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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十七章『それぞれの九月三十日』 その3

「こうして、敢えてあなたに話した意味を、分かってもらえるだろうか」 


 突として、栞の震えが止まった。

 秋緒が投げかけた質問の意味を考え始めると、自然とそうなった。

 聡明な彼女は、すぐに意図を理解することができた。


「……ありがとうございます。わたしを、認めてくださって」


 そうだ。本来あまり口外すべきでないことをわざわざ教えてくれたのは、信用されているからだ。

 まだ硬さは抜け切っていなかったが、栞は、秋緒の目を見て答える。

 秋緒の方もまた、視線を外したくなる気持ちを抑え、続ける。


「あなたには大事な役目がある。あの子が帰った時、何も言わず、笑顔で迎えてあげることだ。精神的に辛いだろうが、体調を整えて、待っててもらいたい」

「瀬戸さん……」


 その時、ウェイトレスが注文した飲み物を運んできた。

 二人は一度会話を中止し、互いにコーヒーを口に運ぶ。

 一連の動きを、水泳のシンクロ競技のようにほとんど同じタイミングで行ったことに気付いて、互いに苦笑する。


「おいしい……」

「気に入ってもらえて何よりだ。ここのコーヒーは私のお気に入りでな。青野さんも、何も入れないで飲むのか」

「お砂糖やミルクを入れることもありますけど……ここのお店のは、ブラックが一番風味を引きだせそうですね」


 栞はコーヒーにうるさい方では決してなかったが、そう思わずにはいられない。


「そうか、分かってくれるか」

「でも、瑞樹くんなら甘くしちゃうんだろうなって……あ」

「しかし、瑞樹君は構わず甘くするだろうな……あ」


 どうやら同じことまで考えていたようで、二人は互いに小さく笑い合う。

 そして栞は、これなら今後、秋緒と上手くやっていけるかもしれないと希望を抱き始めた。


「……本当は」


 秋緒が、視線をコーヒーカップに落とした。

 細い目をさらに細め、ひどく言いにくそうにではあるが、続けていく。

 栞はカップを置き、耳を傾ける。


「その……こういう表現は、傲慢に聞こえてしまうかもしれないが……最初から、あなたのことは、認めていたんだ。すまなかった。私はこれまで、あなたに冷たく当たりすぎていた」

「いえ、そんな」

「いや、言い訳にしか聞こえないだろうが、言わせて欲しい。自分が過去、体験したことと重ねて、私が勝手にあなたを遠ざけていただけなんだ。別にあなた自身を嫌っていたのではない」


 そうだったんだ。嫌われていたんじゃないんだ。栞はその点に深く安堵する。


「こうして短い時間ではあるが、初めて二人で話してみて、改めて確信した。あなたは心から瑞樹君を想ってくれている。あなたになら託せる。だから、どうか……これからも、あの子と末永く、幸せに過ごして欲しい」

「せ、瀬戸さん。どうか頭をあげてください」


 秋緒から深々と頭を下げられ、栞は当惑した。

 もちろん、ここまで言われたことは嬉しい。瑞樹とずっと共に歩み、支えていく覚悟も決めている。


 だからこそ、胸の奥で、ちくりと痛むものがあった。


「いや、どうしても詫びなければならない。今まであなたに散々不快な思いをさせてしまっただろうから」


 秋緒も秋緒で、胸のつかえを取るのに必死だった。

 生真面目な性質が、過去の非礼を放置することをどうしても許さないのだ。

 実際は世間一般の嫁姑関係とは比べるまでもないレベルで、せいぜい応対が冷たくなりがちな程度だったのだが。


 しばらく互いに頭を下げ合ったり、謙遜し合っていたが、やがてそれも止まる。

 カップ内のコーヒーが底を尽きかけるまでの短い時間で、これまでの隙間を埋めるように話をした後、二人は携帯電話の連絡先を交換した。

 その際、秋緒はこう付け加えた。


「もう一つだけ、約束してくれないだろうか。瑞樹君が戻るまでの間でいい。私から連絡があったら、何も聞かず指示に従って欲しい。理由は、全てが終わったらきちんと話すから」

