二十九章『水と火は相容れない』 その3
火災、騒音、血と火薬と煙の臭い――池袋の街は、未だ戦場の気配を色濃く残していた。
庄と遠野の二名は、相楽を挟む形で立っていた。
三者ともに、いつ攻撃に入ってもおかしくないほど緊張が高まっている。
第二ラウンドの口火をまず切ったのは、庄の一言だった。
「鳳さん、ここは俺一人でやらせて下さい」
彼の発言に、遠野も相楽も眉をひそめた。
「何を言う。克幸の仇を討ちたいのは、俺も同じだ。それに今求められているのは……」
「分かった上で言ってるんです。俺は絶対勝ちますから、頼みます」
「……やれやれ、仕方ない。まあ、今取り込んでいるモノの効力もそろそろ切れる頃だ。俺は一度退くとしよう」
遠野は大きく肩をすくめ、銃をしまった。
「退く、だァ? だったらついでに人生からも退場しちまえよォ!」
相楽が遠野を睨み付け、不意打ちの火炎を見舞った。
が、文字通りさらりとかわされ、舌打ちする。
遠野は髪をかき上げ、静かに言う。
「急くな。万が一、いや億が一、お前が典嗣を倒せたら、その時は相手をしてやる。とっておきの力を使ってな。典嗣。俺は池袋駅周辺の血守会構成員を片付けてくる。お前も早く来い。"それ"の始末をつけてな」
「ウス」
千葉に続いて遠野も去り、この場に残るトライ・イージェス社員は庄のみとなった。
「ヘッ、いいのかよ。俺様とタイマン張ることになっちまってよ。それとも前回みてェに、ナルシスト野郎にコソコソ狙撃でもさせるか? ま、俺様に二回も同じ手は通用しねェがな」
「ベラベラうるせぇぞ。いいんだよ。お前如きに二人も三人も人数かけてちゃあ勿体無ぇ。ウチは少数精鋭だからな」
「言いやがる。その少数精鋭様は一匹死んで、もう一匹は半殺しになったってのによ」
「あ?」
庄が眦を裂き、凄味を効かせた。
「よく吠えるじゃねえか。飼い主がいなきゃシャバにも出られないワンちゃんがよ。鎖はどうしたよ?」
「んだとォ? なめてっと殺すぞてめェ!」
「その前に俺がてめえを殺してやるっつんだよ!」
二人の距離が縮まっていき、互いの額がくっつきそうなほど、になる。
格闘家のように、或いは極道のように、至近距離で睨みを効かせ合い、汚い罵倒語をぶつけ合う。
既に一触即発になっていた。
互いの戦意と怒りが限界寸前にまで達した所で、相楽が庄の胸を突いた。
「調子くれてんじゃあねェぞ! てめェの能力だけで何ができるってんだ。義手を変形させるだけのチンケな能力でよ!」
「お前、勘違いしてねえか。能力なんか関係ねえんだよ。勝つか負けるか、勝負ってのはそれだけなんだよ!」
庄も負けじと突き返した後、胸の前で両拳を打ち鳴らして、強い口調で言い放った。
"勘違い"を指摘されたことが、相楽の自尊心をいたく揺さぶったようだ。尖った歯を剥いて、険悪な顔を作り出して言う。
「おい、偉そうに説教垂れてんじゃねェぞ。俺様を誰だと思ってやがる!」
「あ? トチ狂った放火野郎だろ?」
庄は皮肉たっぷりに返しつつ、更に言葉を連ねていく。
「それにな、お前はこれからそのチンケな能力にやられるんだよ。血ヘドぶちまけて、屈辱に震えながらな」
決定的な侮辱をぶつけられて、相楽の頭の血管が切れた。
怒りのあまり顔面から表情が消え失せるが、それはほんの短時間のことで、すぐさま衝動的な攻撃性と殺意が体内から湧き立ち、外へと迸る。
「……面白ェじゃねェか! やってみやがれクソ野郎! 殺す! ブッ殺してやる!」
「来やがれコラァ! 二度とオモテ歩けねぇようにしてやるぜ!」
猛り立つと共に、庄が能力を発動させる。
右腕の義手がゴリゴリと音を立てて変形し、手の甲に相当する部分に両刃の剣が形成された。
その形状は、かつてインドで用いられていた刀剣、ジャマダハルを思わせる。
「ヘッ、ワンパターン野郎が」
前回の戦闘でも同じ形状変化を用いていたことを思い出し、相楽が唾を吐き捨てた。
その間に庄が、一気に間合を詰めてきた。
