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復讐火葬  作者: SATOSHI
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九章『トライ・イージェスと血守会』 その1

 民間防衛会社、トライ・イージェス株式会社は、東京都中野にオフィスを構えている。

 現在の社員数は九名。支社はない。

 主な業務内容は、変異生物の駆除・犯罪者の逮捕・災害からの防護の三つ。

 その誓いが、五角形の盾が三つ重なった意匠のロゴに表れている。

 創立から二十数年、少数精鋭主義を貫き、数多もの実績を積み重ねてきたことで、防衛会社としては国内トップクラスの知名度を誇り、取引先からの圧倒的な信頼を得るに至っている。

 海外から依頼を受けることも度々あるが、現在は活動範囲を国内、東京都周辺に限定し、取引先も原則的には法人に限定し、個人からの依頼は断っていた。


 中野駅南口を出たすぐ近くにあるオフィスは、名声の割にこじんまりとしている。

 外観は何ら目立ったところのない三階建てのビルで、社名とロゴが入った看板が出ていなければ、誰もここが有名な防衛会社の本拠だとは思わないだろう。


 七月二十一日朝、二階のオフィスに、社員の面々は集まっていた。


「あーあ、俺も一昨日の有明コロシアムに行きたかったぜ。帝王・宗谷の試合、間近で見たかったわ」

「庄さんも引きずりますねえ。しょうがないじゃないですか、アレの駆除は庄さんが一番適任だったんですから」


 足を大きく前に伸ばしてデスクチェアに座っている庄典嗣を、千葉悠真が窘めた。


「遠野さんもそう思いますよね」

「まあな。典嗣は痛覚が鈍い分、アレ相手には丁度いいだろう」


 千葉に話を振られた遠野鳳次郎が、目の前のパソコンから目を離さないまま、さらりと答える。


「ひっでぇな鳳さん! 俺が鈍いのは右腕だけっすよ! つーか鳳さん、またパソコンの電源入れないで画面を鏡にして自分を見つめてんすか!」

「愛する自分をうっとり見つめていて何が悪い? ……ああ克幸、すまないがそこが終わったら俺の画面を拭いてくれ。また埃がついてきてしまっている」

「了解ですっ!」


 冷房が効いているにも関わらず、汗を浮かべて一心に窓の拭き掃除を行っている五十嵐克幸が、元気よく応答する。


「おーい五十嵐ー、無理してナルシスト先輩の相手をしなくていいぞー!」

「いえ、自分、新入りですから! キチっとやらせていただきます!」

「マジメだねぇ。千葉の新人時代とは大違いだわ」

「失敬な。僕だってもうちょっと普通でしたよ。掃除だって"一応"やってたじゃないですか」


 千葉が黒縁眼鏡をずり上げて反論した。

 その後、一つ空席を挟んだ左側にいる六条慶文に話しかける。


「六条さん。今日は鬼頭さん、終日外出のままでしたっけ」

「うん、そう。戻るのは明日じゃないかな」


 始業が迫っているにも関わらず、チョコチップメロンパンをむしゃむしゃと食べつつ、六条が答えた。


「今朝は食べてこなかったんですか?」

「学校が夏休みに入ったから、昨日からカミさんと子どもが里帰りしててね。食べてるゆとりがなかったんだ」


 そうなんですか、と相槌を打ち、千葉はネットサーフィンを続ける。

 彼は今朝しっかりと、恋人が作った朝食を食べてきていた。


「そういや千葉ちゃん、いずれは今付き合ってる彼女と結婚する予定なんだろ?」

「まあ、その内とは考えてますけど。でも、今しばらくは独身の気楽さを満喫したいという誘惑もありまして」

「そんな考えのままだと、そのうち彼女に逃げられちゃうわよ」

「天川さん……急に背後から現れないで下さいよ」


 トライ・イージェスの紅一点、天川裕子が、いつの間にかトレイを持って千葉の背後に立っていた。

 天川は妖艶な笑みを湛えながら、千葉のデスクにコーヒーカップを置き、


「女はね、突然に男の人を驚かせることを言ったりやったりするものなのよ」

「肝に銘じておきます……熱っ!」


 千葉はコーヒーを啜る。予想以上の熱が舌を蝕んだ。

 天川はそんな彼の姿を一瞥した後、真正直に遠野のモニタを拭いている五十嵐へ呼びかけた。


「五十嵐君、お掃除が終わったら、私の机にいらっしゃい。お掃除頑張ってるご褒美に、五十嵐君にだけ特別に、美味しいお菓子をあげる」

「は、はいっ! いただきます!」


 純朴な五十嵐は、全身の発汗作用を更に強め、掃除のペースを上げ始めた。


(魔性の女め)


