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復讐火葬  作者: SATOSHI
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二十章『五相ありさの原動力』 その3

 朝の祈りを終え、五相はゆっくりと目を開いた。

 窓から差し込んでいる光が思いのほか眩しく、再び目を閉じかける。


 朝食の用意をしながら、友人たちのことを思い出す。

 最近は彼女たちと会う頻度も減った。時折メールや電話で近況報告をしあう程度である。

 皆順調な生活を送っているようで、コンピュータ関連の会社で働いている者もいれば、先日めでたく結婚した者もいる。

 みな一様に五相へ感謝の言葉を述べていたが、彼女はいつも何も上手いことを言えず、ありきたりな社交辞令を一言二言付け加えて、微笑んで受け取ることしかできなかった。どうしても後ろめたさが消えなかったからである。


 その象徴が、この古いアパートだ。

 もっと良い部屋を用意できると奥平には言われたが、五相は断った。

 戒める意味合いの他にも、彼女自身、単純にこの部屋を気に入っているというのもある。

 住めば都、という言葉の意味を、彼女はよく噛み締めていた。


 次は、血守会のことに思いを巡らせ始める。

 "決行"の日が近付いているであろうことを、五相は肌で感じ取っていた。

 最近、アジト内の空気がどこか張り詰めている気がするし、下される命令も段々と具体性を帯びている。


 覚悟はとうに決まっている。

 これまでのように、与えられた役目をやり遂げなくてはならない。

 そうしなければ友人たちを守れない。幸福な生活を維持させてあげられない。


 誓いを立てたはずだった。

 何があろうと、どうなろうと、遵守し続けるはずだった。


 なのに、五相の心は悲鳴を上げていた。

 最初は微かな声に過ぎなかったが、血守会に身を置く時間が長くなればなるほど、それは大きくなる。


 何かを直接破壊したでもない。

 誰かを直接手にかけたでもない。

 清らかすぎるがためである。

 血守会という環境に身を置いているだけで、五相の心は徐々に蝕まれていた。


 しかし五相がそれを表に出すことは決してなかった。

 中島瑞樹と出会うまでは。


「新たな任務を言い渡す。中島瑞樹という青年とコンタクトを取り、我々の同志になるよう働きかけてもらいたい」


 きっかけは、奥平からの命令だった。


「失敗は許されない。確実に引き込むのだ」


 そう念押しされたことが、五相には引っかかった。

 平時、砂漠のように乾ききった心の持ち主である奥平が、こと瑞樹と、そして彼の師・瀬戸秋緒に関しては、わずかながら執着した様子を見せている気がする。

 かつて血守会を滅ぼされた恨みに起因しているのだろうかと、五相は推測していた。




「んー、中島ですか? 少なくとも悪い奴ってカンジではないっすね。見た目も性格も。つーか顔がよすぎてムカつくんですよアイツ! この前も一緒に大学でメシ食ってた時、アイツだけ女の子から――」


 彼の大学の友人である松村春一から話を聞いた限り、どうやらとっつきやすい人物ではあるようだ。


 血守会の情報網と五相のEFをもってすれば、瑞樹と接触する機会を作り出すのは容易だった。


「俺、時々アイツの強さが羨ましくなるんですよ。能力が強いってのもそうですけど……昔から色々あったらしいけど、どんな時も絶対諦めないっていうか、メンタルの強さがハンパじゃないんですよね」


 瑞樹の過去については、血守会も事前に調べていた。

 家族を円城寺沙織という女に殺され、それ以降は元トライ・イージェス社員、瀬戸秋緒と同居している。

 彼の両親は共にトライ・イージェスに所属しており、血守会の壊滅に大きな役割を果たした。

 そして、密かに沙織に復讐しようとしていること。


 中島瑞樹は、松村の話通り、いや、話以上の人物であった。

 端正な顔立ちがではない。

 柔和な性格と、その奥底に秘められた、絶えず激しく燃え盛る復讐の炎。

 そして、どんな状況でも決して絶望し、諦めない不屈の精神力。


 瑞樹の復讐心を初めて直接垣間見た時、五相は見てはいけないものを見てしまった感覚にとらわれた。

 怖いというよりも、少し哀しくなった。

 大切な人を奪った憎い相手に復讐をしたいという気持ちはよく分かる。

 かつて自分も、同じ思いに囚われたことがあるから。


 違いといえば、思いや執念の強弱ぐらいのものだ。


「両親や友人を殺傷した犯人が憎くはないのかね?」


 以前、奥平にこう聞かれたことがあった。

 その時の五相の返答はこうである。


「憎しみを抱いていないといえば嘘になります。ですが、犯人に復讐をしたところで、両親や友人たちが元に戻ることはありません。それに、今は……憎しみよりも、後悔の方が強いんです。あの時、私は、助けることより、犯人を捜すことを優先して考えてしまいました。人々を助けるための仕事に携わってきたのに、心の奥底では、別の感情を抱いていた……私は、私の心を許せないのです」


