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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十三章『尋問、そして監禁』 その1

 阿元の過去語りは、時間にして正味十分ほどだった。

 一区切りついたところで、阿元は大きくため息をつく。

 背中を向けていたため、知歌には見えなかったが、彼の目には、涙が滲んでいた。

 気付かれないうちに、慌てて掌で拭う。


「グスッ……」


 すすり上げたのは阿元ではない。知歌の方だった。


「そっか……アモっさんも、ちょっとはタイヘンだったんだ。しらなかった」


 知歌もまた、阿元の独白によって涙をこぼしていた。

 いけすかない、気持ち悪いだけの男かと思っていたが、相応の過去があったことを知り、つい涙腺を刺激されてしまったのである。

 彼女の中にも一応、嫌いな相手に対する慈悲というか、母性本能のようなものがあったとみえる。


 阿元は振り向き、知歌の方を見た。

 赤くなった目を隠そうとせずに歪んだ笑みを浮かべる。

 悲しい笑い方だと、知歌は思った。

 阿元に同情はしたものの、共感をした訳ではない。

 だが、彼の信念を簡単に否定する気にはなれなかった。


 ここで阿元が話を止めていたなら、知歌からの好感度は上がったままで終わり、"任務"のことも、わずかな後腐れを残す程度で済んでいただろう。

 だが、一度堰を切ってしまった阿元の黒い感情は、理性では容易に止められなかった。


「……ったく、何であの坊ちゃんばっかり好かれるんだか」


 突如、愚痴による批判の矛先が瑞樹へと向いた瞬間、知歌の極薄になった眉が、中央に寄った。


「やっぱり世の中顔なのかよ。人の苦労なんか誰も見ようとしてくれないんだよなぁ。だから俺なんかは誰からも愛されないんだよなぁ。嫌になるね、この世界の理不尽さ」


 知歌の変化に気付かず、阿元の舌は滑らかに動き続ける。

 本格的にアルコールが回り出したのもあるが、それ以上に常日頃抱えている思いに原因があった。


 彼は、五相ありさに恋愛感情を抱いていたのだ。


 理由は単純である。自分のことを迫害したり、気持ち悪がったりしなかったためだ。

 彼女は誰に対してもそのような態度を取ることを知らなかった訳ではない。

 だが、生まれてから未だまともな交際経験がなく、かつ当時、傷心だった阿元を再び慕情へと燃え上がらせるには余裕で足る燃料だった。

 阿元にとって五相は、暗闇の世界に光をもたらした女神のような存在であった。


 しかし同時に、彼の心へより深く、濃い闇を作り出すほど強烈な光でもあった。

 彼女の気持ちは、明らかに中島瑞樹へと向いている。

 血守会にとって重要な存在だから、というだけでは説明がつかない。


 では一体、瑞樹の何が五相を惹きつけるのか。

 阿元には分からなかった。

 いや、本当は薄々勘付いていた。

 その上で目を背け、一方的に瑞樹を恨んでいた。

 自分はそれを持っていない、プライドや卑屈さを捨てて持つことができないことを分かっていたから。


 しかし、そんな心情を他者に暴露したところで、同情を買えるどころか単なる僻みにしか受け取ってもらえず、むしろ悪印象を与えるだけだということを、阿元は正しく理解していなかった。

 知歌は呆れて言う。


「あのさ、いくらアリーのことがスキだからって、そんなことゆってもなんも変わんないよ。アリーがほしかったらもっとオトコらしいアピールをしなきゃ」

「なっ……!?」

「あ、やっぱズボシだったんだー」


 阿元は驚いて、瞬間的に顔を上気させる。

 他人に分からないよう隠していたはずなのに。

 どうしてこんな年下の、鈍そうな小娘が把握しているんだ。


「お、お前だって、坊ちゃんのことが好きなんだろ。付き合ってる彼女に勝てなくて、悔しいとか思わないのかよ」


 動揺は思考と発言を上擦らせる。

 脊髄反射で言い返すが、黙らせるどころか、あえなく即答されてしまう。


「あたしのスキはアニキとしてのスキだもん。だからカノジョはカンケーないもん」


 阿元はますます立場をなくしてしまう。

 彼はこのような状況で、素直になって不利や非を認めるという行動が取れない部類の人間であった。

 年下の生意気な少女相手となれば、尚更だ。

 つまるところ、ムキになって反論するという悪手を選んでしまったのである。


「うるせぇな、お前なんかに言われたかねぇよ」


 知歌の方もまた、売り言葉に買い言葉が当てはまるタイプなので、


「あ、ドーテーすてられてチョーシにのっちゃってる?」


 馬鹿にしたように鼻で笑って言った。

 阿元は完全に頭に血が上ってしまい、近くのテーブルを蹴り倒した。

 派手な音と共に、缶ビールやポテトチップスが床の絨毯へぶちまけられる。


「っざけんな! なめたこと言ってんじゃねえぞクソガキが!」

「ガキはどっちだっつーの! いいトシこいてウダウダウジウジ文句ばっかゆっちゃってさ! はずかしくねーのかよ! 瑞樹兄は、いっかいもツラいとか苦しいとかゆわなかったっつーのに!」

「でもアイツは、家族同然の人間も、友達も、彼女だっているだろ! 金にだって困ってないし、俺よりも遥かに恵まれてるじゃねぇか!」

「そーゆーハナシじゃねーんだよ! いまのジブンの立場をどうみてるかってハナシなんだよ! ――もし、瑞樹兄がアンタみたいだったとしても、ゼッタイそんなことをゆわないと思う」


