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復讐火葬  作者: SATOSHI
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八章『有明コロシアム』 その4

 二人が男に因縁をつけられたのは、コロシアムを出て数分後、夕食をどこで食べるか話し合いながら、道を歩いていた途中のことであった。

 男にとって絡む理由は何でもよかった。

 溜まった憂さを晴らすという目的を満たすための添え物に過ぎない。

 昼間から今まで四人ほどいびり、脅し、暴力を振るったが、一向に鎮まらないどころか、苛立ちは募るばかりだった。

 今回も、たまたま目についた弱そうで大人しそうなカップル、更に彼氏の方が調子づいているように見えたという主観的な思い込みだけでターゲットに定めた。

 男は大股で、小柄な体を揺らしながら二人の前に立ちはだかった。


「ねーねーボク達、楽しそうだね。ちょっと仲間に入れてくんない?」


 侮りに満ちた口調。ガラの悪い格好。威圧的な一重瞼での睨み。

 自分たちの身に降りかかった事実を、二人は瞬時に理解した。

 栞は子犬のように怯えて瑞樹に寄り添い、周囲を見渡して助けを求めようとする。

 通行人はいたが、皆関わり合いになりたくないといったように、見て見ぬふりをしている。


「どーしたの? カレシの方、ビビっちゃったの? ダメだろー、カノジョの前でそんなんじゃよ」


 小男はニヤニヤしながら瑞樹を指差す。

 瑞樹の姿は一見、現実に対応しきれず思考停止し、呆然と立ち尽くしているように見えた。

 しかし実際には、男の全身を眺め、思い出そうとしていただけだった。

 そのうち、ああ、と頷き、


「思い出した。最初の試合で負けた人ですか」


 わざと抑揚をつけて言った。

 小男は『負けた』という言葉に反応を示し、顔をみるみる険悪にし、


「あァ!?」


 と鋭く恫喝する。

 通行人の流れが一瞬止まり、栞がビクっと体を揺らす。

 彼女の心拍数が急上昇し、足元がおぼつかなくなる。

 瑞樹はそんな彼女を守るべく、男の視線から遮るように前に立ち、


「勘弁して下さいよ」


 あくまで冷静に言う。

 虚勢でも何でもなく、彼は動揺していなかった。

 動揺してはいなかったが、心の内では熱が蘇りつつあった。

 先刻の観戦で生まれた熱だ。


「は? 勘弁しねェーよ」

「いや、無様に負けた腹いせで僕らに絡まないで下さいって言ってるんです」

「あァァ!?」


 予想通りの反応。

 瑞樹はますます心が、細胞が熱くなっていくのを感じる。

 この感情の正体を、彼は知っていた。

 普段、中々表に出せず心に押し込めていたもの。

 栞の手前、何とか制御しようと考えてはいたたが、正当防衛というある種の大義名分(ジアースシフト後、自衛意識が高まり、正当防衛の解釈も変化している)を手にかけてしまったことが、彼の自制心を緩めていた。

 栞の手をそっと解き、後ろに下げさせた後、これを言えば逆上するだろう、という言葉を浮かぶがままに連ねていく。


「怠け者の暇人にこんなこと言ってもしょうがないでしょうけど、もっと修行したらどうですか? いくらこんな所で頑張ったって無駄だし、静電気程度の力しか出せないことには変わりないですよ。そもそも、そんな卑しい考えだから、あんな無様に負けちゃうんですよ。僕には分からないですけど、最下層のランクで、一撃で惨めにやられる気分ってどんな感じですか?」


 瑞樹の目論見は的中した。

 小男は全身の血を沸騰させ、日本語の体を成さない怒声と共にナイフを抜いて瑞樹へと躍りかかる。

 が、突如として瑞樹の両腕から吹き上がった炎を目にし、急停止した。


「て、てめェも使えんのか……!」

「相手が何か反撃してくるかもって想像できませんでした? 足りないのは身長だけじゃないんですか?」


 自分のことを棚に上げて、瑞樹は更に挑発の言葉を吐く。

 ちなみに瑞樹より小男の方が五センチほど身長が高い。

 この時点で大方勝敗は決していたが、瑞樹はダメ押しと言わんばかりに畳み掛ける。


「ちなみに僕、一応柔道の心得がありますので。まあ単純な腕力ではあんたに負けるかも知れませんし、そのナイフを無傷で避けられる自信もそんなにないですが、一度掴んだら簡単に離さない自信はありますよ」


