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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十一章『新入社員・五十嵐克幸』 その1

 五十嵐克幸の実家は、東京都荒川区の南千住にある。

 会社から遅い夏の休暇をもらった五十嵐は、早速実家に帰ることを決めていた。


 南千住駅を降りた時点ではそうでもなかったが、西側にある昔ながらの商店街の中に入った辺りで、ようやく懐かしさが五十嵐の胸に込み上げてきた。

 大学卒業後、家を出てから半年近く経つが、もう何年も離れていたような感覚だ。

 自然と、歩くペースが落ちる。


 駅周辺は再開発が進んでおり、タワーマンションや複合商業施設が立ち並んで近未来的な景観だが、この辺りは時間が止まっているかのように変化がない。

 両側で年がら年中咲いている花飾り。

 年季を感じる看板。

 通行人の平均年齢の高さ。

 これからも変わって欲しくないと、五十嵐は思っていた。


 途中の小道で曲がり、更にもう少し進むと、生まれ育った我が家が見えてくる。

 二階建ての、少し古い一戸建て。

 五十嵐はこの古さが子どもの頃から好きだった。


 周りの家も、昔からほとんど変わっていない。

 懐かしさで胸がいっぱいになったところで、五十嵐はインターホンを鳴らした。


「あら、克幸! お帰りなさい」

「ただいま、お母さん」

「暑かったでしょう。さあさ、早く中に入んなさい。何か冷たいものでも飲むでしょう?」


 年老いた母親に出迎えられ、五十嵐は玄関、廊下を抜けて居間へと歩いていく。

 下駄箱。マット。スリッパ。壁時計。匂い。全てが彼の心を温かくさせる。


「お父さんは?」

「今、散歩に出てるわ。もう少ししたら帰ってくるわよ」


 居間の、いつも父が座っていた、今もそうしているであろう場所は、空いていた。

 五十嵐も、かつて自分がいつも座っていた場所に腰を下ろす。

 母親から受け取った冷えた麦茶は、市販品のはずなのに、ひどく美味しく感じた。


「あ、使ってくれてるんだ」


 母親のグラスに、見覚えがあった。

 初任給で両親へ買ったペアカップの片割れだ。


「これ、本当に効くのねえ。お父さんも喜んでたわよ」


 何でも、中の液体に疲労回復作用を付加する材質で作られているらしく、それなりに値が張った代物だったが、効果があったならば何よりだ。

 雑談がてら近況を話し合っていると、すぐに父親は戻ってきた。


「おお、お帰り」

「ただいま、お父さん」


 父親は人の好い笑顔を浮かべ、ハンチング帽を取って、定位置に座った。

 一家揃ったところで、本格的な団欒が始まる。


「どうだ、会社の方は。大変じゃないか? 少し痩せたようにも見えるが」

「確かに仕事はやることが多いけど、その分やりがいはあるし、先輩方も社長も皆良くしてくれてるし、充実してるよ」

「そうは言ってもねえ。危ないこともあるんでしょう」

「それは仕事柄、仕方ないよ。でも大丈夫だよ、僕はそんな簡単に死んだりしないからさ」


 息子がかの誉れ高いトライ・イージェス社に入社したことは勿論誇りであったが、親にとってはそれよりも身の安全の方が心配なのである。


「今回は、いつまで家にいられるんだ」

「三連休をもらってるから、二日はいられるよ」

「随分短い休暇なのね」

「そんなことないよ。もっと働いてる先輩もいるんだから」

「体には気を付けるのよ」

「分かってるよ」


 両親、特に母親にとっては、いくら大人になっても、息子は息子なのかもしれない。


「ところで、今日の夕食はどうしようかしら」

「折角だ、どこか外で食べようか」

「えっ、家でいいんじゃないかな。久しぶりにお母さんの料理が食べたいよ」


 父親の提案に、息子はやんわりと対抗意見を示すが、両親は笑って首を振る。


「明日、好きなものを好きなだけ作ってあげるわよ。お父さん、今夜はお寿司なんかどうかしら」

「うむ、そうしよう。商店街の"四葉"にするか」


 父親が、店主と顔なじみである店を挙げる。

 どうやら両親は、帰ってきた息子の姿をご近所に見せたいようだ。

 仕方がないと、五十嵐は苦笑した。懐かしの家庭の味は明日までお預けらしい。


 夕方になってから、五十嵐一家は商店街の方へと歩き出した。

 実家を出てまだ半年も経っていなかったが、こうして並んで歩いてみると、両親の姿がやけに小さくなったように見える。

 しかし、五十嵐が感傷に浸れる時間はすぐに終わりを告げた。


「克幸、今はガールフレンドはいないのか」

「え? い、いないよ! 仕事が忙しくて、それどころじゃないんだから!」


 五十嵐は慌てて否定する。

 この青年、昔から色恋沙汰には初心なのだ。


「忙しいからこそ、ちゃんと支えてもらう人を見つけるのよ。会社にはいい人、いないの?」


 母親の方も、息子を援護するどころか、更に追い詰めてくる。


「い、いないよ! いや、いないことも、ないけど、ちょっと、違う、というか……」


 終わりの方はもごもごと、言葉になっていない声を発し、赤面する。

 この時、五十嵐の頭には天川裕子の笑顔が浮かんでいた。


「母さんとしてはね、あんたにはグイグイ引っ張ってくれるような、年上の人が似合っていると思うの」

「も、もうやめてよ!」

「大切なことよ。いい会社に入れたんだから、次はちゃんといい人と結婚しないと。生きている内に孫の姿も見たいのよ。ねえお父さん」

「そうだぞ克幸」


 もしかして、これから実家に帰るたび、こんな攻撃が待っているのだろうか。

 五十嵐は心の中でため息をつく。