 突き刺された最後の一撃は、冷たい氷の刃だった。

 阿元は黙り込んでしまう。

 年下の少女に正論で喝破され、面子とプライド、一挙に両方を傷付けられてしまった。

 何か言い返したいが、言葉が出てこない。

 それどころか、緩くなってしまった涙腺から、また涙が出てきそうになる。


 阿元にできたせめてもの意思表示は、先程からBGMで流れている能天気なアイドルポップスを乱暴に消してやることぐらいだった。

 そのままの勢いで、ベッドに身を投げ出し、歯を食いしばる。

 彼の決して軽くはない体重が急に加わり、ベッドが大きく波打つ。


 知歌も、これ以上阿元を追い込むつもりはないようだ。

 さっさと着替えを始め、


「あたし、帰るから。んじゃ」


 とだけ言い残して、部屋を出ていってしまった。

 阿元は独り、精気の抜けた目で、ぼんやりと天井を眺めていた。




 外の雷雨は既に過ぎ去って、雲の隙間の夜空からは星がちらついていた。

 知歌はサングラス越しに天を仰いで、ほっとする。

 やたらに蒸すのが不快だったが、雷が鳴っていないだけマシだ。


 奥平からの任務は済ませたので、これからは自由行動である。

 これからどこに行くかと思案する。


「カラオケかどっかで時間つぶすかな」


 阿元と同じベッドで寝るのは嫌だが、野宿も嫌だ。

 一人でホテルに泊まるのは、金がもったいない。

 知歌は、安価に一晩を過ごせる場所を消去法で選んだ。


「きょうは会えないけど、ちかいうち瑞樹兄のトコにいこっと。それと、秋緒おばさんにも会いたいなー」


 瑞樹はもとより、秋緒に対しても、知歌は内心感謝の念を抱いていた。

 学校や家族のことを深く追及してこず、何だかんだ言って世話を焼いてくれることがありがたかった。


 あの家は、居心地が良い。

 あそこはもう一つの実家、新しい実家だと、勝手に思うようになっていたのである。


 ――あそこが、今のあたしの帰れる場所。


「そんなふうに思っちゃってもいいよね」


 人気のない裏路地で、知歌はくすっと笑った。






 大学が再開する前日、瑞樹はトライ・イージェス社のオフィスへと再び移動した。

 呼び出された、ではない。社員の剛崎健によって、自宅から同社オフィスへと連れて行かれたのである。


 朝、事前連絡なしに突然自宅を訪ねられた時点で、虫が知らせなくとも不吉な予感をビシビシと感じていた。


「すみません、先輩。瑞樹君を貸して下さい」

「……どういうことだ」


 秋緒は仕事に出る前で、まだ家にいた。

 剛崎のただならぬ雰囲気を既に読み取っており、警戒した態度で応じる。

 だが剛崎の方も、今回は完全に真剣だった。

 秋緒に冷たくされた時によくする苦笑いを一切せず、強面を引き締めたまま、言葉を返す。


「守秘義務があるため、今はお話しできません。ですが後で必ず」

「守秘義務、と来たか」


 秋緒は小さく鼻で笑った。


「ならば言おう。私にも義務がある。この子を護る義務がな。例え……」

「分かりました。行きます」


 瑞樹は自分から同行を受け入れた。


「瑞樹君。しかし」

「大丈夫です。庇ってくれてありがとうございました」


 瑞樹は素早く腹を括った。

 今、剛崎を追い返した所で、問題の先送りにしかならない。

 ならば自分から飛び込んだ方がまだいい。秋緒を介入させずに済む。


「行きましょう、剛崎さん」

「すまんな。――では」

「その子に少しでも危害を加えてみろ。絶対に許さんぞ」


 何も言わない剛崎と共に、瑞樹は自宅を後にした。

 ドアを閉める直前、秋緒と目が合う。

 心配しないで下さい、とメッセージを込めて微笑みかけると、秋緒は少し戸惑った表情を見せた。


 瑞樹は再度、覚悟を固める。

 心の刀で、肚に刻み込む。

 この後、何が待っていようと、決して心を乱さない。動揺を表に出さない。

 余計なことは何一つ、話しはしない。


 剛崎の運転する車に乗り、中野にあるオフィスへと向かう。

 瑞樹は助手席に乗せられた。後部座席には誰もいない。


 車内には何のBGMもなく、走行音がよく聞こえたが、二人になった所で剛崎の口数が増え出した。 


「急にすまんな」

「いえ」

「朝飯はもう食ったのか?」

「はい、先生と一緒に」

「そうか。ところで、吸っても構わないか」


 どうぞ、と瑞樹が言うと、剛崎は窓を開け、喫煙を始めた。

 一回目の煙を吹かしている途中で信号が青に変わり、慌てて車を発進させる。


「以前、瑞樹君と顔合わせさせた新人――五十嵐って、でかい男がいただろう」

「ええ、覚えてます。六大学野球でも活躍した方ですよね」

「……あいつな、この前、殉職したよ」

「えっ」

「ウチに恨みを持っている奴に襲われてな。相楽慎介、という男らしい」


 剛崎は、明らかに瑞樹の反応を窺っていた。

 生涯忘れないであろう男の名を突然出されたものの、瑞樹は全く顔色を変えなかった。


「そうですか……酷い話ですね」


 重苦しい表情を作りながら、まさか相楽は本当に報復を行ったのかと、心の奥底で思う。

 剛崎は、横目で瑞樹を見た後、言葉を続ける。


「そして昨夜、六条も襲撃を受け、傷を負わされた。……だが、その代わりに、重大な手がかりを掴むのに成功した」

「何ですか、それは」

「着いたら見せよう。いや、君に見てもらわなければならない」


 剛崎は前方を見つめながら言った。

 ハンドルを握る指に挟んだ煙草の灰が長くなり、崩れ落ちそうになっているのを忘れているようだった。

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