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復讐火葬  作者: SATOSHI
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十三章『焼却命令』 その2

「さあ、どうした。早い所済ませてくれたまえ」


 奥平久志の声が、冷たく降りかかる。

 彼の黒い手袋が指差しているのは、二十人ほどの老若男女。一様に怯えた目をこちらへ向けていた。

 瑞樹と奥平、五相のいる側と、約二十人がいる向こう側は、超強化アクリルの壁で隔てられている。

 特殊技術によって製造された、六十センチの厚みを持つ透明な壁は、あらゆる衝撃や温度変化を防ぐ。


「簡単な話だ。君がいつも仕事でしているようにやればいい」


 沙織が現れた悪夢から覚めてしばらくした後、五相から連絡が入った。

「頼みたい仕事がある」と、奥平が瑞樹を呼び出したのだ。

 五相の手引きで、前回と同じような手順にて血守会のアジトへ向かい、"四"の隠し通路を通ると、真っ直ぐ伸びた廊下の左右に鉄格子のついた部屋が並ぶ、監獄のような空間に出た。


 現在、瑞樹がいるこの部屋は、廊下を抜けた最奥にあった。

 教室ほどの広さの空間は、天井も壁も、スピーカーらしきものや通気口がある以外は、不気味なほどに真っ白で無機質だった。

 そして、部屋の中央を、超強化アクリルの壁が隙間なく横断している。


 部屋に入り、既に向こう側にいた人々の表情を目にした瞬間から、瑞樹は嫌な予感がしていた。

 凶兆は現実となった。


 奥平が告げた命令は――向こう側にいる人間を、一人残らず焼却処分すること。


「君は我々血守会を憎んでいるのだろう。末端とはいえ、敵を始末できて丁度いいではないか」


 奥平は、ほぼ一定の間隔で、黙り込んだ瑞樹を促し続ける。

 人間を殺す命令を下すことに罪悪感は全くないようだった。

 それ以前に、怒りも愉悦も、何の感情も感じられない。日課で可燃ゴミを集積所に出す時、何も考えないのと同じように。


 奥平の言葉は事実であった。血守会は憎い。

 この男と邂逅して以来、身を焦がす怒りが常に心の内にある。

 だが、実際燃やす機会がこのように訪れると、瑞樹は躊躇した。

 対象が奥平であれば、嬉々として焼却を行っていただろう。


 奥平曰く、向こう側の人間は血守会の構成員らしい。

 ただし正確には"元"がつけられる。

 会を裏切り、警察に駆け込もうとしたため、血の掟に従って処刑する必要がある。

 そこで瑞樹にお鉢が回ってきた、という経緯だ。


「何故僕にこんなことを……非効率じゃないですか、いちいち燃やすなんて」


 奥平にも、処刑を待つ人々とも目を合わせず、瑞樹は噛みついた。

 ほとんど効果がないことは分かっていたが、はい分かりましたと素直に従う訳にはいかない。何とか時間を稼ごうという悪あがきである。

 彼らが今までどれほど血守会に加担していたのかは分からないが、脱会を試みた時点で自分が罰する資格はない。国家機関の仕事だろう。


「承知の上だ」


 瑞樹の反論は、一言で切って落とされた。


「言っただろう。君にはたっぷりと憎しみの念を抱いてもらう必要があると」

「くっ……!」


 分かっていた。

 処刑前に敢えて事情を説明したのは、つまりそういうことだろう。


「実を言うと、私とて君にこのようなことを強いるのは少々心苦しいのだよ。だが、どうしてもやってもらう必要があってね」


 怒りで目が眩みそうだった。

 いけしゃあしゃあと嘯くこの男を、今すぐ灰も残さず消し飛ばしてしまいたい。

 勝算を度外視して、瑞樹は今にも奥平に襲いかかりそうだった。