心臓を狙った刺突。ただコンマ一秒でも早く仕留めるための、最短最速の一突き。
相楽の反応速度もまた、常人を遥かに上回るものだった。
迫り来る牙を素手で受け流し、その流れでカウンターパンチを相手の顔面に放つ。
庄は首を捻って避けつつも右腕を引き、今度はパンチを打った相楽の腕の付け根を狙って切り付ける。
しかしこれもかわされ、ジャケットを切り裂くに留まった。
相楽がローキックを打つ。
庄は避けなかった。
彼の右膝上付近で鈍い打撃音が鳴るが、彼のバランスは些かも揺るがず、また苦痛を表に出しもしない。
効かねえんだよ。庄は歯を食いしばり、左のリバーブローを叩き込んだ。
特殊ジャケットによって衝撃が大幅に吸収されるが、お構いなしに振り抜く。
「っは……!」
庄の憤怒が勝った。相楽は口を開けて短い呻きを上げ、ガードを緩める。
終わらせねえ。庄の追撃。連続して繰り出される右の突き。
結果的に刃が相楽の肉を捕えることはなかったが、戦いの主導権を握る契機にはなった。
武器だけにこだわらず、手足のコンビネーションを駆使した、息つく間さえ与えない庄の連続攻撃に、庄は防戦一方にならざるを得なくなる。
それでも一抹の意地で、決して直撃だけはさせない。
(んの野郎ッ! 受けに回るのは趣味じゃねェってのに……!)
相楽が歯噛みする。
発火能力を使いたいが、絶えず距離を詰められているため、使えば自分も巻き込んでしまう。
かと言って威力を弱めても、トライ・イージェス社員が着ているスーツもまた、相楽のミリタリージャケットと同様に高い防御力を誇る代物であるため、効果がないに等しい。
(しょうがねェ、使うか)
相楽はジャケットの内側に手をやった。
ここで、並の使い手ならば警戒して距離を取っていただろう。
しかし、庄典嗣という男は違った。
更なる追撃。これを蛮勇と呼ぶか剛勇と呼ぶか、見る者によって評価が分かれる所だが、とにかく庄にとっては勝利を得るために採択した最善手のつもりであった。
相楽が引き抜いた手を振るうと、閃光が走った。
手榴弾の類ではない。もっと局所的な光だ。
だが流れを変えるには充分事足りる一閃だった。
庄の右腕の甲、刃に変形させている部分に、縦に大きな裂け目が生まれていた。
刻んだのは、相楽の右手に握られていた大振りのナイフ。
無骨ながらも無駄がないデザインは、まさしく戦闘に特化しているといった趣だ。
さしもの庄も、一旦距離を開けざるを得なくなる。
「首を掻っ切ってやるつもりだったんだが、やるじゃねェか」
庄は裂け目とナイフを交互に見て、舌打ちした。
この切れ味、ただの刃物じゃあねえな。異様なほど眩しい光沢を放っているブレードが、血肉だけでなく骨までをも渇望しているように見える。
庄は、格闘技は好きだが、武器に興味はない。
せいぜい義手を変形させるレパートリーを増やす時、参考程度に適当なものを眺める程度だ。
ゆえに、素材や製法など知らなかったが、人体よりも頑強な義手を容易く切り裂ける時点で、危険な得物だということは分かる。
「俺様にコイツを抜かせたんだ。簡単に死ぬんじゃねェぞてめェ!」
意味の分からない理屈を述べながら、相楽は庄の足元を発火させた。
庄は背後に跳躍しつつ、右手の義手を能力で変形させる。
この損傷で剣として使うのは心許ない。
選択したのは、丸みを帯びさせた盾であった。
指や掌の部分も装甲に変形させてしまう。
角度を付けたとはいえ、切り付けや突きを受ければ破損してしまうだろうが、生身への直撃を防ぐことはできる。
もはや義手を惜しむ猶予などなかったのだ。
最初の時よりも変形速度は早かった。
"高揚感"がそうさせるのだ。
一対一で、素手でなければ認めない、などと言うつもりはない。
喧嘩でも試合でもなく、職務上での戦いなのだから。
しかし、どうしても、ギリギリの所で命のやり取りをする楽しさは抑えられそうにない。
立場や善悪の気質こと違えど、そういった部分では、庄も相楽も同類といってもいいだろう。
