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復讐火葬  作者: SATOSHI
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十三章『焼却命令』 その3

 しばし、睨み合いが続く。

 松村や他の人間にとっては生きた心地がしなかった。爆発前の爆弾が二つ並べられているに等しい状態だからだ。

 しかし決着は思いのほかすぐについた。


「でもなあ、ボスからは殺すなっつわれてんだよなあ」


 意外にも、先に折れたのは相楽の方だった。ふっと臨戦態勢を解除してしまう。口を閉じて尖った歯をしまい、両腕を軽く開いて上げてみせる。

 瑞樹の方も、現況を忘れて戦いを挑むほど向こう見ずになっていた訳ではないので、つられて構えを解く。


 それが命取りであった。

 予備動作のない相楽の踏み込みに全く対応することができず、鳩尾に放たれた蹴りをもろに喰らってしまった。

 瑞樹は鈍い呻き声を上げ、膝を折って倒れてしまう。


「甘ェよ、おチビちゃん。ま、心配すんな。加減はしてやったからよ」


 呼吸するたび、激しい痛みが五臓六腑に突き刺さり、悶絶する。咳き込めば更にその数倍の激痛がやってくる。胃液と涎で汚れた口周りを拭うことさえままならない。

 単純な戦闘ならば、意識を断ち切られずに済んだのは僥倖と言えるかもしれない。

 しかしこの場合は、完全に不幸だったと言わざるを得ないだろう。


「さて、救世主様はどうぞVIP席でご覧下さいませ、ってな」


 相楽は瑞樹の後ろ襟を掴んで引きずっていき、開けられたシャッターから放り投げた。

 固い床に体を打ち、瑞樹の顔が更なる苦悶に歪む。


「中島さんっ! 大丈夫ですか!?」


 五相は駆け寄ったが、回復薬も何も持っていなかったため、丸まった彼の背中をさすりながら、身を案じる言葉をかけ続けることしかできなかった。


「折角相楽君が代わりに手を汚してくれるのだ。しかと焼き付けたまえ」


 奥平の無機質な声が瑞樹を更に突き刺し、追い打ちをかける。


「五相君。マイクとスピーカーを」


 五相は逡巡し、わずかな抵抗の意志を見せかけたが、


「……ごめんなさい」


 瑞樹にだけ聞こえるようポツリと呟き、手にしていた端末を操作した。


「――つからだ? 焼いて下さい! って奴から前に出な」

「嫌だ、嫌だぁっ!」

「助けてくれぇっ!」


 すると、今までしんと静まり返っていたこちら側の空間に、声が生まれ出した。

 声は目の前ではなく、天井から聞こえてくる。

 わざわざ考えるまでもない。向こう側の音声を拾うようにした理由は、ただ一つだ。


「ゃ……め、ろ……」


 未だ収まらぬ苦痛を跳ね飛ばすよう、気合いで上体を起こした瑞樹は、右手に炎を生み出し、壁にかざした。

 だが、高熱に晒されているにも関わらず、一向に溶ける様子がない。


「その超強化アクリルは特別製でな。簡単には溶かせんよ」


 言われずとも、この部屋に呼ばれ、焼却命令を下された時点でそんなことは分かっている。

 だからといって、黙って見てなどいられない。目の前で人が、友人が殺されようとしているのだ。

 瑞樹は憎悪を糧に火力を上げ続け、更には炎を纏った手で壁を叩く。何度も。何度も。強く叩く。


 壁は、びくともしなかった。

 無慈悲なほどに、元の形質を保ち続けていた。

 瑞樹の行為はむしろ逆効果であった。壁を破壊しようと試みていることに気付いた相楽が、


「お、マイクを入れたのか? いいねえ。盛り上がってきた所で、そろそろ始めましょうか!」


 嗜虐心に火が付いたのか、声のトーンを上げ、首を激しく左右に振り始めた。

 いよいよ決定的な瞬間が目の前にまで迫ったことを実感した血守会の裏切り者たちは、揃って恐怖と絶望に全身を染め上げた。


「だーれーにーしーよーうーかーな……決めたッ!」


 相楽が指差したのは、一番最初に瑞樹に声をかけた中年の男。


「や……やめてくれ……」