 ここで奥平を攻撃すれば、栞は――


 頭の片隅で、見えない枷が重く擦れる幻聴がした。

 誰かの強い視線が突き刺さっているのを感じる。奥平ではない。

 その方向を見はしなかったが、込められている無言のメッセージは読み取っていた。

 きつく目をつぶり、石のようにした両拳を震わせ、心のマグマを必死で抑え込む。


「奥平様。彼にこれ以上負担をかけては、今後の計画に支障をきたしてしまうのではないでしょうか」


 奥平の背後に控えていた五相が、助け船を出した。瑞樹は目を開けて彼女を見る。


「構わん」

「ですが……!」


 諌言は途中で遮られた。奥平の裏拳が五相を打ったためだ。

 短く声を上げてよろけ、口元を押さえた五相と一瞬目が合う。


 ――大丈夫です。気にしないで下さい。


 瑞樹の胸に、女性の顔面を殴打した怒りと共にわずかな恐怖が浮かぶ。

 この男は、本気だ。

 条件を満たせば、栞に対しても躊躇なく同様の決断を下すだろう。

 瑞樹は、奥平久志という男の本質を改めて体感した。


「急いでくれたまえ。私とて暇ではない身だ。早い所次の案件に移りたいのでな」


 奥平は、これ見よがしに金色の腕時計を見て言った。

 瑞樹の肌から、冷たい汗がどっと噴き出る。

 どうする。どうすればいい。どうすればこの状況を打破できる。


 壁の向こうの人々を見やる。

 無意味と分かりながらも本能がそうさせるのか、彼らは部屋の隅、一番遠い位置に集まっていた。

 これから辿るであろう運命をより具体的に想起し、怯えから悲嘆、絶望が混じった表情に変わっている。


 ざっと見渡したところで、瑞樹は気付いた。気付いてしまった。

 先程、怒りを堪えている時に感じた視線の正体を。

 思い違いをしていた。五相ではなかったのだ。


 ほぼ一塊となっている、血守会の裏切り者たち。

 その一番後列、奥の所にいた人間が、真に彼へ視線を送っていた人物だった。

 それは予想もしなかった、ここにいるはずのない人間。


「ま、松村……!?」


 松村春一。

 同じ大学に通う友人が、血守会を裏切った者の一群として、嘆きの壁を隔てた向こう側にいた。

 信じがたい真実だった。

 嘘だろう? 瑞樹の全身から、さっと血の気が引く。


「何で、お前がここにいるんだ! 松村!」


 大声を張り上げるが、松村は反応を示さない。

 驚き、不安、恐怖を混ぜて模った仮面を被っているが如く、表情を動かさない。


「聞こえていないのではないかね。その壁はそれなりに遮音効果があるはずだからな」


 葉巻を吸い始めた奥平が、煙と共に言葉を吐き出す。

 瑞樹は壁を叩き、手招きして、何度も松村を呼んだ。

 彼の尋常ならざる様子を見て、裏切り者たちは当惑する。

 自分に向けられたものではないと気付いた者から目を逸らし、その場から動く。それが連鎖して塊がさっと割れていき、一番奥にいる松村までの道を作り出した。


 状況に耐えられなくなったのか、松村はのろのろと瑞樹に向かって歩み寄ってきた。

 松村は金魚のように口をぱくぱく動かしているが、瑞樹の耳には何の音も届かなかった。


「五相君」


 奥平の一言に反応して、透明な壁の一部が上にスライドし、人一人が通れる程度のスペースが生まれた。瑞樹は迷わず飛び込む。


「松村!」

「な、中島……俺、俺」


 処刑人が知己であった安堵からか、思いもよらぬ場所で友人と再会したからか、松村は肩を震わせて涙を流し始めた。

 瑞樹は松村の両肩を掴み、


「僕だって驚いてる。でも、まずは落ち着くんだ」


 できるだけ穏やかな声色を作り、なだめすかす。

 色々問い質したいことはあるが、そのためにもまずは彼を鎮め、話せる状態にしなければならない。

