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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十八章『破壊の序曲』 その2

「おい、あのピンクのシャツの子、胸デカくね?」

「ああ、少なく見てもFはあるな、ありゃ」


 茅野佑樹と梶谷翔は、目の前を横切った同年代の女性の胸部を凝視しながら、小声でやり取りを行う。

 歩行に合わせて揺れる双丘に、あらぬ妄想が止まらなくなるのも無理はない。

 彼らは、大学の夏季休暇という長い期間を経ても、未だ恋人を作ることができなかったのだから。


「おい梶谷、お前声かけてこいよ」

「は? お前が行けよ」

「何で俺が」

「そしたらジャンケンで決めますか。負けた方が行くってことで」

「ああいいぜ……っておい、男連れじゃねぇか」


 女性は彼氏と待ち合わせていたらしく、六メートル先に立っていた男と二言三言やり取りした後、彼氏の腕を豊満な胸に挟むように密着し、手を繋いで歩き出した。

 二人揃って、失意と羨望のため息をつく。


 今日は茅野も梶谷も講義がない日だったので、遊ぶために新宿へと足を伸ばしていた。

 西口側にある駅ビルを適当に冷やかし、そこにいた予想外のカップルの多さに打ちのめされ、今はコンビニで買ったコーヒーを飲みながらロータリー脇で休憩を取っていた。

 勇気が不足しているというのに、ナンパでもしようかという野心を心に燻らせながら。


「……中島と松村、全然来ねぇな」

「夏休みボケ、ってタイプでもないもんな。何があったんだか」


 茅野と梶谷は、未だ大学に顔を見せていない友人二人のことを思う。

 四人は夏休みの間も、一度も会っていなかった。


「携帯にかけても繋がりすらしねぇんだよなぁ」

「青野ちゃんに聞いてもダメだったし。どうしたもんかね」


 刎頚の友、というほど四者は親しい仲でもなかったが、突然音信不通になれば流石に気になる。

 ズズズ、とストローでアイスコーヒーを啜る音が、二人の心境を表していた。


「まあ、それはひとまず置いといてだ! 俺らも早く彼女作らねぇと! 社会人になる前によ」

「ああ、出会いと時間が無くなっちまったらマジでチェックメイトだからな」

「おし、そんじゃ今から声かけしようぜ。場所移動するか?」

「マ、マジでやんのか。としたらどこがいいんだろうな……確かアレだろ、怖い人らの縄張りでやったらヤバい目に遭ったりすんだろ? ちゃんとその辺も考えねーと」


 二人が机上の空論に近いやり取りを交わし始めた時である。

 何の前触れもなく、目の前を突風が通過した。

 台風? 竜巻?