「はいはーい、燃え移りたくなかったら、さっさとどきましょーねー」


 人々が慌てて中年男から離れたのとほとんど同時に、突如として炎が発生した。


「う、うわ、あああぁぁぁーーッ!」


 中年男の足元から立ち昇った炎は、たちまち全身を包み込んだ。

 黒いシルエットが地面をのたうち回るが、すぐに絶叫は止み、動きも止まる。

 成人男性大の赤々とした火炎は、徐々に縮小していき、拳大サイズにまで圧縮されてゆっくりと浮かび上がった。

 人魂だ。瑞樹は見たまま直感的にイメージを結び付ける。


「いっちょあがり! いっただっきまーす」


 相楽が大きく息を吸うと、空気と一緒に人魂も口の中へ引っ張られ、吸い込まれていく。

 彼が大きく喉を鳴らす音を、マイクはやけに生々しく拾い上げた。


「まじィ。やっぱ中年オヤジはダメだわ」


 舌を出し、苦々しげな顔を作る。

 跡には表面を黒く焦がした床の汚れだけがあり、男の燃えカスは一切残っていなかった。


「つーワケで……次はそこの姉ちゃんだー!」

「ひっ……お、お願いします! 許して下さい! 何でも、何でもしますから! わたし、お腹に赤ちゃんがいるんです……だから!」


 指名された若い女は、まだ膨らんでいない腹をさすりながら、必死で哀訴する。


「そーなのかー……」


 相楽は、少しだけ考える仕草を見せた。

 そして、


「……つーコトは、一粒で二度美味しいってこった!」


 鳴らされた指を合図として、女の腹部から発火が始まり、二つ目の人魂を作り出した。


「うんめェ~!」


 相楽は、空腹時の一口目にサーロインステーキをかじった時のような、極上の喜色をいっぱいに漲らせた。

 上機嫌のまま、瑞樹の方を振り返る。


「教えてやるよ。俺の炎はな、人間を燃やして喰えば喰うほど、力が強くなんだ。美味いヤツともなりゃ、そりゃもう格別にな。あ~、もうガマンできねェ。次行こう、次!」

「やめろ! ふざけるな! こんな馬鹿げたこと、今すぐ中止しろッ!」


 何も聞こえない、と言わんばかりに、相楽はゆっくりとした動きで、瑞樹に背を向けた。




 瑞樹の目の前で、酸鼻を極めた火焔地獄絵図が繰り広げられていた。


 涙を流す者、呆ける者、絶叫する者、嘔吐する者、壁を叩き引っかく者――

 そして、半狂乱となった群れに一人ずつ、嗤いながら裁きを下し喰らう、悪辣なる獄卒。


 五相は耐え切れずに顔を覆い、その場に崩れ落ちた。

 奥平は眉一つ動かさず、煙を吹かしていた。

 瑞樹は、鬼気迫る表情で、壁に向かって炎を浴びせ、殴り続けていた。

 拳から鮮血が噴き出しても、壁に血がべったり塗られても、手を止めない。

 壁にはヒビ一つ、入らない。


 そうしている内にも、壁の向こうでは一人、また一人と、人間が燃やされていく。

 瑞樹の中で、憎悪に代わる別の感情が湧き起こってくる。

 救えないのか。自分はまた救えないのか。

 こんな思いをするのは、もうたくさんだというのに。


 無力感。悔しさ。

 かつて毎年味わってきた、沙織を殺せなかった時の比ではない強さだった。

 ダメだ。薄めろ。飲み込まれてはいけない。

 そう考えれば考えるほど、意識の焦点は余計に考えたくない方に当たってしまう。

 瑞樹の炎が、勢いを弱めていく。


「やめろ! 今すぐやめないとお前を殺す! やめろと言ってるんだッ! この下衆野郎ッ!」


 瑞樹の枯れた叫びをせせら笑うかのように、相楽は壁際まで移動し、今燃やしたばかりの少年の人魂を、見せつけるように吸い込んでみせた。

 残る裏切り者は、既に片手で数えられるほどに減っていた。


「中島ぁっ!」


 やにわに、松村が大声を張り上げた。

 相楽の興味を引かなかったからか、巧みな位置取りで避け続けていたからか、松村はまだ指名されず生き延びていた。


「いいかぁ、こんな所で絶対暴走するんじゃねぇぞ! 彼女を守るんだろ!? 根性見せて耐えろよ!」

「松村……!」


 馬鹿。何で今、そんなことを言う。奴の注意を引いてしまうだろう。黙ってろ!

