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復讐火葬  作者: SATOSHI
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九章『トライ・イージェスと血守会』 その3

 その後、何ともいえない空気が両者の間に流れたので、どちらともなく話を切り上げ、店を出た。

 時間を取らせてしまったこともあり、最初は剛崎が全額代金を持つつもりだったが、秋緒が半ば強引に支払いを済ませてしまった。

 剛崎は礼を言って秋緒と別れ、コンビニで煙草とミネラルウォーターを買ってから、近くの駐車場に停めておいた車の所へ行く。

 運転席には千葉がおり、電話を耳にあてている。

 誰かと通話しているようだ。


「あ、そろそろ仕事再開しなきゃいけないから切るよ。……はいはい、愛してるって。それじゃ、また夜にね」


 剛崎が近付いてきたのを見て、千葉は慌てて話を切り上げた。


「すまん、遅くなった」


 後部座席に乗り込んだ剛崎が、ミネラルウォーターを渡して言う。


「随分長居していましたね」

「話が予想外の方向に転がってな」


 煙草を一本出し、くわえて火をつけ、実に美味そうに煙を体内へと染み込ませつつ吐き出す。

 体内を駆け巡るニコチンが、多少乱れがちだった彼の精神に安定をもたらす。


「吸うなら外で吸って下さいよ」

「文句言うない。こちとら我慢が限界に近付いてたんだ」


 千葉の抗議は右から左へ流し、剛崎は再び盛大に煙を吐く。


「おいおい、暑いんだから窓開けるな」


 剛崎は文句を言うが、千葉はパワーウィンドウのスイッチを切り替えなかった。

 仕方なしに剛崎は、全開になった窓の縁に肘をかけ、顔を外に向ける。

 吐き出した煙が、ギラついた直射日光で蒸発するように空気中へ溶け込んで消えていく。

 それを見つつ、秋緒と瑞樹のことを改めて考えようとしたが、千葉の質問によってすぐに中断させられてしまう。


「瀬戸さんって人、そんなに強かったんですか」

「んー? ああ、強いなんてもんじゃなかったなありゃ。歴代のトライ・イージェス社員の中でも間違いなく最強だよ」

「鬼頭さんよりもですか?」

「強いだろうな。ま、それもあくまで、戦闘だけに限っての話だがな」


 へえ、と千葉は淡泊に答える。今一つ具体的な想像ができていないようだ。

 彼は秋緒が退職したずっと後に入社しており、そもそも直接の面識すらない。

 車を走らせ始めて五分もしない内に、千葉の携帯電話が鳴った。

 車を路肩に寄せて一時停止させる。


「嫌な予感がする……」

「彼女からじゃないだろうな」

「まさか」


 千葉は苦笑し、電話に出る。

 短い言葉を幾つか交わして切った後、いかにもめんどくさそうにため息をついてみせた。


「"お手伝い"の要請か?」

「ええ。まったく、近くにいるからって、人を消防車みたく扱わないで欲しいですね。干からびちゃいますよ。別に僕でなくとも、他の皆で立小便でもすればいいじゃないですか」

