三十一章『"血塊"攻防戦』 その1
『山手線各駅に、"血塊"が発生した』
全ての情報を総合すると、この一言で表現できる。
山手線各駅、の部分が、結界発生装置の設置された駅に置き換えられるだけの話だ。
花房自身は実際に見たことがなかったが、血塊という存在の厄介さは、資料や当事者たちの伝聞だけで充分理解していた。
ヒトを含んだ、様々な動物から得た多量の血液、臓物を基に造成される人工生物の一種。
生物の血肉、正確には生体エネルギーを求めて、敵味方・種目を区別することなく触手を伸ばし、取り込んで際限なく喰らい続ける貪食の化身。
動きこそ緩慢だが、高い再生能力を備えており、生半可な攻撃は無意味に等しい。
ただ無差別に命を奪うためだけに造られた、醜悪な兵器だ。
更に性質が悪いのは、喰うだけに終わらないという点である。
動物と似たようなもので、喰った後に"代謝"及び"排出"を行う性質を有している。
すなわち、集積した生体エネルギーを圧縮・変換して放出、破壊に転じる能力。
前回のテロでは結界発生装置への直撃こそ免れたが、高層ビルを発泡スチロールのように薙ぎ倒したことが、その破壊力を雄弁に物語っている。
何としても発射を阻止しなければならない。
弱点は既に解析済みであった。
血塊は聖水に弱く、大量散布すれば跡形もなく消滅させることができる。
あるいは高火力で一気に破壊するかだ。
強力な結界で封鎖し、動きを止められれば、被害を食い止められてなお良い。
聖水の調達については問題ないだろう。
防火水槽のように、市街地には聖水を溜めて置いてあるポイントが点在している。
本来は邪霊対策のために設置されているものだが、血塊に使用しても問題はない。
しかし、間に合うだろうか。
先のテロでは一ヶ所だけにしか現れなかったが、今回は七駅に同時出現している。
一つでも発生装置を落とされてしまえば、その時点で即終了。極めて分の悪い戦いだ。
いや、弱気になっている場合ではない。
何としても守り切るのだ。それに血塊の出現は想定内だったではないか。
マニュアルは作成済みであり、シミュレーションも重ねている。
自分達ならばできる。リーダーが動揺してどうする。
花房は自らを奮い立たせ、毅然とした態度で部下たちに指令を出す。
――警察らと連携し、総力を挙げて、血塊を破壊せよ。
上野駅に向かったトライ・イージェス社員は、六条慶文と天川裕子の二名である。
既に血守会の人員は壊滅状態であり、EF保有者も六条の手によって全て捕獲を完了していた。
相楽慎介にやられた傷は既にほとんど完治しており、加えて六条の、投擲物及び射撃物の速度と軌道を操作する能力を用いれば造作もないことだった。
二人が上野に到着した時点で、既に動物園は緊急閉鎖を完了していた。
そのため最も懸念されていた、パニックに乗じて園内の動物たちの脱走は未然に防止することができた。
歴史と伝統ある上野動物園だけあり、有事に備えての対策は万全であった。
民間人についても、隣接している公園へ避難誘導をほぼ済ませた状態であった。
天川は主に負傷者の手当てを担当していた。
強力なパワースポットである上野公園で能力を使えれば、より多数の負傷者を迅速に回復できたのだが、公園は結界内にあるため、それはできない。
そのため駅近くのホテルを緊急搬送先とし、そこに上野公園や近隣の百貨店からかき集めた植物を利用して能力を用い、治療を行った。
血塊が現れたのは、負傷者の治療がようやく一段落ついた時だった。
突如としてホテルの外から上がった悲鳴を聞いて、天川が外に出てみると、そこには異様な光景が広がっていた。
真っ先に襲いかかってきたのは、臭い。
ヒトが本能的に忌避する、痛みと生死の象徴である、鉄を帯びた生臭さが鼻腔を貫く。
発生源は探るまでもなかった。
目の前を横切る昭和通りの中央に、異形の血塊が山積していた。
モニュメントと呼ぶにはあまりに邪悪で、害意を含んだ設置場所。
どろりとぬめりを帯びた表面には、所々瘤が浮き出ており、怨嗟の声を上げるヒトの顔のような彫りが幾つも刻まれている。
「六条さん」
天川は、すぐ眼前に立っていた六条へ声をかけた。
「裕子ちゃん……東上野から、ユッケの差し入れだよ」
