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復讐火葬  作者: SATOSHI
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十二章『血の呪縛とつながり』 その1

 どうやって藪知らずを抜け、家に帰ったのか、よく覚えていない。

 焼け跡に何も残っていないのを確認したことまでは覚えている。

 待っていたはずの五相と何を話し、別れたか、はっきりしない。

 日付が変わる頃、気が付いた時には、自室のベッドの上に横たわっていたのである。


 体内を巡る血液が水銀に変わったかのようだ。頭も体も重い。

 水を飲みたいが、指を動かすことさえ億劫だ。


 ――もっと嬉しいものだと思っていた。


 長年募らせてきた恨みを、ようやく晴らすことができたというのに。

 瑞樹の心を支配しているのは、名状しがたい空虚感ばかりだった。

 沙織を殺したことを後悔はしていない。それは確かだ。

 ましてや復讐なんて考えなければ良かったなどと、毛の先ほども思わない。

 ただ、得られた達成感や喜びが、想定していたよりもずっと少なかった。それだけだ。


 ともあれ、人生最大の目標を達成することはできた。

 あとは血守会の問題を解決するだけだ。

 山手線の結界を破壊されないよう守る。

 栞に危害が及ばぬよう守る。

 敵は強大で、簡単には行かないだろうが、必ずやり遂げなければならない。


「今は、寝よう」


 何にせよ、疲弊した心身を癒すのが最優先である。

 あえて口にすることで自分に言い聞かせ、瑞樹は少しずつ、蟻地獄に引きずり込まれるよう、眠りに落ちていった。




 花の絨毯がどこまでも、何物にも遮られず、地平線にまで広がっていた。

 赤、白、黄色、紫――名前の分からない、見たこともない品種ばかりだったが、それでも構わないと瑞樹は思った。

 人の手が加わっていない天然のかぐわしさ、柔らかさが、全てを雄弁に語っている。

 大の字に寝そべっていると、とても気持ちがいい。


 視界いっぱいに、雲一つない蒼天が広がっている。

 ちょうど正面のあたりに太陽が輝いているが、不思議と眩しさは感じず、直視しても平然と目を開けていられた。


 そよ風すら吹いていないが、暑くも寒くもない。程よく暖かい理想郷であった。

 この場所に足りないものといえば何だろうか。

 共に世界を愛でる存在か、それとも愛を語る存在か。


 ――独りは、少し寂しいな。


 瑞樹がそう思った瞬間、鮮やかな色々をした無数の花たちは、瞬く間に一輪残らず針の山へと変化した。

 色彩は失われて錆びた銀色となり、柔らかな花弁は跡形もなく消えていた。

 瑞樹が寝そべっていた辺りも例外ではない。

 背中一面を突き刺す鋭い痛みで、陸に打ち上げられた魚のように跳ねる。

 そうやって動けば動くほど針が刺さり、転げ回る。


 が、不思議と、刺さった部分からは一滴の血さえ出てこない。

 そもそも傷口などなく、痛みさえもかりそめだ。

 ほどなくして瑞樹も気付き、動き回るのをやめておもむろに立ち上がった。

 もはや足の裏に感じるものは何もなかった。


 途端、一方の彼方から強い風が吹いてきた。

 方角は分からないが、轟音を立てながら波濤のように押し寄せて瑞樹を覆い貫き、遥か逆方向へと走り去っていく。

 立っているのがやっとだ。しかも中々収まる気配がない。

 一体どうなっている。先程まで安らいでいた瑞樹だったが、失楽園に不安が段々と強まっていく。

 それを象徴しているのか、気付かぬ内に空はどんよりと分厚い雲が広がっていた。


 風に乗って、向こうから何かがやってくるのを目が捉えた。

 風に任せているというより、風を支配下に置いて乗っかり、動かさせているような動きだった。

 白いワンピースらしきものを着た人間だと、それが大分近付いてきてから気付いた。すぐに分からなかったのは、姿が透けていたからだ。


 瑞樹はその人物に見覚えがあった。

 長い黒髪。人形のようにほっそりとした手足。

 九歳の時からずっと、憎しみに焦がれていた存在。

 今夜、やっとの思いで焼き殺すことができた女。


 女は、無表情だった。生気が感じられない。

 瑞樹は歯噛みした後、口を大きく開けた。


「そうか、亡霊か! そんな姿になってまで出てくるなんて、僕のことが恨めしいのか! 哀れだな、口では散々愛だの何だのと言っておきながら、結局はそれか!」


 逆風に負けないよう、大声で怒鳴りつける。


「消えろ! 今すぐ消えてしまえ! お前のいる場所はもうないんだ!」


 唐突に、風が止んだ。

 しかし女は消えなかった。

 女は、瑞樹が手を伸ばせば届きそうな距離まで近付いた後、急旋回して方向を変えた。

 瑞樹にまとわりつくように、無表情の仮面のまま、髪を派手になびかせ、無風の空間を軽やかに躍る。


「これ以上、僕に付きまとうなッ! 失せろッ!」


 瑞樹が声を荒げたのは怒りよりも、不気味さから来る恐怖が理由であった。

 女はその後ももう少し舞い続けた。

 その後、瑞樹の目の前に着地し、静止する。

 女の表情に、わずかな色が差していた。喜怒哀楽のどれに当てはまるのだろうか。喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見える。

