二十三章『尋問、そして監禁』 その2
渋滞にも巻き込まれず、二人はスムーズにトライ・イージェス社のビルに着いた。
中は相変わらず厳重なセキュリティだった。監視カメラやカードは勿論のこと、生体認証や赤外線センサー、そして結界も張られている。
しかし、これだけやっても穴はあるものだと、瑞樹は思う。
今もなお近くにいるであろう、監視についている人工生物の存在を拾えていないのだから。
以前、血守会のアジトへ移動する途中、阿元から説明を受けたことがあった。
元々人工生物は、変異生物と違って、結界に阻まれず移動できる特性がある。
詳しい原理は不明だが、どちらかと言うと機械、ロボットに近い特性があるかららしい。
更に、瑞樹を監視しているモノは特別製らしく、光センサーや熱源反応をも掻い潜ることができる。
何かしらのデメリットやハンディはあるのかもしれないが、そんな反則じみた存在を持ち出されては、さしものトライ・イージェスと言えどもお手上げだろう。
「こっちだ」
案内されたのは、一階の隅にあるドアだった。
確か地下に通じているはずである。前々から存在自体は知っていたが、始めて入る場所だ。
果たしてドアを開けると、下りのみの狭い階段室があった。
さほど長くもない階段を降りていった先には、大きな鉄扉があり、行く手を遮っていた。
剛崎が暗証番号を打ち込むと、扉が開かれる。
扉の先に通路などはなく、すぐ地下室になっていた。
中は思いのほか狭い。恐らく十畳ほどの広さしかないだろう。
天井も壁も床も、真っ黒なのが異様だ。圧迫感を与えるためにわざとそういうデザインにしているのだろうと、瑞樹はすぐ察する。
同時に、こんな場所へ連れてこられたことで、元々あった確信が更に強まる。
「こんな所でゴキブリが出たら嫌ですね」
冗談めかして瑞樹が言ったが、剛崎はわずかに唇を持ち上げただけだった。
部屋は格子で二つに区切られていた。
向こう側には、ベッドや小さな机などの家具が置いてある。ご丁寧にそれらも黒い。
ただ、ベッドの脇に立ててある点滴やスタンド、パソコンや上部のモニタなどは、流石に元の色のままだった。
そして、点滴の存在により、ベッドに誰かが寝ていることを知った。
六条ではないだろう。こんな場所にいては治るものも治らなくなりそうだ。
「あそこにいる人物を見て欲しい」
剛崎が、ベッドを指差した。
言われるがまま、瑞樹は格子に向かって進んでいく。
彼の足が、格子の少し前で止まった。
(五相さん!?)
ベッドに寝かされていたベリーショートの女性は、血守会の一員であり、良心を持つ密かな反逆者――五相ありさであった。
五相は、口と鼻をチューブのついたマスクに覆われ、虚ろな目を漂わせていた。
ゆっくりとしたリズムで胸が上下している。
見た所、外傷はないようだが、意識がはっきりしているのかどうか判断がつかない。
「彼女は、相楽慎介と共に行動していた協力者だ」
いつの間にか背後に忍び寄っていた剛崎が、説明を始める。
「昨夜、六条が襲撃を受けた際に捕獲した。当の相楽本人は逃がしてしまったがね」
最近音沙汰がないと思っていたら、相楽と共に行動していたのか。
「さて、瑞樹君。君に幾つか尋ねたいことがある」
剛崎が、低い声を更に低くした。
想像しうる最悪のケースの一つが、遂に来た。瑞樹を緊張が襲う。
だがこの時点ではまだ覚悟の方が圧倒的に優勢で、自若とした態度を全く崩さなかった。
「あの女のことを、知っているか?」
「知っています」
瑞樹は正直に、しかも間を置かず答えた。
目の前の五相の姿を見るに、ほぼ確実に"尋問"を受けているだろう。
様々な手段を用いられ、恐らく大体の情報を引き出されているはずだ。
下手な嘘は逆効果だと思った。
「では、名前も知っているな?」
「ええ」
「言ってみてくれないか」
「……五相、ありさ」
瑞樹がそこまで答えた所で剛崎が、大きな両の手を瑞樹の細い両肩に置いた。