 突拍子もない単語が断片的に浮かぶのと同時に、人が、自転車が、自動車が、ゴミが、軽々と吹き飛んでいく。


 続いて、誰のものともつかぬ悲鳴が彼方此方から上がる。

 伴奏のように添えられる銃声。爆発音。爆風。怒号。

 逃げ惑う人々。追う人々。殺戮。死。狂騒。殺しの競争。


 二人はほぼ同じタイミングで、ほとんど空になっていたコーヒーのプラスチックカップを取り落した。

 細かい氷の破片が足元に散らばり、薄茶色の液体が靴を濡らしたが、気にしているゆとりなどなかった。


 新宿が、地獄になった。


 原因も理由も何も関係なく、単純に事実を認識するだけで充分であった。

 二人とも脱兎の如くその場から逃げ出した。


「け、結界はどうなってんだよ!」


 茅野が口にしたのは、山手線結界のことではない。

 新宿各地に展開されている、重要拠点や建造物を対象にした結界のことだ。

 EFを完全に封じることはできないが、幾許かの減衰効果があるはずなのに、とてもそれが作用しているとは思えない。


「し、知るかよ! つーか何でこんなことになってんだ! 戦争かテロか!?」


 襲撃者たちの目的はさっぱり見当がつかないが、とにかく敵意を持って駅周辺の民間人を殺傷する意志に満ちているのは明らかだ。

 二人は全速力で走った。少しでも駅から離れようと。

 方角を考えている暇などない。生存率を高める知恵もない。ただ身体能力と運に任せて、少しでも安全そうな空間へと逃げ切るだけ。


 異性運には乏しい二人だったが、どうやら安全運には恵まれていたらしい。

 雨あられと飛び交う銃弾や情動力から、かすり傷一つ負うことなく離脱することができた。


「こっ……ここまで、くりゃ……」


 息も絶え絶えになった梶谷が周囲を見る。

 二人が立ち止ったのは、片側を柵と塀に、もう片側をビルやマンションに挟まれた狭い路地だった。


 ここはどこだ、と茅野は言おうとしたが、口に出す必要がないことに気付く。

 柵の隙間や、塀の上からはみ出している草木を見て、ここは新宿御苑の外周部だと分かったからだ。

 "山手線結界の内側は安全"という考えが無意識に働いたのか、知らず知らずこちらへ走ってきていたようだ。


「どうするよ? 中、入るか?」


 梶谷も現在位置を把握したのか、御苑側を指差して言う。

 茅野は頷こうとしたが、やめた。

 彼は成績優秀という訳ではなく、お世辞にも頭の回転も速いとは言えない。

 しかし、生命の危機という事態に直面したことで、平時以上に思考が冴えるようになっていた。


 耳を澄ますと、遥か遠くから戦場を思わせる爆発音や銃撃音が聞こえてくる。

 この辺りにまだ静かだったため、聞き取ることができたのだ。

 募る焦りを鎮めるべく、無理矢理にでも音へ意識を向けるのをやめ、考えることに専念する。

 生き残るため、少しでも頭を冷静にして考えなければならない。


 もちろん、この場所にまで戦火が広がる可能性もゼロではない。

 しかし、山手線の内側にいる限り、EFによる攻撃は受けずに済む。

 再び外へ出るのは得策ではない。


 注意すべきは銃火器だ。

 襲撃者たちは明確な害意を持って民間人を攻撃していた。

 自分が連中の立場なら……EF保有者に結界外の人間を攻撃させ、非保有者や武器を持っている者は結界内へ侵入させる。それが効率的だからだ。

 そして、侵入したなら……少しでも人口密度の高い地点を狙うはずだ。弾薬とて無尽蔵ではないのだから。


 また、このまま一方的な展開で終わるはずもない。

