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復讐火葬  作者: SATOSHI
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九章『トライ・イージェスと血守会』 その2

 茅野と松村が無事にレポートの提出を終えた後、瑞樹たち三人は、梶谷が働く錦糸町のコンビニまで移動した。

 散漫とした態度でレジを打っていた梶谷を、無言でニヤニヤと見て軽く冷やかしながらイートインで昼食を済ませる。


 食後、これから用があるという松村が離脱し、瑞樹と茅野は二人で大学に戻った。

 暑すぎて屋外になど到底いられないので、屋内のラウンジへ入って雑談を行う。


「――そういやさ、まっつんが会ってる女のヒト、どんな見た目か知らねぇ?」

「情報通の茅野さんが知らないことを、僕が知ってる訳ないだろ」

「だよなぁ」

「見たことないのか?」


 自画自賛的な部分は無視し、話を進める。


「それどころか、まっつん本人が口を割らねぇんだよ。何をどうやっても。スパイだったら間違いなく奥歯に仕込んだ毒で自決してる勢いだねありゃ」

「言いたくないんだろう。人それぞれ、秘密に抱えてる事情ってものがあるんだから」


 よく分からない例えも無視する。


「そりゃまあ、そうだけどよ。お前、クールだねぇ」

「だって、もしかしたら相手の女性、人妻かもしれないだろう? 下手に突っ込んでも火傷するだけだと思う」

「……お前、時々さらっと凄いこと言うよな」


 二人はやがて松村にまつわる話題も忘れ、進路のこと、音楽のこと、漫画のこと、ゼミのことなどを日が落ちかかる頃までダラダラと話し、大学を出て御茶ノ水駅で別れた。

 栞はもうやることを終えて帰ったと、先程携帯電話に連絡が入っていた。

 とすれば自分も帰るだけだと、瑞樹は電車に乗って帰路につく。

 地元である三鷹駅を出た直後、瑞樹の携帯電話が振動する。


『五相 ありさ』


 という名前が、ディスプレイに表示されていた。




 瑞樹が友人たちと談笑していた頃。

 瀬戸秋緒と剛崎健は、世田谷区経堂にある喫茶店で、テーブルを挟んで対面していた。

 テーブルには二人分のおしぼりと、うっすら水滴が浮き始めた水入りのグラス、隅にスタンドとメニュー表が置かれている。


「すみませんね、仕事が終わってお疲れの所、呼び出してしまって」

「別に疲れてなどいない」


 秋緒はにこりともせずに答える。

 この日の午前中は、依頼人の居宅の地下に封印してあった、悪霊が取り憑く呪われた絵画の除霊を行っていた。


「早い所話してもらおうか。何か重大な用件があるのだろう」


 剛崎の雰囲気がいつもと異なっていることを、秋緒は電話越しの時点で察していた。

 剛崎は貧乏揺すりをしたくなるのを抑え、切り出す。


「先輩は、昔に駆除した変異生物や、捕まえた犯罪者のことを、今でも一つ一つ覚えてますか?」

「もっと核心部分から話してもらいたいものだな」

「いや、すみません」


 剛崎は頭をかき、姿勢を正した。


「血守会のことを覚えていますか?」

「……忘れるものか」


 秋緒は眼鏡の奥の細い目をますます細める。

 トライ・イージェスを退職し、人間相手の戦いから第一線を退いて久しい彼女にとっても、その名は未だ忘れがたい響きであった。


 血守会。

 結界撤廃派の中でも特に過激で、異質な思想を掲げる団体である。

『国と民の守護は、自身らの血によって成されるべきである』『聖域の完全平等化』という基本理念の下、様々な活動を行ってきた。

 東京湾アクアライン結界の破壊、民間人を巻き込んだ結界保守派への無差別攻撃……果ては、自らが掲げた理念を遵守するための構成員大量虐殺に至るまで、彼らの活動には必ずといっていいほど破壊と血が伴う。