「よし、よく言ってくれた。その調子で話してくれ」
剛崎の声色が少し明るくなる。肩にかけた手には力が入っていない。
が、瑞樹は背中いっぱいに多大な重圧がかかっているのを感じていた。
ここからが本番だ、という凶兆が、嫌というほど伝わってくる。
剛崎から次々と出題される問題の内容を熟考する時間はない。深呼吸をする隙さえない。
そんな中でも、核心の部分だけは、何としても隠し通さなければならない。
血守会を裏切り、非協力的な行動を取ったと、監視者に見なされてしまえば終わりだ。栞の安全は保障されなくなるだろう。
部屋が禅寺のような静寂に包まれた。
五相の呼吸音や、コンピュータのファンの回転音が聞こえてくるほどだった。
「君は、血守会に関わっている。そうだな」
剛崎の問いが、緊迫した空気を切り裂き、停滞していた時を動かした。
ここは警察ではない。
黙れば、肯定になってしまう。
かといって、否定すれば……
「……はい」
瑞樹が選んだのは、素直に認めることだった。
「……そうか」
剛崎が、穏やかな声で呟く。
そして、肩に置いていた手を除け、瑞樹の髪をわしゃわしゃ撫でた。
「これまで、よく頑張って耐えてきたな。きっと言いたくても言えなかったんだろう。例えば、誰かを人質に取られているとかの理由で。連中の常套手段だったからな。言えるものなら、先日天川に話していたはずだ」
事前に覚悟を決めておかなかったら、瑞樹はきっとここで落ちてしまっていただろう。
そうでなくとも、今もかなり彼の胸は締め付けられていた。
剛崎は瑞樹にとって、第二の父親にも近い存在であった。
両親を失ってから、いや、生まれた時からずっと親身になって世話を焼いてくれた。
そして今も、大方の事情を把握しているような言い方で、温かく接してくる。
だが、果たして剛崎は知っているのだろうか。
今もなお、背後にいるはずの、空気となって潜む監視者の存在を。
そのことが、瑞樹の陥落を阻む防壁となっていた。
「なあ瑞樹君。俺を信用してくれてるか?」
「勿論じゃないですか」
「そうか、ありがとうな」
嬉しそうに言った後、瑞樹の頭を撫でる剛崎の手が、ぴたりと止まった。
「……俺に、全部話してくれないか。アジトの場所は?」
「その人から聞き出したんじゃないですか」
五相の方を見て、瑞樹がしれっと言う。
剛崎は、当てが外れた、といった様子を特に見せることなく、言葉を返した。
「いや、瞬間移動による転送を利用していることは分かったが、肝心な部分はまだ引き出せていないんだ」
「お言葉ですが、その人が知らないことを、僕に聞いても仕方ないのでは?」
軽口を叩きながらも、瑞樹は、自分が相当追い詰められているのを実感していた。
体の方にまで影響が表れ始めている。
胃が、声なき悲鳴を上げている。
こめかみが、針を通されたようにキリキリ痛む。
もうこの時点で、血守会から課せられた禁足事項に抵触しているのではないか。
栞の身の安全は保障されなくなってしまったのではないか。
そう思うと、気が気ではなくなってくる。
だが、絶対に冷静さを失う訳にはいかない。
まだ何も決定した訳ではない。勝手にネガティブな想像をしてしまっただけだ。
絶望してはならない。前向きに考えるんだ。この状況を打破しなければ。
とはいえ、圧倒的に不利だ。
このままでは確実に負けてしまう。
目の前の五相を見れば分かる。肉体的に痛めつけずとも、薬物投与や、記憶を引き出すEFを用いられれば、その時点でどうしようもなくなる。
剛崎がそうしないのは、できる限り穏便に済ませたいという情け、最後通牒のつもりだろう。
「瑞樹君も知らない、と解釈していいんだな」
「はい」
「次だ。君は血守会に、何を求められている?」
段々と質問内容が深く食い込んだものになっていく。
瑞樹が取った手は、手も足も引っ込めての頑なな防御であった。
「言えません」
「何故だ」
「それも、言えません」
「俺のことを、信用してくれているんじゃないのか」