「死ぬのはてめえを殺してからだ!」
相楽の空間発火をかいくぐり、庄が再び接近戦を挑む。
悪魔の切れ味を誇るナイフへの恐怖心は、闘争心が麻痺させた。
「シャシャシャシャシャァァァ!」
唾を撒き散らし、狂笑しながら相楽が、輝くナイフを振り回す。
並の使い手とは比較にならないほどのナイフ捌きではあったが、庄にとっては、
「んな路地裏のガキみてえな使い方じゃあ、弱った野良犬一匹殺れねえぜ!?」
いずれも大差ない技術であった。
ただ違いがあるとすれば、相楽自身、興奮状態にありながらもそれを冷静に自覚している部分が心の片隅にあったことだ。
それもまた、彼の生来のセンスが成せる感情のコントロールであった。
ナイフを弾き落とすための打撃が幾度となく飛んでくるが、時にはその身にダメージを受けても、相楽は決して手放さなかった。
破壊・破棄されるだけならばまだいい。最悪なのは、庄に武器を奪われることだ。
それをよく理解していた。
庄もまた、我が身を顧みない突撃を繰り返して、無傷でいられるはずもない。
既に数か所、生身の部分に切創を刻んでいた。
幸い、いずれも浅手のため、出血多量になる心配はない。
先の「簡単に死ぬな」という発言から、刃に毒を塗っていないのは分かっていた。
だが、やはり侮れない切れ味である。盾にした義手も損傷が目立ってきた。
武器が無ければ背後を取り、極めるか絞めるかした後、常に携行している犯罪者制圧用の麻酔薬を注入するつもりだったが、その隙もない。
などと考えつつ、庄は薬が使えないことを、心の奥底では喜んでいた。
理由は今更説明するまでもない。
「薬を使ってもいいんだぜェ? 前みてェによ。使えりゃあだけどなァッ!」
発火とナイフのコンビネーションを大きく跳躍してかわし、庄は路上脇に乗り捨てられていた乗用車の上に立った。
相楽を見下ろしながら、左手の親指で首を掻っ切る仕草をして下に向け、
「サンドバッグをぶっ叩いたって、五十嵐の供養にゃならねえからな。はっきりキッチリ後悔させなきゃあ、俺らの気が済まねえんだよッ!」
車の屋根を蹴って飛びかかる。
体当たりを敢行するつもりだろうか。速度はあるが、軌道が直線的だ。
「バカが!」
相楽は眼力を込めて、庄の軌道上に火炎を起こした。
回避も防御もできない。そう確信していたが、庄が選んだのは第三の答えだった。
「バカはてめえだよ」
盾にした右腕を横に振るって、炎を切り裂いたのである。
攻撃は最大の防御、という格言を実行したのだ。
相楽はナイフで迎撃を試みる。
しかし、思いもよらない手段で能力を突破されたことによる無意識の動揺が、彼の行動を刹那、遅らせた。
手前に着地して急停止する、というフェイントに反応してしまった。
庄は、ギラギラと光るナイフが鼻先を通過していくのを、確実に見定めた後、
「オラオラオラオラオラァ!」
左手一本による超高速の連続パンチを胴体に叩き込んだ。
上下左右、そして中央の計五発を三セット分。
ジャケットの許容量を上回る衝撃を一挙に食らった相楽は、血を吐きながら成す術無く吹っ飛び、信号機の柱に激突した。
「庄典嗣様が誇る十大必殺技その一、マシンガン・トライアド・クロスだ。覚えとけ」
庄が相楽を指差し、高らかに宣言した。
「……クッ、クククク」
裏返った笑い声が、庄の耳に流れ込んでくる。
「こんなのが必殺技だとォ? 残りの九個もきっとカスみてェな威力なんだろうなァ」
なんと相楽は、まるで堪えていないといった風に、全身をバネのようにして起き上がった。
口元からは血が伝っているが、挑発的な笑いは変わっていない。
また、吹き飛ばされた際もナイフは手放さなかったため、武器もそのままだ。
「ったく、早い所終わらせてえんだがな。こっちはこの後も仕事が詰まってんだ」
「終わらねェよ。てめェら全員をブチ殺すまではな」
両者、再び睨み合う。
庄による五十嵐の弔い合戦は、相楽によるトライ・イージェス社員への報復戦は、まだ終息の気配を見せない。




