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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十八章『破壊の序曲』 その1

 十月一日は、都民の日と制定されている。

 血守会を統率する最高幹部・奥平久志が、意図してその日と山手線結界破壊工作の決行を合わせたのかどうかは定かではない。

 ともあれ、十月一日午前十一時を以て、ついに血守会は動き出した。

 さながら心臓から全身へと血液が巡っていくように、アジトから続々と各地へ構成員が吐き出されていく。


 構成員のほとんどは既に出払っていたが、血守会にとっての救世主と目されている青年・中島瑞樹は、未だアジト内に押し込められていた。

 奥平から、指示があるまで休憩室で待機するよう命じられていたのである。

 理由は容易に推察できた。恐らく、自分がトライ・イージェスに発見されるのを防ぐためだろう。


「――中島様、紅茶などいかがでしょうか」


 瑞樹にそう声がけしてきたのは、決起集会の時に司会進行役を務め、かつ個人的な世話係までしたカイゼル男だった。

 彼を象徴付ける鼻の下の髭は、今日も威勢よく端が跳ね上がっている。


「いえ、いいです」

「左様でございますか。失礼ですが、見た所中島様はご緊張されている様子。少しでもリラックスできればと、本場英国から取り寄せましたアールグレイをご賞味頂ければと思ったのですが」

「あーっ、あたし、飲みたい!」


 瑞樹の横に寄り添うよう座っていた少女・柚本知歌が挙手した。


「瑞樹兄もいっしょに飲もうよー」

「……分かったよ。それじゃあ、二つ下さい」

「かしこまりました」


 手際よく紅茶を淹れ始めたカイゼル男から視線を外し、瑞樹は知歌を見る。

 別段、緊張はしていないようだが、どこか元気がないように見える。


「いまからあんまりキンチョーしないほうがいいよ。つかれちゃうよ」

「知歌こそ、少し元気がないんじゃないか」

「そ、そうかな? あたし、いつもどーりだけど?」


 知歌は、嘯いた。


「お待たせ致しました」


 カイゼル男が湯気の立つティーカップを、テーブルの上に置く。

 湯気に含まれた、柑橘系をベースにした格調高い香りがすっと鼻から入り、脳を直にリラックスさせるかのような感覚が伝わる。


「冷めない内にまず一口、ご賞味下さいませ」


 助言に従い、瑞樹と知歌はカップの取っ手をつかみ、紅茶を少量口に運んだ。


「美味しい……」

「うめー」


 双方から賞賛の言葉が漏れ、カイゼル男は嬉しそうに目を細める。

 だが、こうも付け加えた。


「お嬢様、うら若き女子がそのようなことを口にされるのは、いかがなものかと」

「ぶー、うっさいなー、ヒゲさんは」


 ふてくされ気味に言うが、知歌が本心から嫌悪している様子はない。

 瑞樹は早くも二口目を啜りながら、思いを巡らせる。

 確かにリラックス効果はあるようで、心なしか精神と肉体が弛緩したような気もするが、代わりに別の感情が浮かんできた。


 残念、という感情だ。

 結局、計画実行までに相楽を殺す機を得られなかったのは残念極まりない。

 大学の友人、松村春一を無残にも焼殺した恨みを、瑞樹は決して忘れていなかった。


 奴も今回の計画にあたり、外に出張っている。

 そうすれば、トライ・イージェス社員の誰かと交戦する可能性は高いだろう。

 もちろん、彼らが勝利してくれるに越したことはないが、復讐対象を取られてしまうのは少々口惜しい、と思ってしまうのも本音であった。


 友人といえば、茅野や梶谷はどうしているだろうか。

 自分や松村がずっと大学に顔を出していないことを、流石に不審に思い出している頃だろう。

 二人は今日、講義があるのかどうかは分からないが、テロに巻き込まれなければいいけど。

 安全圏のはずの御茶ノ水にいたとしても、楽観視はできない。




 瑞樹が友人を思っている頃、既に外界では破壊の序曲が始まっていた。




 中森芽衣は、都民の日で高校が休みになったことを利用し、渋谷で買い物を楽しんでいた。

 帯同者はおらず、一人での行動だったが、寂しいとは思わない。


 彼女の隣には、脳内から投影された、彼女にしか見えない男性が立っていたからである。

 EFによるものではない。彼女の逞しい想像力が産み出した、彼女だけの恋人である。


 だが、芽衣は妄想と現実の区別がつかないほど夢見がちな少女ではない。

 いくら妄想したところで触れ合うこともできないし、彼女が想定した行動を取ることしかできない。

 そのことを、あらかじめ理解していた。


 だから、芽衣は近い内に告白する決意を固めていた。

 妄想ではなく、そのモデルとなった現実の彼に。今日はそのための勝負服を買いに来たのである。


 気に入った服も見つけることができ、ファッションビルを出ようとした時、突然視界が真っ白になった。


(え、霧?)