 じきに駆け付けた警察や防衛会社が応戦するはずである。

 どちらが勝つか分からないが、事態が鎮静化するまで隠れきれば、こちらの勝ちだ。


 茅野は首を横に振った。


「いや、入るならこっちだ」


 茅野が更に一本裏道へと入っていくのを、梶谷は一瞬疑問に思ったが、黙って従う。

 茅野は細い道の一角に建っていた、やや古びたアパートの前で立ち止まり、出入口のドアを開けた。

 当たり前だが、ここが彼の自宅という訳ではない。


「まあ、しょうがねぇか」


 この時点で彼の考えをあらかた察した梶谷は、仕方なしに言う。

 完全に不法侵入だが、命がかかっているのだからやむを得ない。

 住人や管理人に見つかったら、事情を説明すればいいだろう。


 共用部分の廊下は薄暗くジメジメとしていたが、二人にはここが何にも換えがたい安息の地に感じられた。

 一番隅の所に座り込み、ようやく人心地つく。汗と疲労がどっと押し寄せてくる。

 深呼吸を繰り返して呼吸を整えた後、示し合わせたように携帯電話を取り出した。

 ネット接続を行い、SNSなどで情報を収集しようとしたが、通信障害が起こっているのか、中々繋がらない。

 そのことが事態の深刻さを物語っており、二人の心拍が再び乱れを見せ始める。


 時間が経ってやっと繋がっても、ただ混乱を表す短い言葉が乱舞するだけで、何の情報収集にもならない。

 二人は諦めて、通信を切った。これから何が起こるか分からない以上、バッテリーは大事にしなければならない。


「なあ……もしかしたら、中島と松村って、こうなるのを分かってたのかな」

「まさか」

「だよなぁ。悪い、変なこと言っちまった」


 呼吸が整い出したのを見計らい、二人は声を殺して会話を行う。

 住人に見つかりたくないというのもそうだが、いつ敵がやってくるか分からない。その方が恐怖だった。

 恐怖を紛らわせるためにも、黙らずにはいられなかった。


「中島だったら、こういう時どうしてただろうな」

「戦ってたかもしれねー」

「やっぱり? アイツ、強いもんなぁ」

「前に青野ちゃんから聞いたんだけど、横浜かどっかで化物が出た時も、一人で戦ってほとんど全部倒したらしいぜ」


 二人はため息をつく。それは羨望から来たものか、あるいは他の感情だろうか。

 茅野も梶谷もEF保有者ではなく、武器の所持許可証も持っていない。


 いや……二人は思う。

 果たして能力者だったとして、武器を持っていたとして、自分は戦えただろうか。

 あのような、人が簡単に死んでいく恐ろしい状況下で、苦痛や死の恐怖を勇気や正義感で抑え込み、立ち向かえるだろうか。


「ねーわ」


 図らずも二人、ユニゾンする。

 その時、すぐ近くでガサガサと物音がした。

 二人は口から心臓を吐き出しそうなほど驚き、互いに抱き合う。


 が、その正体を見て、安堵する。


「何だよ、猫か。驚かすなよな」


 茅野は、積まれたゴミ袋の隙間から出てきた、肥満体の茶トラ猫を見て脱力した。

 のも束の間、今度は横のドアが勢いよく開いて、我慢できずに「ひっ」と短い悲鳴を上げてしまう。


「おう、てめぇら、そこで何してやがる」


 ドスの利いた声。時代錯誤、とはとても突っ込めないパンチの効いたパーマ。タンクトップやハーフパンツからのぞくカラフルな刺青。

 半開きになったドアから現れ、二人を刃物のような視線で見下ろしていたのは、どこをどう見ても堅気には見えない男だった。


(上手く逃げられたと思ったのに、何でこうなるわけ!?)