「あら。でも私、お肉はよく焼けている方が好みですの」
ジョークを交わしつつ、そびえる血塊を見上げる。
上を走る高速道路よりも高くそびえ、沸騰しているような不気味な音を放ちながら、鼓動する心臓のように微かな収縮と拡大を繰り返している。
また、血塊下部からジュージューと、鉄板の上で肉を焼くのに近い音が聞こえてくる。
「生き残ってた血守会の一人が、奥歯に仕込んだカプセルで自害したかと思ったら、突然こんな風に変身したんだ」
血塊の周辺には、警帽が幾つか落ちていた。
喰いカスであることは想像に難くない。
「参ったね。僕ら、社内でも火力に乏しい組なのに」
六条が苦笑交じりに言う。
と、そこへ予告なしに血塊が触手を二本伸ばしてきた。
六条と天川は跳んで回避したが、ホテルの警備に当たっていた警官は避けきれなかった。
絡め取られ、釣られた魚のように引っ張り上げられる。
「う、うわああああああ!」
六条は素早く懐から小型の球体を出し、投げつけた。
ゴルフボール大だったそれは、途端に膨張しつつ扁平になり、通常のフリスビーよりも二回りほど大きい円形となる。
球体の変形自体は、六条の能力とは関係なく元々備わっていた機構、可変式投擲武器である。
縁の部分が鋭く研ぎ澄まされているのは言うまでもない。
操られたフリスビーは、血塊の触手を幾度も切り裂いた。
落下する警官は、地面に激突する前に天川が受け止めて救出した。
「お怪我は?」
「い、いえ、本官は大丈夫です」
「良かったですわ」
にっこりと微笑む。
天川に魅せられた男がまた一人誕生した瞬間であった。
六条はフリスビーを加速・操作しながら、天川に尋ねる。
「さっきもやられたんだけど、あいつ、武器も食べちゃうんだよね。とんだ食いしん坊だよ。裕子ちゃんの力で何とかならない?」
「方向性は聖水と同じですから、無効ではないはずですが……」
「聖水散布が始まるまでの間、頼むよ。僕が囮になるからさ」
「分かりました。六条さん、どうかご無事で」
素早く打ち合わせを終え、二人は各々の役目に取りかかり始める。
「ホテル内の植物をこちらへ移動させて下さい。それと、近隣からの再調達もお願い致します」
「はっ!」
天川は、救出した警官に言付け、自らは血塊の触手が届かない安全圏、三十メートル以上まで距離を開ける。
表情が、自然と厳しくなる。
六条一人に負担をかけてしまっていることもそうだが、植物に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
上野に赴いてから、天川は幾度となくEFの使用を繰り返していた。
植物と調和して力を引き出すという性質上、自身にかかる負担はほとんどない能力だが、酷使すればそれだけ植物の生命力を奪うことになる。
既にホテルのロビーの隅には、大きなゴミ袋に詰め込まれた"使用済"の植物が山と積まれている。
強力なパワースポットである上野公園内で能力を使えれば、もっと多くの人々を救えるし、自然へかかる負担も減らせる。
何より、あの血塊にも有効なダメージを与えられるかもしれないのに。
心を乱しても仕方がない。天川は体の力を抜き、能力を発動させる準備にかかる。
目の前で戦っているパートナーに、信頼を寄せながら。
六条は休みなくフリスビーを操作し、血塊を攻撃し続ける。
合計六つの円盤が、四方八方から体当たりを敢行し続け、血煙を上げさせる。
血塊はたちまち全身を切り刻まれ、肉が削げ落ちていくが、切り付けた先からすぐに再生してしまう。
また千切れた破片も、伸びた触手が再び結合させてしまう。
血塊が出現した時点で、六条は即座に封鎖結界の展開と聖水散布を要請していた。
現在大急ぎで準備が進められているはずだ。
自分と天川は、あくまでも時間稼ぎ。
破壊できずとも、被害が出ぬよう動きを封じられれば良い。
相手が知性を持たぬ存在である分、まだ楽だった。
攪乱や牽制を入れる必要がなく、ただ単純に攻撃を続けていればいいのだから。
純粋な持久力勝負である。
鉄道警察隊は駅の防衛で手一杯だが、代わりに機動隊がいる。
今は防衛線を作るに留まっているが、いざという時は一斉攻撃で食い止める手筈になっていた。
状況は、六条たちの側が圧倒的に有利であった。