 彼らの暴走によって流された血の量で、山手線内にある全てを赤く染め上げられるとも言われている。


 当然、このような危険集団を警察が放っておくはずがない。

 幾度となく武力衝突を繰り返し、トライ・イージェス社も警察に協力する形で掃討に関わった。


 中でも最大規模の抗争となったのが、二十数年前に起こった"山手線結界破壊未遂事件"である。

 山手線の結界を破壊すべく、主要駅に設置されている結界発生装置及び駅間の障壁を狙って、血守会が一斉攻撃を仕掛けた事件だ。

 結界破り、個を超越した物理的破壊力、血液によって結界を張る能力と、血守会側は稀有かつ強大なEF保有者を幾人も抱えていた。

 しかし結果は、民間人にも多数の犠牲を出しながらも、警察側の決死の防衛により山手線結界を守り抜くことに成功し、指導者を始めほぼ全ての幹部も排除することができた。


 瑞樹の両親や剛崎、秋緒もこの抗争に加わっており、数人の同僚を殉職させながらも警察側の勝利に大きく貢献した。

 そしてこの事件をきっかけに、トライ・イージェス社の名は全国規模で知れ渡ることとなったのである。


「主要なメンバーは始末したはずだが……残党がいたのか?」

「それはまだ分かりません。ただ、奴らの理念に共感した、指導力を持つ人間が先導し、再び活動を始めた、と」


 秋緒はしばし瞑目する。

 彼女がその時何を思っているのか、剛崎には図りかねていた。ただ無言で待つのみだった。

 途中、店員がエスプレッソとアイスコーヒーを持ってきても、秋緒は無反応で、剛崎はカップとグラスを受け取る動きしか取らなかった。 

 そそくさと店員が去っていった十秒後、秋緒が目を開いた。


「……それで? その話を聞かせて、私にどうしろと? まさか今更手を貸せという訳でもあるまい。私はもう、進んで人を斬ることから退いた身だぞ」

「それは分かっています。ただ一応、先輩の耳に入れておいた方がいいだろうと思いましてね。何てったって先輩はあの時のエースでしたからね、連中の恨みを買っているでしょう」


 剛崎の表情は至って真剣である。

 秋緒の剣に頼ろうとする意志は微塵も見せておらず、冗談や皮肉でこのようなことを口にしている訳でもない。

 秋緒もまた、剛崎の意図を正確に読み取っていた。


「あの子の身辺には注意を払うようにしよう。情報提供、感謝する」


 秋緒はわずかに顎を上げて宙を睨む。

 血守会の手口は分かっている。

 次いで、当時の記憶を思い出そうとしたが、浮かぶ映像は不確かだった。

 無理もない、と思う。

 そもそも思い出したくもなく、意図的に触れようともしなかった記憶だからだ。

 ただ、たくさん斬った。

 ひどく漠然とした結果だけが、彼女の記憶の深い部分に残っていた。


「ところで剛崎君」


 秋緒はふっと剛崎へ顔を正対させる。表情は依然として厳しいままだ。


「先日、瑞樹君にEF格闘技のチケットを渡したそうだな」

「え? ああ、そうなんですよ。とある筋からたまたま手に入れましてね。瑞樹君、格闘技を観るのが好きって言ってたから、プレゼントしたら喜ぶだろうなと思って」


 唐突に話題を切り替え、問い詰められたことに驚いたのか、剛崎は少しだけ声のトーンを上げ、弁解する。

 が、秋緒は渋面を緩めない。


「すまないが、あの子に余計な刺激を与えるような真似はやめてくれないか」


 それだけぴしゃりと言い放つ。

 切って捨てられた剛崎は怒りも悲しみも見せなかった。

 思い出したようにアイスコーヒーを、ストローを使わずに一口飲み、一つ大きく息を吐いた後、真っ直ぐ秋緒を見つめ返し、


「先輩。もうちょっと瑞樹君を信じてやったらどうです? 彼だってもう子どもじゃないんです。感情のコントロールぐらいできますよ」


 静かに言う。

 剛崎としては最大限冷静に諌めようとしたつもりだったが、秋緒にはほとんど意味がなかったようだ。

 反論という時点であらゆる言い回しが同列に解釈されていた。

 秋緒はカッと瞬間的に体温を上げ、


「部外者のキミに言われる筋合いはないッ!」


 テーブルを叩きそうになったのは残った理性で食い止めたが、大声はどうしようもなかった。

 静かな店内が一瞬、完全にジャズのBGMのみになり、客や従業員の視線が二人のテーブルに集中する。

 剛崎はすぐさま立ち上がり「すみません、お騒がせしました。何でもありません」とフォローした。

 秋緒もすぐ自分の非を悟り、立ち上がって周囲に向かい、小さく頭を下げた。


「……すまない」


 店内の雰囲気が元に戻った所で、秋緒は目をそらし、剛崎に詫びた。


「いえ、俺の方も」


 剛崎は特に気にした様子を見せない。まるで、この程度のことには慣れているといったように。

 秋緒はデミタスカップを取り、小鳥が喉を潤す程度の量、ほろ苦い液体を口に入れる。

 酸味が強すぎて美味いとは思わなかった。


「……あの子は何度か、能力を暴走させかけたことがある」

「最初にEFに目覚めた時以外にも、ってことですか?」

「小学校五年になってすぐの時だった。EF保有者であることをクラスメイトたちに非難され、喧嘩になった。それだけならまだ良かったが……あろうことか、担任教師がEF保有者の排斥派だったようで、大勢の前であの子を罵倒し、殴ったんだ」


 まるで今起きたばかりの出来事のように、秋緒は顔を紅潮させ、忌々しげに顔を歪めていた。


「酷い話ですね」

「その時、あの子はどうしたと思う? ……普通だったら痛みや恥をかかされたことで泣いているか、心に深い傷を負って卑屈になっていただろう。しかしあの子は、逆に激しい怒りに打ち震えたらしい。殴られたことと、差別されたこと……瑞樹君本人だけでなく、クラスにもう一人いたEF保有者にも差別が波及したのが一番の原因だったようだ」

