三十章『トライ・イージェスのベテラン勢』 その2
新宿駅周辺で発生した動乱は、渋谷よりも更に早く鎮圧されていた。
理由はただ一つ。
剛崎よりも更に長いキャリアと高い戦闘能力を誇る、トライ・イージェス最強の男・鬼頭高正がいた。それだけである。
鬼頭が新宿に到着した時点では、まだ戦局は血守会側が優勢だった。
予告なしに一斉攻撃を行ってきたことが、まず民衆のパニックを呼び、その影響でまず救護を優先せざるを得なくなり、警察側の応戦を遅らせたのだ。
結界外は既に駅西口から南口までの区域を抑えられてしまい、結界内へも東口、東南口側からの侵入を許してしまっていた。
しかし、駅に設置されている結界発生装置は、まだ破壊されていないようだ。
どうやら敵は、結界の破壊よりも民間人や警察への攻撃を優先している節があるらしい。
陽動だろうと、鬼頭は即座に看破した。
結界を停止させるには、発生装置を一つだけ破壊すればいいのだから。
彼が花房から受けた任務は単純明快だった。
――敵勢力を殲滅せよ。
彼の実力をもってすれば、余計な言葉を付け加える必要などない。
上司ながら、花房はそのことを痛いほどに理解していた。
鬼頭もまた、何の疑問も抱かず命令を了解し、実行にかかる。
新宿方面の警察とは昔からの顔見知りだった。
無線で指揮官に直接連絡を取り、戦力のほとんどを結界内に回すよう要請する。
「しかし、お前一人で大丈夫なのか」
「……堅気連中に、無駄に巻き添えを食わせる訳にも行くまい。俺が道を作ったら、そこからすぐに結界内へ突入させろ」
「分かった。期待してるぜ、トライ・イージェス殿」
気安い間柄ゆえの、くだけたやり取りを交わし、通信を切る。
鬼頭は、敵が参集している西口ロータリーへ向かって歩き出す。
歩きながらジャケットを、更にはその下のシャツも脱ぐ。
彼はチョッキやベストを身に着けない。すぐに上半身を晒せるようにするためだ。
重量級の格闘家と比較しても何ら遜色のない、筋骨隆々とした肉体が現れる。
暴力的な筋肉を覆う上半身の皮膚は、ほとんど隙間なく刺青で埋め尽くされていた。
この刺青こそが、鬼頭が普段決して人前で肌を晒さない理由であり、彼のEFそのものでもある。
念の為、周囲に民間人がいないか確認する。
避難、回収は完了しているようだ。心置きなく暴れることができる。
鬼頭の中で、純粋な感情が高まっていく。
防衛会社の人間が抱くには、ある意味最も禁忌と言える感情――殺意。
相手にいかなる事情があろうと、どんな立場にあろうと、一切関係ない。
トライ・イージェスの名と面子、そして理念の下に、敵対する存在は排除するのみ。
漆黒の意志に呼応して、右腕へ絡みつく形に彫られている竜に、生命が与えられた。
姿が浮かび上がって実体化し、全長五メートルほどにまで巨大化していく。
鋭い爪と牙、蒼い鱗、髭をなびかせた厳めしい顔……肌に彫り込まれ、物々しく彩っていた全ての要素が克明に再現されている。
行くぞ。鬼頭が念じると、"青雲竜"が身を波打たせ、動き出した。
最初に目指すは、ロータリー入口付近の歩道橋。
階段に陣取っていた敵三名が、鬼頭と竜の姿を一目見ただけで恐怖に慄いた。
化物と、それを従える更なる化物。
始めて感じる"圧倒"という感情。
「三秒以内に投降しろ。さもなくば殺す」
鬼頭が無情に宣告する。
押し潰されそうな恐怖の中、相手が選んだ行動は、使命に従うことであった。
どのみち捕まれば重罪は免れない。万が一逃げおおせても、裏切り者は粛清される。
至極合理的な判断であった。
一人と一匹の急所に、運良く命中することを願いながら発砲する。
だが、彼らの天運が技術を補うことはなかった。
次の瞬間には、竜の爪によってずたずたに引き裂かれてしまった。
鬼頭は同様の行動を繰り返し、あっという間に敵を蹴散らして歩道橋を制圧した。