 このような状況では、修羅場を潜っている瑞樹の方が冷静であった。


「あの、私達を、殺すんですか」


 松村が落ち着くのを待っている間、裏切り者の一人、中年の男が一歩進み出て、瑞樹に質問してきた。


「……殺したくはありません。そもそも僕は、自分から望んで血守会に入った訳ではありません」


 裏切り者たちがざわつき始める。


「どういうことだ?」

「じゃあ何で、あの男はこの子を呼んだのよ?」

「松村君と知り合いなのか?」


 いくら瑞樹とはいえ、矢継ぎ早に浴びせられる質問に対して悠長に回答しているゆとりはなかった。

 適当に聞き流し、打開策を必死で考え続ける。奥平が栞の名をちらつかせるまでは猶予があるはずだ。

 優先順位をつけるのは倫理に反するだろうが、最悪、友人だけでも助けたい。


 ここにいる全員で一斉蜂起を起こすのは……難しいだろう。

 EFは使えるが、地上へ脱出できるルートがない。

 この部屋もほとんど完全な密室状態だ。天井に通気口がついてはいるが、全員どころか一人通ることさえ現実的ではない。

 現状を知れば知るほど絶望的になり、心臓の脈動がうるさく聞こえてくる。苦い唾が込み上げてくる。


 やるしか、ないのか。

 そんな考えが頭をよぎってしまう。


「なあ、中島は、何で血守会に?」


 ようやく一旦落ち着きを見せた松村が、掠れた声で尋ねてきた。


「……栞を人質に取られたんだ」


 声を殺して言う。松村の目が驚愕に見開かれる。


「……そう、だよな。お前は、そういう奴だもんな」

「なんだよ、それ」


 こんな状況だというのに、顔を見合わせて苦笑する。まるで普段、大学でそうしているかのように。

 松村が一歩、瑞樹から距離を取った。


「俺はさ、違うんだよな。お前みたく、立派な理由じゃないんだよ」

「何言ってるんだ」

「貧乏暮らしに嫌気が差しちまったんだ。いや、実際はそこまでじゃなかったのに、劣等感で勝手にそう思ってただけだったんだな」


 松村は、刑事を前にした被疑者のように自白を始めた。

 この状況で耳を傾けている場合ではなかったが、友人のことを無碍にできるほど、瑞樹は冷徹に徹することができなかった。


「俺が血守会に入ったのは、もっと金が欲しかったってだけなんだよ。金があれば、ブランド物の服や時計が買えるし、あのゴキブリが湧きまくるボロアパートからも出られる。奥平さんに高い給料でいきなりスカウトされた時は、渡りに船だと思った。やる仕事も簡単なもんばっかだったしな。……でも、いざ金をもらって欲しい物を買っても、なんも嬉しくなかった」

「……もしかして、バイト先へ冷やかしに行った時とかも、嫌な思いをさせてたのか」

「真面目だな、お前は。そんなの気にしてねえよ。俺の問題なんだって。なんせ俺の"レイブレイド・ゲイザー"は、自己顕示欲の力なんだぜ」


 松村は寂しそうに笑った。

 そんな彼のことを、瑞樹は責める気になれなかった。

 確かに、困窮していた訳でもないのに、金目当てでテロ組織に加担したことは許されることではないだろう。

 だが、裏切って逃げ出そうとした以上、今の松村はもう血守会ではないはずだ。


「気にするな、とは言わない。でも、今はそれ以上言わなくていい。僕は男から告白される趣味はないんだ」


 瑞樹がそうおどけると、松村の目から再び涙が流れ出した。

 友人の欲目かもしれないが、彼の嗚咽には心からの反省と後悔が混ざっていると、瑞樹は受け取った。


「男に泣かれる趣味もないんだよなあ。まあ、そのうち一杯奢ってくれ。肴程度に全部聞いてやるから」


 その時、瑞樹は背後に強烈な殺気を感じた。

 奥平か?

