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復讐火葬  作者: SATOSHI
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十九章『血よりも濃いもの』 その1

 最近のネットカフェは、シャワーも浴びられるらしい。

 瑞樹は驚かずにはいられなかった。

 汗を流せたおかげで、完全にではないものの、大分しっかりと体を休めることができた。

 空気を読んだのか、眠りが深かったからか、この夜は沙織とも会わずに済んだ。


 一夜明けた朝。

 外に出てコンビニで朝食を調達し、道端でぱくついていると、携帯電話が振動を始める。

 秋緒かと思いきや、相手は知歌だった。


「いまから会おーよ。場所はシブヤね」

「また、随分と急だな」

「いいじゃん。瑞樹兄に会いたいんだよ~」


 半ば一方的に決められる。いつもの展開であったが、ちょうど時間を持て余し気味になっていたところだ。瑞樹は承諾し、渋谷に向かうことを決めた。


 約束の時間から十分遅れて、知歌は姿を現した。

 今日の格好も、瑞樹の目には個性的に映った。ピンク色のキャップに黄色のタンクトップ。履いているデニムは所々破れているが、そういう加工というより、単に履き潰した結果のように見える。

 両手首にはヘアバンドだのブレスレットだのをいくつも巻いており、足元は相変わらず汚れたスニーカーだ。


「イケてるっしょ?」

「イケてるというより、キレてるね」


 瑞樹の感想を賞賛と捉えたらしい。知歌は上機嫌で瑞樹の手を取り、意気揚々と歩き出した。


「昼メシ食いにいこーよ。あたし、焼肉食いたいんだけど。あーハラへったー」


 焼肉と聞いて、瑞樹の足が一瞬止まった。


「どしたん? ……あー、そっか。瑞樹兄、肉ダメなんだっけ」


 知歌はほんのわずか、申し訳なさそうに言う。先日、瑞樹が話したことを思い出したのである。

 過去、沙織に刻まれたトラウマは、復讐を達成した後も治ることはなかった。

 やはり、肉の焼ける匂いを嗅ぐだけで気分が悪くなる。


「いいよ。知歌が食べたいなら、行こう」

「……そ、そんなこと言われたら、あたしが食いづらくなっちゃうじゃん! やめやめ、やっぱナシ!」


 知歌は再びスタスタと、瑞樹を引っ張って歩き出す。


「魚ならダイジョーブっしょ?」


 連れてこられたのは、回転寿司のチェーン店であった。

 瑞樹は微笑して頷いた。


 微笑は十数分後には苦笑に変わっていた。

 分かっていたことであるが、知歌の健啖ぶりを、積み上げられる皿という形で改めて示されたためである。

 優に瑞樹の三倍は食べていた。


「やっぱスシっつったらサーモンだよね……って瑞樹兄ってば、肉じゃなくてもショーショクじゃん。そんなんじゃおっきくなれないよ」

「味わって食べてるんだよ。大人だからね。大人は、サーモンばかりひたすら食べたりもしないんだ」


 瑞樹が澄ました顔で言うと、知歌は寿司を口に詰め込むペースを一層速めて、


「ふんだ、ガキはシツよりリョーなんだから。それにあたし、こーみえてけっこーイチズなんだかんね」


 むせて吹き出しそうになったり、慌ててお茶を流し込んだり、忙しない動きを見せる。

 皿の塔をうず高く築き上げ、ようやく満足した知歌は、バッグから棒付きキャンディを取り出し、口にくわえ出す。


「今日も吸ってないんだな。偉いぞ」

「でしょ。あたしだって、やりゃあできんだよ」


 知歌がにししと笑う。

 瑞樹が少しずつやんわりと、遠回しに諌めてきた成果もあり、知歌の喫煙量は減少の兆しを見せていた。

 まずは煙草を飴かガムかに置き換えてみるのを勧めたところ、彼女は頻繁に飴をなめるようになった。


「一本いる?」

「後でもらおうかな」


 会計を済ませ、店を出てすぐ、再び瑞樹の携帯電話が振動した。

 今度こそ、秋緒からだった。電話ではなく、メールだ。


「一度、帰ってきて欲しい」


 という一文のみが表示される。

 恐らく仕事の合間、あるいは高速で仕事を片付け、打ったのだろう。

『帰ってきなさい』ではなく『帰ってきて欲しい』という所に、彼女の心情を慮らずにはいられなかった。

 胸が、ちくりと痛む。


「だれ?」

「家の人から」


 瑞樹は言葉短く答えるだけだったが、知歌の方が予想外に食いついてきた。


「ねえねえ、瑞樹兄っていま、シショーってヒトといっしょに住んでるんだっけ?」

「そうだよ。父の元同僚だった人」


 知歌が、声を落とし、甘えるようなトーンで言った。


「ねー、きょうは、瑞樹兄のウチにいってみたいんだけど? 瑞樹兄の部屋とか、見てみたいんだけど?」

「無理だ」

「うわ、ソクトーかよ」


 知歌は舌を出す。

 その時、全く何の関連がないにも関わらず、知歌の仕草を見て、瑞樹にひらめきが訪れた。


「……いや、待った」


 ある意味、チャンスかもしれないと思った。

 瑞樹の中の冷静な部分が、血迷っているに等しい行為だと警告している。

 だが、狂っている方の部分が、この状況を活かせとしきりに主張してくるのだ。


「気が変わった。いいよ」

「マジで!? やったー」

「ただし、幾つか僕と約束してくれ。まず、血守会のことは絶対、一切口にしないこと。これだけは絶対守ってくれ」

「うん、わかった。瑞樹兄のカノジョを守るんでしょ」


 知歌は神妙に頷いた。


「次に、煙草は絶対に吸わないこと。それと、礼儀正しくすること。ああ、ボロを出すくらいなら、無口でいた方がいいかもしれない」

「そんなキビシー家なの!? ケームショかなにか!?」


 次々注意事項を増やす瑞樹に、知歌は不満の声をあげた。


「理解してくれ」

「……ドリョクしてみる」


 それでも知歌は、瑞樹の家に行くのを諦めなかった。渋々ながらも頷いてみせる。


「それで、いつ来る?」

「いまから」

「やっぱり、そう言うと思ったよ」


 瑞樹は携帯電話を操作し、秋緒に『今から帰ります』と返信する。

 一人、おまけがついてくることは敢えて書かなかった。


(色々な意味で絶句するだろうな。すみません、先生)