竜を腕に戻し、ロータリーを見下ろす。
武器を持った敵がひしめいて、警察が敷いている防衛線を破らんと、攻撃し続けている。
鬼頭はスチール柵の上に立った。
敵は全て殺す――胸元いっぱいに刻まれている、青褪めた色をした薄いベールと、その上に載る星を模した無数の微細な光点が立体性を持ち始める。
鬼頭の皮膚を離れ、彼の頭上に、極々小規模な天の川が広がる。
身に彫られた六つの刺青の一つ"塵星"。
「聞けッ!」
眼下へ向けて、鬼頭が大音量を出した。
「トライ・イージェスだッ! 速やかに降伏しろッ! さもなくば皆殺しにするッ!」
名誉のために触れておくと、鬼頭は決して加虐趣味ではない。
ただ、敵対する存在を一切の仮借なく打ち滅ぼせる性情を持ち合わせているだけだ。
ロータリーの敵は、歩道橋にいた連中と同じような反応を起こした。
何十もの銃口が鬼頭に向けられ、一斉に放射される。
鬼頭は回避する素振りすら見せない。必要がないからだ。
弾丸から彼を守ったのは、彼の背後から出現した一羽の燕――彼の背中、腰の辺りに彫られた"庇燕"である。
六つの翼を持つそれは、俊敏な動きで鬼頭の前に回り込み、傘のように翼を広げる。
我が身を盾とし、主を狙う凶弾の全てから守りきった。
それを合図として、庇燕の上にあった"塵星"が瞬く。
天の川を構成する無数の星々が、流星となって地上に降り注ぐ。
一つ一つは散弾ほどの大きさだが、高い貫通力と、五十メートルは優に超える射程距離を持つ星屑は、次々と血守会の尖兵たちを撃ち抜いていく。
その間に鬼頭は歩道橋から地上へ降り立っていた。
敵の群れへと駆け出し、一定の距離が開いた時点で"塵星"のヴェールが消失し、彼の皮膚に戻る。
全ての流星が注ぎ終わった後には、屍の花が咲き乱れていた。
それを乗り越えて、何人かの敵が鬼頭へ肉薄してくる。
致命傷に至らなかった者や、星の弾丸を免れた者たち。主にEF保有者である。
炎を、氷を生み出し、またある者はナイフやトンファーなどを携え、勇敢にも真正面から立ち向かう。
鬼頭と、敵一群の間合いが触れ合った。
先鋒は、トンファー使い。
先手必勝。そう思考した時点で、彼の顔面はひしゃげていた。
やばい。心の中で恐怖心が再燃しかけた時には、氷使いの女は内臓に致命的な損傷を負っていた。
全て、鬼頭の生身が放った一撃である。
剛腕豪脚を振るい、たちまち全ての相手を血祭りに上げてしまう。
化物を従える主が、化物より弱いはずなどない。ただそれだけだ。
全てのEF保有者が戦闘不能になった時点で、勝負は決していた。
だが、駄目押しに鬼頭は、腹部から漆黒の体毛を有する獣"影虎"を具現化し、放つ。
本来の用途は偵察だが、銃器を頼みの綱とする程度の相手を片付けるには問題ない。
ロータリー中央にある植え込みの中から悲鳴が上がる。
鬼頭と"影虎"の鋭敏な感覚は、そこに潜伏している伏兵を既に察知していたのだ。
わずかに生き残っていた血守会の兵たちは、武器を捨て、降伏の姿勢を取った。
警官隊がわっと押し寄せ、彼らを捕縛、そして駅内へとなだれ込んでいく。
鬼頭は全ての刺青獣を戻し、無線機で警察の顔見知りに連絡を取る。
「終わった。続いて結界内の敵を殲滅に向かう」
「いいって。休んでろ」
相手が無線越しに苦笑いしているのが見て取れるような声色だったが、鬼頭は無表情のまま、言葉を返す。
「俺が社長から受けた任務は、"敵勢力の殲滅"だ。結界外だけじゃない」
「やれやれ。相変わらず融通が利かねえのな。好きにしろ。もし、しがらみ云々でゴタゴタ言う奴がいたら、俺の名前を出せ」
通信を切り、鬼頭は駅内へ向かって走り出す。
まず駅内の敵を片付け、次に結界内の残党だ。
至って単純明快な戦略を立て終えた後、別のことを考え出す。
何故か自分は、新宿に奇妙な縁がある。