 しかし、瑞樹の復讐を否定するつもりはなかった。

 彼は、誰も戻ってこないことを知りながら復讐を遂げたがっているのだ。

 恐らく、彼が前に進むために必要なのだろう。そう推察していた。




 そして、五相は惹かれてしまった。中島瑞樹という存在に。

 年下が好みだった訳ではない。

 瑞樹と出会うよりも前に、血守会の同志である松村と二人で会う機会は幾度となくあったが、特に何も感じはしなかった。


 彼に好意を抱いた理由は簡単である。

 放っておけない、という感情の進化形だ。

 一向に仇を討てずとも、じわじわと苦しめられ続けていても、常に前を向いて道を切り開こうとする瑞樹の姿を見ていると、胸が締め付けられる。


『この人を助けてあげたい。支えてあげたい』


 という思いが湧いてくるのだ。

 ボランティア精神ではなく、一人の女として。

 早い話、瑞樹は五相の母性本能を刺激しているのかもしれない。


 とはいえ、瑞樹には既に青野栞という交際相手がいる。

 誠実な彼が恋人を裏切るような真似をするはずがないし、自分が奪うつもりもない。


 表に出さなければいいのだ。

 そもそも、誰かと交際するということ自体がおこがましい。


 ――見守っているだけならばきっと許されるだろう。


 この時点での五相が行き着いた結論であった。

 だが、簡単に割り切れるものでもなかった。

 孤独、弱さ、正義感、白さ――彼女の奥深い部分に内包されていた思いが、瑞樹への好意を抱き始めた時から、ほんのわずかずつ外へと漏れ出してしまっていた。


 そして、瑞樹が復讐を果たせる好機を、自身の手で潰してしまったこと。

 親しく話せる関係さえも捨てなければならなくなったこと。


 心に築き上げておいた壁が、ついに決壊してしまった。


『お願いです中島さん。血守会の計画を……止めて下さい』


 前々から計画していた反逆ではなかった。

 衝動に押され、つい反射的に口にしてしまったのに近い。


 だが、五相は後悔していなかった。

 "血守会への反逆"という秘密を共有して、瑞樹との距離を近付けられることが嬉しかった。

 浅ましい考えだと理解していた。

 例え、彼とは結ばれることがないと分かっていても、嬉しさは誤魔化せなかったのである。


 それに、良心と正直に向き合える契機にもなった。

 やはり、山手線の結界を破壊することを、見過ごしてはいけない。

 計画が頓挫する、あるいは血守会が再び滅びれば、友人たちが高級な義肢を使い続けることはできなくなるだろう。


 その償いは、血守会に入る前のように、今後の自分の人生を捧げて行えばいい。

 高級な義肢とはいかずとも、日常生活に支障のないレベルのものならば何とかできるはずだ。

 だから今も装具士の勉強を続け、血守会からの報酬もほとんど全て貯蓄に回している。


 そういった意味でも、五相は瑞樹に感謝し、同時に想いを強めていた。

 彼のためならば、身も心も惜しみなく捧げよう――


 一方、何かと任務を共にすることが多い阿元に対する気持ちは、どうしても同僚以上のものへ進展することはなかった。

 歳も近く、共に行動することでそれなりに親しくはなったが、そのうちに当初抱いていた感情は単なる気の迷いであったことに気付いた。

 彼なりに痛く重い過去を背負い、深く傷ついていたことは承知しているが、どうしても彼の性格に好感を持つことができなかったのである。

 せめて少しでも精神的な改善をして成長してくれればと、やんわり口に出して伝えてみたりもしたが、効果はなかった。


 改善・成長といえば、柚本知歌は以前に比べて変わってきたと思う。

 理由は考えるまでもなく、瑞樹と出会ってからだ。


 外見は派手で、素行も良くなく、言葉遣いもきれいとは言えないが、元来知歌が優しく素直な性根の持ち主であることに、五相は些細な部分から気付いていた。

 瑞樹と出会うよりも前、料理の簡単な手ほどきを行った時も、驚くほど真面目に取り組み、自主的な努力を怠らなかった。


 五相は、知歌のことを、少し羨ましく思っていた。

 あんな風に屈託なく、瑞樹と近付けたなら――


 馬鹿げた希望を無理矢理打ち消すことで、ようやく五相の意識の置き所は、長々とした考え事から目の前の出来事へと引き戻された。

 目の前の折り畳みテーブルには、空になった皿と、温くなった紅茶が入ったカップがある。

 どうやら無意識のうちに朝食の用意と摂食を済ませてしまったらしい。

 思考に意識が行きすぎてしまい、朝食の味をまるで覚えていなかった。食べ物が胃に瞬間移動してしまったようだ。


「……もったいないことしちゃったな」


 五相は紅茶で口内を湿らせ、黒ずんだ木の天井にぼやいた。

 すっとする苦みが、きちんと食べ物を味わなかった罰であるように感じられた。


(こんなことを考えたら、この紅茶をプレゼントして下さった中島さんに悪いわ)


 慌てて取り消す。

 今度は慎重にと、紅茶を少しずつ飲んでいると、携帯電話に着信が来た。

 五相は即座に反応し、短い言葉を何度かやり取りして、電話を切る。

 そして残りの紅茶を一息に飲み干し、立ち上がった。

 次に飲む一杯こそ、ちゃんとじっくり味わおうと思った。




 五相は急いで血守会のアジト、奥平の執務室へと直接向かった。

 室内には奥平だけでなく、相楽慎介の姿もあった。

 いつも通りミリタリージャケットを纏い、嘲笑うような笑みを浮かべている。


 普段は滅多に抱かない感情――嫌悪感が、心の底から湧いてくる。

 松村や、血守会を抜けようとした人々を無残に焼殺し、更には瑞樹を傷付けた。そんな男を見て、さしもの五相も慈悲深くはいられない。

 が、表面的には平静を取り繕う。


「ただいま到着しました。ご用件は何でしょうか」

「うむ、御苦労。相楽君が、個人的に君へ頼みたいことがあるそうだ」

「……何でしょうか」

「あんた、他人の居場所を探れんだろ?」


 相楽の唐突な質問に、五相は不躾と思いながらも曖昧に頷いた。


「トライ・イージェスのクソ野郎共を探してェんだ。手伝ってくれよ」

「何のためにですか?」

「あ? 決まってんだろ。リベンジすんだよ。この俺をムショにブチ込みやがってよ。心配すんな、タダとは言わねぇ。手ェ貸すよな?」


 相楽は、尖った歯を剥いて不敵に笑った。

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