 その場にいた五十嵐以外の男性陣は、心の中で呟いた。

 天川が各人のデスクを一周し、その場にいた全員に飲み物を配り終えたところで、強面の大男――剛崎健がぬっと部屋の出入口から姿を現した。


「おっす」


 剛崎が全体に一声かけると、社員たちは口々に挨拶を行う。


「剛崎さん、すみませんが、飲み物をお出しするの、社長と一緒でよろしいですか?」

「ああ、構わんよ」


 剛崎は奥の社長席を見やる。空席だった。

 珍しくまだ来ていないのか、と思いつつ、社長席から見て最前左側の自席につく。


「剛崎さん。典嗣が、コロシアムで試合が観られなかったと朝からボヤいています」


 左隣の遠野が、切れ長の涼しげな目で剛崎を見て言う。


「だってー、俺だって最前列で帝王の試合見たかったんですしー。レアチケットなんて次いつ手に入るか分かんないじゃないっすか!」

「すねるな。ああそうだ、もしかしたら今度は、WBA-N(World Boxing Association-Next:EF保有者のために設立された世界ボクシング協会)のタイトルマッチのチケットが手に入るかもしれんぞ」

「マジですか!? 是非是非、次は俺に回して下さい!」


 庄は椅子を蹴って立ち上がる。

 この男、男同士が戦っている光景ならば、何でも好物なのである。

 剛崎は苦笑いを浮かべ、タオルで顔の汗を拭いた。

 今日も今朝からよく晴れていた。


 社長が現れたのは、始業時刻ちょうどになってからだった。


「すまない、警察との話し合いがあって遅れてしまった」


 スーツをぱりっと着、腰にサーベルを帯びている三十歳過ぎの男は口でそう詫び、早歩きで自分の席へと向かう。

 社員たちは社長が現れた時点で速やかに全員起立し、礼を行っていた。

 先程までの弛緩した空気は既になく、ピンと張り詰めた緊張感と静寂が部屋を覆っている。


 トライ・イージェス株式会社現社長・花房威弦は、自分のデスクの前に立ち、全体を見渡す。

 最前右側だけが空席になっている以外は既に全員揃っており、一様に彼を見つめている。


「おはよう。早速朝礼を始めよう」


 社員たちから挨拶が戻ってきた後、花房は庄の方を見て言った。


「まずは庄君、遠野さん、休日出勤お疲れ様だったな」

「あ! 大丈夫です。大事な仕事ですから」

「いえ、恐れ入ります」

「さて、朝一番から気分の良くない話となってしまうのだが……」


 二人から殊勝な返事が返ってきた後、花房は腰に両手をあて、伝達事項の説明を開始する。


「ここ最近になって"血守会"が、活動を活発化させつつあるらしい」


 血守会、という名を聞いて社員たち、特に剛崎の表情が明らかな変化を見せた。


「今後はクライアントから、血守会の絡む依頼が増えることが予測される。それにあたって、剛崎さんや鬼頭さんの経験が大いに活かされると思う。私を含め、社員諸君にも色々と教えてやって欲しい」

「はい。微力ではありますが、サポートは惜しみません」

「頼りにしている。……それともう一つ、警察から聞いた悪いニュースがある。先に庄君、遠野さんが捕らえた相楽慎介が今朝、小菅プリズンから脱走したとの情報だ」


 社員の面々がどよめく。東京都足立区にある小菅プリズンには、EF保有者の収監に特化した様々なシステムが配備されており、脱走などまず不可能なはずだ。


「あの放火野郎……」


 庄が忌々しげに呟く。固い握り拳が作られた左腕が、わなわなと小刻みに震える。


「警察の面子の問題ですぐにではないだろうが、彼らだけで対応できなくなった場合、追って正式な追跡・再捕縛の依頼が来るだろう。場合にもよるが、そうなったならば庄君に任せようと思うが、どうだろう」

