元はどこにいる!?」


 カイゼル男からの返事はない。

 しかし、こちらへ駆け寄ってはきた。


「お嬢様……すぐにお手当てを」


 不気味なほど落ち着き払った態度で、ゲル状の止血剤を患部にあてる。

 この止血剤は特殊な方法で精製されたもので、大量出血にも対応可能、更には感染症をも防止してくれる。

 だが、欠損した四肢を再生させる効果まではない。


「うううぅぅぅ……」


 顔を血飛沫で染め、脂汗を流し、知歌は呻き声を漏らし続ける。

 カイゼル男は、表情を変えず、ハンカチで汚れを拭き取り始めた。

 まるで最初からこうなることを知っていたかのような準備の良さだった。


「まさかあんた、全部知ってたんじゃないのか!?」


 カイゼル男は答えない。


「いや、そもそもどういうことなんだ! 僕と知歌の能力を利用して結界を破壊するんじゃなかったのか! それなのにどうして……!」


 なおも、沈黙。

 答えろと、瑞樹が胸倉を掴んで怒声を張り上げようとした時、カイゼル男が懐から通信機を取り出した。


「全ては、奥平様がお話して下さるでしょう」


 瑞樹は、ひったくるように通信機を受け取った。

 既に通話状態になっていたのを見て、直接耳に当てる。


「おい! 何故知歌をこんな目に遭わせた!」

「我々の目的の為だ」


 当然のことを、といったニュアンスで、どこかにいる奥平が答える。


「ふざけるな! だったら……!」

「中島瑞樹に命じる。直ちに、その場から見えている結界発生装置を破壊せよ」

「な、何だと!? ……ち、知歌をこんな状態にしておいて、何を言っている!」


 道理に合わない命令を唐突に出され、瑞樹は混乱しかけた。


「方法は問わん。柚本君と協力しようとしまいと自由だ。ただし」


 そこから付け加えられた条件は、瑞樹をより混迷の極みへと引きずり込むものであった。


「これから一分ごとに柚本君の体を破壊していく。止める方法はただ一つ、結界を破壊することだ」

「き……貴様ァッ!」


 瑞樹は怒りのあまり、顔面が蒼白になる。

 この男は何を考えている。

 憎しみを募らせるためか? それは、知歌の能力よりも価値のある行為なのか?