 総毛立つ感覚に従い、振り返ってみると、知らぬ内に向こう側にもう一人、新手が増えていた。


「相楽だ。相楽慎介だ!」


 裏切り者の一人が叫んだ。

 誰がどう聞いても、歓迎しているとは思えないニュアンスの声色であった。


 瑞樹に備わっているセンサーが激しく警鐘を鳴らす。

 こちらを睥睨する、まるで狂犬のような面構え。

 体つきは縦に細長いが、一目見ただけで危険人物と分かる風貌。真夏にも関わらずミリタリージャケットを着ている時点で異様だ。

 そして、分厚い超強化アクリルの壁を容易に貫通してやってくる殺気。

 あいつは危険だ。そして――何より、強い。


「こっちに来るぞ!」

「いやぁぁぁぁ!」


 二言三言、奥平と何かをやり取りした後、相楽はゆっくりと瑞樹たちの方へ近付いてきた。


「どういう人物なんですか?」

「あんた、知らないのか? "火喰い"の相楽を!」


 返答がきても、瑞樹にはとんと聞き覚えがなかった。

 松村を見ると、彼も他の裏切り者たちと同様、相楽慎介という男に恐怖していた。

 いや、正確には、恐怖を通り越して、諦めの境地にさえ達していた。


「あー……俺、もう終わったわ」

「松村!」


 勝手に諦めるな。とは言えなかった。気休めにもならない。

 よしんば、あの相楽という男を何らかの手段で退けたところで、結局は自分がここにいる全員に手を下す展開になるだけだろう。

 状況は悪化の一途を辿っていた。

 有効な打開策を何ら打ち出せないまま、相楽がスペースを潜り、瑞樹たちのいる側へ来てしまった。

 死神の来訪に、人々は慄き、瑞樹は焦燥に竦む。


「おーう、裏切り者のクズども。それと、我らが救世主様。ご機嫌いかがっすか? ダチを燃やす命令を受けて、さぞかし胸クソ悪い気分でしょうよ」


 入ってきて早々、相楽は長身に任せて一人一人を見下ろしつつ、傲然と弁舌をふるい始めた。


「そんな救世主様に朗報だ。この俺様が、お前さんに代わって、この可燃ゴミをまとめて焼却処分してやるよ。俺様は相楽慎介だ。同じ炎の能力者同士、仲良くしようぜ」


 相楽が右手を差し出してきたが、瑞樹はきっと睨み付けただけで、応じようとしなかった。


「ありゃ、態度悪ィの。もしかして聞いちゃってたりする? 大分前の話だが、お前さんに疑いが行くように、俺様があちこちで火ィつけて回ってたって話をよ」

「……なん、だと」

「なんだ、聞いてねえのか。ボスに頼まれてよ。ま、俺様も楽しんでやってたんだけどな。あのクソ会社の奴らにパクられちまったのは計算外だったが、こうやってシャバに出られたからよしとすっか。クソ会社のあの二匹にはそのうち、キッチリ礼はするけどな」


 瑞樹の中で、記憶のピースが連結されていく。

 春先に剛崎が教えてくれた、放火騒ぎの情報。

 クソ会社というのは、トライ・イージェスのことだろう。

 天川裕子と六条慶文から、犯人を捕えたという報告を聞いた後の顛末は知らなかったが。

 そうか……あの時からもう、始まっていたのか。

 今更深く驚きはしなかった。ただ、不愉快な気持ちがより強くなったに過ぎない。


「一度捕まっておいて、よく言いますね。僕だったら恥ずかしくて、とてもそんな大きな態度には出られない」


 瑞樹は自然と挑発していた。

 それを聞いた途端、相楽の顔が凍り付く。が、瞬時に融解する。三白眼に熱が宿ると共に顔つきがみるみる険悪になり、部屋の空気がチリチリと爆ぜだす。


「おいチビ、てめえ、口の利き方に気ィ付けろよ。ボスに目ェかけられてっからって、調子こいてんじゃねえぞ」


 地を這う低い声には、並のチンピラとは比較にならないほどの威圧感があった。

 間近にいた松村が、瑞樹の背に回り込んだ。他の裏切り者たちも、再び部屋の隅へ我先にと詰めていく行動を取る。

 直接殺気にあてられた瑞樹は、正面から相楽を睨み返した。


 実際、立場上殺されることはないだろうという優位性から挑発を行った。

 だが、そんなことよりも、この手合いの人間は大嫌いなのだ。

 上品ぶるつもりなどないが、品性に欠けた下衆な悪党を見ると、嫌悪感が抑え切れなくなる。


「へえ、やろうってのかよ?」


 敵意を敏感に嗅ぎ取った相楽が文字通り、牙を剥いた。自分で削ったのか、犬歯以外の歯も鋭く尖っていた。

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