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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十二章『最悪の任務』 その3

 吐き気を催すような余韻が、まとわりつくように残って消えてくれない。

 石鹸で擦っても、水で洗い流しても、心は洗い流せない。


 二人が"任務"を行った場所は、アジトを出てから最も近いところにあるホテルだった。

 一刻も早く済ませたいがための、知歌からの提案である。


 最悪の任務だった。

 知歌は湯をいっぱいに張ったバスタブに浮かび、仰向けになる。

 人一人分の狭い海ではあったが、知歌には太平洋のど真ん中にも感じられた。

 このまま本当に、誰にも見つからない海の彼方へと漂流してしまいたい気分にさせる。


「……っざけんなっつーの!!」


 が、すぐに考え直す。両手足をばたつかせ、派手に水しぶきを上げる。

 彼女はそこまで繊細にはできていなかった。


 水が熱せられて湯になるようにじわじわと、阿元に対する怒りと嫌悪感が再び湧き上がってくる。

 抱き方が稚拙だったこと以前に、自分を扱う姿勢自体が雑だったことが腹立たしい。

 また、雷に怯える知歌の姿が阿元の征服欲を煽ったらしく、それが随所に表れていた。

 そのことを思い出し、激情に任せて強く水面を打つ。

 そのうち、本人もぶっ叩く。恨みを募らせながら、何度も打ち続ける。




 ものを考えられる程度に怒りが鎮まるまで湯を叩き、肌がふやけるほど浸かってから部屋に戻る。

 バスローブ姿の阿元が、椅子からずり落ちそうな体勢で座っており、満足げに缶ビールを傾けていた。

 傍のテーブルには背中を裂かれて中身が露出したポテトチップスの袋と、既に空になっているビール缶が転がっている。


 はだけた胸元からのぞく胸毛と、その下部のだぶつきを見ていると、また苛立ちが込み上げてくる。

 知歌はさっと目をそらし、何も言わずに冷蔵庫から缶チューハイを引っ張り出した。

 その場でプルタブを開け、喉を鳴らして嚥下する。

 カッと来る炭酸が怒りを引き受けたように錯覚し、図らずも知歌の感情は落ち着きを見せた。


 未成年の飲酒を目の当たりにしても、阿元は咎めようとしない。一瞥をくれただけであった。

 知歌は阿元から離れるため、わざと遠い場所、ベッドの端に腰を下ろす。

 スピーカーから流れるヒットチャートの能天気な曲が、空気を読まずに埃舞う薄暗い部屋に流れていた。


「この後のこと、奥平さんから聞いたか?」


 気まずい空気の中、先に口を開いたのは阿元の方だった。

 目を合わさず、声をかける。


「聞いてない」

「自由行動だってよ」

「あっそ」


 素っ気なく答えながらも、知歌は内心安堵していた。

 これ以上阿元と一緒にいなくて済むからであることは言うまでもない。

 知歌は缶チューハイを空けるペースを早めると同時に、携帯電話をいじる。


「そういえば、お前は、何で血守会に加担してるんだ?」


 その途中、阿元は唐突にこんな質問を知歌に投げかけた。

 肉体関係を持ったことで、情というか、親近感でも湧いたのだろうか。その声は心なしか穏やかであった。


「なに、急に」

「いいだろ、聞かせてくれよ」


 あえて余計な言葉を付け加えなかったことが功を奏した。

 下手に『同志』『仲間』『仲』といった単語を持ち出していれば、知歌は拒絶の一点張りをしていただろう。

 それに、阿元は瑞樹とは違う。別にどう思われても構いはしない。

 むしろ、小心者を揺さぶってやるのもいいかもしれない。


 知歌は缶チューハイを飲むのを中断し、うつむいたまま理由を語り出した。


「……フクシューしたいんだよね、親に」






 柚本知歌の実家は、山手線の内側、港区高輪にあった。

 いわゆる由緒正しい高級住宅地である。

 山手線に結界が張られた後もそれは変わらないどころか、むしろ地価が更に急騰したことで、高級化に拍車がかかっていた。


 実家といっても、知歌は両親の実子ではなかった。

 正確には、父親とは血の繋がりがない。

 両親が離婚したのは知歌が赤ん坊の頃なので、彼女は実の父親のことを覚えていなかった。


 知歌には、第二の父親から真っ直ぐに愛された記憶がない。

 第二の父親は、とある大企業の会長であった。

 仕事が多忙だったのが、まともに愛を受けなかった理由ではない。

 向けられていたのが、実子ではないのをいいこととした、極めて醜悪な偏愛だったという話だ。


 それだけで済んだなら、幼くか弱い自分が生き抜くためだと割り切れ、激しく憎悪することはなかったかもしれない。

 事は容易にエスカレートした。

 対象が、第二の父親だけではなく、その"同類"にまで広がったのである。


 そして歳を取って飽きられたら、あっさりと売られてしまった。



 本来なら中学校に行くはずだったのに、行き先は更なる地獄だった。

 闇の底の底。歌舞伎町アンダーワールドと呼ばれる場所。


 実の母親は、助けてくれなかった。

 むしろ娘がいなくなったことを喜んでいたようにも見えた。

 母親である以前に、女としての自分、そして豪奢な生活を捨てられなかったのだろう。

