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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三章『喋る猫は導く』 その1

 秋緒が帰宅したのは、夕方になってからだった。

 やはり仕事だったようで、バッグを左手に持ち、愛刀をショルダーベルト付の刀袋に入れて担いでいた。


「何かあったのか?」


 出迎えた瑞樹を見て開口一番、秋緒は問いかけた。

 瑞樹の僅かな変化に目ざとく気付いたのだ。


「まさか、あの娘と喧嘩でも」

「あ、いや、そうじゃないんです。疲れてるでしょうから、一息ついた後にでも話します」

「そんなことは気にしないでいい。今話しなさい」


 秋緒がそう言うので、リビングのソファに座ったところで、帰り道で遭遇した出来事を包み隠さず話した。


「人の言葉を話す猫、か。そのような能力や変異生物は、私も聞いたことはないな」

 自分より遥かに豊富な経験を蓄えている先生でも知らないとは。

 人間を含めた生物の多様性に、瑞樹は改めて驚かされる。


「本当に尾行がついていたとは……やはり一度、文句を言ってやった方が」

「まあまあ、それはひとまず置いといて。先生はその猫のこと、どう思います?」


 話が別方向に逸れそうになったので、慌てて諌める。


「……その猫の言葉の全てを額面通りに受け取るのは危険だろう。正体がはっきりするまで、無用の外出はなるべく控えた方がいいな。何なら大学への行き帰りは私も同行するか?」