 想像し、小男はゾッとする。

 炎を纏った状態で掴み倒されたら――


「まあ、そんなに強い力は出せないので、焼かれても多分死にはしないと思います。頑張って耐えて下さい。電気を流せるといいですね」


 ニヤリと笑う瑞樹。

 そこに栞が、背中にすがるように貼り付いた。


「ね、もうやめよう? 行こうよ」


 瑞樹の炎に恐れることなく懇願する。

 突然の争いの火種に恐怖はしたものの、彼女はそもそも、小男がもたらす身の危険を案じていたのではない。


「いや、僕もやめたいんだけど、相手が勘弁してくれないって言うから。……それに、この場合は仕方ないんじゃないかな。ある程度は正当防衛だよ」


 瑞樹は小男を見たまま振り返らず、相手を指差して言うが、小男は明らかに戦意を萎ませていた。

 相手が単にEFを保有しているだけでなく、戦闘向きの強力な能力を持っていることが拍車をかけていた。自分の電気では到底太刀打ちできそうにない。

 そして、小男は恐怖していた。

 炎よりも、瑞樹の顔に。

 好戦的な狂喜。

 生贄を前にした悪魔の微笑。

 曲がりなりにも一般人よりは場数を踏んできた小男の直感が告げていた。


 このガキは、ヤバい――


 どうすればいいか。

 背中を見せて逃げるか、戦う振りをして逃げるか。

 急な体調悪化を訴えて逃げるか。

 メンツと恐怖の狭間で逡巡している内に、制服姿の男達がぞろぞろと駆け付けてきた。警備員である。


「ああ、良かった良かった。時間稼ぎが上手くいったよ。多分もうすぐ、警備員さんが来てくれると思ってたんだ」


 栞には、瑞樹の嘯きがやけに空々しく聞こえた。




 見た目が与える第一印象はとても重要だと、栞と小男はつくづく思うのであった。

 栞が率先して事情を説明すると、小男は有無を言わず警備員に連行され、二人は同情の言葉をかけられた後、速やかに解放された。


「あの人は闘士の資格も剥奪されて永久追放だろうね。いや、それ以前に警察行きかな?」


 少々の棘はあったものの、瑞樹は既に元の穏やかな調子に戻っていた。


 対照的に栞の方は、伏し目がちに少しうつむいたままだ。


「まだ怖い? まあ、無理もないか。いきなりあんな……」


 瑞樹は立ち止まって、栞の肩に手を置く。

 抱き寄せようとすると、強く首を横に振って拒まれる。


「ううん、わたしが怖かったのは、瑞樹くんのほう」

「えっ」

「瑞樹くん……わざと戦おうとしてたでしょ」


 瑞樹は返答に窮してしまう。


「……否定はしない。でも、栞を危険に晒すつもりはなかった。だから最初に君を遠ざけたじゃないか」

「わたしが気にしてるのは、そういうことじゃないの」


 栞の目尻には、うっすらと涙が浮いていた。


「誰かのために戦う気持ちはわかるし、立派だと思うよ。でも、自分の欲を満たすためだけに戦いたいっていう気持ちは、どうしてもわたしには分からない。……それに、瑞樹くんがこれ以上傷つくのも、できれば見たくないよ」


