十七章『密やかな暗殺計画』 その1
「――以上が、中島瑞樹との第四次接触においての結果報告となります」
静まり返ったトライ・イージェス社のオフィスで、天川裕子が、締めくくりの言葉を述べた。
「ご苦労だった、天川君」
社長席に座っている花房威弦が、天川に着席するよう手で促す。
「つまり、現時点で中島瑞樹は、血守会との間に結び付きはないということか」
「可能性は低いと思われます」
「大学の友人を殺害されたというのが気になるな」
遠野鳳次郎が、疑問を呈する。
「その辺りは聞き出したのかね、天川君」
「彼は頑なに話そうとしませんでした。後で録音した会話をお聞かせ致します」
「ひとまず、その友人の件は無視しても構わないのではないでしょうか。こう言ってしまうのも何ですが、重要度は低いでしょう」
千葉悠真が、眼鏡に手をやりながら意見を挟んだ。
天川は隣席の彼に首を向け、
「私もそう思ったんだけど、少し引っかかる点があるのよ。あの子、この件を警察に話していないみたいなのよね」
「どうしても個人的に報復したいからじゃないですか?」
千葉の言葉はもっともだった。何より当の瑞樹本人がそう言っていたのだ。
だが、それでも拭いきれない疑念があった。女の勘という抽象的なものではなく、もっと論理的に引っかかる部分が……
「まあ、千葉君の言う通りだ。今は置いておこう」
社長がそう告げた以上、仕方がない。天川は保留することにした。
「鬼頭さん、相楽慎介の件はどうなっている?」
「……現在は庄が追跡中ですが、発見の報は入っていません」
話し合いを静観していた鬼頭高正が、低い声で答える。
「そうか。血守会アジトの解明も、まだだったな」
「……申し訳ありません」
「いや、責めているのではない。貴方のコネクションにはいつも助けられている。私では到底成し得ぬことだからな」
「……恐れ入ります」
「五十嵐君、何か意見はないかね。新人だからといって遠慮はいらない。的外れかもなどと気にせず、どんどん発言してくれ」
社長に水を向けられ、五十嵐克幸はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
目が少々充血気味だが、張りのある声で応答する。
「いえ、自分は特に何もありません! 申し訳ございません!」
「そ、そうか。いや、すまなかった。君は昨夜から寝ずに護衛に出向していて、疲れているだろう。この会議が終わり、報告書をまとめ終えたら、帰ってゆっくり休むといい」
今春から入社した五十嵐も、今は既に単独で案件を任されている身であった。
即戦力が求められる少数精鋭主義のトライ・イージェスでは、ごく自然な成り行きである。
「相手が血守会となると、どうも後手に回ってしまいがちだな。だからと言って愚痴は言っていられない。当面はこれまで通り、各々の業務を着実に遂行していこう」
花房はそう結び、会議は一旦の終了を見た。
現在、オフィス内にいた五名の社員は、再びそれぞれの業務に集中しだす。
「はい、五十嵐君。濃い目のコーヒーと目薬よ。あと少し、頑張ってね」
「あ、ありがとうございます」
天川からの差し入れを受け取り、五十嵐は恐縮する。
「いい加減、そんなに固くならなくていいのよ。ところでお休みは何をする予定かしら?」
「実家に帰ろうと思ってます」
五十嵐の実家は二十三区内のため、帰省も簡単であった。
「いいわねえ。羽を伸ばしてらっしゃいな」
「はい、良い先輩達に囲まれて幸せだと、両親に報告してきます」
「言うようになったじゃない」
「克幸、特に遠野鳳次郎という人が、顔も人格も実力も素晴らしいと言っておくんだぞ」
「ナルシストです、でまとめちゃっていいぞ」
「ははは……」
五十嵐は苦笑いしながらも、確かな充実感と幸せを、この会社に見出していた。
仕事は大変だが、これからもやっていけそうだ、と。
瑞樹は、淡々とUSTCを勝ち進んでいた。
「中島瑞樹選手、観客の期待通りに、余裕の準決勝進出ですッ!」
もうすっかり慣れてしまった勝ち名乗り、眩しいライト、拍手、歓声。
認めてもらえるのは嬉しい。応援してくれるのはありがたい。
だが、勝ち上がれば上がるほど、瑞樹は、自身の中にある空白が大きくなっていくのを感じていた。
せめて好敵手が現れてくれれば、少しは熱くなれるのかもしれないとも思ったが、彼に比肩する存在は今の所現れなかった。
トライ・イージェスからの音沙汰も、天川との一件以来なく、血守会も何も言ってこない。
夏の終わりに合わせるかのように、彼の周りは静かだった。
騒がしくなるのは、知歌と行動を共にしている時ぐらいである。
知歌は瑞樹のことを気に入ったようで、事あるごとに呼び出そうとし、彼のスケジュールが空いている日は遊びに付き合わせていた。
「ねえねえ瑞樹兄、きょうはゲーセンいこーよ。"コンガでポン!"でショーブしよっ!」
「台場のアクアシティのパンケーキたべた~い!」
「ゼロキューでアクセ買ってよ~! あと何百日かしたら誕生日だからさ。ダメ?」
色々なわがままに振り回されながらも、瑞樹は不思議と不快感を感じていなかった。
