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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十四章『肉を乗り越えて』 その3

 しばし、沈黙が流れる。

 気まずい、と表現するには少々複雑な感情が、両者の間に交錯していた。


「……あたし、いいよ。……する?」


 先に口を開いたのは、知歌の方だった。

 そっと手を瑞樹からどかす。

 次の行き先は、自身が纏っているバスローブだった。


 ほとんど本能的に、瑞樹は生唾を飲み込む。

 こちらを上目遣いに見るすっぴん顔の知歌に、抗いがたい魔力を感じてしまった。

 一言でも合意の言葉を発すれば、少女を包む布は容易く滑り落ち、裸身が目に映るだろう。


 中性的な容姿の持ち主とは言え、瑞樹とて男である。性欲がない訳ではない。

 ましてや、血守会側の監視があるとはいえ、恋人に露見する可能性はゼロに等しい状況下。

 誘惑に駆られるな、という方が無理な話である。


 だが瑞樹はすぐに、鉄の自制心と栞への貞実さで振り切った。

 この場所にいる元々の意味を思い出すと、すぐに治まったのである。


「いや……ごめん」


 かすかに微笑んで首を振り、知歌のバスローブを締めてやって、そっと引き離す。

 知歌は一瞬、呆気に取られた顔をしたが、


「……も~、瑞樹兄ってばホント、マジメなんだからぁ!」


 すぐ大げさに笑い飛ばして、瑞樹の肩をばしばし叩く。


「アタマだけドライヤーでかわかしてくるね」


 知歌が再び部屋から出ていった後、瑞樹は両手で二度強く、自らの頬を張った。




 その後、特に二人が気まずくなることはなく、またしばらくの間、話に花が咲く。

 そして瑞樹の腕時計が午前零時を回った頃、就寝しようという流れになった。


 ここで知歌が、同じベッドで寝たいとごね始めた。

 先程のことがあった手前、瑞樹は断り切れず、肌着を身に着ける、変なことをしないという二つの条件付きで許可した。

 距離の近い雑魚寝、不可抗力だと思って欲しいと、心の中で栞に詫びながら。


 一つしかない枕を譲ってやったものの、知歌がすぐに寝るはずもなく、早速横にいる瑞樹に話しかける。


「あたしら、もうメッチャ仲よくなっちゃったよね」

「……そうだね」

「あのさ、いまだったら結界、コワせちゃうのかな」

「どうだろう」


 二人は揃って複雑な顔をした。

 元々は奥平の命令で、親交を深めるよう命じられたのを思い出したのである。

 具体的なことは何も言われていなかったが、命令の理由は恐らく、瑞樹の炎と知歌の強化能力を組み合わせ、山手線内に張られた結界を破壊するためだ。

 本当にこれであの強固な結界を打ち破れるのか疑問だったが、奥平には目算があるのかもしれない。


「まあ、結界を抜きにしても、知歌に会えて良かったと思ってるよ」

「肉が食えるようになったから?」

「その意味でも感謝してる。本当に、ありがとう」


 その先――新しい妹がまたできたみたいだから、とは言えなかった。

 男として体を反応させてしまっておきながらそんな台詞を吐くのは、非礼にあたると考えた。


「秋緒おばさんにもはやくホーコクしたいよね。きっとビックリするよー。もしかしたら泣いちゃうかも」


 ひひひ、と知歌は笑って言った。

 あながち誇張にならないと思ったので、瑞樹は彼女のように無邪気に笑えなかった。


「先生にも好きなものをおごってもらうといいよ。何でも聞いてくれるはずだから」

「そーしよっと。ナニにしよーかなー。回らないスシもいいけど、ハンバーガーとかポテトを死ぬほど食っちゃうのもいいなー」


 寝る直前だというのに、知歌は妄想たくましく、食欲を大いに刺激させ始める。


「とりあえず夢の中で食べてなよ。そろそろ寝よう」

「ぶー、わかった。おやすみー」

「ああ、お休み」

「……秋緒おばさんとも一回、いっしょにフロ入ったり、寝たりしたいな」