 とはいえ彼自身、結婚願望は持っているし、両親に孫を見せてやりたいという思いもある。

 将来を見据えて、今から真剣に相手を探した方がいいのかもしれない。






 五十嵐克幸は、両親が歳を取ってから産まれた一人息子ということもあってか、殊の外可愛がられた。

 彼の方もそんな両親の愛に応え、真っ直ぐ育っていった。


 最初に抱いた将来の夢は、野球選手になって大金を稼ぎ、両親に楽をさせてやる、というものであった。

 彼の父親が熱心な野球ファンで、幼い頃に球場へ連れて行ってもらい、その時目に焼き付けられた躍動するプロ野球選手たちの姿が、彼の原点であった。


 野球は小学校から始めた。

 毎日のように球を追いかけ、バットを振り続けた。

 実直な人柄と、体格や才能に恵まれていたことも手伝い、彼は常にチームの主軸であった。

 ボーイズリーグでは好成績を収め、高校の時は二回戦で敗退してしまったものの、三年の夏に甲子園出場を果たしたこともある。

 そして、六大学野球では、主砲を務めるまでになった。

 ちなみに大学へは一般入試で進学した。


 ひたむきな情熱と愛を野球へ注ぎ続け、相応のレールに乗って走っていた彼が、結局はプロになれなかった理由。

 それを一言で言うならば、彼にEFが発現したためである。

 EFという力を獲得してしまったがゆえに、彼はプロ野球選手の道を諦めなければならなくなった。機構が定めたルールにより、EF保有者はプロ契約ができないのだ。


 中学一年の夏だった。

 通常の練習を終え、片付けを済ませた後、いつものように居残って個人練習の素振りを行う。


 バットを振り続けているうち、ある違和感に気付いた。


 体が、軽い。

 厳しい練習の後なのに、既に素振りの回数は四桁に達しているはずなのに、全く疲労を感じない。

 千の位の数字が一つ、二つと増えていくが、全く疲れない。

 手の平の皮が破けたりもしない。

 おかしい。自分の体は、一体どうなっているんだ。


 その正体が、感情によってもたらされる力・EFによるものだと気が付いたのは、力が途切れるまで素振りを続けた後。病院のベッドで目覚めた時だった。

 皮肉なことに、彼の"愚直さ"が、尋常ならざる力をもたらしてしまったのである。


 五十嵐は能力に目覚めたことを喜ぶどころか、絶望した。

 短い人生、躓く程度の小さな悔しさは何度も経験してきた。

 が、プロの道を閉ざされるという挫折は、初めてぶつかるにしてはあまりに大きな壁だった。


 格闘技のように、EFを使用可能な野球競技も存在はする。

 だが、泥沼化した内部問題、安全性の高い球場を確保できないなどの理由で、通常のプロ野球のように興業として成立していないのが現状であった。

 つまり、プロになっても金を稼げない。


 野球自体は大好きだ。

 だが、好きなだけならば、趣味で続けていけばいい。

 五十嵐がプロを目指したのは、大金を稼ぐためだ。

 それなのに、こんな形で早くも夢が終わってしまうとは――


 荒れたり、練習を止めることこそしなかったが、一時的に精神が落ち込む日々が続いた。

 そんな状態を救ったのは、他ならぬ彼の両親である。

 両親は共にEF保有者ではなかったが、静かに、穏やかに息子を諭した。


「せっかく特別な力を授かったのだから、今度はそれを活かす道を考えてみたら?」

「私達は既に克幸から、お金以上に価値のあるものをたくさんもらっているよ。野球でなくてもいい。他の人に夢や希望を与えられる道は、他にもあるはずだ」


 両親からの言葉で、五十嵐はすぐに頭を切り替えた。

 元来、単純で前向き、そしていかなる苦難にも屈さない精神の持ち主である。

 野球は野球で、高校か大学までは精一杯打ち込む。

 そして卒業後は、新しい道へ進んでいこう。新しい決意を固め直した。




 五十嵐が第二の夢として選んだのは、人々を守る仕事である。

 EFの発現にあたって専門の機関で検査を受けた所、彼が得たのはどうやら珍しい類のもの、それに強い力らしい。


 せっかくなので、この力を活かせる仕事をしたい。

 自分の力は、何かを守ることに向いていると思う。

 そのように考えた結果、彼は防衛会社で働くことを志すようになった。


 五十嵐は、憧れを抱きやすい性質でもあった。

 かつて選手の活躍を観てプロ野球を志したのと同様、トライ・イージェスの社員が身を挺して凶悪犯から市民を守る姿をたまたま目の当たりにしたことをきっかけに、彼は入社を決めたのである。


 彼の決断に、周囲の人間は流石に驚いた。

 友人、両親、教師、いずれも彼の蛮勇にも近い行動を諌めようとしたが、


「もう決めたんです。僕は、あの偉大なトライ・イージェスに入ると」


 頑として受け入れようとしなかった。

 そう、彼は、愚直なのだ。


 決意の日から、彼は一層の努力を積み重ねるようになった。

 野球と勉学に加えてEFの訓練を行い、更には出られる講習に片っ端から参加して対人・対変異生物の実戦経験を積む。

 自主的なトレーニングも行った。


 傍から見れば正気の沙汰ではない以前に、人間では実行不可能なスケジュールだが、彼はやり遂げてしまった。

 彼のEFが、それを可能にしてしまったのだ。


 また、五十嵐にとって幸運だったのは、ちょうど彼が大学を卒業する年にトライ・イージェスが新入社員の募集を行っていたことだ。

 非常に狭き門であることはとうに承知していた。

 それでも彼は臆さず応募し、持ちうる全てのポテンシャルについて必死のアピールを行い、見事に社員の座を勝ち取った。

 第二の夢を叶えてみせたのである。

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