「わかりました」


 栞は頷いた。

 恋人が深く敬愛している人の言うことなのだから、きっと深い意味があるのだろう。

 これまでの会話で親しみが深まっていたことも、好影響をもたらしていた。


 栞が深く追及せずに承諾してくれて、秋緒はほっとする。

 これで、もし血守会がテロに及んだとしても、彼女が巻き込まれる確率を減らすことができる。

 自分が彼女につきっきりでいる訳にもいかず、トライ・イージェスに護衛を依頼するのも人的余裕の観点から難しいだろう。更に連中からの監視を刺激しないことを考慮すると、これが限界だった。


 家まで車で送ろうかという秋緒の申し出を、栞は丁重に辞退した。

 一刻も早く瑞樹の捜索へ向かいたいという気持ちを汲んでのことだ。

 詳しい事情が気にならないと言えば大嘘になるが、秋緒を信じるしかない。

 いや、秋緒が信用に足る人物であるということは、ここまでのやり取りで彼女も理解していた。

 自分の役目は、元気で瑞樹を迎えること。


(ちゃんとごはん食べて、休まなきゃ。あと、瑞樹くんの友達から何か聞かれても、よけいなことを言わないようにしないと)


 栞は固く決意した。これが自分の戦いなのだと。


 店を出た所で栞と別れ、秋緒はすぐさま車に乗り込んだ。

 これからまた、瑞樹の捜索へ行くのである。

 血守会のアジトが、東京湾近辺にあることまでは予想がついている。

 後はしらみつぶしに探すしかない。非効率だろうと、現時点ではそれしか打つ手がない。


「瑞樹君……必ず私が助けるからな。待っていてくれ」


 そして、血守会には然るべき報いをくれてやる。

 秋緒は怒りにその身を焦がし、車の速度を上げた。






 瀬戸秋緒と青野栞が喫茶店にいたのと同時刻。

 トライ・イージェス社社長・花房威弦もまた、偶然ではあるが、新宿にいた。


 案件と案件の僅かな隙間、新宿駅の南側を東西に横切る大きな遊歩道の上で心身を緩める。

 花房はこの場所を気に入っていた。

 東西を高層ビルに挟まれ、南北には山手線が伸びている。この凹凸のアンバランスさが彼のツボを刺激するのだ。


 また、ここからだと、山手線の結界発生装置がよく見える。

 遊歩道のすぐ北、駅中央から生えているビルの屋上に建造された鉄塔。

 その天辺に取り付けられた直径五メートルの水晶球――これが東京を守護する要だ。

 この球体から生成された特殊な力場が、無色透明の結界となって山手線内を空から地下に至るまで、二十四時間三百六十五日、一秒たりとも休むことなく包み込んでいる。


 結界完成当初は、日本中から観光客が殺到し、写真撮影だの何だのと大騒ぎになっていたらしいが、今はもう基本的には静かなものだ。せいぜい上京してきた人間が物見遊山で来る程度である。

 それほどこの結界は、市民にとって当たり前のもの、生活の一部となって馴染んでいた。


 花房が立っているのは、ちょうど結界の境界辺りだったが、微かな違和感がある程度で、他には何もない。

 噴水などが作る水の膜を割くように立っても、何ら心身に害が起こらないのと同じように。

 ただし、変異生物や邪霊は決して結界の中に入れず、また内側から発生することもない。


 花房は思う。

 このような外敵を不安視しても、あまり意味がないのではないか。


 確かに統計上では東京二十三区内、山手線結界の外側でも、変異生物や邪霊による被害はそれなりに出ている。

 だが実際は、その大半が江東区や品川区の臨海部、大規模な結界展開が難しい区域で発生しており、東京湾に面していない陸側区域では滅多に被害が出ていない。

 絶対の結界がなくとも、羽田空港のように守りを固めたり、浦安の夢の国や江戸川区の葛西臨海公園のように地の利があれば、臨海部といえど、被害をほとんどゼロに近い状態にまで減らすこともできる。