 芽衣の言葉は音にはならなかった。

 一分を待たずしてガスは彼女の瑞々しい肉体と未来、脳内の花畑さえも蝕み、一方的に終幕をもたらした。




 市原大輔は、池袋で一世一代の大勝負に出んとしていた。

 彼は二十三歳になる今まで、異性と性交した経験がない。

 それどころか、交際経験すら存在しなかった。


 不甲斐ない男女経験ばかりの人生だった理由を、自身では『度胸がなかったから』と結論付けていた。

 大輔は、そんな自分を変えたくて仕方がなかった。

 今年のクリスマスまでには彼女を作り、あわよくば――と、密かな野望に燃えていたのである。


 彼は度胸をつけるため、まずは何が何でも童貞を卒業することを決めた。

 ナンパや合コンどころか、女性とまともに会話する勇気やコミュニケーション能力すら疑わしいことを自覚していたので、まずは免疫をつけなければと思ったのである。


 一生懸命に働き、安月給から少しずつ貯金を積み立て、そして迎えた十月一日。彼は池袋の地に降り立った。

 目指す場所は、池袋でも指折りの高級店。


 ――やるぞ。俺は今日、童貞を卒業するのだ。そこから俺の栄光への道は始まる。


 池袋駅北口付近で大輔が吐き出したのは、精液でも一万円札でもなく、大量の血液だった。

 どこからともなく飛んできた無数の弾丸で、彼は全てを失い、頭の中が真っ白になった。




 小川幸也は、品川に本社を構える、ある大企業の重役を務めていた。

 この日は仕事ではなく、朝まで銀座のクラブで酒と女に狂っており、タクシーで品川駅前まで移動してから、会社近くの自宅マンションへ帰るところだった。

 自宅まで乗らなかったのは、酔い覚ましに少し散歩しようと考えたからである。


 アルコールの抜け切らない体で、ずり落ちるようにタクシーから降りた直後のことだった。

 小川の前を人が取り囲んだかと思うと、脳天に鈍い衝撃が走った。

 なす術なく地面に打ち付けられ、間髪入れず、にわか雨のように暴力が降り注いできた。


(な、なんだこいつらは!? うちの派遣共か!?)


