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復讐火葬  作者: SATOSHI
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十三章『焼却命令』 その1

「すっかり遅くなっちゃったね。ごめんね、引き止めて」

「ううん、楽しかったよ。栞の作ってくれたオムライスが美味しすぎたのが、一番の原因だね」

「今度は、なにが食べたい?」

「栞の作ってくれたものなら何でもいいんだけど……シーフードパエリアを食べてみたいな」

「わかった。練習しておくね」

「それじゃあ栞、またね」

「うん……瑞樹くんも、気をつけて」


 軽いキスをした後、瑞樹は栞と別れた。

 腕時計は午後九時過ぎを指していた。

 栞の手料理を食べたり、部屋を見せてもらったりしているうちに、時間が経つのを忘れてしまっていた。幸福な時間だった。

 が、マンションから出た瞬間、彼の顔は途端に険しくなる。 


 ――血守会め。


 最初、栞に元気がなく、瑞樹に連絡しなかったのは、阿元が接触してきたのが理由らしい。

 幸い直接的な暴行を受けることはなかったようだが、これからはより注意を払わねばならない。

 いや、正確には触れた時点で充分万死に値する行為だ。EFを使用したことを抜きにしても。

 彼女に恐怖を与えたという事実が許せない。相応の償いは必ずさせる。


 瑞樹の攻撃性は再び高まりつつあったが、同時にもう一つの思考も展開されていた。

 あまり現実的ではなく、即座にできるようなことでもない。


 だが、探す必要が出てきた。

 万が一の場合に備えて、EFを無効化、解除できる能力を持つ人物を。


 現実的でないというのは、第一に希少性だ。

 EFの無効化及び解除は極めて珍しい能力であり、保有者と出会うのは宝くじに当せんするのと同じくらい難しいと言われている。

 一説では、国内にいる無効化、解除能力者は全て政府が極秘に囲い込んでいるという噂さえ立っている。

 インターネット上で、自称・解除能力者、無効化能力者が有料鑑定を行うと謳っているケースが散見されるが、百パーセントデタラメであると断言してもいいだろう。


 秋緒やトライ・イージェスからの人脈をあたってみるのが一番の近道だろうが、怪しまれたり、血守会に察知されてしまては元も子もない。慎重に事を運ぶ必要がある。

 そのため栞本人にも、阿元の能力のことは話さなかった。


 当面の次善策としては、栞と行動を共にする時は、なるべく山手線の内側にいるようにする必要がある。

 いかな山手線の結界といえど、既にかけられたEFを解除することはできないが、結界内にいる限り、阿元の"起爆"を防ぐことは可能だろう。


 そんなことを考え続けている内に、瑞樹は自宅のすぐ近くまで来ていることに気付いた。

 体がほとんど自動的に動いていたらしい。見慣れた三鷹の住宅街に驚きを見せる。

 自宅には灯りがついていて、秋緒は出張から帰ってきていた。


「お帰り。疲れているようだな」

「先生、報告したいことがあります。――家族を殺した犯人を、昨夜、始末しました」

「何だと……!? それは本当か!?」

「はい。やっと復讐を果たすことができました」


 次の瞬間、瑞樹は壁にぶつかったような当たりを受けた。

 秋緒が、彼を抱きしめていたのである。


「よくやった。本当によくやったな、瑞樹君」


 頭のてっぺんから秋緒の震えた声がする。

 引き寄せられる力が、ことのほか強い。


「先生……?」

「! す、すまない」


 我に返った秋緒が、慌てて瑞樹を解放した。

 秋緒は顔を背けたが、瑞樹は確かに捉えていた。

 眼鏡の奥、彼女の目尻に、うっすらと涙が浮かんでいたのを。

 瑞樹は特に指摘を行わなかった。不自然だとは思わなかった。

 物心がつく前から、我が子のように親身に考えてくれていたのだ。むしろ温かな幸福を感じた。

 憎き仇を討った達成感がようやくやってきた、と言い換えてもいいのかもしれない。


「これまで先生が護って、導いてくれたからこその結果だと思ってます。本当に、ありがとうございました」


