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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十二章『最悪の任務』 その1

 九月十八日。

 トライ・イージェス社のオフィスは、朝から重苦しい空気に支配されていた。

 現在、社内にいた社員は三名だが、いずれも沈痛な面持ちを浮かべている。

 また、デスクには飲み物が出ていなかったが、誰もそれを指摘はしなかった。


「昨夜、五十嵐君のご両親からお話を伺ってきました」


 天川裕子が、口を開く。そこにいつもの柔らかな笑みはない。


「お話をまとめると、こうなります。十七日の午後十一時二十分頃、ご両親の下に相楽と名乗る男が現れ、彼の死を告げた。『自分が殺して喰った』と」


 庄典嗣が、デスクを叩いた。顔いっぱいに無念の色を浮かべている。

 剛崎健は、眉間に皺を寄せたまま、黙して耳を傾けていた。


「そして、我々に対してこう言付けるよう言ったそうです。……一人一人に、自分を捕まえたことへの復讐をしていく、と」

「上等だ! あのクソ逆恨み野郎……! 返り討ちにしてやる! 五十嵐の仇だ!」


 両拳を打ち合わせ、庄が吠える。


「熱くなりすぎるな」

「ここで熱くならなきゃ、どこで熱くなれっつんですか剛さん!」

「仇を討ちたい気持ちは分かる。俺だってそうだ。だが俺達は、今もそれぞれ別案件を抱えている身だということを忘れるな。過剰な復讐心は、仕事に支障を来すことになるぞ」

「ぐっ……それは、分かってます」


 剛崎に諌められ、さすがに庄も渋々ながら矛を収めた。


「天川さん、他社員にはこのことを伝えたのか」

「はい。全員にお伝え致しました」


 剛崎は頷き、二人に告げた。


「今後は二十四時間、休日であろうと、バッジの携帯と定時連絡を徹底するぞ」


 二人は頷く。


「細かい仕事は俺が引き継ぐから、天川さんは少し仮眠を取るといい。ほとんど寝ていないだろう」


 天川は昨夜遅くに五十嵐の両親より連絡を受けてから、彼の実家に出向いて話を聞きに行ったり、彼のマンションを訪ねたりと、今朝に至るまであちこち飛び回って細々した仕事を行い続けていた。


「いえ、大丈夫ですわ。優秀な後輩がいなくなってしまったのですから、頑張って穴埋めをしないと。まずはご遺族への補償などの手続きを行わなければ。……それに、一番辛いのは、ご両親でしょうから」

「五十嵐よう、仇は絶対討ってやるからな。待ってろよ」


 三人は粛々と今後のことを決めていく。

 仕事柄、同僚の殉職には慣れていた。

 だがそれは、決して悲しみの感情が湧かなくなるという訳ではない。

 誰もが心の内に、悲しみの傷を刻み込んでいた。

 ここにいない残り五名の社員も同様である。

 その象徴が、天川がたった今、五十嵐のデスクに置いた色紙である。

 色紙は逆五角形、つまり盾を模した形をしており、遺された仲間達はそれぞれそこにメッセージを記す。

 殉職した仲間への弔いと鎮魂を示す、彼らなりの儀式であった。






 同日、午後三時三十分。

 瑞樹は有明コロシアムにいた。


「キャーーーッ!! 中島くーん!! カッコよかったわよーーーっ!!」

「こっち向いて手を振ってーーーー!!」


 声援とライトをいっぱいに浴びていた。

 結局、USTCを最後まで勝ち抜いてしまった。優勝である。

 こうして選手としてリングに立つのも、ひとまず今日が最後となる。

 奥平から出場を強いられたことに起因する空虚感は最後まで消えなかったが、流石に優勝して賞金をもらうと、多少は嬉しさが込み上げてきた。

 現金なものだと自嘲する。


 インタビューに優等生的な回答をし、応援してくれた観客に愛想よく答え、瑞樹は控室に戻っていった。

 ようやく落ち着ける。血守会からの命令を終えられた。一つ、大きなため息をつく。


 早々に引き上げようと、支度を急いでいる最中、ノックの音がして、スカウトマンの増田が入ってきた。

 もうすぐ九月も下旬になろうかというのに、まだ真夏のように汗をたっぷりとかいていた。

 扇子でパタパタ扇ぎながら、満面の笑みで歩み寄ってくる。


「いやーお見事でしたよ中島君! 最後の最後まで圧倒的な勝ちっぷりでしたね!」

「ありがとうございます」


 決勝戦も瑞樹は、相手にほとんど何もさせることなく、火の海に沈没させてしまった。


「そろそろ大学が始まるんでしたよね。しばらく君の雄姿が見られないのは残念ですが、またの機会を待ってます。今度は春休み、いや冬休みのイベントなんかどうでしょう」

「その時が近付いたら、またお話を伺いたいと思います。今は……」

「おっと、そうですね。これは失礼、興奮のあまりつい早まってしまいました」


 増田はタオルで汗を拭き、


「では、中島君も少々お疲れでしょうから、私はこれで失礼します。それではまた」


 瑞樹の様子を見て察したのか、早々に退出していった。

 瑞樹は改めて支度を再開し、部屋を出る。


 今度、栞と一緒にどこかに行こうか。

 いや、今は血守会のことがあるから、遠出よりも食事がいいか。

 先生にも何かしらの形で還元したい。

 廊下を歩きながら、瑞樹が賞金の使い道をぼんやりと考えていると、またも誰かに呼び止められた。

 振り返ると、細長い男が壁にもたれて立っていた。

 いつの間に現れたのだろうと、瑞樹は疑問に思う。


「やァ、どうも」

「あなたは……波照選手?」

「おや、ボクのこと、知ってくれてるのかい」


 忘れようにも忘れられない。

 二ヶ月ほど前、栞と試合を観戦した時、あの帝王・宗谷京助と戦った男。

 宗谷の圧倒的なEFに屈する形にはなったが、不健康そうな外見からは想像もつかないほど流麗な体術と、特殊な蟲を具現化するEFは、Sランクに相応しい闘士であると心から思っていた。