 茅野は己が不運を嘆かずにはいられなかった。






 一方、中野区にあるトライ・イージェス社オフィスでは。


「――承知しました。ただちに弊社全社員を各現場へと緊急派遣致します」


 同社社長・花房威弦は、警察からの要請を正式に受諾して、電話を切った。

 ついに動き出したか――名高き防衛会社の社長を務める者といえど人間であり、全身に突き刺すような緊張が走るのはごく自然なことである。

 結界を、人々を守らなければという重責を感じずにはいられない。


 現在、オフィス内に他の"社員"は誰もいない。

 半日休暇の千葉悠真以外、既に各員それぞれの案件にかかっている最中であった。


「さて……」


 しかし、花房の他にもう一名、オフィスには"人員"がいた。

 今回の件にあたり、急遽臨時採用した助っ人だ。

 花房は、己の横で神妙な顔を作り、直立不動の姿勢を取っている女に声をかける。


「五相ありささん。貴方の力を役立ててもらう時が来た。病み上がりの身であることは理解しているが、事態が事態だ。力を尽くしてもらう」

「はい。私の心が壊れてしまっても構いません、遠慮なく道具としてお使い下さい」


 体調がすぐれないのか、平時に輪をかけた掠れ声で、だが強い決意を込めて五相は答えた。


「"取引"した通り、我々へ忠実に協力すれば、貴方の罪が不問となるよう働きかけよう」

「私のことよりも……」

「分かっている。中島瑞樹についても同様だ」


 もっとも、彼が本当に山手線の結界を破壊してしまったら、庇いようがなくなってしまうだろうが。

 花房はそのことを、今は口にしなかった。

 無言でタブレット端末を五相に渡した後、パソコンを操作し始める。

 全社員に緊急出動のメールを一斉送信し、


「早速、血守会側の主要メンバーの現在位置を探知して欲しい。まずは……」


 次々と名前を読み上げていき、五相のEFで現在位置を割り出していく。

 中野からなら、さほど"執着心"を抱いていないメンバーでも、山手線近辺までならば余裕をもって探知できる距離だ。


 得た位置情報を元に、花房が部下に指示を出している間、五相はふと先日、花房から持ちかけられた取引のことを思い出す。

 彼女が取引に応じたのは保身のためではなく、瑞樹の心を救いたいという一心に起因していた。


 ――瑞樹さんに、結界を破壊させる訳にはいかない。


 これ以上、血守会の呪縛などで苦しめさせたくはない。

 恐らく彼はこう考えているはずだ。


『トライ・イージェスや警察が、血守会を止めてくれれば』と。


 瑞樹が血守会に加担していたのは、恋人の青野栞を護るためである。

 彼が裏切るような行動を取れば、彼女の命はない。


 しかし、彼が"裏切らなければ"どうだろうか。

 彼が裏切らず、血守会が敗北したならば、それは血守会側の不手際によるものであり、彼に咎はない。栞に危害が及ぶこともないはずである。

 そしてそれこそが、瑞樹の望んでいる理想的なシナリオの一つでもあるはずだ。


 ならば自分は、彼の願いが成就するように手を尽くそう。

 それが彼にできる償いであり、想い人にできる最大のこと。

 彼が幸せになれれば、それでいい。自分はどうなっても構わない。


「五相さん、次は阿元団十郎だ。探知を頼む」

「はい」




 血守会側の主要人物を一通り探り終えた後、五相は複雑な顔をした。

 事前の見立て通り、全員の位置を探ることはできなかった。


 その中には中島瑞樹も含まれていた。

 未だアジトにいるのか、それとも能力の及ばぬ山手線の内側にいるのかは不明だが、一切の反応が返ってこなかったのである。

 柚本知歌、阿元団十郎、そして統率者の奥平久志についても同様であった。


 血守会主要メンバーの位置を基に、社員たちに指示を与え終えた花房は、一息つく間もなく椅子から立ち上がる。


「私達も出動するぞ。貴方にも付いて来てもらう。危険が伴うが、覚悟しておいて欲しい」

「構いません」


 五相が一切の躊躇いを見せずに頷いたのを確認し、花房は立てかけていたサーベルを腰に装備して、早足で歩き出した。

 社内がもぬけの殻状態になるが、緊急事態ゆえ致し方ない。


 オフィスから地下駐車場の車に乗り込むまでの道すがら、花房は更にもう一人へと電話をかける。

 五相同様にトライ・イージェス社員ではないが、この戦いで勝利を掴むためには、その人物の力が必要不可欠といっても過言ではない。


「花房です。緊急の用件ゆえ、都合を考慮せぬご連絡になったことをご容赦下さい。実は――」






「――分かりました。私も向かいましょう。それで……そうですか、あの子の場所はまだ……ええ、頼みます。では」


 瀬戸秋緒は電話を切り、険しい表情を作る。

 彼女は今日も朝から東京湾近辺、江東区新木場付近を捜索していた。


 結局、瑞樹を発見することができないまま、血守会が先に動き出してしまった。

 だが、見方を変えればこれは好機でもある。

 連中の企てに係る最重要人物である瑞樹が、確実に現れるのだから。

 場所がどこであろうと、何者が邪魔をしようと、必ずあの子を見つけ、救い出す。


 敵が、かつて死闘を繰り広げた血守会であることは、この時点の秋緒にとっては取るに足らない問題であった。

 血守会だろうと変異生物だろうと大して変わらない。害をなす存在でしかない。

 全て斬り捨てる。それだけだ。


 戦地に赴く前に、やらねばならないことがあったのを思い出す。

 左手に掴んでいた電話をしまわずにそのまま操作して、別の人間へと繋ぐ。


「……瀬戸だ。青野さんは今どこにいる? 自宅か。以前、あなたと約束したことを覚えているだろうか。今日は一切、家から出ないでもらいたい。買い物も避けてくれ。……そうだ、不便をかけてすまないが、よろしく頼む。

 それと……もう少ししたら、瑞樹君に会える。待っていて欲しい」


 最後に、互いにとっての希望を付け加え、電話を下ろした。

 栞が素直に従ってくれて、ほっとする。これで心置きなく、戦うことができる。

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