 心からの気持ちを込めて、瑞樹は深々と頭を下げた。

 秋緒は彼の頭をそっと撫で、


「私は大したことをしていない。全て、キミの努力と執念の賜物だ」


 両肩に手を滑らせ、頭を上げるよう促した。


「雄二さんも喜んでいるだろう。今日、報告には行ったのか?」

「いえ、自分の中で気持ちの整理がつかなかったので、まだ」

「じき盆入りすることだし、丁度いい時期だ。一緒に報告へ行こう。それと祝賀会も開かねば」


 秋緒は眼鏡を外し、目の辺りを拭って言った。




 瑞樹と秋緒が中島家の眠る多磨霊園へ赴いたのは、二日後の朝だった。

 多磨霊園は東京都府中市と小金井市にまたがる場所にある墓園で、三鷹から西南西に位置している。

 東京ドーム二十七個分にも相当する広大な面積は、都立霊園の中でも最大を誇り、著名な人物も多数眠っている。

 常時展開されている悪霊封じの結界のおかげで、八柱霊園のように昼夜を問わず魑魅魍魎が跋扈しているということもない。むしろ心身に好影響を与えるパワースポットだと言われている。


 中島家の墓は、そんな霊園の片隅にひっそりと建てられていた。

 いつものように墓の周りを清掃し、花と線香を添えた後、


「父さん、母さん……愛美。遅くなったけど、やっと皆の仇を討つことができました」


 瑞樹は合掌瞑目し、報告を行った。

 そして、心の中で付け加える。


 ――これから僕は強大な敵に立ち向かわないといけません。どうか見ていて下さい。二人が守ったものを、無駄にはしません。


 次に秋緒が墓前で膝を折る。

 彼女の合掌は長かった。暑さも忘れ、微動だにしない。

 何を思っているのか、概ねの予想はつくが、具体的なことまでは瑞樹には分からなかった。

 秋緒と両親、特に父とは、トライ・イージェスの立ち上げ時から親交があると聞いている。

 死線を共に潜り抜けたのも一度二度ではきかないだろうし、数多の苦楽を共にしてきたはずだ。

 そのため色々積もるものもあるのだろうと瑞樹は察した。


「……彼は立派にやり遂げました」


 きっかり三分後、最後に一言呟いて、秋緒が立ち上がった。

 瑞樹へと向けた彼女の表情は、ひどく穏やかなものであった。


 祝賀会はその夜、極めてしめやかに行われた。

 参席者は瑞樹と秋緒の二名。

 クラッカーも歓声も飛び交わず、華やかな飾りもない。

 いつも食事を取っている自宅のリビングで、照明を少しだけ落として、小料理を肴に秋緒秘蔵のワインを開けて舌を楽しませる。

 それで充分であった。


 秋緒は普段飲酒をしない。

 口にするのは仕事などの場でやむなくといった場合、そして瑞樹の誕生日の時ぐらいであった。

 飲む場合も、ごく少量にとどめていた。


 秋緒が酒に強くないことを瑞樹は知っていた。

 また、酒が入ると、瑞樹の前では多少舌が滑らかになることも知っている。

 そのせいか、この日の食卓は会話がいつもより多く飛び交っていた。

 瑞樹の大学生活についてだったり、仕事のちょっとしたエピソードだったり、話題は他愛もないことばかりだ。


 血守会のこともあり、瑞樹の心中は決して安らいだものではなかったが、表に出さぬよう、楽しそうな秋緒によく相槌を打ち、話題の灯を絶やさぬよう努めた。

 秋緒の方も、今回の主役は瑞樹だということをわきまえてはいたので、今一つ元気がなさげに見える瑞樹からなるべく声を引き出そうと、積極的に話を振るようにしていた。

 そのためにアルコールの力を借りたというのも、飲酒している理由の一つである。


 しかしこの日の秋緒は、やけにアルコールを摂取するペースが早かった。

 呷る、とまではいかずとも、ぐいぐいとグラスを傾けている。


「なあ瑞樹君、キミはどうして、そんなにも父親似なんだ?」


 秋緒は酔うとよく瑞樹の父親の話を持ち出す。

 そのことに不快感があるわけでもないので、瑞樹は微笑しながら、


「どうしてでしょうね。でも、珍しいですよね。長男は母親に似やすいというのに」


 答えた後、ワインを傾けて舌を潤す。

 中身が残り僅かとなった彼のグラスに、すかさず秋緒がなみなみとワインを継ぎ足した。生血のような液体がグラスを一杯に満たしていく。


(今夜の先生、随分来てるなあ)