「できるよ、ここから出たら」

「うん」


 それきり、会話が途切れる。

 その後知歌はすぐいびきをかき始めたが、瑞樹はまだ寝つけずにいた。

 原因は彼女ではなく、彼の精神的な部分にあった。


 罪悪感が、中々消えてくれない。

 栞の時はどうやっても反応しなかったのに、知歌に対しては容易に反応してしまった。


 単なる魅力の差だとは思えない。

 栞に対しても、精神的には反応していた。

 なのに何故か、体の方が全く無視してしまうのである。


 ましてや栞に対する愛情が薄れた訳では断じてない。

 むしろ会えなくなってしまったことで、想いは一段と強くなっている。

 プラトニックな方だけでなく、肉を伴った方もだ。


 何故だろう。何故こんな違いが。

 まるで表面的な部分ではない、もっと深い部分、潜在意識のレベルで何かが引っかかっているかのような……

 疑問は解決しないまま、瑞樹は段々と眠りの中へ引き込まれていった。






 瑠璃色が目に優しい夢だった。

 空の遥か彼方には揺らぐ水面のヴェールが広げられており、無数の流星を思わせる魚群が光源を横切っていく。

 夢の中だから、水中でも溺れることはない。


 瑞樹は石塔の頂上に立っていた。階段はない。

 塔の下には青みがかった珊瑚礁がずっと先まで広がっており、ここ以外に建造物はないようだ。


 瑞樹は、目が覚めるまでここにいたいと思った。

 ただし、頭上を遊泳している人魚がいなければの話だが。


「久しぶり。大変なことになっちゃったね」


 エメラルド色の鱗を輝かせた人魚が、長い黒髪をなびかせ、瑞樹の前に泳いできた。

 ご丁寧に耳までヒレのように変形させている。

 上半身の双丘は、肌よりも白い貝殻で隠され、真珠を繋いだ紐で連結されていた。


「……ここでも出てくるのか」


 瑞樹は顔を押さえ、忌々しげに呟く。

 最初の二日は出てこなかったのに、三日目の今夜になってついに夢の中に沙織が現れてしまった。

 仮住まいとはいえ、無意識に今寝ている部屋を自分の居場所と認識してしまったからだろうか。


 沙織は無遠慮に、言葉を並べ立てていく。


「希望を捨てちゃダメだよ。きっとまた外に出られるから」

「……お前に言われるまでもない」

「あと、知歌ちゃんとは少し距離を置いた方がいいんじゃないかな」

「黙れ」

「それと、おめでとう! お肉、また普通に食べられるようになったね」

「お前が言うなッ!」


 トラウマを植え付けた張本人に笑顔で拍手され、瑞樹の怒りが瞬間的に煮えたぎる。

 踏み込んで右ストレートを放ったが、沙織に身を翻され、虚しく水を切るに留まった。


「お前が……お前が、あんな目に遭わせなければ!」

「ごめんね、怒らせるつもりはなかったの」


 沙織は光源を背に"の"の字の軌跡を描いた後、再び元の位置へと戻った。


「瑞樹君に会えなかった間、私、ずっと考えてたことがあるの」

「それが、どうした」

「冷たくしないで。瑞樹君にとって、凄くいいお話だと思うから」


 沙織は白魚のような人差し指を、桜貝を思わせる唇にそっとあてる仕草をした。


「私をもう一度殺す方法、聞きたくない?」


 ビクンと、瑞樹は餌に食いつく飢えた魚のような動きをする。

 次に、張り詰めた顔を、疑いと怒り、そして好戦の狂気が入り混じった相へと変化させる。

 空気代わりに一帯に満ちている水を熱湯に変えてしまいそうなほどの闘気が溢れ出していた。


「うふふ、いい顔」

「さっさと言ってみろ」

「あくまでもまだ構想段階だから、そのつもりで聞いてほしいの。――私をもう一度殺したかったら、肉体を乗り越えるといいんじゃないかなって」


 瑞樹は大きな目を細く鋭くし、無言で続きを促す。


「まず一つ目は、瑞樹君が死ぬこと。瑞樹君は私に対する憎しみが強いだろうから、死んでもしばらくは思念がこの世界に残れるはずだよ。つまり私と同じような存在になれるから、触れ合うことができるようになるんじゃないかな」