「承知しました! お任せ下さい!」


 威勢よく答える庄の隣で、遠野は考えていた。

 一体相楽の奴は、どのようにして脱走したのだろう。

 奴の炎を起こす能力だけで警戒厳重な小菅プリズンから脱走するのは困難を極めるはずだ。

 だとすれば、所内に内通者がいたか――いや、全て憶測に過ぎない。

 考えても無駄だ。遠野は即座に思考を中断する。


「時に、相楽と多少関連する話だが。剛崎さん、中島瑞樹の様子は?」


 花房は既に話題を変えていた。


「問題はありません」

「ふむ」

「ですが一つ、私から提案が」

「言ってくれたまえ」

「血守会が動き出したのならば、瀬戸秋緒にその旨を伝えたいのですが、いかがでしょう」

「……ふむ、瀬戸女史も貴方たち同様、血守会と刃を交えた経験がある人物だったな。分かった、私の権限で許可しよう」

「ありがとうございます」

「さて、では各人、今週のスケジュール確認を行おうか。まずは――」


 伝達、確認が全て済んだ後、業務開始となり、社員はそれぞれ自分の持ち場へ散っていく。

 剛崎はまず書類仕事を片付けるべく、立ち上げたパソコンとの睨めっこを開始する。


「お待たせしました、どうぞ」

「ありがとう」


 その前に、天川が持ってきたアイスコーヒーを一啜りした。

 インスタントや煙草とは違うほろ苦さが口内に広がる。

 剛崎はコーヒーにこだわりがなかったが、純粋に美味いと感じる。


「ところで剛崎さん、私個人として伺いたいことがあるのですが」

「ん、何だ?」

「瑞樹君のこと、本当にウチにスカウトしようとお考えなのでしょうか」

「少なくとも俺は、本気で彼を入れたいと思ってるよ。あの偉大な中島さんの息子であり、瀬戸先輩の……教え子なんだ。きっと戦力になるさ。鬼頭のダンナも同じ考えのはずだ」