 心の中で秋緒に詫び、知歌を見やる。

 のんきな顔でキャンディをねぶっていた。




「へー、ここかぁ。ちっちゃめだけどいいウチじゃん」


 瑞樹の居宅を見上げながら、知歌が素直な感想を述べる。

 瑞樹も頭を上に向ける。知歌につられたからではなく、空模様が気になったからだ。

 昼過ぎまでは暑いくらいカンカンに晴れていたのに、今は空の大半が厚い雲に覆われ、時折冷たい風が北から吹き付けてくる。


「ね、ね、はやく入ろうよ」

「そうだね、雨が降る前に入ろうか」


 楽しみ、といった風ではなく、何故か焦った顔で急がせてくる知歌を疑問に思いつつ、瑞樹は半日ぶりに門をくぐる。

 彼の手には、帰る途中に買った、和菓子の入った紙袋が提げられていた。些細なご機嫌取りである。

 鍵穴の向きを見て、秋緒はもう家に戻っていることが分かった。


 ドアの引き手に指をかける。

 緊張の一瞬であった。

 こんな早く戻ることになるとは思わなかった。有効な打開策を考える暇もなかった。

 しかし、もう後戻りはできない。柚本知歌という劇薬を用い、何としても秘密を守り切るのだ。


「なに固まってんの? はやく~」


 背中から、知歌が急かしてくる。  

 瑞樹は深呼吸の後、意を決してドアを引いた。


「ただいま戻りました」


 見慣れた玄関が目に入ると同時にすぐさま、階段の上から慌ただしい足音が近付いてきた。

 パンツスーツ姿の秋緒が現れ、驚きに細い目を見開いて瑞樹を凝視する。


「お、おかえり、瑞樹君。よく戻ってきたな。そ、その、昨夜のことは……」


 しどろもどろな言葉。泳いでいる視線。

 更に、目の下に隈ができているのを見つけてしまい、瑞樹はその場にひれ伏したくなった。

 が、深々と頭を垂れるに留め、滔々と言葉を並べていく。


「先生、すみませんでした。一晩経って頭が冷えました。僕の方に非があったことは承知しています。昨夜の件については、後日改めて、必ずお話します」

「う、うむ、そうか」


 浮足立っている所に先制打を放つ作戦は存外有効だったようで、秋緒は心底安堵した表情を作る。

 そこに瑞樹が、更なる攻勢を加えた。


「これ、買ってきました。先生の好きなお菓子。一緒に食べましょう」

「ありがとう」


 顔をほころばせる秋緒。機嫌はすっかり直ったようである。


「疲れているだろう。さあ、入って休みなさい。ところで食事はどうして……い……た?」


 改めて瑞樹を出迎えようとした秋緒の顔が、そのまま硬直した。

 彼の背後に立つ少女の存在に、この時ようやく気が付いたのである。


 時間の流れから切り離されたかのように、秋緒は停止した。

 瑞樹は機先を制さんとばかりに知歌の存在を紹介する。


「ああ、彼女は最近知り合った友人なんです。さっきまで外で一緒に遊んでたんですけど、どうしても一度家に行ってみたいということで、連れてきたんですが……」

「ど、ども」


 余計なことを言わず、嘘にならないよう、言葉の意味を広義にして濁す。

 瑞樹は最善を尽くしたつもりであった。

 知歌も、マイナスの発言をしなかったという点ではよく瑞樹を補助したといっていいだろう。


 だが、それ以前の問題だった。

 秋緒は、知歌の風体を見て、みるみるうちに顔を険しくさせていく。

 それが何を意味しているのか、知歌はすぐさま気付いた。

 この手の表情、感情を向けられることに、日常から慣れているがゆえの敏感さであった。


「うっわ、めっちゃカンジ悪いんですけど……」


 本人としては、瑞樹にしか聴こえないように言ったつもりだったのだろう。

 しかし秋緒の鋭敏な聴覚は、知歌の悪態を一字一句余すところなくキャッチしていた。

 顔をアルプスの山々の如く険しくし、


「帰りなさい」


 冷たい言葉の刃を知歌に一閃した。

 やはりこうなったかと、瑞樹は手で顔を押さえる。

 が、瑞樹は見誤っていた。

 斬られた知歌は、その程度で怯むような精神の持ち主ではなかったのである。


「やだ」

「なに?」

「あたし、瑞樹兄とまだいっしょにいたいの」