 山手線結界の存在はむしろ、地価の暴騰や、無用な争いを増やしているだけではないのか。

 現に、変異生物や邪霊といった外敵からの防御ではなく、EF保有者を牽制するために結界が張られているような状況になってしまっているのが実情だ。


 しかし……それでも守らなければならない。花房は、サーベルの柄頭に手をやり、目を閉じる。

 目に焼き付けていた結界発生装置の残像が、目蓋の裏にくっきりと残っている。


 結界発生装置は新宿の他にも、池袋、巣鴨、上野、東京、品川、渋谷の計七駅に設置されており、一つでも欠ければ効力は失われる。

 血守会が具体的にどのような手段で破壊を企んでいるのかは不明だが、攻めるより守る方が圧倒的に難しいのは、火を見るよりも明らかだ。

 一応、後手に回らぬよう、対策は講じているのだが……


「わぁ、何あれ」

「サーベルってヤツ? 珍しいな」


 ふと、後ろから男女の声が聞こえてくる。

 目を開けて振り返ると、腕を組んだ若いカップルが花房の腰辺りを凝視していた。

 苦笑いすると、カップルも同様の反応を示す。


 花房が帯刀しているサーベルは、瀬戸秋緒の日本刀以上に人目を引く。

 そんな風変わりな得物を所持しておきながらも、正直な所、彼は自身の剣技にさほど自信を抱いていなかった。

 ましてや、かの瀬戸秋緒とは比較にならないレベルだろう。


 だからと言って、手放すことなどあり得ない。

 見栄などのためではない。

 トライ・イージェスの社長になることが決まった日、父から譲り受けた、正義と信念の象徴。

 このサーベルは、花房にとっての"誇り"そのものだからだ。


 花房はいつも問いかける。

 サーベルに人格を複写して、そこから自らの魂へと。


『貴様は真に、彼ら社員の上に立つに値する存在なのか?』


 魂から返ってくる答えは決まってこうだ。


「自分が社長の器だとは到底思えない」


 実力・経歴・人望……どう考えても、創立メンバーの一人である鬼頭高正や、彼に次ぐ古参である剛崎健の方が相応しい。

 たかだか三十一年程度しか生きていない自分が、分不相応な社長の座に就いているのは、ひとえに父親が警察庁の要職に就いているからだ。


 情報面、人材面における相互連携を円滑にするため、現在のトライ・イージェス社は、社長に警察組織と関わりのある人間を迎え入れるのが暗黙のルールとなっていた。

 ただしこれは鬼頭高正の提案であり、警察側から圧力をかけられたためではない。


 父親だけでなく花房本人も、前職は警察官だった。

 出世が約束されていたはずのキャリア組だったが、三年前、ほとんど命令に近い形で、トライ・イージェス社へと転職することになった。

 スピード出世とも天下りとも異なる、奇妙な職歴である。


 花房に働きかけたのは、他でもない、彼の父親であった。

 息子をトライ・イージェスに送り込むことに何らかの狙いがあったのか否かは分からない。

 ただ、花房はこの"転職"を不服に思うことはなかった。

 何故なら、彼の夢の本質は"警察官になること"でも"エリートの座に就くこと"でも"父のようになること"でもなく、"大勢の人々の命と安全を守る"ことだったからだ。

 トライ・イージェスの勇名は当然かねてより耳にしていたし、その社長になれること自体は身に余る光栄だった。


 実際、仕事は多忙だが非常に充実している。

 部下もよくついて来てくれているし、中でも年長でベテランの鬼頭や剛崎が、率先して盛り立てようとしてくれているのも分かる。


 だからこそ、彼らの期待に応えなければならない。

 より多くの人々を守らなければならない。

 市民の安全と平和、正義のために戦うという思いに偽りはない。

 今の自分は、トライ・イージェス社の一員である。

 その名に恥じない振る舞いを、戦いをするだけだ。


 花房が一人決意を新たにしていたところ、携帯電話に着信が入る。

 社員の一人、六条慶文からであった。


「花房だ。何かあったのか」

「お疲れ様です、社長。五相ありさから返答がありました。"取引"に応じる、と」

「分かった。私の名にかけて悪いようにはしないと伝えて欲しい」


 花房は電話を切り、歩道橋を西に歩き出した。

 これ以上、ゆっくりと休息している暇はない。一層、奮励しなければ。

 先代たちのため。散っていった部下のため。


『貴様は、戦えるのか?』

「無論だ」


 花房は、社員バッジに手をやり、力強く唱えた。

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