「そうですか。でも……」


 天川は声を落とし、剛崎にそっと耳打ちした。


「きっと社長は、別の意味で入社させたいと考えてらっしゃると思いますよ」

「……だろうな」

「いずれにしても、もしあの子が入社したら、私が色々お世話してあげますね。ふふ、可愛い子大好き」

「うら若い男子を惑わすのはやめてやんなさいよ」


 デスクの向こうから、六条が横槍を入れる。


「大丈夫です。可愛い彼女から奪い取ったりはしませんから。それくらいはわきまえてますわ」

「……まあ、最終的には本人の意志を尊重すべきだがな」


 剛崎は苦笑し、処理しなければならない書類を棚から引っ張りだした。




 当の瑞樹はこの時どうしていたのかというと、大学のキャンパス内にある自習室で、友人の勉強に付き合わされていた。

 付き合わされていた、と言っても、具体的に勉強を教えていた訳ではない。

 ただ隣にいて、愚痴を受け流したり、横道に逸れそうになるのを阻止してやる程度だ。

 瑞樹は基本的に真面目な優等生タイプなので、ここに至るまで単位をきちんと取り、今期の試験や課題も全て片付けている。

 半ばとばっちりであった。


「クッソー、あの教授、レポート書かせる枚数多すぎんよー」


 松村春一はブツブツ文句を言いながら、パソコンのキーボードをペチペチ叩き、必死にレポートの文字数を水増ししている。


「中島ー、手伝ってくれよー。連弾してくれよー」

「却下」


 瑞樹はパソコンでEF格闘技のファンサイト巡りをしながら、すげなく返す。


「みずきちー、ノド渇いたー。コーラ買ってきてー」


 向かい側の席で、眼鏡の茅野佑樹が使い走りという名のヘルプを出す。


「遠慮なく、お前はそこで渇いていけ」

「やーん、なかじーが顔に似合わない暴言を吐くー」


 瑞樹は変に高い声を出す茅野を無視し、松村に話しかける。


「今日、梶谷は来ないんだっけ」

「ああ、朝からバイト入ってるって」


 梶谷翔は瑞樹以上の成績優秀者であり、既に必要な科目を全て片付けていた。


「レポート終わったら行ってみねぇ? 錦糸町のコンビニだっけ?」

「おお、宅急便の注文して困らせてやろうぜ」

「いや、あいつなら普通に対応できるだろうし、そもそも何を頼むんだよ……でもまあ、行ってもいいかな」


 松村の誘いに、両者は同意する。

 その後はパソコンをいじる音と沈黙が流れるが、五分と持たなかった。

 早くも集中を切らせた松村が瑞樹に話しかける。


「ところで中島、最近、彼女と上手くやってる?」

「何だよ急に」

「いや、何となく」

「……普段通りだよ。そういう松村こそどうなんだ。年上の女性と、最近よく会ってるんだろ」

「うっ……あー、ええーっと、上手くやってるよ、うん。でも、付き合うのとはちょっと違うかもしんない」


 松村の答えは、何故か歯切れの良くないものだった。


「なんだ、振られるコース確定?」

「そういうんじゃなくて、元から単なる話し相手みたいなもんだったんだよ。俺の"レイブレイド・ゲイザー"強化の相談に乗ってもらったりさ」


 ふうん、と瑞樹は適当に相槌を打つ。

 相談を受けた人もきっと、答えようがない相談に少々面倒な思いをしたのかもしれないと、勝手に同情する。


 愚痴聞きやネットサーフィンにも段々と飽きてきたので、瑞樹は「少し外の空気を吸ってくる」と言い残し、自習室を出た。

 そろそろ昼時である。

 廊下の窓から差し込む強烈な日差しは、外が灼熱地獄と化しているのを鮮烈にイメージさせる。

 廊下や外を行き交う生徒の数はまばらだった。

 恐らく今日は栞も、このキャンパスのどこかにいるはずだ。講義があると昨晩メールがあった。

 EF格闘技を観に行った後、少々気まずくなりかけた栞との関係はすぐに自然修正され、元通り仲良く過ごしている。


 だが、瑞樹は悩んでいた。

 悩みと呼ぶには苦しみに乏しいのかもしれない。

 それでも、心から離れてくれないものがあった。


 二日前、蒸し暑い夜の帰り道、汗かきな太った男が示した誘惑が、時間の経過につれて徐々に強く、無視できないくらい匂い立ってくる。

 大好きなEF格闘技に、偶然闘士としてスカウトされた。

 ポテンシャルを買われ、観ている側から闘う側へ誘う手を差し伸べられた。

 こんなことが起こって、何も思わない訳がない。

 栞の前で名刺を処分して、興味ないふりをしてはみたが、本当は未練が残っていた。

 名刺に書かれていた名前や連絡先は、今もまだ明確に覚えている。


 もちろん、ファイトマネーがもらえるプロとして誘ったのではないだろう。

 限定イベントの参加要員である可能性の方が高い。

 夏休みの間、学生限定のイベントがあったことを思い出す。


 しかし、そこで勝ち抜いて結果を示せば、その先の道も――

 いやいや。瑞樹は首を振る。

 幾ら甘い秋緒でもこればかりは絶対に反対するだろうし、何より栞が泣いて止めるだろう。

 それだけならまだしも、下手をすれば破局だ。

 それは避けたかった。

 かと言って、無断でこっそり参戦するわけにもいかなかった。

 親権者の同意書を用意しなければならない。


「おーいミズキーノ、何こんなとこでボーっとしちゃってんの」


 不意に変なあだ名で呼ばれ、振り返ると、茅野が不審げな顔を向けて自習室のドア前にいた。


「俺の方は終わったぜ。ちょっとニコチン補給してくっから、まっつんを見といてやってくれよ」

「……分かった」


 自習室に戻る際、瑞樹は茅野の脇腹に肘鉄を食わせた。

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