 瑞樹は手を止め、必死に目で訴えるが、松村は黙らなかった。


「お前は、俺とは違うんだ! 負けんな! 絶対負けんな! こっちの、俺らのことは……気にすんな!」


 強がっているのは、火を見るより明らかだった。

 目に涙を溜め、足元は小鹿のように震えている。

 相楽が、気味の悪い薄笑いを浮かべた。


「へ~ェ、言うじゃねェか、こんな時によ。次はお前にしてやるよ」


 この時、極限状態にまで追い込まれたことで松村春一が見せた一連の動きは、彼の人生最高のパフォーマンスだったと言っていいだろう。

 相楽が指差すよりもわずかに早く、横っ飛びでその場から退避。

 虚空に炎が発生したのとほぼ同じタイミングで、履いているスニーカーのタンの裏側に隠していた両刃カミソリを引き抜く。


 自分は、ここで死んでしまうだろう。

 怖い。怖くないはずがない。

 本当は相楽や奥平の靴の裏を舐めてでも助かりたい。死にたくない。


 ――だけど、せめて、友達の前でカッコ悪いまま死にたくはない。


 それは単なる見栄、痩せこけた意地っ張りに過ぎないのだろう。

 だが、そんな、少しでもいい所を見せたいという"自己顕示欲"こそが、彼の力の源なのである。

 上体を起こし、相楽に向けて手首を振る。

 彼の指を離れたカミソリの刃は、一筋のか細い光線と化した。


 松村の"レイブレイド・ゲイザー"が、相楽の顔面に向けて突き刺さる。


「うォッ!?」


 相楽は顔面を押さえた。


 ――やった!


 松村はすかさず、もう片方のスニーカーからカミソリの刃を引き抜きながら、


「中島ァ! 帰ったらあいつらにも自慢すんぞ! 俺のレイ」


 松村の言葉は、そこで途切れた。


「はい、そこまで」


 天井にも届きそうな、これまでで最大の炎が、瞬く間に松村を飲み込んだ。


「ま、松村……松村ァァァァッ!」

「ザコのくせに大したヤツじゃねェか。一発カマしてくるなんてよ。裏切ったりしなきゃ、ちったァいいセン行ってたかもな」


 顔から手をどけた相楽が、口を歪めて笑う。

 左目の近く、出っ張った頬骨の辺りに、黒子ほどの火傷ができていた。


「くそッ! よくも、よくもッ! ……松村。返事を、してくれ……」


 瑞樹の悲痛な声にも、松村は答えない。もう何も言うことができない。

 激しく燃え盛る火炎だけが、壁を隔てた向こう側にあった。

 

「おい、お前が何て言おうが、俺様はコイツを喰うからな」


 縮んでいく炎を見届けた後、相楽が告げる。

 おどけた雰囲気は鳴りを潜めており、極めて真摯な態度だった。

 先程までは、寝転がりながらバイキングを食い散らかしているようだったのに、今はまるで、食前に神へ祈りを捧げる敬虔な信徒にさえ見える。


「ふざけるな! 今更、何を真面目ぶって……!」


 瑞樹の抗議を無視して、相楽は、松村の人魂を飲み込んだ。


「ごちそうさん。深みがあったぜ。ここ最近じゃ一番だ。言っとくがな、俺様が喰ってんのはあくまで人魂の形をした火だ。魂じゃねェ。魂がどうなって、どこに行ったかは、俺様にも分かんねェ」


 相楽は説明するが、食後の合掌自体は瑞樹に向けられたものではなかった。

 瑞樹は脱力し、膝をついて地面に四つん這いになった。焦点の合わぬ瞳が、血に汚れた白い床を曖昧に映す。拳の痛みが遠ざかっていく。


 いずれにせよ、松村は、死んでしまったのだ。




 相楽が残った裏切り者たちを処分するのに、時間は必要なかった。

 瑞樹はもはや何も抵抗せず、膝立ちのまま呆然と全てを見続けた。そんな気力は既になかった。


 しかし、彼はただ一つ、遵守した。


『いいかぁ、こんな所で絶対暴走するんじゃねぇぞ! 彼女を守るんだろ!? 根性見せて耐えろよ!』


 松村が遺した言葉を呪文のように反芻し、何とか精神の均衡を保っていたのである。

 全てを終え、出てきた相楽にも目を向けず、奥平との短いやり取りにも意識を向けず、精神の殻に閉じこもって繰り返すほど徹底していた。

 それは相楽が退出するまで行われた。彼が明確な自我を取り戻したのは、奥平が鳴らす、革靴の硬い足音が間近に迫ってきてからだった。


「御苦労だった、中島瑞樹君。期待通り存分に苦しんでくれたようだ。"彼"も満足している。わざわざ君の友人を引き入れた甲斐があったな」


 瑞樹は、虚ろな目で奥平を見上げた。

 頭のごく一部から「この男に殴りかかれ」「燃やせ」という命令が出ていたが、それ以外の全ての部位が完全拒否しており、反対派多数により動けなかった。


「安心したまえ。次の任務ではこのような負担を強いたりはしない。君の欲していたものを与えよう」


 抑揚のない奥平の言葉が、静寂に覆われていた部屋に反響した。

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