 栞は瑞樹の頬にそっと手を触れる。

 そこは数ヶ月前、横浜で遭遇したチャイルド・プレイとの戦いで傷をつけられた場所だった。

 かすり傷程度だったので、とうの昔に自然治癒しており、痕も残っていない。


 ――傷を気にしていては、到底戦えない。


 瑞樹はそう言おうとしたが、思い止まった。

 既に彼の体には幾つもの傷痕が残っている。

 高校一年の時、変異した猫と戦った時につけられた左脇腹のひっかき傷、右肘の辺りには大蛇の毒液を浴びて爛れた痕、直近でなら、八柱霊園へ赴いた時、赤子のゾンビに貫かれた左脚もうっすらと痕が残っている。


 もっとも、本人はあまり気にしていなかった。

 綺麗な顔に傷がなくて良かった、という者もいたが、こんなものはたまたま顔に傷痕が残らなかっただけに過ぎない。

 しかし栞の方はそうでもなかった。

 初めて瑞樹の体を見た時、我が身に降りかかった出来事のように哀傷の涙を流してしまったのである。

 瑞樹が理由を尋ねたところ、勝手に涙が溢れて来るのがどうしても止められないと言われた。


「……ごめんね、こんなこと言って」


 ハンドタオルで目元を拭い、栞は謝罪した。

 彼女の濡れたまつ毛を見て、瑞樹が先程まで抱いていた闘争熱はすっかり冷めてしまった。

 改めて、栞をそっと包み込むように抱き、柔らかく語りかける。


「僕の方こそごめん。試合で興奮しすぎて、ちょっと変な気分になってた。ダメだな、感情をコントロールできるようにならないと」


 あえて自戒の念を言葉にし、道端に移動して、一、二分ほど栞をなだめすかす。

 蒸し暑さも虫も、今は気にしていられない。


 彼女が落ち着きを取り戻した後、再び二人並んで歩き出す。

 しかし、今夜のイベントはまだ終わらなかった。


「ああ君たち、ちょっといいですか?」


 男の声に、再び二人は呼び止められる。

 しかし今度は様子が全く異なっており、友好的で落ち着いた声色だった。

 二人が同時に振り返ると、やや肥満気味の中年男性が、ニコニコと笑顔を浮かべて二人を、正確には瑞樹のことを見ていた。


「な、なんでしょうか。すみませんが、わたしたち急いでるんです」


 瑞樹が答えるよりも早く、栞が警戒した反応を見せた。


「ああ、違うんです、警戒しないで下さい。先程の君の彼氏の姿を見て私、惚れ込んでしまったんです。あ、惚れたと言っても変な意味じゃないですよ?」


 少々怪訝な顔をする瑞樹に、中年男性は慌てて弁解した。

 これは正しい行動と言える。

 小柄な美青年タイプの瑞樹はある一定層から大いに受けるようで、実際に過去、そのような誘いを受けた経験があった。


「私、こういう者です」


 中年男は汗だくの顔と手を、首にかけていたスポーツタオルで拭った後、瑞樹に名刺を差し出してきた。


「最悪に近いタイミングで話しかけていることは承知してます。でも今を逃すといつ会えるか分かりませんからね。後日、いつでも結構です、興味があったらそこの番号に連絡ください。時間はいつでも構いませんから」


 言いたいことだけを一挙に言い、それでは、と、中年男は早々に去っていった。


「なんだろう」


 唐突に始まり、唐突に終わってしまった出来事に目を丸くしながらも、瑞樹は名刺に書かれた文字へ視線を移す。

 栞もつられて同じ場所を見る。


「これって」

「ああ、スカウトの人だね。EF格闘技の」


 栞の顔が再び、夕立前の空模様のように急速に曇り出す。

 しかし瑞樹は特に喜びも、感情の高揚さえも見せず、


「心配しないでいいよ。乗せられるつもりはないから」


 気のない答えを出した。栞は拍子抜けしてしまう。


「えっ」

「そもそもあの人が本物のスカウトかどうかも怪しいな。よくあるらしいんだ。正規のスカウトと思わせといて、実際はアングライベントの使い捨て要員だったり、ヤクザの用心棒や鉄砲玉扱いだったり」