「それでもです」
「人質のことなら、心配しなくてもいい。すぐに護衛をつけさせよう」
剛崎は、あくまでも冷静だった。
落ち着いた声色で餌をちらつかされると、分かってはいるのについ心が揺れてしまう。
「人質になっているのは彼女か? ええと、青野栞さん、だったか」
「言えません、すみません」
こんな一点張りで切り抜けられる訳がないことは、瑞樹本人がとうに理解している。
だが、それしかなかった。
無意味なあがきを続けながら、必死にあるかどうかも分からない抜け道を探し続ける。
戦うか? 無理だ。
剛崎を倒しての脱出は、ロックされた鉄扉を差し引いてもほぼ不可能だ。
剛崎の能力は接近戦で無類の強さを発揮するし、発動の引き金となる感情も、このような場合では強く働く。
そもそも、今の瑞樹が剛崎を憎むということ自体に無理があった。
二十年以上、多大な恩を受けた相手を、憎めるはずなどない。
不安、焦り、恐怖。
ネガティブな感情がじわじわと、内から外へと瑞樹の心身を浸食し始めていく。
筋肉を動かし、表出させてしまうのは時間の問題であった。
この時、五相ありさは、濃霧のかかったような意識の中で激しい自責の念にかられていた。
――私のせいで、中島さんが苦しんでいる。
彼を助けると約束したはずなのに。
心の中で、彼の苦しみを和らげてみせると誓ったのに。
それどころか、彼の足を引っ張ってしまっている。
今すぐ舌を噛み切って、死んで詫びたかった。
しかし、それさえも今の体では叶わない。
五相には、現在の瑞樹の心情が痛いほど伝わっていた。
あの、仮面をかぶった表情のすぐ下では、焼け付くような激しい苦悩と葛藤が渦巻いている。
それでも、最愛の彼女を守るため、必死に持ちこたえている。活路を探し続けている。
私は、無能だ。
情報を、記憶を引き出される前に、速やかに死んでいれば、彼がここに呼び出されることはなかった。疑惑は疑惑のままで終わっていたはずだ。
昨日の夜、捕まりさえしなければ、こんなことには……
――ごめんなさい、中島さん。ごめんなさい――
五相は、自動的に行われる呼吸を繰り返しながら、心中で何度も謝罪した。
「なるほど。言わずに押し通す訳だな。……残念だ」
剛崎は瑞樹のすぐ背後で、両手を腰にやり、苦い顔をする。
が、すぐに表情を消し、左手で無線機を取った。
「六条、来てくれ。"強制"しなければならなくなった」
終わった。
と、早々に諦められないのが、中島瑞樹という人間だった。
瑞樹は素早く決心していた。
かくなる上は、剛崎を迅速に倒し、直に現れる六条がドアを開けた瞬間、脱出するしかない。
手加減できる余裕などない。勝算も極めて薄い。
だが、全力で――
「瑞樹君、先に言っておく」
剛崎は、瑞樹の考えを読んでいた。
彼が攻撃に出るよりも早く、右手に握っていたスタンガンを背中に当てる。
「っぐ……!?」
放電音と共に、瑞樹の体中に激痛が駆け巡り、視界が真っ白になる。
精神力ではどうにもならない、強制的な筋肉の収縮。
成す術無く、瑞樹の体が床に崩れ落ちる。
「恨んでくれて構わない。この後、瀬戸先輩から何をされようと、甘んじて受けよう」
痙攣している瑞樹を見下ろし、剛崎が言った。
瑞樹からは見えなかったが、剛崎はわずかに顔を歪めていた。
剛崎とて、何の後ろめたさもなく、このような所業に出た訳ではない。
尊敬する人物の息子を痛めつけるのも仕方ないなどと、思えるはずがない。
だが、今の自分は、トライ・イージェスの社員だ。
任務のため、人々の平和と安全のため、私情は捨てなければならない。
「あ……ぐ……」
瑞樹は、万策尽きたのを悟ることすらできなかった。
スタンガンによるショックが激甚なあまり、完全に思考能力を喪失していたのである。
自分の意志で指一本動かせないどころか、物を考えることすら適わない、そんな廃人にも近い状態で、五相と同じような結末を辿るのを待つだけであった。
 