「そう言うな。適材適所、役立てるならいいことじゃないか」

「はいはい、そうですね」


 何だかんだ軽口を叩きながらも、トライ・イージェスの精鋭に名を連ねるだけあり、千葉は仕事をきっちりとやり遂げる人間である。


「千葉悠真、これより消防署からの要請を受け、代沢五丁目の火災現場へ急行致します。剛崎さんはどうしますか?」

「とりあえず一緒に行くわ。アイスコーヒー飲んだ後だから、小便がしたくてしょうがなくてな」




 七月二十五日。

 瑞樹は東京駅へ来ていた。

 中央線ホームを下りて少しだけ歩くと、待ち合わせ場所である丸の内南口改札へと出る。

 時刻は午前十時五十分。

 約束の時間の十分前だったが、既に相手は到着していた。


「おはようございます、中島さん」

「おはようございます。お待たせしました」

「いいえ。楽しみで、つい早く来ちゃったんです」


 ドーム状になった改札前の空間、柱を背に立っていた五相ありさが、顔をほころばせて出迎えた。

 瑞樹は一瞬、彼女の姿に目を奪われてしまった。

 ノースリーブの白いシャツにベージュのパンツ、白のサンダルを合わせた姿は、最初に会った時とは正反対で、女性的な内面をそのまま具象化したようなファッションだ。


「変じゃ……ないですか?」

「全然。素敵ですよ」


 真っ先に浮かんだ言葉が、そのまま瑞樹の口をついていた。

 ベリーショートの髪とよく調和しており、ハイファッション系の雰囲気を違和感なく醸し出していたし、何より瑞樹個人の嗜好として、髪が長くないのが好印象であった。

 同時に、今日は月桂樹のポロシャツを選んで着ておいて良かったと思った。


「それでは行きましょうか」


 二人は人混みをすり抜け、駅の外へと出る。

 早速、強烈な日差しが上から降り注いできて、肌から汗が滲み出してくる。


「あの、もう少し近付いても、よ、よろしいでしょうか。今日はごらんの通り暑いですし、熱中症を避けるために、か、傘に入った方がよろしいかと」


 手に持った日傘を開きかけた時、五相が少し恥ずかしそうに言う。

 瑞樹の方も何となく気恥ずかしくなってしまい、


「そ、そうですね。お言葉に甘えて、入れさせてもらいます」


 彼女の包容力と飾り気のなさ、品の良さを象徴する、柔らかな白色をしたコットンが音を立てて、真夏の青空の下に咲いた。

 底が薄めのフラットサンダルを履いていたことを差し引いても、五相の方が背が高い。そのため傘は彼女が持っている。

 瑞樹の出す空気が少ししょんぼりとしていたのを感じた五相は、少し声のトーンを上げ、話を切り出した。


「こうやって私と二人でお会いすることになって、彼女さんは気分を害されませんでした?」

「大丈夫です、事前に話をしてますから」


 栞には既に五相の存在を話してあった。

 事前に経緯を説明し、会う旨を告げると、特に嫉妬したり疑うこともなく、二つ返事で了承された。二人の間には家族のような気安さがあった。

 逆に、栞が異性と二人で会いに行くと切り出したとしても、瑞樹は同様に送り出していただろう。


「五相さんの方こそ平気ですか?」

「はい。私は独りですから」

「そうなんですか。意外でした、というより勿体無いなあ。五相さんほどの女性なら、よりどりみどりじゃないですか?」

「そんなことは、ありませんよ」


 声色に少し淀みがあったのを瑞樹は感じ取った。

 そのため話を切り替えることにする。


「いい場所ですよね、丸の内って。景観に統一性があって綺麗だし、自然も多いし」


 赤レンガ造りの丸の内駅舎や周りに立つビル、広い道路や、彼方の街路樹を見て瑞樹が言う。


「そうですよね! 私も、この辺りの雰囲気が好きなんです。あまりお買い物はできないんですけど。他にも、少し移動すれば、和田倉の噴水公園ですとか、中島さんと初めてお会いした北の丸公園ですとか、落ち着ける場所がいっぱいありますよね」


 暑さも人の多さも忘れ、話に夢中になった二人は付近のビルへ移動し、エレベーターで少し長い時間上に上がり、レストランへ入った。

 五相お勧めのイタリアンでランチを取ることになっていたのである。

 五相が既に予約を済ませていたようだ。待たされることもなくすぐに中へ通される。

 案内されたのは窓際の席で、眼下に東京駅を、北や東の方角へ遥かに広がる無数の建造物を一望することができた。

 ランチセットを注文した後、瑞樹は遠くへ目を凝らしてみる。

 東南東の彼方に、うっすらとピンク色をした雲のようなものが見えた。


「ここからだと夢の国が見えるんですね」

「遠くまで見られて、素敵な景色ですよね。中島さんは夢の国へ行ったことがありますか?」

「それが、ないんですよね。いつか彼女と行ってみたいとは思ってるんですが」

「毎日のように混雑してるそうですからね。でも、連れていって差し上げたらきっと喜ぶと思いますよ」


 景色を肴に会話が弾むうち、次々と食事が運ばれてきた。

 トマトとチーズと椎茸をスライスして乗せたサラダ、オリーブオイルベースで和えた野菜とシーフードのパスタ、外はカリっと、中はフワっとした自家製パン、イチゴを添えたビターなチョコラータ・ジェラート。