「い、いえ、いいです。先生も仕事があるじゃないですか。それに僕だっていざという時は戦えますし、キャンパスの中や、新宿より先は結界があるから大丈夫ですよ」


 流石にこの歳になって保護者同伴での通学は恥ずかしい。

 瑞樹は大げさに両手を振り、申し出を丁重にお断りする。


「そうか? 遠慮することはないのだが……」


 秋緒は不承不承納得した。

 しかしやはり心配だからと、結局しばらくの間、通学の時は車を使うということで話が落ちついた。

 守りの固い車内ならば安全度が増すし、もし猫やら他の小型動物が現れても、轢き殺してしまえばいいとは秋緒の弁だ。

 瑞樹としては、なるべくそのようなことが起こらないことを祈っていた。


「そうだ。瑞樹君、キミに手紙が来ていたぞ」


 秋緒は思い出したように、横に置きっ放しにしていたバッグのポケットから一通の封筒を取り出して、瑞樹に手渡した。


「ああ、そういえばそろそろ定期カウンセリングの時期でしたっけ」


 封筒の両面を交互に見ながら、瑞樹は呟く。

 差出人のところには医療施設の名前と住所が印字され、その横に担当医の名前が手書きで付記されていた。


 犯人に家族を殺され、一方的な"デート"の約束を結ばされた後、瑞樹は燃え盛る家を背景に一人取り残されていた。

 保護された時点で命に別状はなかったが、精神的なダメージが深刻であり、虚ろな表情を浮かべたまま、外部からの刺激に一切反応を示さない状態になっていた。


 そんな彼が、秋緒の手によって連れて行かれたのが、能力に覚醒した人間専門のカウンセリング施設である。


 治療の効果は早期に現れ、瑞樹は早期に自己を取り戻すことができ、日常生活を送れるほどまで回復するのに一年もかからなかった。

 その後も念のため、現在に至るまで年に一度定期診断を受けているのである。


「連休前に一回行かなくちゃ。……ああそうだ。先生、連休中に彼女とちょっと遠出しようと考えてるんですが」

「なんだと?」


 秋緒は眉をひそめた。

 遠出という部分ではなく"彼女"という部分にである。


「ダメ、ですか?」

「いや、そういう訳ではないが……まあ、色々と気を付けるように」


 はい、と返事をしながら、瑞樹は心中胸を撫で下ろした。

 どういう訳か、秋緒は栞のことを良く思っていない節があるからだ。

 以前、初めて栞のことを紹介した時も、少々冷たいというか、素っ気ない態度を覗かせていたことを覚えている。

 栞のことを嫌っているのではないようだが、正確な理由は分からなかった。

 そのため何度か、


『先生は少し栞に冷たい気がするんですが』


 と尋ねたことがあるが、その度秋緒は、


「……そんなことはない」


 と、少し苦い顔をして返すだけだった。

 そんな顔を見せられると、瑞樹の方もそれ以上踏み込めなくなってしまうのだ。


 ともあれ、許可をもらうことはできたので、今回の対応に関して不満はなかった。

 早めにカウンセリングを済ませ、連休中は栞とのデートを楽しむだけだ。


 夕食を取った後、瑞樹は自室に戻って封筒を開けた。

 中にはすっかり見慣れた文体とレイアウトの、カウンセリングの日時や施設の場所が書かれた案内書類が入っていた。

 瑞樹はいわゆる"特別枠"のようなものに入っており、事前予約なしで直接施設を訪問して診察を受けることができる。


 いつもはざっと目を通してからデスクの引き出しにしまい込むだけだったが、今回は少々事情が違った。

 いつもよりも一枚多く紙が入っていたのである。

 なんだろうと疑問に思いながらも、瑞樹はもう一枚の紙に目を通し始める。

 それはコピー用紙ではなく便箋で、手書きの几帳面なペン文字で文章が綴られていた。


「多嘉良さんからだ……何だろう」


 いきなり文の締め括りから見た瑞樹は、担当医の名を呟く。

 今まで案内封筒に自筆の手紙を添えてくるなど、一度もしてこなかったのに。

 理由を知るべく、改めて最初から読み始める。


 時候の挨拶に始まり、近い内に顔を見せに会いに来て欲しいと、案内書類の内容に沿うかのような言葉が続く。

 ここまでは引っかかりもなく読み進めていくことができた。


 しかし、一行分の空白を開け、段落を変えてその後に続く言葉に、瑞樹は身を硬直させた。


『人の言葉を話す猫というメッセンジャー、いかがだったでしょうか』


 両手が小刻みに震え出す。

 単純な怒りでも恐怖ではなく、もっと複雑な、一言で言い表せない、緊張じみた感情が湧き起こってくる。

 その後に続く文章がまるで頭に入ってこないほどに。

 明日は一限から大学の講義があるが、欠席して朝一番で行こう。瑞樹は素早く決心した。




 翌日は朝から小雨が降っていた。

 いつもより早い時間に起床した瑞樹は既に覚醒した顔つきで、朝食を簡素に済ませ、淡々と出発の準備を進めていく。


「何かあったら、すぐ私に連絡するように。それと、人気のない場所に一人で行くのは避けるようにな」


 家を出ようとした時、秋緒に声をかけられた。

 瑞樹は短く「はい」と答え、ガレージへと向かう。

 昨晩、手紙を読んでからずっと緊張感が瑞樹の心身を覆っていたのだが、秋緒がそこに触れることはなかった。

 猫や尾行に警戒しているせいでそうなっているのだと捉えているようだ。


 今朝は大学へ行かず施設へ向かうことを、秋緒には話していない。

 完全に秘密にするつもりはなかったが、まずは自分と多嘉良の問題としておきたかったからだ。

 瑞樹はカーステレオの再生ボタンを押し、好きな音楽を流し始める。

 いつもなら無音でも気にしないのだが、今日は音が欲しかった。

 ただしボリュームはかなり小さめにしている。


 手数の少ないシンプルなドラム、直線的なベースライン、攻撃的でヘヴィなギターリフと順々に加わっていき、最後に男臭さがプンプン漂うヴォーカルが、ひどく日常に密着した歌詞を歌い始める。