 薄暗い照明に浮かび上がっている、ほんのりと赤みがさした秋緒の頬をちらりと見て、瑞樹はグラスに口をつける。

 彼は酒に強い方なので、簡単に酔ったりはしない。意識は未だはっきりしているし、色白な肌もそのままだ。


「瑞樹君は本当によくやったよ。よく長年頑張って、耐えて、思いを募らせて、家族の仇を討った」


 ガムのように、もう何度も噛み締め続けた言葉を、秋緒はまた口にした。

 ガムとの違いは、未だ味が抜け切る気配がなく、我が事のように回想している点だ。

 酒が入ってしまえばこうなるのも無理もないと瑞樹は思った。

 また、彼女への敬意が些かも薄れることはない。それどころか安心さえしていた。

 達人という言葉が生温く思えるほどの強さである秋緒だが、やはり彼女にも人間味が、人並の部分があるのだ。そう実感できた。

 そして、自分の親を本当に尊敬していてくれたんだということが伝わってきた。


 秋緒はブルスケッタを口に運び、咀嚼嚥下した後、一気に自分のグラスを飲み干した。

 ボトルを逆立てる勢いで更にもう一杯注ぎ込もうとしたが、半分程度でボトルの方が空になってしまった。


「足りないな。取ってくる」


 不満げにぼやいて、追加のボトルを求めようと立ち上がった。

 その動きは不安定でひどく危なっかしい。思わず瑞樹も席を立ち、


「危ないですよ」


 案の定途中でよろけた秋緒を、抱くように受け止めた。


「あ? ああ、はは、すまないな」


 酒臭い吐息と共に、至近距離で秋緒の低い声がした。

 顔が近い。

 そういえば、それなりの年齢になってから、こんな近くで先生の顔を見たことがあっただろうかと、瑞樹は思った。

 年齢の割に秋緒の肌は綺麗で、目立つ皺もない。


 数日前、奥平が言ったひどく不愉快な言葉が蘇る。だがすぐに心の奥底へ押し込んだ。

 見られていることに気付いた秋緒は、眼鏡の奥の細い目で、瑞樹の顔をじっと覗き返した。

 見れば見るほど父親にそっくりだ。

 彫りの深い顔立ち、少々のアルコールでは染まらない白い肌、薄い体毛。


 心の奥底に押し込めたはずの感情が、じくりと蠢いた。


「――は、はははは! 本当にキミは可愛くてよく出来た子だな! ほらほら、可愛い可愛い」


 秋緒は笑い出した。瑞樹の首に腕を回し、手の平を彼の頬に滑らせる。

 急に陽気になった彼女に、瑞樹は少々当惑した。


「随分酔ってますね、珍しく」


 これほど高揚している秋緒の姿を、瑞樹も見たことがない。

 いつもは凪いだ湖面の如く、心をあまり動かさないのに、この日の羽目の外し方は尋常ではなかった。

 これ以上の飲酒は止めさせた方がいいだろう。秋緒にされるがまま、瑞樹はボディタッチを受け入れつつ、冷静に師の身を案じていた。


 そんな態度を、嫌がっているものと秋緒は解釈したらしい。

 また、悪酔いしているとはいえ、分別をつけられる程度の理性も残っていたようだ。


「……すまない、少々悪酔いが過ぎたようだ」


 自己嫌悪の苦味を顔全体に出し、瑞樹を解放して、しっかりした足取りで元の場所へ着席した。


「どうかしているな、私は」


 口元を手で覆い、呻くように言う。

 瑞樹は慌ててフォローを差し挟んだ。


「謝ることじゃないですよ。いいじゃないですか、たまには少しくらい羽目を外したって。先生は普段すごくしっかりしてるんですから、こういう時は尚更発散させた方がいいですよ」


 秋緒は眼鏡を外し、掌で顔を覆う面積を増やし、うつむいた。

 顔面の火照りがじわじわと掌へ伝わってくる。


 ――どうしてこの子は、姿だけでなく、似たようなことまで言う?