今回だけでなく、前回に血守会が起こしたテロでも、最初の担当区域は新宿周辺だった。
中島雄二、瀬戸秋緒と共にトライ・イージェスを立ち上げるよりも前に所属していた組織も新宿が本拠地だった。
そして、歌舞伎町アンダーワールドとの腐れ縁。
土地から発せられる何か磁気のようなものが、魂を引き寄せているのだろうか。
真相がどうあれ、どうでもいい。鬼頭はあっさりと結論付けた。
二つ目の考え事は、血守会の戦力が前回と比較して低下していること。
前回はもっと多数のEF保有者を擁しており、非保有者も練度が高かった。
無論、他の駅に割り振られた戦力も同様である保証はない。
新宿への攻撃は高確率で陽動であることを差し引いて考える必要がある。
しかし何故、このような未成熟な状態でテロを決行したのだろうか。
中島瑞樹の存在が、それほどまでに重大だというのだろうか。
鬼頭の心に、迷いという言葉は存在しない。
瑞樹を見つけ出し、止めなければならない。
必要とあれば、最悪、殺傷することになったとしても、だ。
血守会が同時攻撃を仕掛けたのは、結界発生装置が設置されている新宿、渋谷、池袋、巣鴨、上野、東京、品川の七駅のみである。
展開されている"壁"への攻撃には意味がなく、一つでも発生装置を破壊すればいいのだから、当然の配分だ。
この時点ではまだ、東京と品川の二駅にはトライ・イージェスの社員が到着していなかったが、戦局は防衛側が優勢だった。
山手線各駅に配備されている警察戦力・鉄道警察隊が、決死の防戦にあたっていた結果である。
鉄道警察隊は元々、鉄道にかかわる公共の安全と秩序の維持のために存在していた組織だが、山手線結界が完成した後、更なる重大な任務を課されるようになった。
今回のように有事の際、結界そのものを何としても破壊されないよう、外敵から守ることである。人々を守る結界を守る組織というわけだ。
そのため、現在の隊員は、警察官の中でも精鋭を集めたエリートたちで構成されていた(ただしこれは警視庁のみの特色であり、他県ではあまり見られない傾向である)
鉄道警察隊の特色として挙げられるのが、全ての隊員がEFの非保有者であるということだ。
無論、差別的なニュアンスでそうなっているのではなく、正当な理由に基づいたものである。
突出した個の力よりも、組織としての統一性や総合力を重視しているのと、結界内側に出現した敵にも戦力を落とさず対応できるようにするためだ。
防衛を確実なものとするため、不確定をもたらす因子は少しでも取り除くべき、と考えた結果である。
EFを保有する戦闘員は、協力して任務にあたる防衛会社に擁してもらえばよい。
彼らの戦力は、山手線に更なる安全をもたらす結果となった。
トライ・イージェスという華々しい光の陰に少々隠れがちではあったものの、二十数年前の第一次血守会テロにおいて、鉄道警察隊も確実に勝利・防衛に貢献していたという事実を決して無視はできない。
そして今回も同様だった。
「――花房です。ええ、そうですか……分かりました」
移動中の車内にて、花房は次々と各駅の情報が舞い込んでくるのを聞き続けていた。
各駅とも、現在はこちら側が優勢。
ここまでは概ね上手く事が進んでいると言っていいだろう。
しかし、花房の顔から厳しさは消えないままだった。
助手席に座っている五相も同様であった。
相楽慎介を始めとする主要メンバーが一部残っている、中島瑞樹らが未だ五相のレーダーに引っかかる位置に現れていない、リーダーである奥平久志も未だ動く気配を見せていないなど、懸念材料がまだ幾つか残っている。
全てが終わるまで、決して油断はできない。してはならない。
花房の心構えは、当たり前のことだが、それゆえに正しかった。
だからこそ、この直後に連続して入ってきた新情報にも、心を乱されることはなかった。