やはり愛美とは全然タイプが違うのだが、本当の妹に甘えられているようで、こそばゆかった。
ただ、気になる点もあった。
知歌は、プライベートを語りたがらないのである。聞き出そうとすると、途端に不機嫌な顔になる。
また、割と早い時間に解散を申し出る傾向があり、その理由も詳しくは教えてくれなかった。
そのため瑞樹は、彼女が普段何をしているか、未だにほとんど知らない。
会話の断片から、学校には行ってないこと、家出中なことなどが推察できるくらいだ。
そして、これがある意味最も重要なことだが、山手線の結界を破壊することに関して、肯定的ですらあった。
「どーでもいいんだよね、べつに」
やはり理由を話そうとはしなかったが、そう言い捨てた時の知歌からは、怨念めいたものが滲み出ているように瑞樹の目には映った。
そのこともあってか、互いのEFを連携させる"練習"も、嫌がることなく付き合っていた。
瑞樹が積極的に知歌との練習を行っていたのには、理由がある。
決して血守会に協力する気になったのでも、知歌に共鳴したのでもない。
大学の友人・松村春一を殺した男、相楽慎介を殺すためだ。
彼我の実力差をすぐに埋めるのは難しいことは分かっている。
だが、知歌の協力を得ればどうだろうか。簡単に始末できるはずだ。
彼女と連携して放った火炎には、それほどの期待感があった。
瑞樹と知歌が初顔合わせをしてから、まだ間もなかった頃。
二人は東京都品川区にある林試の森公園で、最初の練習を行った。
現在この公園は、ごく一部の区画を除いて、EF保有者が能力の訓練をするための場所となっている。
公式に認められている訳ではないが、広大な敷地に溢れる大地と樹木、水のエネルギーがEF保有者を引き寄せてやまない。
無論、非保有者も公園を利用しており、単にジョギングや球技などを楽しむものとEFの訓練をするものと、自然と棲み分けがなされている。
瑞樹も知歌も、初めて訪れる場所であった。
「へー、こんなトコ初めて来た。あっ、スゲー! あの人、空に浮いてる! うおっ、逆立ちしながら犬と取っ組み合ってるし。なにやってんだろ」
知歌は周辺で繰り広げられている光景に驚嘆して、遊歩道を外れあちこち楽しげに歩き回っている。
「おいおい、邪魔しちゃ悪いよ」
瑞樹が窘めると、知歌は「わかってるよぉ」と頬を膨らませたが、歩道の先を見てすぐに萎ませた。
「ね~、アイスキャンディ買って」
「終わってからな」
公園内は人間と昆虫、鳥でそこそこ賑わっていた。
瑞樹の能力は無関係の人間へ被害を与える心配はないが、知歌の能力がまだ未知数であるため、安全を期してなるべく人の少ない場所を探す。
幸いすぐに手頃な場所が見つかった。公園のほぼ中央付近にある、池のほとりだ。
「こんなトコで、蚊にくわれないかな~」
「僕が燃やしてやるよ」
体をあちこち払う仕草をする知歌に苦笑し、話を戻す。
「確認しよう。知歌の能力は、相手の能力を強化する能力。感情は"親近感"か、あるいはそれに近いもの。合ってる?」
「そ。ただ、相手にさわってないとダメだかんね」
「強化されている時、具体的にはどうなる? 例えば僕らの体が光るとか、感情面で何か変化が起こるとか」
「んー、あたしのほうはよくわかんない。ただなんとなく、チカラが出てるんだろーなって感じ? 相手もおんなじようなモンじゃないかな? とにかくやってみりゃいいんじゃない」
それもそうか、と瑞樹も思う。頷いて、
「じゃあ、早速実験してみようか。力を使ってくれないか」
りょーかい、と敬礼して、知歌は背中から思いっ切り彼に抱き着いた。
「……本当にこんな密着しないとダメなのか?」
「あはは、ジョーダンだって」
知歌は照れ笑いしながらホールドを解き、改めて両手を彼の肩に置いた。
すぐに彼女の顔から笑いが消え、代わりに力みが表れる。
肩に置かれた両手が、小刻みに震えていた。
「……いーよ!」
知歌の震えた声が聞こえた瞬間、瑞樹は体の芯に熱を感じた。
炎を出した時とは少し違う。骨の中に湯を流し込まれたような感じだ。
これが、知歌の――瑞樹は試しに右手から炎を出してみた。
「うわっ!」
思わず瑞樹は声をあげる。
まるで右手に小さな太陽が生まれたようだ。軽く力を入れただけだというのに、沙織と戦った時に近い火力が出せた。
驚く間もほとんどなく、背中からぎゃっという声がした。両手に乗せられていた感触がなくなり、炎が急速に萎んでいく。
瑞樹が振り返ってみると、
「ビ、ビックリしたー! こんなに出るとか思わなかったし!」
心臓の辺りを押さえて、知歌が口をぱくぱくさせていた。
「確かに、凄い力だな」
知歌の能力に感心すると同時に、恐ろしくもなった。
確かにこれで全力を出せば、山手線の結界も破壊しうるかもしれない。
「へへ、あたしらってば、相性バッチだね。っしゃ、今度はビビったりしないから、もっとレンシューしちゃおー!」
事の重大さを自覚していないのか、知歌は無邪気に笑っている。
それはともかく、相乗効果をもっと正確に把握しなければならない。
「よし、練習を続けよう」