間断なく切り刻み続けることで再生にエネルギーを使わせ、それが発射の阻止に繋がっている。
補給のために伸ばされた触手も到達前に摘み取る。
更にそこへ、淡雪のような光が血塊の上から降り注ぎ、覆い始めた。
天川の能力だ。血塊から視線を動かさずにいたが、すぐに分かった。
「お待たせしました」
背後から天川の声が聞こえてくる。
血塊は、明らかに動きを鈍らせ始めた。
わずかずつではあるが、塩を浴びたナメクジのように身が縮小していく。
「やったね裕子ちゃん。効果抜群みたいだよ」
「あら、おかしいですわね。そんなに力をたくさん集められはしなかったのですが」
発動者である天川自身、首を傾げたくなる効力であった。
まずは一刻でも早く六条の負担を和らげるべく、当座の草花からエネルギーを集めたのだが、想定以上である。
「とにかく、これなら何とかなりそうだ。じきに結界と聖水の準備も整うはずだよね」
「ええ。次は六条さんの回復に力を回しましょうか」
「そうだね、お願いしようかな」
六条が笑顔を作って答える。
会話中も絶えずフリスビーを操作していたため、全身汗だくになっていた。
そこから更に十分後。
血塊は結界で封鎖され、上空からの聖水散布で完全消滅させられた。
「お疲れ様でした、六条さん」
「裕子ちゃんもお疲れ様。もう、今日だけで大分カロリーを消費しちゃったよ」
ジャケットを脱いで首にタオルを巻き、差し入れのおにぎりを食べながら、六条が言う。
上野を襲撃した血守会勢力は、血塊の消滅をもって一旦の区切りがついた。
無論、まだ油断はできない。そのため、再び再攻撃があった場合に備え、取れる時に休息を取っておかねばならない。
「それにしても、随分簡単に血塊を消滅させられてしまったと思いませんか」
「確かに、鬼頭さんや剛崎さんから話を聞くに、もっと厄介なモノを想像してたんだけどなあ」
二人とも第一次テロの時はトライ・イージェスに在籍していなかったため、今回が初めての実戦であった。
大分苦戦させられたことを聞かされていたため、つい疑念を抱いてしまうのも無理はない。
ましてや自分達は火力に劣るというのに。
「今回は質より量で来た分、一つ一つが弱体化してしまった、とか? まあ理由は何にせよ、とりあえず僕らの持ち場は何とかなったんだから、いいんじゃない」
「……そうですね。私、社長に報告を入れて参りますわ」
天川は、頭の片隅に一抹の不安のようなものを残しながらも、花房への通信を試みた。
苦戦もなく血塊を破壊することができたのは上野だけではなく、新宿駅近くに出現したものも同様であった。
こちらは、結界による封鎖や、聖水の散布を行うまでもなかった。
鬼頭高正という男が、ただ一人で、全てを終わらせてしまったのだから。
EFによって彼が使役する六つの刺青獣、その中でも最強最大を誇る"極屠兎"。
三つの兎の顔は、全てが赤眼を歪めて、牙を剥いた恐ろしい形相をしており、獣毛に覆われた六本の腕には余りなく杵が握り締められている。
阿修羅をなぞらえて造形されたと思われる、背中一面に彫られた三面六臂の姿は、一度具現化されると、全ての敵を打ち滅ぼすまで決して止まることのない無慈悲の闘神と化す。
その敵が、高い再生能力を有する血塊となれば、周囲が地獄絵図と化すのは当然の成り行きであった。
十メートル超の闘神は、自身よりも更に巨大な化物にも臆することなく、六本の杵を振り回し、打ち下ろす。
血を、肉を撒き散らし、本体である鬼頭から注がれる殺意を糧に、激甚なる制裁の一撃を絶え間なく繰り返す。
降りかかる返り血と肉片で、鬼頭の身も朱く染め上がっていた。
しかし彼は眉一つ動かさない。
怒り、不快感、焦り……仮面を被ったような表情からは、内側を窺い知ることはできない。
酸鼻極まる眼前の光景に、味方であるはずの警察でさえ、鬼頭に恐怖心を抱かずにはいられなかった。
あの男は、本当に人間なのだろうか。何かの間違いで、地獄から出てきてしまった鬼ではないのか。
彼らの心情はどうあれ、さほどの時間もかからずに血塊が完全に機能停止したことと、鬼頭の行動によって血塊による人的被害が事実上ゼロに抑えられたのは、紛れもない事実であった。