 秋緒から一ミリたりとも目をそらさず、厚くマスカラを盛った両目をきっと向け、睨み返した。

 思わぬ目力の強さに、秋緒はわずかにたじろいだ。

 知歌のような、派手な外見の少女が苦手な訳ではない。

 もっと根源的な部分、他人と深く向き合うこと自体が苦手だからである。


 意外な展開に、瑞樹は目を丸くした。

 秋緒のこの一見冷たい態度に、初見にも関わらず全く怯まない未成年を初めて見た。


「べつにメーワクはかけないよ。だからいーでしょ?」


 さらには敬語も使わず、馴れ馴れしい頼みまで口にする。

 勇敢なのか無謀なのか、それとも単に無邪気なのか。いずれにせよ知歌の精神力は、瑞樹の想像の枠を超えていたようだ。


「い、いや、ダメだ」


 口ではそう言いながらも、秋緒は気圧されていた。

 目が再び泳ぎ出そうとしており、それを必死に抑え込んでいるのが瑞樹には分かった。

 どう出るかと観察しているうちに、瑞樹と秋緒の目が合う。

 秋緒は、すがるような目線を送っていた。

 知歌はそれに気付いて振り返り、


「瑞樹兄からもなんかゆってやってよ」


 と、頬を膨らませて言った。

 両者から唐突に矛先を向けられ、瑞樹はやや狼狽する。

 とはいえ、どちらの立場につくかは既に決めているので、


「先生、僕からもお願いします。こう見えて結構、いい所もあるんですよ」


 頭を下げて許しを請う。

 瑞樹にはとことん甘い秋緒である。愛弟子にそうまでされて、心が揺れ動かないはずがない。

 しかしここで知歌は、言うに事欠いてとてつもないことを口にしてしまった。


「つーかおばさん、あたし、カワイソ~な家出少女なんだから、ちょっとはやさしくしてよ」

「おば……!」


 瑞樹は慌てて知歌の口を、平手を叩き付けんばかりの勢いで塞いだ。

 知歌が不満いっぱいにモゴモゴと声を発するが、お構いなしに全力で抑えつけ続ける。

 彼女が放った四文字は、秋緒にとって絶対の禁句なのである。


 瑞樹は恐る恐る、秋緒の方を窺ってみる。

 そこには氷塊があった。


「消えろ」


 秋緒は蒼白な顔のまま、知歌に宣告した。

 終わった――瑞樹が脱力する。

 しかし、知歌の方はこのままで済ますつもりはなかった。すかさず口の拘束を振りほどき、


「なんだよっ! キレるってことは、自分でも気にしてるからってことじゃん! それにホントーのことじゃん、女はトシくったらだれだっておばさんになるんだから、なにが悪いんだっての!」


 啖呵を切った。威勢の良さは些かも衰えていない。


「す、すみません。少しだけまた出てきます」


 瑞樹は知歌の手を引っ張り、ドアを開けて再度外へ出る。

 もはや秋緒の表情を再確認する勇気はない。


「ちょっと、なんだよ。まだ言いたいこといっぱいあんのに……」


 知歌が抗議したその時、青白い光がいっぱいに閃き、轟音が空気を破った。


「ひゃっ!!」


 短い悲鳴と共に飛び上がる知歌。そして耳を塞ぎ、猫のように小さく丸まった。

 そこに、つい先程までの強気さはまるでない。人格そのものが入れ替わってしまったかのようだ。


「雷、苦手なの?」


 返事はなかったが、反応が全てを物語っていた。

 急激に弱体化した知歌へ更なる追い打ちをかけるように、大粒の水が空から次々と地上に叩き付けられていき、たちまち視界を覆うほどの大雨となった。


 また近くに落雷があった。知歌は大きく体をびくつかせる。

 秋緒を怖がらないのに雷を怖がる知歌が、瑞樹には少し可愛らしく見えた。


「大丈夫、ここに落ちたりしないよ」

「そーゆーモンダイじゃないんだよ……」


 瑞樹はしゃがみ込み、あやすように語りかけると、知歌は彼の懐へ潜り込み、頭を埋めた。少しでも耳に入る音量を下げようとするための逃避行動である。


(先生、出てきて、お許しを出してくれないかなあ)


 知歌の背中を軽く叩きながら、瑞樹は空を仰ぎ、心の中でそうぼやくのだった。

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