 瑞樹が読み取ったのは、女が自分に何かを訴えようとしている、ということだけだった。控え目な蕾を思わせる唇を、しきりに動かしている。

 しかしそれが声になることはない。

 また、動かし方から発話内容を読み取ることもできなかった。


 急に視界全体が、端からじわじわと黒色に蝕まれてきたからだ。


 世界だったものが五感から切り離されて、単なる脳内のイメージ映像へと変化していく。

 そして、開いた目が現実の景色、見慣れた白い天井を映し出した。

 やっと本物を殺せたと思ったら、今度は夢の中に出てくるとは。

 寝起き早々、瑞樹はうんざりする。

 しかし夕べに比べて、大分心身ともにリフレッシュはできたようだ。

 それと同時に、部屋の中が蒸し風呂のようになっていることに気付く。そういえば昨日は冷房を入れず、窓も開けずに眠ってしまっていた。

 だからあんな悪夢を見たのだ。瑞樹は冷房を入れ、汗まみれの体を引きずって部屋を出た。


 朝風呂にじっくり浸かった後、涼しい部屋で火照りを冷ましながら、朝食代わりのアイスクリームを食べる。

 糖分のおかげか、段々と瑞樹に思考力が戻ってくる。

 秋緒は昨夜から帰ってきていなかった。

 出張で家を空けると事前に聞いている。帰ってくるのは明日以降のはずだ。

 復讐を果たした報告は帰ってきてからすればいいだろう。


 携帯電話を見てみた。

 昨夜、沙織を始末した後、栞への通話を試みたのと、メールを送信した形跡が残っているが、結局は電話は繋がらず、今に至るまでメールの返信もなかった。五相からも音沙汰がない。


 栞は一体どうしたのだろう。

 デートの最中で放り出された形になって、怒ってしまったのだろうか。

 だとしたら、これからは目一杯サービスする必要がある。その時間と余裕はできた。


 いや、本当に怒っているだけならまだいい。

 もしや、血守会の魔の手が早速伸びたのでは――

 溶けかかったアイスクリームを一気にかき込む。

 こめかみに走る痛みに顔をしかめながら、瑞樹はもう一度栞と連絡を取ろうとした。

 その時、携帯電話が鳴動した。

 相手は栞ではなかった。


「おはようございます。朝からすみません、お体の具合はいかがですか?」

「一晩寝て、少しはマシになりました。用件はなんですか、五相さん」

「はい、その……」


 電話の向こうの五相は一瞬、言葉を濁した。


「――血守会のリーダーが、今日、中島さんに会いたいと言っています」

「!」


 来たか。しかもこのタイミングで。

 携帯電話を持つ瑞樹の手に、思わず力が入る。


「今からお迎えに上がりたいのですが……ご都合はよろしいでしょうか」

「随分と急な話ですね」

「申し訳ありません」

「……分かりました、行きます」


 どのみち、今日は特に予定もない。栞のことも確かめられて一石二鳥かもしれない。


「ありがとうございます。それでは、地元というのも何でしょうから、吉祥寺駅前まで来て頂けますか? 車で迎えに参ります。それと……携帯電話は結構ですが、武器や発信機の類はお持ちにならないで下さい」