 確かに美味ではあったが、彼を満足させたのは食事の内容よりも、五相との会話だった。

 対面するのは二度目なのに、まるで昔からの知己のように話が弾む。

 互いに相手を気遣うタイプで、聞き上手なのが功を奏しているのだろう。


 食後のエスプレッソを舌に染み込ませながら、話題は徐々に瑞樹が抱えている悩みへと移っていく。

 正確には五相の方がそうなるよう、巧みに誘導していたのだが、瑞樹は気付かなかった。


「最近は何か変わった出来事はありましたか?」

「……出来事というか、少し考えていることはあります」


 瑞樹はふっと窓の向こう、遠くへ目を向けた。


「話せる範囲で構いませんから、良かったら私に話してみませんか? 少しは気が楽になるかもしれませんよ」


 瑞樹はエスプレッソを口に含む。

 苦味の強いコーヒーはあまり得意ではなかったが、それを表には出さず、純白のクロスが敷かれたテーブルを見つめる。

 家族を殺した女に復讐しようとしていることはともかく、EF格闘技のことぐらいならば話してもいいのではないか。別に、何が何でも秘密にしなければならないことでもない。


 よし、と、瑞樹が意を決して顔を上げた時、彼の携帯電話がポケットの中で振動した。

 五相に一言ことわってから、ディスプレイを見てみる。

 知らないアドレスからだった。

 スパムだと思い、無視しようとしたが、件名が目に入ったことで瑞樹はそれができなくなった。


『今会っている女...』


 瑞樹は弾かれたように左右に首を回す。

 洒落た店内、女性客の集団、カップル、イケてる従業員、窓、空、ビル群。

 違和感はないし、殺気や視線の類も感じない。

 むしろ五相から見れば、突然落ち着きをなくした瑞樹の方が異常に映った。


「どうされました?」

「い、いえ……すみません、何でもないんです」


 差出人が誰か、瑞樹は薄々分かっていた。

 アドレスや番号を教えたことなど一度もないのに、以前、電話やメールで"デート"の誘いをかけてきた記憶が蘇る。

 高鳴る鼓動を抑えるように左手を胸にあて、瑞樹はディスプレイに視線を戻す。

 件名が長くて途中で途切れているため、開かなければ全文を読めない。

 瑞樹はボタンを押した。


『件名:今会っている女の人とは、関わらない方がいいよ。』


 本文はなかった。


 ――あの女だ!


 署名はなく、アドレスも何ら言語としての意味を成さない英文字と数字のランダムな羅列だったが、瑞樹は確信していた。

 途端に、五相へ話したい気持ちが沸々と湧いてくる。

 誰かとより深い関係を結ぶには、悩みや秘密を話すのが容易な方法だ。


 誰が、あの女の言いなりになどなってやるものか。


「……話、聞いてくれるんですよね」

「は、はい。もちろんです」


 唐突に話題を戻され、五相は少々狼狽しながらも答えた。

 瑞樹は話した。

 先日、EF格闘技のスカウトマンから声をかけられて、本当は出場してみたいが、恋人と自分の保護者的立場な人は決して認めてはくれないであろうこと。

 本当の自分は、戦うのを見ることや、自分自身が戦いに関わるのを好んでいること。

 加えて、自分には強くならなければならない理由があること。

 もっとも、復讐のことは伏せたが――五相に教えてしまった。


 五相は時折頷きながら、黙って一部始終を聞いた後、口を開いた。


「彼女さんと保護者の方に納得して頂き、EF格闘技の試合に出たい。ということですか……」


 形の良い眉を寄せ、五相は少し俯きがちになる。

 真剣に話を聞き、考えてくれているのが伝わる。

 それだけで、瑞樹は嬉しかった。


「解決策を下さい、とは言いません。ただ聞かせて欲しいんです。五相さんは、僕の好戦的な本性を知ってどう思いましたか?」

「何とも思いません」


 五相は即答した。


「え?」

「これまでの歴史が証明しているように、人が攻撃的な一面、争いたがる一面を抱えているのはごく自然なことだと、私は思っています。もちろん私も例外ではありません」


 とてもそうは見えなかった。

 瑞樹の双眸に映るこの優しげな女性からは、まるで闘争の匂いがしてこないからだ。

 それどころか、怒りという概念すら存在していないのではとさえ思えてくる。


「私、思うんです。大切なのは、ネガティブな部分を認めて受け容れつつ、ポジティブな部分を選ぶことなんだって。ですから私は……少なくとも私だけは、中島さんのそういった内面も受け容れますよ」