「一度、実際に波照選手の試合を拝見したことがあるんです。その時の素晴らしい動きが印象深くて」

「そうかい。世辞でも、そう言われるのは悪くないよ」

「僕に何かご用でしょうか」

「いやね、さっきたまたまキミの戦いぶりを見たんだが、幾つか気になってね」


 早く帰りたかったのだが、Sランク闘士にそんなことを言われては、さすがに瑞樹も無碍にする訳にはいかなかった。


「まずキミの炎、中々の力だったと褒めておくよ。プロでやってもいい線行くだろう」

「ありがとうございます、光栄です」


 瑞樹は素直に頭を下げた。


「素直だねェ、キミは。実に優等生的だ」


 ニタニタしつつ、波照が言う。

 嫌味か単なる感想か判断しかねたが、とりあえず後者と受け取り、愛想笑いを作る。


「……あのいけ好かない男よりはいい。ま、今はそんなことはどうでもいいな。ところでキミ……何か面白いモノに憑かれてるねェ」


 瑞樹は、どきりとした。


「幽霊、ですか」

「いいや? 生きてるなァ。いや、命があるのかなァ? ま、ボクだからこそ見えるんだがね」


 波照の視線は、瑞樹の背後に向いていた。


 まさか本当に、この人には見えているのだろうか。自分に絡みついている"呪縛"を。

 いや、もしかしたら、この人も血守会の関係者なのかもしれない。

 様々な憶測が、瑞樹の脳内を駆け巡る。


「疫病神かなァ? あまりいい感じはしないなァ。気を付けたまえ」

「疫病神……はは、そうかもしれませんね」


 含みを持たせて言ってみたつもりだったが、波照は特に反応を示さなかった。

 代わりに、瑞樹に向かって手刀を放った。

 居合の達人を彷彿とさせる、無拍子の一閃。


 瑞樹は事の直前に空気の変化を感じており、防御行動を取ったが、それでも間に合わなかった。

 波照の害意が本気だったなら、瑞樹は紙一重まで迫っていた手刀に頸動脈を打たれ、昏倒していただろう。


「……ふむ、まあ、それなりの動きだ。浮かれてはいないようだし、刃をギリギリまで突きつけられても怯えていない」

「何の真似ですか、これは」

「軽いお遊びだ、怒らない怒らない」


 猫背で薄気味悪い笑みを浮かべ、波照が言う。


「まあまあ気に入ったよ、中島瑞樹君。また会おうじゃァないか。ああ、ボクのサイン、欲しくないかい?」

「お願いします」


 非礼にあたるようなことをされてもこう答えてしまう辺り、やはり瑞樹はEF格闘技ファンなのである。

 手帳に達筆なサインを書いてもらい、瑞樹は有明コロシアムを後にした。

 誰かに見せびらかしたくなる気持ちが沸々と湧いてくるが、波照のサインの価値を理解できる者が周囲にいないことにすぐ気付き、少し肩を落とす。

 それはともあれ、波照の指摘した"疫病神"が、近いうち自分の運命を変える存在となって介入してくるのを、今の瑞樹はまだ知る由もなかった。






 同日、午後六時。

 柚本知歌は、一人で渋谷にいた。


 知歌は渋谷という街が好きだった。

 理由は彼女自身よく分かっていない。

 しかし、街の片隅に佇んで、行き交う雑多な人間や車の群れをぼんやりと眺めていると、何故か気分が落ち着くのである。

 時々、ナンパ待ちと勘違いされて、男から声をかけられるのが鬱陶しかったが。


 知歌はしばしの間、渋谷駅西口の歩道橋の上で、手すりに肘をかけて人や車の流れを眺めていた。

 夕方ということもあり、街は雑多に賑わっている。

 あちこちから発せられる振動で、歩道橋はよく揺れるが、知歌は気にしない。

 また、知歌は通り過ぎていく人間ひとりひとりの人生背景を思ったりはしない。公園の鳩や噴水のように、あくまでも風景の一部として曖昧に認識しているだけである。

 ただ、制服姿の女子高生が通り過ぎた時のみ、わずかに眉を動かした。


 ふと、いつもの癖で、バッグからウォッチングのお供を取り出そうとする。

 見つからない。隅から隅までまさぐっても、あのつやつやした紙とビニールの手触りが指に伝わってこない。

 そういえばと、あの夜秋緒に没収されたままだったことを思い出し、舌打ちする。

 が、その後、


「マジにやめてみっかなー」


 と、バッグから出した手で頭をかき、独りごちた。


「瑞樹兄にアメ、いっぱい買ってもらわないと」


 くすっと笑って、知歌は空を仰いだ。

 頭上とその周辺は晴れており、暗い青色が見えていたが、北の方角には、ビルの隙間から黒い雲が拡がっているのが見える。

 知歌は少し憂鬱な気分になってしまう。


「あ、いけね」


 そして急に用事を思い出したように、頭の向きを正面へ戻した。

 雷雨に遭遇する前に避難しておきたいと、足を速めて目的の場所へと急ぎ始める。

 今日は理由なく渋谷をぶらついていたのではなく、待ち合わせの用事があったのだ。


 知歌はまだ知らない。

 この後、雷雨の只中に放置された方がまだマシだと思うような目に遭うことを。

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