「ふざけるな。そんなものを採用できると思うか」


 瑞樹は唾を吐くように即答した。


「そうだよね。栞ちゃんが悲しんじゃうし。これはダメか」


 沙織も、あっさりと自説を放棄した。


「二つ目。瑞樹君の記憶を消す、っていうのはどう?」


 この時、沙織の表情に少し陰りが差したが、既に理性が大分怪しくなっていた瑞樹が気付く由もなかった。


「記憶を消せるEF能力者を探すか、薬を使うか。とにかく私に関する記憶を綺麗さっぱり消しちゃうの。そうすれば、こうやって瑞樹君の夢に出てこられなくなるかもしれないし、例え潜在的な記憶が残ったとしても、私を復讐対象と認識できなくなるかもしれない。ただ、この方法だと直接私を殺せないから、瑞樹君もあまり納得できないんじゃないかな」

「そうだな」

「うん、私も納得できないもの。殺し合いをしないでお別れするのは寂しいよ」


 沙織と同調するのは不愉快極まりなかったが、仕方がない。

 そもそもこの方法は、瑞樹もうっすらと考えていた。

 採用を見送っていた理由も、ずばり沙織と同じだった。


「それじゃあ最後の一つ、三つ目の方法。これの成功率は正直未知数だと思う」


 沙織は真剣な表情のまま、言葉を続ける。


「舞浜にある夢の国に行くの」

「夢の国……」


 瑞樹は眉根を寄せた。


「あそこ、現実との境目が凄く曖昧でしょ? 運が良ければ、現実世界にいたまま、今の私と会えるかもしれない。ただ、実現するまでが色々と難しいと思うの。警備が厳しいし、混んでるし、そもそも具体的にどうすればいいか、まだ考えてないし」




 わざとらしく考え込む仕草を取る沙織を見て、瑞樹は奥歯を擦り合わせる。

 文句を言いたいが、そうなってはただの逆切れに近い。

 何より、悔しいが沙織の第三意見は的を射ているように感じられる。少なくとも、現時点で最も理に適っていそうな手であるように思う。


「夢の国じゃなくても、似たような体験ができる場所があればいいんだけれど……私は知らないの。どこかの奥地か、もしくは海外にでも行った方がいいのかな? 有明じゃあダメかな。ううん、でも、私としては夢の国がいいな。だって、デートといえば夢の国は定番中の定番だもんね」


 実に嬉しそうである。沙織の饒舌は止む気配を見せない。

 瑞樹はチクリと、皮肉を放った。


「知らないのか。デートで夢の国に行くと、別れるジンクスがあるんだ」

「知ってるよ。だから、なおさらピッタリなんじゃない。もっとも、私と瑞樹君の仲は、そんなジンクスぐらいじゃあ引き裂けないだろうけど」


 不意に沙織が下半身をうねらせて泳ぎ、瑞樹の背後へと回り込んだ。

 そして、彼の体を抱きすくめる。


「は、離せ! 化物が!」

「こんな風に、私と瑞樹君は、ずっと一緒なの。瑞樹君が死んでも、ううん、死んでも、魂が滅びるまでずっと」


 沙織が、瑞樹の耳元で、ウィスパーボイスを更にひそめて言った。

 瑞樹は、北極の海に叩き落されたような、骨まで凍りそうな冷たさを感じる。


 死んだ後もずっと、だと。冗談じゃない!

 恐怖が深い憎悪へと変わり、炎を生み出そうとする――が、水中と認識してしまっているからか、火花すら出ない。


「とにかく、今は血守会のことで色々大変みたいだから、片付いてからの方がいいかもね」


 そのうち、沙織の方から拘束を解いた。


「生きてね、瑞樹君。私のため以外に死んじゃ嫌だよ」

「うるさいッ! 用が済んだら早く消えろッ!」


 瑞樹の怒声を足元で聞き、沙織は目を細めた。


「覚えておいて。どうするにしても、瑞樹君が、肉体を乗り越えられるかどうかがポイントだよ」


 そのまま、遥か光源へと登り、泳ぎ去っていく。

 魚群よりも小さくなっていき、光に溶けて消えていく。


 塔の頂上で立ち尽くす瑞樹に残されたのは、泡だけだった。

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