「誰かのため、というのが彼らしいですね」

「幸いその時は市販の回復薬で治癒できる程度の火傷で済み、周りにも大した被害はなかった。校内に常備してあった、EF保有者用の睡眠剤が効いたのと、もう一人のEFを保有する子が必死に瑞樹君を止めてくれたことが良かったのだそうだ」


 EF保有者が現れ出してから、精神に影響を及ぼす薬物は法律で一層厳しく取扱いが規定されている。

 同時にEF保有者の能力暴走に対して速やかに対処するため、学校や病院など、感情を著しく変動させる可能性が想定される場所では、即効性の高い睡眠剤など、感情抑制の薬物を常備するよう義務付けられている。


「専門の医療センターで診察を受けて分かったことだが、あの子の能力暴走には、元の発動要因となる憎悪の感情に加え、闘争心と強い苦痛、ストレスが関わっているようだ」

「そうだったんですか……初耳でした」

「他の暴走未遂については……今はいいだろう。しかし、戦い方や能力との付き合い方を教え、仕事に同行させる内にはっきりと分かったことがある。自覚があるかどうかは分からないが、あの子は、内に凶暴なまでの闘争心を秘めている。悪意で無闇に他人を傷付けたりはしないものの、大義名分があると、喜んで戦いたがる傾向がある」


 剛崎は一瞬言葉を失った。

 炎を生み出す力の源泉が"憎悪"にあるとはいえ、復讐心以外の部分で、あの青年にそんな一面があったとは。

 小柄で線が細く、中性的で柔和な見た目と人柄からは想像もつかない。


「ある意味、あれから中島先輩殺しの犯人と巡り会わずにいて良かったですね。逆に言えば、未だ手がかりすら掴めなくて不甲斐ないってことにもなりますが。警察だけでなく、俺や鬼頭のダンナも含めてですけどね」


 秋緒は何も答えなかった。

 剛崎には話していなかった。

 瑞樹が抱く復讐の炎は、未だ些かも衰えを見せていないことを。


 自分があえて瑞樹の復讐を黙認していた理由も口にしなかった。

 復讐を咎めることや、自分が代行してしまうこと自体が激しい精神的苦痛、ストレスとなり、能力暴走のきっかけを作ってしまう可能性があるからだ。

 また、何故か犯人には瑞樹を殺傷する意図がないようだ。

 不安ではあったが、しばらく様子を見ることにしたのである。


「先輩? どうしたんですか」

「いや、何でもない。とにかくだ、実際にあの熱狂の舞台を間近で体験してしまえば、あの子は恐らくこう考えるだろう。自分も闘ってみたい。自分の力を試してみたい。実戦でより鍛えたい、と。有明コロシアムとは、そのような機会が容易に得られる場所のはずだな、剛崎君」

「そうですが。うーん……お言葉ですが、EF格闘技というステージは、むしろ良い機会ではないでしょうか。あそこの試合は全て夢幻実体空間で行われますから、万が一、その、望まない事態になったとしても、体が傷つくことはないでしょう」

「そういう問題ではない。あの子の心はどうする? 衆目に暴走した姿を晒しても構わないというのか? いや、下手をすれば、存在を危険視されて、何らかの機関からマークを受けるかもしれないんだぞ」


 考えすぎじゃないでしょうか。

 少し過保護ではないでしょうか。

 剛崎は言いたくても言えなかった。

 彼女を恐れているからではない。


「私は、あの子まで失いたくはない。だから必要以上の闘争から遠ざけようとした。だが、最低限の望みは叶えてきたつもりだ。なあ、剛崎君。私がしてきたことは悪いことなのか? 間違っているのか? 私は、あの子を守ることすら望んではいけないというのか?」


 段々とヒートアップし、哀切な思いで、すがるように訴えてくる秋緒の姿に、流石の剛崎も反応に窮してしまう。

 恐らく十数年ぶりに見た秋緒の一面であった。


「……断定することはできません。でも、俺は、先輩のしてきたことは間違っていないと思います。今、瑞樹君が立派に育っている姿がその証明じゃないですか?」


 それでも慎重に言葉を選び、話を繋げていく。

 秋緒はゆっくりと項垂れた。

 ように剛崎の目には映ったが、実質は異なっていた。


「……ありがとう」

「ど、どうしたんですか急に」

「どうもしない。ただ、単純に、ありがとうと言いたくなっただけだ」


 この人が緩めた表情を自分に向けたのは久しぶりではないか。

 いや、もしかしたらこれが初めてではないだろうか。

 秋緒のらしくもない姿に、剛崎は狼狽えてしまう。

 尻がむずむずして座り心地が悪くなり、大柄な体を落ち着きなく揺り動かす。


 秋緒の方も、自分が似合わない顔をしているとでも思ったのか、おもむろにエスプレッソを一気に飲み干し、続いて水を、砂利ほどに小さくなった氷ごと喉に流し込んだ。

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