 知歌は幼いながらも気付いてしまったのである。


 地下世界での日々は、最悪としか言いようがなかった。

 買い主も顧客も、思い出すだけで殺意が芽生える。いや、思い出したくもない。

 知歌のEFが発現したのは、売られた初日のことだった。


 知歌にとって不幸だったのは、反骨精神が人一倍強く、心の耐久力も高かったことだ。

 幾度か脱走を試みたこともあったが、連れ戻される度にきつい仕置を受けた。

 そのうち、抗うこと自体が他人を悦ばせてしまうと知ってからは、あまりそれを表に出さなくなった。


 同じ境遇の仲間のように壊れることができず、諦めることもできず、憎しみを募らせていく。

 いや、心の奥底で本当に抱いていた気持ちは――




 知歌が思わぬ形で歌舞伎町の地下から脱出することができたのは、およそ一年前に出会った新規顧客の手引きによってであった。


 変な客だ。最初に知歌はこう思った。

 自分が相手をする客は、全身の毛穴から性欲が霧となって噴き出ているような連中ばかりだったが、この男は違った。

 それどころか、感情というものをまるで感じないくらい、乾いていた。


 しかし、決してまともな人間ではないことも、知歌の鋭くなっていた嗅覚は感知していた。

 気付くと、体が小刻みに震えていた。


「話を聞いてもらうだけで構わない」


 奥平久志と名乗った男はこう告げ、買い主に大金を積み、知歌を外へ連れ出した。

 逃げ出そうとする気も起こらなかった。この男は危険だと、本能が全身を厳しく束縛していたのである。


 行き先は、都内の高級ホテルのスイートルームだった。

 美味くて量が少ないことしか分からないディナーを胃に放り、酸っぱいだけの古いワインを流し込んだ後、奥平は話し始めた。

 知歌が血守会の存在を聞かされ、同時に"取引"を持ちかけられたのは、この時である。


 取引の内容は、自分達に協力をすれば、知歌を引き取って今後の生活も保証する。

 加えて、彼女の願いを一つ叶える――というものであった。


 知歌にとっては渡りに船、地獄に垂らされた蜘蛛の糸のような誘いであった。

 もっとも、糸を下ろしたのは釈迦でも蜘蛛でもなく、無機質な怪物だったのだが、この時の彼女に選択の余地などない。一も二もなく奥平の申し出を受け入れた。


 知歌の一番の願いは、自分を弄んだ第二の父親への復讐と、母親にも然るべき報いを与えること。

 そのために山手線の結界を破壊する必要があるのならば、喜んでそうする。

 結界は自分を護ってなどくれなかったからだ。結界があろうとなかろうと、何も変わりはしない。

 いや、むしろ結界が無くなったことで、両親が変異生物や邪霊など、外敵の恐怖に晒されてしまった方が、見ていて溜飲が下がるだろう。


 かくして、両者の間に契約が成立した。

 知歌は奥平に"買い取られた"ことで、歌舞伎町アンダーワールドから脱出することができたのである。

 また、奥平が根回しをしてくれたらしく、その後追手が来ることもなかった。


 ただ、実家に戻ることや両親とコンタクトを取ること、体験した出来事を警察やマスコミにリークすることは止められていた。

 知歌の方も戻る理由はないし、情報を漏らせば復讐の機会が失われかねないため、素直に指示に従った。

 両親は現在に至るまで、未だ知歌からの罰を受けることなく生き続けていたが、彼女が奥平を急かすことはなかった。






 隠し事も脚色もせず、知歌は全てを話した。

 目論見通り、阿元には効果覿面だったらしい。

 前屈みになったり、腿に肘を置いて頬杖をついたりと落ち着かない。目線はあちこちに泳いでいる。

 阿元には、知歌が曝け出した暗い過去を受け止める度量がなかった。


 ――自分で聞いときながらナニそれ。ハラくくれよ。いまさらいい子ぶってんなよな。


 悪態をつきそうになるが、せめてもの情けで黙っていた。


「坊ちゃんには、もう話したのか」

「……ゆってない」


 瑞樹には、例え聞かれても話せない。話す訳にはいかない。


 両親のために復讐を願った瑞樹と、両親への復讐を願った知歌。

 まるで真逆だった。


 理解してもらえないだろう、困らせてしまうだろう、という懸念ではない。

 瑞樹ならば、必ずしも愛情に満ちた家庭ばかりでないことを理解し、同情してくれるだろう。

 それが嫌だった。知歌は、同情されるのが大嫌いだったのだ。


 瑞樹のことを嫌いたくなかった。

 仲のいい、兄妹のような存在のままでいたかった。


「……俺が血守会に入った理由はさ」


 罪悪感に耐えきれなくなったのか、聞いてもいないのに、阿元も理由を語り出そうとした。


「なに、きゅーに」

「うるさいな、お前に聞いといて俺が話さないのも、フェアじゃないだろ」

「ワケわかんない」


 そう言いながらも、缶チューハイを飲み干すまでの時間潰しにはなるかと、知歌は遮らず聞くことにした。

 阿元は、飲み食いを完全に中断し、椅子から立ち上がった。

 そして、そばの小窓まで移動した。知歌へ完全に背を向けている形になる。


「単純でありきたりな話だけど、金持ちに復讐してやりたかったんだ。……あと、自分を馬鹿にした奴らや、蔑んだ奴らにも」

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