「五相さん……」

「……あ! なんだかこれだと、告白しているみたいな言い方ですよね!? ご、ごめんなさい、そういうつもりでは」


 五相は顔を真っ赤にし、両手で口元を覆った。

 年上だというのに、その仕草が、瑞樹には何故か可愛らしく映った。


「いえ、ありがとうございます。やっぱり五相さんに話して良かったって思いました」


 微笑んで礼を言うと、五相はますます赤の色度を濃くし、


「僭越ですが、アドバイスもさせて下さい。彼女さんや保護者の方には、安全性を何度も強調して、辛抱強く説得を繰り返してみてはいかがでしょう。最終的には中島さんの気持ち、熱意ですよ」


 と、やや早口になって言った。


「はい、分かりました。帰ったら早速試してみます」


 確かに、自分には熱意が足りなかった。最初から諦めムードで、ウジウジと悩んでしまっていた。

 もっと頑張って説得してみよう。

 強くなるために必要なことだと分かってもらおう。焚き付けられた瑞樹はそのように考えていた。

 苦いエスプレッソの残りを一息で飲み干し、水でリセットした後、そろそろ出ましょうかという話になる。

 ウェイターを呼んで会計を行う。ランチなので大した額でもなく、話を聞いてくれた礼も込めて瑞樹が全額支払った。

 しかし店を出てすぐ、五相が紙幣を瑞樹に渡そうとしてきた。

 瑞樹は断ったが、年上だから、誘ったのは自分だからと、五相は頑として譲らず、半ば強引に握らされる形となってしまった。


 その後は下層階へ下りて、少しの間雑貨を見た。


「私、雑貨を見るのは好きなんですけど、あまり物を多く部屋に置きたくはないんですよね。掃除に手間がかかってしまいますから。中島さんはどうですか?」

「僕も……似たようなものですね」


 瑞樹は言えなかった。

 部屋の掃除が苦手で散らかしがちになってしまい、時々秋緒に手伝ってもらっていることを。


 続いて地下階のマーケットへ行く。

 瑞樹はそこで外国製の紅茶缶とドライフルーツを買い、五相にプレゼントした。

 先刻渡された紙幣ではランチ代どころか釣りが出てしまうため、その精算である。


「嬉しいです! 一つずつ、大切に頂きますね」


 紅茶缶とドライフルーツの入った袋をかき抱いて、五相は心からの喜びを見せた。




 午後三時過ぎ、二人はビルを出た。


「少し雲が出てきましたね」


 日傘を広げる際、空を仰いで五相が言う。

 北の空には黒い積乱雲が広がっており、時折妙に冷たい風も北から吹いてくる。

 瑞樹が家を出る前に見た天気予報では、降水確率が十パーセントとなっていたが、この分では信用を裏切られるかもしれない。


「夕立が来る前に解散した方がいいかもしれませんね。中島さんのお住まいは三鷹でしたよね」

「ええ。五相さんは台東区の清川でしたっけ」


 互いに名残惜しさはあるものの、この場で解散することに決まった。


「中島さんさえ良ければ、また会って頂けますか?」

「もちろんです」

「ダメッ!」


 突然、第三者の声が割り込んできた。

 五相は驚いて声のした方向を見、瑞樹はそのまま動きを止めた。


「その人ともう会っちゃダメ、瑞樹君ッ!」


 ――その声は、きっと一生忘れられない透明さ。


 瑞樹は、風の吹いてくる方向に、ゆっくりと首を動かす。


 ――その姿は、きっと一生忘れられない清楚さ。


 長い黒髪。

 白い肌。

 大きな黒い瞳。

 白い服。

 瑞樹の家族を殺した女が、積乱雲を従え、雷鳴よりも早く、あろうことか山手線結界の中、丸の内のど真ん中に、突如として現れた。

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