『歩く安全』というロックバンドの曲だ。

 ヴォーカルの身長が三百十二センチメートルあることで有名な、新進気鋭のバンドである。

 元は瑞樹よりも低身長だったらしいが、能力に目覚めたことで体を巨人化させることができたとインタビューで語っていた。

 以来、バンドマンとして人前に出る時は、いつも能力を使っているらしい。

 正直、少し羨ましいと瑞樹は思う。

 三メートルとは行かずとも、せめてもう十センチは身長が欲しかった。


 巨人の足音のようなバンドミュージックを鳴らす車は、渋谷方面に向かっている。

 施設までの道筋自体はかなりシンプルで、井ノ頭通りに出てからひたすら南東へと車を走らせ、渋谷駅に近付いてきたら左折して少し進んでいけば良い。

 幸い、道中で動物が飛び出すようなことはなかった。

 雨も運転中に上がり、目的地に着く頃には、薄いグレーで覆われた空の一部からうっすらと晴れ間が覗くほどに天気が回復していた。


 国立精神医療センターは、周りを緑で覆われた場所の中に建っている。

 白を基調とした、直方体の中にも所々丸みを取り入れたデザインの建物だ。

 この手の施設によくある、清潔感や風通しの良さをアピールした雰囲気を全面から放っていた。


 瑞樹は敷地内、建物の横にある駐車場に車を入れ、雨露に濡れた芝生が放つ緑の香りを嗅ぎつつ建物へと向かう。

 入る直前、念のため携帯電話の電源を切る。

 自動ドアを抜けた先にはすぐ受付があり、


「中島瑞樹といいます。多嘉良先生にお会いしたいのですが」


 瑞樹がそう告げると、受付の美人女性は「かしこまりました」と内線電話をかけて二、三やり取りをした後、愛想のいい笑顔で、


「先生のお部屋まで直接どうぞ」


 と、瑞樹にいつも通りの案内をした。


 建物内は少なくとも二十~三十人以上の外来患者と思われる人々がいる。

 騒いだり発狂したり、独り言を延々と呟いたりしている者はいない。

 一様に大人しく待合室の椅子に座っていたり、雑誌を読んでいたり、据え付けのテレビを観たりしていた。

 言い換えると、精神的に病んでいる様子を見せている者は見当たらない。


 それもそのはずで、ここの精神医療施設は通常のそれとは意味合いが異なっている。

 数十年前、地球全体を変えてしまった『ジアースシフト』という出来事がきっかけで、世界中に特殊な能力を使える人間が現れ始めてから、精神病院の在り方が分岐し始めたのだ。


 "能力"は正式名称をEF(Emotional Force)といい、これが国際基準となっている。

 由来は"感情"を引き金として発現する力だからだ。

 どの感情が引き金となるかは個人差が存在し、また能力の種類、感情との組み合わせも千差万別である。


 日本における正式名称は『情動力』であり、正式な場ではこう呼ばれている。

 しかし人々の雑談など、砕けた場面では「イーエフ」と言う方が容易いので、国際基準の方で呼ばれることの方が圧倒的に多い。

 もしくは単に『能力』『EF能力』と呼ぶのが普通だ。


 たった一人のEFが大量破壊兵器を凌駕する力を有しているような事例は今に至るまで数えるほどしか確認されてはいないが、それでも能力の種類によっては国家や組織の存続を脅かす危険性は充分にあり、実際EFの暴走などで障害事件や個人レベルの喧嘩による被害が拡大されたり、テロや紛争などにEFが利用されることもある。

 EF保有者の精神的なケアは世界的な急務となっていた。


 EF保有者と非保有者の間での人権問題など、他にも様々な問題はあったのだが、それら紆余曲折を経て、現在は大分EFにまつわる混乱も収束し、安定期に突入していた。

 瑞樹も炎を起こす能力を持っているということで、色眼鏡で見られてしまう時期もあったり、幾つかの問題を起こしてしまったこともあったが、現在は概ね平和に過ごせていた。


 余談ではあるが、混乱が早期に収束した理由は、今上天皇やローマ教皇クラスの存在が『人類愛』を引き金とした能力を用いて鎮めてしまった、ジアースシフトそのものが、人類の倫理レベルの土台を引き上げてしまったなどの説がまことしやかに囁かれているが、今の所実証はされていない。