 かつて秋緒から聞いたことをそっくりそのまま再生するかのように、淡々とした口調で言う。

 更に受け取ったばかりの名刺を栞の目の前に出し、こうも続けた。


「不安ならこの名刺、栞に渡そうか? それとも処分しようか? 流石にこの場でやるのは失礼にあたると思うけど」

「う、ううん、いいよ、大丈夫。瑞樹くんを信じてるから。ごめんね」


 栞がそう言うので、瑞樹は名刺の即時処分はせず、ひとまず尻ポケットへ突っ込んだ。そして彼女の手を取って歩き出す。


「色々起こって忘れてたけど、お腹すいちゃったな。今日はどこで食べようか」


 有明周辺は食事ができる場所に乏しく、国際展示場周辺のレストランも比較的早めに閉店してしまう。

 そのため、幾つかの運河を挟んで北に位置する月島まで移動し、もんじゃ焼きを食べた。

 その後すぐ電車で有楽町まで移動し、早めに解散することになった。


 栞は終始、元気がなさげに見えた。

 独り、電車に揺られる帰路、今日は失敗したかと瑞樹は少々後悔する。

 しかも半ば自分の判断ミスで起こしてしまったようなものだ。

 試合を観た後ということもあり、つい好戦的になってしまった。

 一応別れる間際、名刺を駅のゴミ箱に捨ててはみたが、それで彼女の曇り顔を晴れさせることはできなかった。


 まあ、時間を置けば元気を取り戻すだろうと、瑞樹は楽観的に考える。

 ついでに次のデートはケーキでもご馳走してあげようと計画を立てる。

 ここまで考えたところで、眠気が瑞樹を襲う。

 興奮から解放された途端、早くも副交感神経が優位になり始めてきたのだ。

 帰ったら早めに寝よう。

 瑞樹はあくびを噛み殺し、見慣れた景色に切り替わった車窓をぼんやりと眺めていた。




「お帰り。試合観戦は楽しかったか?」


 自宅、玄関を上がった先の廊下で出迎えられるなり、秋緒からズバリ突っ込みを入れられ、瑞樹は狼狽した。


「えっ、な、何で知ってるんですか」

「たまたまテレビに映っているのを見つけた」


 今夜のメインイベントはテレビ中継が入っていたことを思い出す。

 しかしそれにしても、最前列にいたとはいえ、分かってしまうものなのだろうか。


「別に咎めるつもりはないから、安心しなさい」


 秋緒は再びリビングへと戻っていく。

 言葉ではそう言っているものの、観戦したことを好ましく思っていないのは雰囲気からして明らかであった。

 それが束縛の類ではなく、気遣いであることはよく分かっているので、鬱陶しいとは思っていなかった。


「……すみません、先生」


 ほとんど消え入りそうな声で呟き、瑞樹は自室へと戻った。

 荷物を置き、エアコンを入れて設定温度を低くし、部屋を出る。

 洗面所で歯を磨いてから浴室へ行く。

 湯船にじっくり浸かっていると、そのまま湯と一体化して溶けてしまいそうになった。

 何とか眠気を打ち負かし、這うように浴室から脱出して、髪を乾かしリビングへ行く。

 寝る前に水を飲んで水分補給しようとした際、


「謝ることはない。むしろこれまでの私が締め付けすぎていたのかもしれんな」


 と、秋緒から言われた。


「もしかして……聞こえてました?」

「キミのことは、何でも分かる。今夜はゆっくり休みなさい」


 秋緒は微かに笑って言った。

 瑞樹は、おやすみなさい、と挨拶した後、自室へ戻る。

 キンキンとした冷気が部屋を満たしていた。

 蒸し暑い季節に味わう肌寒さという名の快楽にしばし全身を浸した後、エアコンの温度を上げ、ベッドに寝転がる。

 ほとんど考え事などできる間もなく、部屋の涼しさとブランケットの微かな温かみだけを残して、意識が遠ざかっていく。


 瑞樹の頭にぽっと一つだけ、考えが浮かんだ。


 ――そういえば栞は、僕があの女に復讐しようとしていることを、一度も止めようとしたことがなかったな。

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