「いつものような不撓不屈の精神を見せてくれたまえ。では、今から開始とする」

「お、おい! ……くそッ!」


 一方的に宣言され、通信を切られた。

 混乱が鎮まらないが、もはや追及している猶予はない。

 確かなのは、奥平は口にしたことを決して違えず、実行するということだけだ。


「知歌……」


 最優先ですべきことは一つ。

 彼女を、救わなければならない。

 これ以上、傷付けさせる訳にはいかない。

 瑞樹は通信機をカイゼル男に投げつけ、フェンス越しに、遥か前方の結界発生装置を凝視する。


 ここから二百メートル以上はあるだろう。

 普通では到底届かない距離だが、移動している時間も方法もない。

 とにかく、この場からやるしかない。


「知歌、辛いだろうけど、少しだけ頑張って欲しい。力を使ってくれ」


 片手を失くした少女に、酷なことを頼んでいるのは承知していた。

 しかし、これが最も可能性の高い方法だ。極限まで力を増幅させなければ、結界は壊せないだろう。


 知歌は、顔を上げて、微笑んだ。

 苦痛は全く和らいでいないのだろう。文字通り、作り笑いをしていた。

 しかし、それでも、彼女は瑞樹を信頼する姿勢を見せたのである。


「ありがとう。大丈夫、きっと助けてみせるから」


 瑞樹はカミソリを噛み砕くような顔をして、知歌を背中にもたれさせた。

 かけられた体重は、すなわち知歌の命の重みであった。

 首のすぐ後ろから聞こえる荒い呼吸、強く上着を掴んでくる彼女の左手が、焦りを、怒りを、憎しみを、そして彼の炎を増大させる。


 瑞樹の右手に、炎が生まれた。

 天をも衝くように、高く、激しく、その身は伸びている。

 それを一点に凝縮し、水晶球に向けて放射。

 できるだけ細く、鋭く、一点集中。


 彼のEFの特性でフェンスは無視できる。

 問題はここから先だ。届かせなければ。

 瑞樹の想いに呼応して、神話の槍のように炎はそのまま伸び続け――東京駅ホーム上にある結界発生装置にまで到達した。

 水晶球と炎がぶつかり合う。


 行け。壊れろ。融けろ。消えてしまえ。

 瑞樹の頭の中は、結界の破壊と知歌の救出でいっぱいになっていた。

 それ以外の考えは全て、意識の奥深くへと押しやられていた。




 山手線結界は、個人の想いや背景を汲み取ったりなどしない。

 瑞樹と知歌の、全身全霊を込めて産み出した火炎でさえ、無慈悲なまでに拒絶し、無効化した。


「くっ……そおおおおおっ!」


 必死の形相で、精神力を絞り出し、炎を叩き込み続ける。

 だが、結果にはまるで変化がなく、弱体化や融解の兆しさえ見られない。


 結界発生装置に攻撃を加えたことで、警報がけたたましく八重洲周辺に鳴り始める。

 そんな音などに構ってなどいられない。

 破壊。破壊しなければ。




 時間だけが刻一刻と、残酷なまでに時を進めていく。


 奥平の宣告からきっかり一分後、また瑞樹のすぐ近くで破裂音がした。


「……ああっ……!」


 振り返りたい衝動を抑え込む。

 そうするよりも破壊に徹さなければ。

 形容しがたい激痛に苛まれているだろうに、声に出さぬよう努め、力を使い続けている彼女に申し訳が立たない。

 助ける。助けるという結果で報いろ。

 瑞樹は自分に言い聞かせ、より勢いが増した炎を放射し続ける。

 火力が上昇したのは、瑞樹の感情だけが理由ではなかった。


 更に一分が経過。


「……ん……っ!」

「壊れろ、壊れろよッ! 知歌が……このままじゃ知歌が!」


 たまらなくなって、瑞樹は叫んだ。

 こんな状況を作り出した奥平への憎しみが炎を強力にするが、反対に知歌のEFが弱体化してきた。

 差し引きで、火勢が弱まる。


「あんた! 世話係なんだろう!? 何とかしてくれよ!」


 期待できないと分かっていても、カイゼル男に怒鳴らずにはいられない。


「……申し訳ございません」


 カイゼル男からの返事は思いの外、苦味と重みを伴ったものであったが、具体的に何もしてくれないとあっては、声色など関係なかった。


「阿元ーーッ!! 出て来い! 今すぐ止めろーーッ!!」


 今度は阿元に矛を向ける。


「僕が代わって受ける! だから、これ以上知歌を……!」


 瑞樹の懇願も虚しく、また、破裂音が鳴った。

 背中に感じていた知歌の手の感触が、突然に消えてしまった。

 次いで、炎が急激に弱まり、結界発生装置に届きすらしなくなる。


「くっ……!」

「もう、いいよ……」


 彼女の声が、何故か足下の方から聞こえてきた。


「……知歌!」


 振り返った瑞樹の目が見開かれる。

 そこに映っていたものは、およそ直視に堪えない惨状だった。

 声が詰まり、激しい悪寒が背筋を襲う。


「ダメ、だよ……もう……」

「知歌……」

「かわりに、おねがいしてもいい? …………あたしのこと……殺して」


 息も絶え絶えに知歌が絞り出した懇願は、十代の少女が口にするには、あまりに惨い内容だった。


「なん、だって」

「もう……こんなカラダじゃ、生きてても……しょーがないかな、って」


 何言ってるんだ。

 弱気なことを言うな。

 人工義肢をつければいいじゃないか。費用なら僕が……


 幾つかの言葉がよぎり、口から音に出しそうになるが、言えない。

 そんな偽善にさえならない気休めを口にしたところでどうなる。


「アイツにやられるより……瑞樹兄のほうが、いい。だから……おねがい」


 女の子に、こんなことを言わせてしまうのが情けない。


「……ごめん、ごめんね」


 瑞樹の目から、涙がはらはらと零れ出し始めた。


「なか……ないで…………瑞樹兄は、わるく、ないよ」

「でも……僕は」


 瑞樹の言葉を遮るように、知歌は弱々しく首を振った。