 電話を切った後、瑞樹は少しの間、ディスプレイを睨み付けていた。

 眉間にしわを刻んだ自分の顔が映る。


 身支度を行い、出発前にもう一度栞に電話をかけてみたが、繋がらなかった。

 心配が募るのを押さえ、家を出る。

 五相の忠告を守り、武器は持たなかった。


 吉祥寺駅は三鷹駅の隣にある。

 三十分もかからないため、瑞樹は徒歩で向かうことにした。


 今は盛夏を極めている時期であり、午前中から太陽が容赦なく、熱した針のような光を突き刺してくる。

 早速毛穴から汗が滲む。シャワーを浴びたのに台無しだと瑞樹は思った。

 あちこちでセミがやかましく鳴き続け、通りががる家の庭からは、子どもたちが水遊びをしている声がした。


 道中、栞からの返信があることを期待したが、何もないまま吉祥寺駅前まで到着してしまった。

 瑞樹にとって普段はただの通過駅であり、あまり縁のない場所だ。

 こうして歩いて見てみると、三鷹より少しだけ栄えているんだな、と思う。


 瑞樹は五相から指定された待ち合わせ場所、北口のロータリーへ向かった。

 ロータリーを出てすぐの所に、真っ赤なセダンタイプの車が停められていた。

 鮮血をボディにたっぷり塗りたくったかのような赤さは通行人の視線を集めており、駅前の風景からも一際浮いている。

 瑞樹も例に漏れず、自然と目線がそちらへ向き、そのためすぐに気付くことができた。


 車の中に、見覚えのある女と、見知らぬ男がいた。

 相手側も瑞樹の存在に気付き、それぞれ手を上げて合図してくる。

 助手席に座っていた女が降りてきて、瑞樹の下へ歩み寄ってきた。


「おはようございます中島さん。すみません、暑い中ご足労頂きまして」

「いえ」


 瑞樹が短く答えると、五相は声を落として、


「運転手の彼は、血守会側の人間です。どうかお気を付け下さい」


 そう助言してきた。


「了解です」


 車までそう長くない距離だったが、五相はわざわざ日傘を差して瑞樹を入れ、後部座席のドアを開けた。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 乗車した瞬間、煙草と芳香剤の混じった強い臭いが鼻をついた。


「どーも。はじめまして、中島瑞樹君。俺は阿元だ。よろしくな」


 阿元と名乗った男は、サングラスと車のバックミラー越しに瑞樹と目を合わせ、自己紹介を行った。


「はじめまして」


 言葉を返しつつ、瑞樹は阿元をざっと観察した。

 派手な男だ、というのが第一印象だ。

 年齢は五相と同じくらいだろうか。

 オレンジがかった明るい髪、ブルーレンズのサングラス、ヒョウ柄のシャツ、白いパンツ、そしてどこかの部族の如く各所に装着したシルバーアクセサリー。

 そのような格好をするのなら、太り気味の体型を何とかした方がいいのでは、と瑞樹は思いかけたが、それを口にすることはなかった。

 それにしても、アップルグリーンのシャツに七分丈のデニム、白いサンダルを合わせている五相とはまるで外見が釣り合わないように見えた。

 内面的にもさほど親密でないことは、この後車内での会話を傍聴していただけで分かった。


「さて、それじゃあ早速我々のアジトへ向かいましょうか、救世主殿」


 派手なエンジン音を上げ、車が発進した。


「何か聴くかい? 個人的には無音が好きなんだが」

「いえ、いいです」

「だよな。んー、この甲高い嬌声。ブッ飛ぶような馬力。いいねえ。ちなみにこの車、もう今じゃ売ってないタイプなんだぜ。それを俺が丁寧にいじくってだな……」


 阿元の自慢話を適当に聞き流しつつ、瑞樹は早速観察を行っていた。

 カーナビはオフになっている。

 場所を知らせないつもりだろうか。それともナビの効かない場所にアジトがあるのだろうか。


 車窓へ視線を移す。

 必ず役立つとも限らないが、出来る限り道を覚えておいた方がいい。

 今は都道七号線に沿って南東へ進んでいるようだ。

 このまま行けば、確か高円寺に出るはずである。トライ・イージェス社のオフィスがある中野とは駅一つ分しか離れていないが、社員とかち合う可能性は低いだろう。


 阿元の運転技術は高かったが、いささか乱暴というか、判断が強引に感じられる所があった。

 背伸びして高級車に乗る一般人が起こしがちな行動に近い。


「もう。車を気に入ってるのはいいけど、安全運転を心がけなさいよ」


 五相が窘めると、阿元は「はいはい」とめんどくさそうに答え、その後は少々丁寧さを見せるようになった。


 車は高円寺へは行かなかった。

 途中で道を曲がり、新宿方面へと向かっているようだった。

 だが新宿が目的地でもないらしい。国道二十号に乗って新宿を突き抜け、東へ進んでいる。

 攪乱するために迂回を繰り返しているようには見えない。

 手がかりを掴めず、瑞樹が戸惑っているうちに、いつのまにか車は警視庁のある桜田門前に差し掛かろうとしていた。

 瑞樹はもっと積極的に探りを入れてみようと試みた。前方の二人へ、同時に尋ねる。


「アジトは遠いんですか?」

「なんだ? 場所を探っておこうって腹か?」

「だとしたら、どうします」


 瑞樹はさらりと受け答えする。


「いや、どうもしねぇけどさ。無駄だと思うぜ。なんせ俺らも詳しい場所を知らないんだからな」

「そうなんです。何を言ってるんだと思われるかもしれませんが」


 阿元の言葉に五相も同調した。


「まあ、もう少し待ってな。直に面白い体験ができるから」


 理由はどうあれ、どうやら詳細を話すつもりはないらしい。瑞樹は情報を引き出すのを諦めた。

 車は晴海通りへ入り、南東へ進んでいる。

 このまま行けば臨海副都心方面、先月栞とEF格闘技の観戦に訪れた有明コロシアムの方へ出る。

 しかし目的地は有明ではなく、そのすぐ東側に隣接した場所・東雲だった。

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