 頬だけでなく、思わず両目まで熱くなってきたが、それは奥歯を噛み締めて堪える。

 どうにかおさまりがついた後、顔を上げ、瑞樹を見て微笑んだ。


「いや、気持ちだけ受け取っておく。これ以上はやめておくよ。何せ私は泥酔すると、刀を振り回して所構わず切り刻んでしまうのでな。昔、会社の面々と飲んでいた時はよく暴れ回っていたものだ」

「ははは」


 瑞樹は笑った。

 そんな話を両親や剛崎から聞いた記憶は一度もなかった。


「良かったらこれも飲んでくれ。足りなければ新しいボトルも開けるが」

「そのグラスだけ頂きます」


 まだ余裕で飲めたが、今出ている分で留めておくことにした。




 アルコールが入ったせいなのかは分からない。

 この日の夜も、瑞樹は沙織の夢を見た。


 前回の続きのような内容だった。

 鈍色の空の下、痛みを感じない針の大草原で、白いワンピース姿の沙織が、身振り手振りで何かを伝えようとしている。

 瑞樹は逃げたかったが、足がうまく動かなかった。

 能力を使おうとしても、炎が出ない。

 眠っている最中は、これが夢だとそうそう気付けないので、結局瑞樹にできることは、罵倒しつつ眺めていることだけだった。


 だが、少しだけ、前回と様子が違う点がある。

 沙織の口から、断片的にではあるが、声が出始めていた。


「…………よ」


 最初は、ただ風の音を聞き間違えたのかと思った。


「…………だ……よ」


 しかし、それは単に、そうあって欲しいという希望的観測に過ぎなかった。

 

「こ……らは……しょ、だよ」

 

 胸騒ぎが止まらない。

 夢の中の出来事に過ぎないはずなのに、とても嫌な予感がする。


「これ%らは、ず×と@っしょだよ」


 沙織の透明な声に、ラジオのようなノイズが混ざっているのは、先程から強く吹き始めた風のせいだろうか。

 景色が徐々に変質していく。針の大地は一瞬のうちに溶けて雲になり、空からは雲を切り裂いて、眩いばかりの光が幾筋も差している。


 これは――天国のイメージ?

 瑞樹がそう気付いた時、目の前の沙織が初めてこの世界で、明確に一つの意志を持った一言を発した。


「これからは、ずっといっしょだよ」


 慈愛を司る女神のような、柔らかな微笑み。

 全ての言葉を福音に変えてしまう、混濁のない声。

 円城寺沙織の、永遠の愛の宣告であった。


 瑞樹は言葉を失った。

 これは夢だ。断じて現実などではない。

 目を覚ませば、沙織のいない世界が続いていくだけだ。


 だが、現在認識している事象には、妙に生々しいリアリティがあった。

 夢が現実、現実が夢と入れ替わっているような――

 あと数秒、目覚めが遅れていたならば、瑞樹は本当にそう思っていたかもしれない。

 仮初の天国が遠ざかっていくのを感じた時、心から安堵した。神速で目蓋をこじ開け、ベッドから跳ね起きる。

 荒い息をつき、部屋を見渡してみたが、沙織の姿はどこにもなかった。エアコンが低く唸っているのみだ。

 しかし、完全に彼女の存在を拭い去ることはできなかった。

 今、こうやって意識している世界そのものに遍在しているのではないか。そんな疑念さえ湧いてくる。


 瑞樹がより過酷な現実に直面したのは、起床から八時間後のことだった。

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