 嘔吐感と、全身を貫く激しい痛みの中で、小川は先日決定した非正規雇用者の大量人員削減のことをまず考えた。

 それが最期の思考となった。

 攻撃者たちにとっては、相手の内情がどうであろうと関係なかった。

 ただ、金を持っていそうだったから狙われたのだ。


 小川は打ち捨てられたドラム缶の如く、激しい凹凸ができるまで暴力を受けた後、財布、アクセサリー、腕時計と、金目の物を全て毟り取られて、道端に放り出された。




 沢井昌・亮子は、今年で結婚四十周年を迎える夫婦だ。

 これまで互いに浮気もせず、喧嘩さえ起こったことがない。

 もうけた一男一女も既に立派に独立し、夫婦としても両親としても極めて模範的で円満な関係であった。


 昌は二年前に勤めていた職場を定年退職し、現在は妻と共に悠悠自適の生活である。

 派手さや刺激には縁のない人生だったが、二人は一切不満を抱くことはなかった。

 夫妻共にこの歳まで大病することもなく、今も健康であり、平穏な日々を過ごせることに感謝していた。


 二人は現在、埼玉県さいたま市浦和区に居住していたが、この日は巣鴨の地蔵通り商店街まで足を伸ばしていた。

 散策を楽しみつつ、そろそろ産まれる長男の子、二人にとっては初孫となる赤ん坊への贈り物を見繕っていた。


「今の赤ちゃんには少し古臭くならないかしら」

「そうだねえ。でも、そういったものの方が案外質が良くて喜ぶものさ」


 商店街の店の軒先に並ぶ、こけしやでんでん太鼓といった木製の工芸品を手に取りながら、夫妻は微笑み合う。

 二人の周りだけ時間の流れが緩やかになっているかのように、二人の会話はいつものんびりとしていた。

 そんな調子で品定めをしていたのだが、遠くが何やら騒がしくなってきた。雑踏の音とは違う。


「なにかあったのかしら」

「交通事故かな?」


 二人は品選びの手を止め、音のする方角に目をやる。

 商店街を歩き、足を止めて店を眺めているはずの人々が、一様に二人のいる方へ向かって突進してきていた。

 明らかに只事ではないことが明確に伝わってきた。


 ――自分たちも逃げなければ。


 そう判断した時には既に遅く、夫妻は迫り来る人々の濁流に飲まれてしまった。

 離れないように固く手を握り合うが、大混乱の中ではあまりに無力であり、解けた手がどんどん遠くへ引き離されてしまう。

 互いの名を呼ぶ声も、悲鳴や怒号に掻き消されて届かない。


 昌は、濁流を構成しているのが人間だけではないことに気付いた。

 猫ほどの大きさをした夥しい数の黒い塊――肉喰い鼠が、逃げる人間達を追い立てている。

 隙間を埋めるように、あるいは頭上を駆け回り、手当たり次第に喰らって食欲を満たそうと躍起になっている。

 高齢者は食いでがないのか、次から次へとターゲットが移行していく。


 肉喰い鼠とは、名称通り肉であれば何でも喰らい、繁殖を行う、貪食の顕現とも言うべき変異生物である。

 ただし夜行性であり、下水道などに好んで棲息するため、基本的に外に出ることさえほとんどない。


 しかし、その理由を考える猶予は残されていなかった。

 足に走った痛みが全てであった。逃げることも振り払うこともできない。

 商店街が昔ながらの風情を未だ残していたことが災いした。

 挟み込むように密集した建物、その中でひしめき合う人々によって、昌だけでなく他の人間も、身動きが全く取れなくなってしまったのである。

 血と肉が飛び交う混沌の中、昌は既に事切れていた妻の顔を見た。


 ――いったい自分たちが、何をしたというんだ。


 昌が人生最期に放った感情は、どうにも抗えない力に対する悲哀であった。




 小野勝己の任務は、上野駅周辺で大暴れをし、一人でも多くの通行人を無差別に殺傷することであった。

 これは下っ端も下っ端、使い捨ての兵隊が行う仕事であることを自覚していた。

 しかし彼はEF能力を持っておらず、優れた戦闘能力を有しているわけでもなかったため、特別な任務を帯びることはできない。


 そのような事情に起因する不満は、中島瑞樹を憎むことへも向けられた。

 ぽっと出でいきなり、山手線結界破壊計画の重要人物として祭り上げられ、更には決起集会における偽善者ぶった演説。

 そんな瑞樹の存在が、小野の忠誠心というよりも自尊心を損ねたのである。


 しかし周りには同じ任務、同じ境遇の同志が大勢おり、任務にあたり銃火器類の支給もされている。

 そのことが小野寺の中の不安と不満を少しばかり紛らわせた。

 同時に、卑屈さに押し潰されていた野望を再び膨らませるきっかけにもなった。


 ――今回の任務で活躍して名を上げ、奥平に取り入ってみせる。


 自分の力によって立つのではなく、あくまでも誰かの下につこうとしている姿勢に彼の器の程度が知れるのだが、小野は気付いていなかった。


 上役から指示があった通り、任務は定刻に始まった。

 事前の打ち合わせ通り、山手線のすぐ東側を南北に走る中央通りへと躍り出て、装備した手榴弾を投げ、ライフルを撃ちまくる。


 初めての殺人は、ひどくあっさりしたものだった。

 引き金一つで、手の平サイズの塊一つで、容易に人は死ぬ。

 EF能力なんかなくても、簡単に人を殺せる。小野の増長は止まらない。


 無抵抗の平和ボケした人間を思うがまま虐殺していく内に、自意識が醜く拡張していく。

 哄笑しながら弾丸をばらまく。手榴弾を投げる。死体が増える。


 即席殺人鬼と化した彼を止めたのは、駆け付けた警察ではなく、仲間だった。


 体の後ろ半分に、焼け付くような熱と、無数のガラス片が突き刺さったような衝撃が伝わる。

 脳が痛みを認識するよりも早く、小野の意識が薄れ出していく。

 手も足も動かず、切られた大木のように前のめりに倒れる。


 しゃがみ込んだ仲間が、小野の耳元で何か喚いている。

 何を言っているのか、もはや彼には聞き取れなかったが、仲間の表情を見て、わざと狙ったわけではないことだけは分かった。


 ――いいよ、気にするな。


 不思議と仲間を怒る気持ちにはなれなかった。

 ひとしきり暴れてストレス発散したことで、負の感情が昇華されてしまったのかもしれない。

 ただ、声や顔に出して相手に伝えることができない。


 ――まさか、味方の流れ弾を食らっちまうとは。でもまあ、俺のしょぼい人生にゃふさわしい終わり方かもな。


 小野の意識はそこで暗転した。

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