「いいんだよ……あたしは…………カノジョじゃないし、ホントの……いもうと、でも……ないん、だから」


 せめて知歌の言う通りにしてやろうという思いが優勢だった。

 だが、その一言が、瑞樹の挫けそうになった心に再び火を付けた。


「ふざけるな……死なせてたまるか! 何度も妹を失くしてたまるか!」

「……いもうと」

「頼む、生きてくれ! 僕が何でもするから! ずっとそばにいるから! だから……!」


 エゴだと理解していた。

 それでも、ほんの僅かな光明に縋らずにはいられなかった。

 これまでの人生で幾度も味わってきた喪失感が、諦めることを許さなかった。


 また、失いたくはないから。

 全身から炎を吹き上がらせ、再度結界発生装置へ向けて、攻撃を開始した。




 瑞樹が自分のために足掻いているのを、知歌は霞んだ目で見ていた。

 脳内麻薬が分泌されているのか、痛みは段々と薄らいできている。

 暑いのか寒いのか、分からない。

 全身の感覚さえ麻痺してきている。


 願いを聞いてくれなかった恨みはなかった。

 むしろ幸福感ばかりが、内から内から込み上げてくる。

 手を下してくれずとも、もうすぐ楽になれる、という希望に由来するものではない。


「あり、がとう……」


 嬉しかったのだ。

 兄のように慕う相手から、"妹"という言葉を本心から聞けたことが。

 瑞樹の言葉を今まで疑っていた訳ではない。

 言うなれば、この極限状況で彼の想いを再確認できたことが、ただただ幸せだったのである。


 性欲も、色恋も伴わない、純粋な愛情。

 それこそが、知歌が幼い頃からずっと渇望していたものなのだから。


 知歌の顔は、現状からは信じられないほど安らかになっていた。

 しかし、背を向け、結界に向けて届かぬ炎を伸ばし続けていた瑞樹が、それを目にすることはできなかった。


「ほんとの……かぞく……………秋緒……ママ……」


 知歌の声はもはや、誰に向けたものでもない、うわごとになっていた。


「…………おにい…………」


 隣に秋緒が、瑞樹がいて、笑顔で食卓を囲んでいる。

 こんな時間がずっと続いたならば――目蓋の裏に浮かんだ幸せな幻影に、知歌はいつまでもしがみついていた。






「中島様」


 カイゼル男が、いつの間にか瑞樹の背後へと接近してきており、声をかけた。

 しかし瑞樹の耳には届いていないのか、振り返ることなく、一心に炎を放ち続けている。


「中島様!」


 瑞樹の肩に手を置き、止めようとするが、振り払われる。


「中島様! お止め下さい!」


 ついには羽交い絞めにしてでも、瑞樹を押さえつけた。


「離せ! 離せよッ! 早く壊さないと、知歌が……!」

「お嬢様は……もう……」

「もうって何だ! どうなってるんだよッ!」


 激怒という感情を差し引いても、腕力はカイゼル男の方が勝っていた。

 瑞樹はしばらくの間、手足をばたつかせ抵抗していたが、


「…………離してくれ」


 やがて一言呟き、ぐったりと項垂れた。

 拘束を解かれた瑞樹は、そのまま床へ四つん這いになる。

 許しを乞うような、無力感に打ちひしがれているような、今の彼の心境を象徴した姿勢だった。


 全身が小刻みに、段々と激しく震え出す。

 涙が滂沱と流れ落ちていく。

 止めどない嗚咽は、獣が吐く悔恨の唸りにも似ていた。


 立ち上がることができず、這ったままの体勢で後ろに向き直る。

 いつの間にかかけられていた、純白のシルクのシーツが、知歌の全身を覆い隠していた。

 盛り上がった彼女の輪郭は、瑞樹の身長よりも大幅に縮まっていた。


「あ、ああああ……!」


 何故、知歌がこんな惨たらしい目に遭わなければならない。

 彼女が何か不手際を起こしたというのか。

 いや、ダメだったのは自分の方だ。

 まただ。また目の前で死なせてしまった。

 二度ならず、三度までも妹を失ってしまった。

 救えなかった。無力。無力すぎる。


 いや、彼女たちだけじゃない。両親も、松村もそうだ。

 近しいものが、皆死んでいく。

 もしかしたら自分は、死神ではないのか。

 自分と関わった人間は、全員死んでしまうのではないだろうか。


 ――僕は、いない方がいいのか?


 瑞樹の体を、炎が包み込んだ。

 それ自体はいつもと変わらない、彼がEFを発動させる時、頻繁に見られる現象である。


 平時、彼の炎は、"標的と定めたものだけを燃焼させる"特性を有する。

 ゆえに、自らの身を焼くことなく、身に纏うことができていた。


 しかし、この時の炎は性質を異にしており、わずかずつではあるものの、熱を伝え始めていた。


「中島様……どうぞ、私をお恨み下さいませ」


 カイゼル男が、音を立てずに二人から遠ざかっていく。

 彼が向かったのは、屋上の出入口だった。

 ドアをそっと開く。

 自分が退出するためではなく、新たな来訪者を招き入れるためである。


 黒髪のショートボブにくりっとした目、小さな鼻と口のついた、小柄な女性だった。

 無表情のまま、靴音を鳴らし、炎に包まれた瑞樹の元へと歩み寄っていく。


 女性は、知歌の眼前で立ち止まった。

 頭を垂れていた瑞樹が、生気が失われて虚ろになった顔を上げる。


「栞……か」


 驚きはなかった。

 見破っていたからではない。

 あまりに強すぎる喪失感が、瑞樹の精神をほとんど麻痺させてしまったのだ。


 そのため、間近で彼女の四肢と頭が弾け飛んでも、目を逸らさなかった。

 生命の喪失、死を、ごく自然なものとして受け入れてしまった。


 何故なら、死神なのだから。

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