 瑞樹はそれらの説を信じていない、というより認めたがらなかった。

 認めてしまえば、あの女の存在をある意味肯定してしまうことにも繋がってしまうからだ。


 ガラス張りのエレベーターに乗って八階まで上がり、右手の廊下を真っ直ぐ進む。

 一番奥の突き当たりにあるのが、瑞樹の担当医である、フランク=多嘉良の部屋だ。


 白い壁に挟まれ、ベージュ色の床を歩く途中、瑞樹の心拍数は否が応にも高まっていった。

 靴が床を踏んで鳴らす音よりも早く、心臓が脈を打つ。

 理由は言うまでもない。

 ドアの前で立ち止まり、一度深呼吸をしてからノックをする。

 すぐ男の声で応答があった。


「どうぞ」

「中島です、失礼します」


 ドアを開けると、白衣の中年男性が椅子から立ち上がり、瑞樹に向かってにこやかな笑顔を向けた。

 実年齢は四十台後半だが、肌の艶や背の高いスマートな体型のせいでもっと若々しい印象を与える。

 後ろでまとめた長い髪も黒々としており、白髪一本生えていない。

 そしてスイス人とのハーフということもあり、顔の彫りが一般的な日本人よりも深いのが特徴的だ。


「中島君、一年ぶりですね。元気そうで何よりです」


 声は聞き手に安心感を与える、通りの良い低音。


「多嘉良さんの方もお変わりなく」


 挨拶もそこそこに、瑞樹は勧められるまま、部屋の中央にある、高級そうな革製の椅子に腰かけた。

 彼を"さん"付けで呼んでいるのは不信感ではなく、元からである。

 多嘉良は"先生"と付けて呼ばれることを好まない。

 話し相手と壁を作らず、距離を縮めたいというのが理由だそうだ。


 瑞樹が座った後、多嘉良もローテーブルを挟んだ向かい側に腰かける。

 一応ここは診察室であり、それなりの器具などもあったりするのだが、隅に追いやられる形となっており、部屋の雰囲気はむしろプライベートの応接室に近い作りをしていた。

 テーブルの天板は変異したヒノキを素材に使っていると、以前多嘉良が話していた。

 通常のものより香りが強いが、くどさはなく、すっと鼻腔に入ってくる。

 まるで妖精が棲む森林で休息しているような気分になり、自然と心身が解れていく。

 瑞樹の緊張も、若干ではあるが緩和した。


「あ、そうだ、忘れてた」


 座ったばかりの多嘉良が再び立ち上がる。


「コーヒーでも飲みますか?」

「いただきます」


 多嘉良は、自分の背後にある机の隅に置いてあったコーヒーメーカーからサーバーを抜き取り、隣に積んである紙コップを二つ取ってゆっくりと注ぐ。

 その内の一つには、砂糖とミルクをたっぷり入れてかき混ぜた。


 瑞樹は、カフェオレのような色となった液体が入った紙コップを多嘉良から受け取り、少し口をつける。

 苦さを遥かに凌駕する甘さが舌に広がっていく。

 コーヒーとヒノキの香りが混ざり合い、何ともいえない空間が生まれる。


「さて……真っ先に聞きたいことがありますよね」


 多嘉良は笑顔のまま、誘い受けのような言葉を投げかけた。

 正確には笑顔というより、素の表情自体が笑顔のような造形をしているのだが。

 対照的に瑞樹は表情をやや硬くさせて、多嘉良に質問した。


「神崎貴音とは、誰ですか」

「私の助手ですよ。紹介しましょう」


 言うが早く、多嘉良は三度席を立ち、机に備え付けてある固定電話で誰かを呼び出し始めた。

 すぐに受話器を置き、瑞樹を振り返る。


「カルテの整理を終えてから来るそうです。それまでの間、話を聞かせて下さい。この一年、中島君に何があったのかを」


 最後に多嘉良と会ったのは去年の連休明けで、ちょうど一年近くのブランクがあった。

 瑞樹はその間の出来事をかいつまんで説明した。

 八月、犯人と一戦交えたが勝てなかったこと。

 ほんの少しずつではあるが、秋緒が変異生物駆除の仕事を任せてくれるようになったこと。

 大学では概ね上手くやっていて充実していること。


 栞との関係についての悩みは、プライベートすぎる事情のため、一度も話せずにいた。

 また、尾行にまつわる話もしなかったが、これは既に相手が事情を把握していると踏んでのことである。


 話をしているうちに、瑞樹の緊張はほとんど解れ、いつもの調子が戻っていた。

 メンタルをやられていた自分を温かく、辛抱強く見守り続けてくれたということもあり、元々瑞樹は多嘉良のことを信頼していた。

 それに職業柄か、多嘉良には人の心を解きほぐす不思議な魅力があった。

 EFを用いずとも、柔らかい風貌と口調、落ち着いた声と振る舞い、そしてあまり精神科医らしくないざっくばらんな性格で、人は簡単に心を許してしまうのだ。


「あっはっは! 確かにいきなり猫が喋ったらビックリしますよね! 中島君、よく燃やしませんでしたね」

「笑いごとじゃないですよ。本当に心臓が止まるかと思ったんですから」


 近況報告を終え、部屋のムードが和やかになり始めたところで、ドアをノックする音が二人の耳に届いた。

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